すべて見せます! 小京都 -郡上八幡-
観光地のキャッチフレーズに「小京都」という言葉を見聞きすることがある。
京都っぽい観光地なのかな、と見過ごしていたが、実は小京都と呼ばれるには「全国京都会議」の加盟基準があるのだ。
「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能がある」という条件にひとつでも合致していれば加盟できるというものだ。加盟していない観光地でも観光目的で「小京都」をうたっている所はある。
郡上八幡[岐阜県郡上市]
名水が人々の暮らしに
寄り添う奥美濃の小京都
長良川の支流の吉田川沿いに、郡上八幡の中心部が開けている。八幡山の山頂には町のシンボルの郡上八幡城が建つ。
防火としての目的もあった水路が通る美しき城下町
町を歩いていると、至るところから心地よい水音が耳に響いてくる。ほとばしる渓流の瀬音、家々の軒下を流れる水路のせせらぎ、水舟という槽に注ぐ水の滴……。長良川の支流の吉田川を中心に、山から引き込まれた水や湧水が町中を縦横無尽に流れ、その豊かな水は古くから人々の暮らしに寄り添ってきた。町を潤す美しい水風景。郡上八幡は、まさに〝水の都〟という喩えが相応しい山あいの城下町である。
町は八幡山の頂に建つ郡上八幡城に見守られるように広がり、町筋には職人町、鍛冶屋町といったかつての生業が偲ばれる町名などが今も残る。軒を連ねる古い町家の形式は、京都に似て間口は狭く奥に長い造り。また、通りの辻には町の防衛のため13もの寺が配置されていることなどから、郡上八幡は奥美濃の小京都ともいわれている。
清らかな水と風情ある城下町の佇まい。南北約1㎞、東西約2㎞。ぐるりと1~3時間で散策できる町の規模もちょうどいい。もちろん、じっくり見て回れば時間はいくらあっても足りないほど。町に宿を取り、朝夕の静かな時間にそぞろ歩くのも楽しみ方のひとつだろう。
「作家の司馬遼太郎が日本で一番美しい山城、と讃えたのが郡上八幡城だそうです」。山頂の天守閣を仰ぎ見ながらそう話すのは、町を一緒に歩いた「郡上八幡まちなみ観光案内人」の塚原秋夫さんだ。
司馬遼太郎の作品に『功名が辻』がある。戦国武将・山内一豊と妻の千代の生涯、内助の功を描いた物語だが、実は郡上八幡はその千代の生まれ故郷という縁がある。
司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で評した郡上八幡城は、昭和8年(1933)に大垣城を参考に再建された模擬天守閣。しかし4層5階建の木造建築は全国の復興城郭の先駆の城としても知られ、深緑の山に映える白亜の姿は確かに優美だ。
「昨今は霧に浮かぶ幻想的な姿も知られ、天空の城ともいわれます」
郡上八幡城を最初に築いたのは、永禄2年(1559)に八幡山に陣を敷いた遠藤盛数。この地は美濃、飛騨、越前への要衝にあり、長良川や吉田川も自然の要害として最適だったという。町を整備したのは四代城主・遠藤慶隆。慶隆は寺社の建立や
町造りに力を注ぎ、同時にそれまで各所で行われていた盆踊りをひとつにまとめて城下で踊ることを奨励した。目的は領民たちの融和をはかるためで、これが国の重要無形民俗文化財にも指定されている「郡上おどり」の始まりである。
「観光客も地元の人も一緒に踊るのが特徴です。郡上おどりは見る踊りではなく、参加する踊り。ぜひ踊りの輪に加わってみてください」と塚原さんは笑顔で話す。
長敬寺の山門から職人町方面の古い町並みを望む。2階部分に見られる防火のための袖壁や、軒下に流れる水路などの様子がよくわかる。
町歩きは下級武士たちの住まいがあったという柳町を経て、職人町方面へ。途中、郡上おどりの実演と歴史が学べる「郡上八幡博覧館」に立ち寄り、長敬寺へと向かう。
長敬寺の山門付近から見る、職人町・鍛冶屋町へ続く通りはひときわ印象的だ。袖壁や出格子を備えた古い町家が軒を連ね、水路が清々しい水音を立てている。仕切りの袖壁は防火のため。家々の軒下にぶら下がるバケツも防火用だという。
承応元年(1653)、町を焼き尽くす大火事が起こる。焦土と化した町の復興を手がけたのは六代城主の遠藤常友だった。4年の歳月をかけて上流から水を引き入れ、城下の町割りに沿って水路を築造。水路は普段は野菜や米を洗う生活用水に使わ
れ、いざ火事が起きた時は防火用水になったのである。
「バケツはさすがに今は使用しませんが、当時の様子がうかがい知れますね」。今見られる水路のある町並みは主にこの時代のものだという。
さらに水の町を象徴するのが宗祇水だ。小さな社が組まれた下からこぽこぽと水が湧出し、涼感たっぷり。柄杓ですくって口に含むと、やわらかな水が喉にするりと落ちた。宗祇水の名は連歌の宗匠の飯尾宗祇がここに草庵を結び、水を愛用したことに由来する。
町中を巡る清冽な水はまた、染物の色を鮮やかにするのにも役立ってきた。訪ねたのは本藍染めの技を430年余り守り続ける「渡辺染物店」。築180年の趣ある建物に足を踏み入れると、独特の藍の香りとともに丸い藍甕が目に留まった。甕には灰汁と蒅、消石灰などを合わせて熟成させた藍液が満たされ、この液に布を繰り返し浸して染めるのだという。十五代目の渡辺一吉さんに実際に絞り染めを見せていただくと、藍甕に浸すごとに徐々に色の深みが増していくのがわかった。そして、店の前に流れる水路へと移動。堰板で流れを止めた水にさらすと、布はみるみる藍色を際立たせ、より美しさを放ったのである。
「水がいいと発色がいいんですね」 明治時代には町に17 軒の染屋があったが、現在はこの一軒だけに。「伝統の技も郡上の水も大切に守りたい」。渡辺さんは穏やかな口調でそ
う言葉を結んだ。
そして名水散策の最後に向かったのは、渡辺染物店のほど近くにある「慈恩禅寺」。市指定名勝庭園「草園」が素晴らしい臨済宗妙心寺派の禅寺である。東殿山麓の自然の岩壁をそのまま背景として生かした室町様式の庭園。岩肌を濡らして一筋の滝が池へと流れ落ち、新緑、紅葉と四季折々の彩りが添えられるとそれ
は一幅の絵画のよう。
庭と対峙するように座し、深くひと呼吸して目を閉じる。静寂の中にただ響くのは、木々を揺らす風の音と清らかな水音だけであった。
※こちらは男の隠れ家2017年7月号より一部抜粋しております