MENU
ログイン
ログイン・会員登録はこちら

現在カート内に商品はございません。

News お問合せ HOME New Item Web Mag Instagram Facebook X

男の隠れ家コンテンツ

  • 紅葉の不思議 人と差が付く豆知識

    色彩豊かに山々を染め上げる日本の紅葉。その姿の美しさは外国人からも人気を得ている。そんな紅葉にまつわる豆知識を紹介しよう。いつから紅葉(こうよう)は愛されて誰が紅葉(もみじ)と名付けたの?日本の四季。それぞれの季節を代表する光景を思い浮かべてみる。パッと咲いて儚く散る桜。競い合うように鳴くセミの声。山々を赤く染める紅葉。しんしんと降り積もる雪。南北に長い列島は、南から桜が舞い始め、北から紅葉が色づき始める。いま日本列島では、カエデを中心とした木々たちが、紅や黄色に山を染め始めているのである。ところで紅葉には「こうよう」と「もみじ」のふたつの読み方がある。その違いをご存知だろうか。一般的に「こうよう」は冬に備えて落葉する前に、紅や黄色に葉の色が変わることを指す。これに対して「もみじ」は「こうよう」の状態の中でも、ひときわ紅く染まったカエデ科の樹木を総称する言葉である。ちなみに植物の分類上、モミジという科や属は存在しない。モミジと呼ばれる木は全てカエデ科に属する。ただ、園芸や盆栽の世界では、葉の切れ込みの数や具合によって区別するため、葉が5つ以上に切れ込み、子供の手のような形状のものを「モミジ」と呼び、切れ込みが3つのものを「カエデ」と呼んだりする。また「もみじ」の語源を紐解くと、紅や黄色の草木の葉が変化していくさまを「もみつ」と呼んでいたことから始まる。この連用形で名詞化したものが「もみち」。やがて平安時代に入ると「もみぢ」と濁音化されていった。そもそも紅葉する落葉広葉樹は、北半球の温帯地域にしか存在しないといわれている。東アジアや一部のヨーロッパ、北アメリカ東部やカナダなどで紅葉が見られるが、ほとんどの地域はイチョウなどの葉が黄色に色づく黄葉がメインだ。現在、日本には26種のカエデ科に属する樹木が存在しており、世界のどの地域よりも多い。それらの樹木がそれぞれに、赤や黄色、オレンジ色に葉を染めていき、混じり合った色彩は日本独自の美しさを形成する。そんな日本で紅葉が愛でられるようになったきっかけは、平安時代初期にさかのぼる。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した藤原定家がまとめた小倉百人一首は、恋の歌が43首と最多であるが、四季について歌った句は32首存在している。その中で紅葉について歌った句は6首。その6首を残した中で最も古い時代に生きたとされる歌人・猿丸太夫は、生没年が不詳ながら平安時代初期に『古今和歌集』が選ばれた際には、すでにその存在が述べられていることから、少なくとも平安時代初期より前に生きた人物だとされている。なお、中国からの影響が大きった奈良時代、『万葉集』に歌われた黄葉の歌は100首を超えている。このことから、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本独自に自生するカエデ科の樹木が、紅く色づく姿が、やがて〝紅葉〞と呼ばれ、愛されていったことがわかるのだ。教えて紅葉のメカニズム一般的に紅葉は一日の最低気温が8℃以下の日が続くと色づき始め、5℃以下で一気に進行するといわれている。木は気温が低下すると、根から水分を吸い上げる力が弱まり冬の間、満足に水分補給ができなくなる。そのため外に水分を放出する葉を落とし、幹の水分バランスを図るのだ。葉と幹の間で栄養素の交流がなくなると、葉では光合成が行われず葉緑体が分解される。このため緑色に見えていた色素が失われ、その際、葉に残された色素がその樹木の紅葉の色となる。イチョウなど黄葉する木なら、緑黄色野菜にも含まれるβ─カロチンの黄色い色素だけが残り、カエデのように紅く染まる植物の場合は、葉の老化で糖とアミノ酸を分泌し、紅色の色素・アントシアンを合成。最後に葉に残る色素は合成された紅色となるのである。いくつ知ってる?紅葉を表す美しい言葉知っていると洒落者知っていると洒落者!?ちょっと〝粋〞な紅葉の表現を知るうすもみじ【薄紅葉】仲秋緑色が残った、淡い色の紅葉。紅葉のはしり、秋の始まりを表現する言葉。深い紅の冬紅葉とは違う趣を持つ。かきもみじ【柿紅葉】晩秋柿の葉が紅葉し、本来の緑色に紅や黄色、茶色など様々な色が入り混じった状態の美しいさまを表現する。かしわもみじ【柏黄葉】晩秋カシワの葉の色づき。黄色から褐色に変化する。艶やかさはないが木が大きいため、紅葉山に彩りを添える。こうらく【黄落】晩秋広葉樹が黄色く色づき、落ちる姿。ケヤキやクヌギ、イチョウなど。太陽の光を浴び、落葉するさまの美しさ。はつもみじ【初紅葉】仲秋いち早く紅葉し秋の訪れを告げるもの。ナナカマドなどを指す。カエデはこれよりずっと遅れて紅葉が始まる。ははそもみじ【柞紅葉】晩秋ブナ科コナラ属の紅葉の総称。高さ15〜20mほどの雑木で、コナラ、クヌギ、オオナラなどを表現する言葉。ふゆもみじ【冬紅葉】初冬周りが枯れ始める中の紅葉。また、冬になってから色が際立つ、庭園や寺社などの紅葉を指すこともある。百人一首に登場する〝紅葉〞の歌日本人にとって最も身近なカルタ小倉百人一首から秋の歌を知る第5番 猿丸太夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)奥山に もみぢふみわけ なく鹿の声きくときぞ 秋はかなしき人里離れた山奥で紅葉を踏みながら鳴く鹿の声を聞くと秋がさらに寂しく感じる。----------------------------------第17番 在原業平(ありわらのなりひら)古今集 四季(秋)ちはやぶる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは不思議な事が多い神代でも、聞いたことがない。紅葉が竜田川を真紅に染めるとは。----------------------------------第24番 菅家(かんけ)古今集 羈旅このたびは 幣もとりあへず 手向山紅葉の錦 神のまにまにこの旅はお供えの用意がない。手向山の美しい紅葉を神の御心のままお受け下さい。----------------------------------第26番 貞信公(ていしんこう)拾遺集 雑小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば今ひとたびの みゆき待たなむ小倉山の紅葉よ。もしお前に心があるなら再び天皇の行幸まで散らずにそのままで。----------------------------------第32番 春道列樹(はるみちのつらき)古今集 四季(秋)山川に 風のかけたる しがらみは流れもあへぬ 紅葉なりけり山を流れる川の流れを止めた柵。よく見ると流れずに溜まった紅葉の葉だったのだ。----------------------------------第69番 猿丸大夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は竜田の川の 錦なりけり激しい風に散らされた三室山の紅葉。竜田川に散り水面を錦のように鮮やかに彩る。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓川根薪火三十年番茶&川根薪火三年番茶長期間放置された茶畑から新たな可能性が生まれる。自然にも人にもやさしい健康茶。詳しくはバナーをクリック↓冒険用品 ヨコザワテッパン ポケットヨコザワテッパン × 男の隠れ家小さくても万能なテッパン、元祖が作り上げた、これがもうひとつの究極。このサイズならではの使い勝手を追求した、小さな小さなアウトドアテッパン。

    もっと読む
  • 後世に残したい風景 。ニッポン紅葉遺産。

    ※当記事の内容は雑誌掲載時の情報です。世界遺産の日本の寺社や自然も秋になると紅葉に色づく。多様な生物を支える原生林、信仰の山や寺社など日本の〝紅葉遺産〞を後世にー自然と人の営みが生む景観風景が最も輝く紅葉の季節今年7月に登録された国立西洋美術館が加わり、ユネスコ世界遺産に登録されている日本の自然遺産、文化遺産は20カ所になった。このうち自然遺産は4カ所で、意外に少ない。一方、16カ所の文化遺産のなかには「文化的な景観」がキーワードとなっているものが多い。「文化的景観」とは「自然と人の営みが、長い年月を経て作り出した景観」という意味であり、日本を特徴づけるものだ。山や森を背景に造られた寺社や、幾世代にもわたって作り続けられてきた田畑と民家。日本のこうした景観が、世界から評価されている。紅葉の季節は日本の風景が最も輝く季節であり、世界屈指の美しさを持つ。日本の世界遺産から、紅葉が特に美しい文化遺産と自然遺産7カ所を〝紅葉遺産〟としてここで紹介しよう。日光 栃木県 10月下旬〜11月下旬1999年に東照宮など二社一寺の建物群が周辺の自然環境とともに形成する文化的景観が世界文化遺産に登録された。世界遺産の建物を紅葉が彩る見頃は11月だが、日光連山を背景にした紅葉が素晴らしい中禅寺湖周辺など奥日光の紅葉は10月が見頃。にっこう栃木県日光市中宮祠(中禅寺湖)アクセス/JR「日光駅」より中禅寺温泉東武バス行き東武バスで45分「中禅寺温泉」下車、徒歩3分清水寺 京都府 1月中旬〜12月上旬清水寺は平安京遷都以前からの歴史を持つ京都では数少ない寺院。1994年に「古都京都の文化財」を構成する17寺社のひとつとして、世界文化遺産に登録された。秋になると清水の舞台から見下ろす錦雲渓と呼ばれる渓谷の木々が、真っ赤に染まる。きよみずでら京都府京都市東山区清水1-294東山通北大路バスターミナル行き京都市交通局(市バス)で15分「五条坂」下車、徒歩10分吉野山 奈良県 11月上旬〜下旬野山は古代からの伝承や史実に彩られた大峰山から熊野三山に続く山岳霊場の北端に位置し、「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年に世界文化遺産に登録。春は全山、桜が満開となる桜の名所だが、秋にはその桜がカエデとともに美しく紅葉する。よしのやま奈良県吉野郡吉野町吉野山アクセス/近鉄「吉野駅」よりロープウェイで3分白川郷 岐阜県 10月中旬〜11月中旬急勾配の茅葺き屋根を持つ伝統的な民家である合掌造りで知られる白川郷は、1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録された。秋は白川郷周囲の山々の木々が黄や赤の紅葉で染まり、合掌造りの民家を引き立てる。しらかわごう岐阜県大野郡白川村荻町 アクセス/JR「高山駅」よりクルマで50分知床 北海道 10月上旬〜10月中旬知床は羅臼岳など1200~1600mの山々が連なるオホーツク海に飛び出た半島。流氷が育む海から山につながる生物の生態系と種の多様性から2005年に世界自然遺産に。原生林の紅葉を静寂な湖面に映す知床五湖と紅葉の眺めはまさに絶景だ。しれとこ北海道斜里郡斜里町 アクセス/「女満別空港」よりクルマで2時間20分白神山地 青森県 10月中旬〜11月下旬白神山地は秋田と青森にまたがるブナの原生林。多種多様な動植物が育まれ、貴重な生態系が保たれていることから、1993年、山地の中心部の約1万7000haが世界自然遺産へ。10月中旬から下旬にかけてブナ、カエデ、ヤマモミジなどが美しい。しらかみさんち青森県中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添417アクセス/JR「弘前駅」よりクルマで約1時間富士山 山梨県 10月下旬〜11月下旬富士山は古代より信仰され、広く日本の芸術文化の対象となってきた。これが評価され、2013年に世界文化遺産に登録。山麓のカラマツ、ナナカマドなどの木々は9月上旬から色づき、10月上旬から下旬の見頃には、富士山はうっすらと雪化粧する。ふじさん山梨県南都留郡鳴沢村8527 アクセス/富士急行線「河口湖駅」より本栖湖方面に富士急山梨バスで約25分「紅葉台入口」下車、徒歩30分----------------------------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓伊賀焼 「いぶしぎん」 全2種作り手は真の使い手であれ!という精神の元作られた「いぶしぎん」のおうちで楽しむ燻製土鍋。約30分で本格燻製の出来上がり。伊賀焼の伝統を守りながら現代のライフスタイルでもお使い頂ける商品を提供しています。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

    もっと読む
  • シルク100%の滑らかな履き心地。機能性あふれるシルクシューズで軽やかに。【スロモ プレミアムシルクシューズ】

    シルク100%の滑らかな履き心地。機能性あふれるシルクシューズで軽やかに。【スロモ プレミアムシルクシューズ】普段の生活でどうしても気になるのが靴のムレ感です。様々な靴の中での靴選びは人によっては強いストレスを感じてしまいがち。様々な目的に応じて開発された機能性に優れた靴は世の中にたくさんありますが、履き心地が良く疲れにくい靴はなかなか巡り合えません。男の隠れ家PREMIUMでは、ちょっとした外出だけでなくアウトドアにも優れた機能性を発揮するシルクシューズの取り扱いを開始しました。高級感あふれる素材。靴にシルクを使うメリットとは。蚕が吐く糸を紡いだシルクは、私たちの肌と同じタンパク質でできた天然繊維です。人のタンパク質と構成が近いため、シルクなら痒くなったりしないという方が多いのは、シルクが持つ人肌への親和性の高さゆえ。しかもシルクの一本の長さは1,200〜1,500mと、天然繊維の中では断トツの長さを誇ります。そのため肌触りが良く滑らかで、毛羽立ちません。通気性が良いので夏は涼しく、保温性も高いので冬は暖かいのも特徴です。「スロモ プレミアムシルクシューズ」は表地はもちろん、裏地もシルク。「スロモ プレミアムシルクシューズ」は軽く肌に優しく、シルク特有の通気性を感じられるため、素足のようなはきごこちです。生地にシルクを100%使用し、裸足で履けるのが特徴。シルク100%で皮膚の弱い方も履けるシューズとなっています。シルクは通気性が良く、同時に吸水性も綿の1.3〜1.5倍。汗を吸い込んで素早く乾かし、触感もサラサラとしています。蒸れやすい夏の外出も、素足で履けるシルクシューズなら快適です。とろけるような履き心地が足をしっかりホールドしてくれます。シルク素材というと扱いが難しい印象を受けますが、洗浄した際に生地が縮まない防縮加工、洗濯で生地の変形やねじれを防ぐテンター加工、汚れが生地に付着しにくくする防汚加工を施しているので、耐久性にすぐれており水洗いも可能です。お手入れも簡単で、素足で履くのにも安心の逸品。韓国の特許技術の振動チップで、衝撃を緩和し歩行をサポート。歩行時の衝撃を緩和し、姿勢を補正して軽快に歩ける、韓国の特許技術の振動チップをかかとに搭載し、踏み込んだ時の体圧を分散させてくれます。この振動チップの内部には9つの永久磁石が配置され、外部から衝撃を受けると振動するように設計されています。かかとから踏み込むと振動チップが発動して振動を起こし、足にかかる衝撃を分散する仕組みです。さらにインソールに衝撃吸収力の高い素材を採用し、天然ゴム製アウトソールで滑りにくく歩行が楽々なので、アウトドアシーンでも活躍します。足裏に隙間なくフィットし、適度な硬さがあるため踏み込みの力を無駄なくシューズに伝え、歩行時のパフォーマンスを維持してくれるのも特徴。痛みなく長い距離を歩行しやすく、日々の生活、軽い運動からアウトドアにも、使い勝手の良い一足となっています。また、アッパーがシルクなので、重量も一足当たり24cmサイズで217g、27cmサイズで267gと非常に軽やかなのも、足に優しいポイントといえます。特別なシルクシューズで快適な夏を。アウトドアシーンや街歩きは楽しい反面、汗をかきやすくムレやすいなど不快な状態に出くわしやすいです。そんな時は「スロモ プレミアムシルクシューズ」の爽やかな機能性で、軽やかに乗り切りましょう。商品詳細スロモ プレミアムシルクシューズ全3色/37,400円 (税込)

    もっと読む
  • 燕三条のアウトドアブランド「Muthos Homura」のナイフシリーズが「男の隠れ家PREMIUM」に登場!

    燕三条のアウトドアブランド「Muthos Homura」のナイフシリーズが「男の隠れ家PREMIUM」に登場! 約60年に渡り工具OEM製造や鍛造部品製造を行う株式会社小林工具製作所(所在地:新潟県三条市、代表取締役:小林拓磨)は、2022年9月にアウトドアブランド「Muthos Homura (ミュートス ホムラ)」を設立しました。 オリジナル製品第一弾として開発した「ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス)」をはじめ、「プロシェフナイフシリーズ」、「プロカットソー」の販売を「男の隠れ家PREMIUM」にて開始しました。 ▼ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス) ■開発背景 5.5mm厚のハードな使用に耐えるフルタング構造で、一本一本丁寧に研ぎあげた刃は、刃先断面形状を片側はハマグリ刃(バトニングで薪割りの際にナイフが挟まらずに割れやすい刃形状)、片側はストレート刃(フェザースティックを作る際に薄く細かいフェザー形状が作りやすい刃形状)になっており、良く切れるだけでなく2つの用途を1本のナイフで最適に実現でき、切れ味の持続性と欠けにくい耐久性も備えています。 このナイフが1本あれば、薪を割る・フェザースティックを作る・肉を切る・魚をさばく等、ブッシュクラフトキャンプを楽しむのに最適です。 刃の切れ味はもちろん、握りやすさは約60年に渡り、プロの職人向けの工具を作り続けてきた会社ならではのこだわりです。 ■特徴 「ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス)」の持つ最大の特徴は、意匠登録をされた独自の左右非対称な刃形状で片面はシャープな切れ味の「直刃」、もう片面はハリのある滑らかな曲線の「ハマグリ刃」の二面構造。これによって自由自在なブッシュクラフトが可能です。 極厚刃によって硬い薪・木材でも難なくバトニング、フェザリングが可能な圧倒的性能をもち、ナイフでの導入は珍しい3D設計&マシニング加工による造形と、確かな技術で丁寧に磨き上げた美しい刀身が特徴となっています。 「Muthos Homura」のブランドコンセプトである滾る想いを体現した「唯一無二」のアウトドアナイフです。このナイフを使って木を削り、焚き火をする時間は何物にも代えられない時間となるでしょう。 <製品概要> 商品名 :ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス) 種類  :MH-001(右利き用) 内容  :ナイフ本体×1本、本革シース×1個、専用桐箱×1箱 サイズ :全長 約230mm、刃長 約107mm、重量 約250g 素材  :刃材質 高強度特殊ステンレス鋼、ハンドル材質 ローズウッド、      シース材質 栃木レザー ▼Pro Chef Knife series (プロシェフナイフシリーズ) ■特徴 プロの料理人に愛される包丁を生産していることでも有名な燕三条エリア。その最高峰ともいえるステンレスダマスカス包丁を3種類のペアでお届けします。包丁に加えて、天然大理石カッティングボードや栃木レザー製の現代版サラシなどを加えたオールインのプレミアムギフトセットです。 ご自分でご使用されるも良し、大切な方へのプレゼントとしても用いることができるよう、ギフトラッピングされた状態でのお届けとなります。 <製品概要> Pro Chef Knife Series(プロシェフナイフシリーズ) set A : Damascus包丁(パン切包丁、90mmペティ)、天然大理石カッティングボード包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:77,000円(税込・送料別)set B : Damascus包丁(牛刀180mm、120mmペティ)、天然大理石カッティングボード 包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー 専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:71,500円(税込・送料別) set C : Damascus包丁(150mmペティ、90mmペティ)、天然大理石カッティングボード 包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー 専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:66,000円(税込・送料別) ▼Pro Cut Saw PCS-210 / Pro Cut Saw Mini PCS-125 (プロカットソーシリーズ)■特徴目指したのは、常に持っていきたくなる魅せるノコギリ(携帯ケース付き)。 Muthos Homuraでは単なる工具としてではなく、Outdoor Gearとしてファッションの一部となる魅せるノコギリを目指しました。キャンプシーンを彩るアイテムとして、ご使用中は勿論のこと何気ないシーンでも、その存在感がワンランクアップのシーンを演出いたします。工具の本場、新潟県三条市のプロ仕様ノコギリに、プラスアルファの所有感をご堪能ください。 サイズは実用性重視の刃長210mmと携帯性重視の刃長125mmの2サイズを準備しており、ベルト地の携帯ケースは「カーキグリーン、ブラック、ワインレッド、アイスグレイ」の4色からお選びいただけます。 <製品概要> Pro Cut Saw PCS-210 ノコギリ本体:全長440mm使用時 245mm折畳時 刃材質 SK-85 高周波焼入 一般木材用刃(あさり有) 刃長210mm 重量 230g   専用ケース:全長260mm 全幅50mm 重量60g  材質PP製 カラー4色  販売価格:2,750円(税込・送料別) Pro Cut Saw Mini PCS-125 ノコギリ本体:全長280mm使用時 165mm折畳時 刃材質 SK-85 高周波焼入 一般木材用刃(あさり有) 刃長125mm 重量 147g   専用ケース:全長205mm 全幅50mm 重量48g  材質PP製 カラー4色   販売価格:2,530円(税込・送料別)

    もっと読む
  • やっぱりはじめたい、ソロキャンプ。

    爽やかな春の息吹を感じて。ソロキャンプをはじめてみませんか?植物が一斉に芽吹き、穏やかな春の気候になってきた今日この頃。うららかで優しい日差しが差すこの時期は、屋外で過ごすことも増えてきます。ピクニックやお花見、ちょっとしたハイキングなど、各々多彩なアクティビティを行いますよね。冬の硬く締まった空気の中では、なかなか開放的な気持ちになれないもの。春の暖かな陽気と咲く花たちに身を任せ、パーティ感覚で人と賑やかに楽しむのも乙なものですが、ソロキャンプで静かに春を感じてみるというのもセンスの良い楽しみ方です。今回は、ソロキャンプをはじめてみたいと思っている方にぴったりのキャンプギアを紹介します。これさえあればというものを紹介しますので、今まで敷居が高くて踏み出せないと思っていた方もぜひ参考にしてみてください。キャンプといえば焚き火。アイテムを駆使して大人のソロキャンプ。キャンプといえば焚き火を思い浮かべるほど重要な要素です。しかしそれに付帯する薪割りや火の管理は意外に面倒なもの。そんな時はアイテムを駆使してみるのもおすすめです。例えば「薪割機シャカシャカ」は、杭打機(パイルドライバー)の要領で薪を割ることが出来る薪割機です。比較的割りやすい針葉樹はもちろんのこと、乾燥した硬い広葉樹の薪も簡単に割ることができます。打撃位置が一定で、斧や鉈より安全なのが特徴です。少ない力で安全に薪を割ることができるので、女性ソロキャンパーの方にもおすすめできます。また、棒状なのでコンパクトで持ち歩きにも便利。かさばりがちなキャンプアイテムなのにすっきりと収納できます。薪を割った後は「ロストル・スペシャル Ver.2」で火を起こしましょう。「ロストル・スペシャル Ver.2」は井桁型焚き火台の元祖とも言える存在で、焚き火に理想的な井桁構造を備えています。井桁型は薪を’’井’’の字に組むことで、炎が高く上がるので火力がしっかり保たれます。盛大に燃えるのでキャンプファイヤーのような火力がお好きな方には特におすすめです。なお、井桁の隙間から薪をくべる事が出来るので、細かい火力調整ができ、焚き火料理にも威力を発揮してくれます。ミニマルなシステムキッチンも。ソロで料理を楽しむ。火を起こしたら楽しみなのが料理ですよね。ソロで料理を楽しみたい方にまずおすすめなのが、ミニマルなシステムキッチン「ODシステムキッチンテーブルセット」です。野外での調理に必要な機能がぎっしり詰まっているのに、無駄を極限まで削ぎ落としており持ち運びも簡単。内容としては、アルコールストーブを固定出来るアルミニウム製のテーブルと、調理などのスペースに使えるアルポリック天板を備えた、ソロ用の小型システムキッチンです。嵩張りがちで必要な時に手元に置いておきたいシェラカップや、カトラリーをフッキングできるハンガー、熱い蓋を置ける蓋置きなどのギミックを備えています。「不便を楽しむ」ことがある種美徳とされているソロキャンプスタイルの常識を打ち破る、便利で使いやすいキッチンセットです。また、グリルや焚き火台にセットするだけで手軽に使える回転ロースター「BBQ・ぐるり」は、お肉をぐるぐると回転させながら焼けるため、熱を均一に通すことが可能です。お手持ちのBBQグリルや焚き火台、バーナーストーブ等の上にのせて使用できるので、新たなギアを買わなくとも使える有能ぶり。スタンドをつければコンパクトストーブVHSのような、小型焚き火台などとも併用できます。まだまだ寒い山間部にも。薪ストーブでぬくぬくキャンプ。春といってもまだ山間部は朝晩の冷え込みが厳しい場所もあります。そんな時におすすめなのが薪ストーブです。薪ストーブとは、薪を燃料にして、その火力で暖をとるキャンプの定番アイテム。石油ストーブなどとは違い、暖をとれるだけでなく料理や火を眺めることもできます。「Fb.ストーブ・NEO」は、本体前面の「覗き窓(吸気調節窓)」や煙突側に「排気ダンパー」を装備し、薪の燃焼を自由にコントロールできるところや、燃焼室から出た火の粉が粉砕され、テントやタープに大きなダメージを与える火の粉が出にくい「火の粉止めフィルターなど、多彩な機能が実装されています。安全面にもしっかり配慮されており、さまざまな使いやすいポイントが凝縮されているのがうれしい薪ストーブです。やすらぎと芽吹きの時期。ソロキャンプを始めるなら今。冬から春へ移り変わる時期、暖かな気候は外に出るには最適です。優秀なキャンプアイテムに囲まれて、素敵なソロキャンプライフをはじめてみてはいかがでしょうか【商品情報】ODシステムキッチンテーブルセット18,700円 (税込)商品の詳細はこちらODテーブル Fire Hole11,000円 (税込)商品の詳細はこちらODテーブル Fire8,800円 (税込)商品の詳細はこちらODテーブル light7,700円 (税込)商品の詳細はこちらBBQ・ぐるり17,600円 (税込)商品の詳細はこちら薪割機シャカシャカ18,700円 (税込)商品の詳細はこちらロストル・スペシャル Ver.219,800円 (税込)商品の詳細はこちらFb.ストーブ・NEO全2種69,300円 ~ 100,100円 (税込)商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • ゆる宿Voketto【男の隠れ家限定】古民家ゲストハウス利用権

    「ゆる宿Voketto」は、築140年を超える古民家をリノベーションしたゲストハウスです。この宿は、世界中をバックパックで旅して回ったオーナー、三髙菖吉さんによって設立されました。三髙さんは、この古民家の素敵な梁を見た瞬間にその魅力に惚れ込み、ゲストハウスに生まれ変わらせることを決意。そんな想いが込められた古民家で、大自然と親しむ非日常的な体験を提供しています。大井川鐵道でSLも見れますし、夜には満天の星空や心地よい焚き火体験など、都会では味わえないような豊かな自然を楽しめますよ。 日々の喧騒から離れて、自分自身に立ち返ることができるような、ゆったりとした時間を過ごすことができるのが「ゆる宿Voketto」の魅力です。木の温かみを感じる雰囲気の中で、オーナー自ら手作りしたテーブルやこだわりのアイテムに囲まれながら、日頃のストレスを発散してみませんか?好みに合わせて選べる滞在スタイル。「ゆる宿Voketto」には2種類のお部屋が用意されています。8畳和室と16畳和室の2種類で、「8畳和室」は昔ながらの畳と障子、ふすまが楽しめる懐かしさが溢れるお部屋です。少人数でのご利用、宿泊費を安く抑えたい方や他の宿泊者との交流を楽しみたい方におすすめのお部屋となっています。16畳和室「離れ個室16畳 ~トキハナレ~」はオーナー自らがリノベーションした個室空間で、こだわりが満載。天然ウールの断熱材を天井、壁、床内に敷き詰めているため、昔ながらの雰囲気にも関わらず快適で暖かい空間を実現しました。天井の一部には天竜杉を、壁にはスペイン漆喰を使用し、床には和紙の畳を採用。天然素材にこだわり抜いた空間作りがされているので、自然の温もりを直に感じられますよ。 なお、この個室は母屋から離れているため、プライベートな時間を過ごすのにも最適です。カップルや家族での利用におすすめで、静かで落ち着いた雰囲気の中、ゆったりとした滞在を楽しむことができます。料金は、1部屋28,000円~で、4人の滞在が可能。その後、1人あたり5,000円で追加でき、最大6人まで宿泊できます。友人グループでの滞在もできるくらいのキャパがあるのは嬉しいですね。「男の隠れ家限定プラン」をご紹介!今回、男の隠れ家PREMIUM限定で、当サイトで人気の「ヨコザワテッパンポケット」を使用し、地元川根本町産の「鹿肉ソーセージ」を焼いて楽しむ、ミニBBQが楽しめる特別なプランをご用意しました!「ヨコザワテッパンポケット」の魅力はコンパクトさからは想像できない実用性。縁なしのデザインによって余計な脂分が落ちてヘルシーな調理ができます。アウトドアのプロによって計算された大きさと厚みのおかげで、食材がこんがりと美味しく焼けて、良い感じに焦げ目もついてくれるので、お肉や野菜がシズル感満載で美味しくなります。本格的な機材を用意せずとも、レベルの高いキャンプ飯が超簡単に楽しめてしまいますよ。しかも、「鹿肉ソーセージ」は地元の川根本町産。ジビエ肉の魅力を存分に引き出した逸品で、ジビエ初心者から愛好家まで幅広く楽しめる味わいが特徴です。独自のレシピで作られたこのソーセージは、野生の風味を残しつつも、繊細なスモークの香りとさっぱりとした旨味がポイント。高品質な天然羊腸を使用しており、食感も極上です。大自然の中でソーセージを焼いてひたすら頬張る。そしてビールを飲む。そんなシンプルで贅沢な楽しみ方ができるのは、男の隠れ家PREMIUM限定プランだけ。最高の空間に合わせて、最高の食事も楽しんでみてくださいね。いつも頑張る自分に、非日常というご褒美を。「ゆる宿Voketto」で過ごす時間は、日常を忘れさせる非日常の体験。いつも頑張る自分へのご褒美として、自然に囲まれた静かな環境でリラックスし、新しいエネルギーを充電する絶好の機会です。ここでしか味わえない特別な時間を、ぜひご自身で体験してみてはいかがでしょうか。【商品詳細】商品名:ゆる宿Voketto【男の隠れ家限定】古民家ゲストハウス利用権[16畳和室]価格:28,000円(税込) 商品の詳細はこちら商品名:ゆる宿Voketto【男の隠れ家限定】古民家ゲストハウス利用権[8畳和室]価格:9,500円 ~ 26,000円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 本のある空間。【Book Cafe】

    珈琲を味わいページをめくる静かなひと時ーー慌ただしい日常から離れて、コーヒーを片手に好きな本を読みながらゆっくりと過ごす。そんな贅沢な時間の使い方を叶えてくれるブックカフェ。読書にぴったりなお店をご紹介します。fuzkue[東京・初台]約束された心地良さをいつでも味わうことができる店内部はほとんどが手作り。手前の本棚が使いこなしたように見える塗装を施したもの。左のソファも同様。しばし世間の喧噪から隔絶させられる空間初台の駅前にある雑居ビル。喧噪に包まれた通りから2階にある「fuzkue」の扉を開くと、そこにはコーヒーの香りと、心地の良い静けさに支配された空間が待っていた。コンクリート打ちっぱなしの壁に、ダークな色調の木製家具が絶妙なマッチングを見せるインテリア。その多くが店主の阿久津隆さんによる手作りというから驚きだ。特に小ぶりの書棚は、わざわざ使い込んだように見える塗装を施し、調和を持たせている。ここは「外でゆっくりと読書を楽しみたい」という人に、最高の環境を提供するために設計・運営された店なのだ。そのために阿久津さんが欠かせない要素と考えたのが「穏やかな静けさが約束されていること」と「心置きなくゆっくりと過ごせること」である。静けさを保つため、この店では連れ同士の会話もご遠慮願っている。ほかにもいくつかのルールを定め、いつでも〝約束された〟心地良さが味わえる空間づくりに心を砕いているのだ。入店したらまず「ご案内とメニュー」に目を通す。最初はルールが気になっても、ほとんどの人が1時間半以上、平均で2時間半も滞在するという。それこそ居心地の良い空間が守られている証しである。約1000冊の蔵書は、基本的に阿久津さんが読んだもの。特に海外文学が多いという。ここはあくまでも「本が読める店」であり、「本を読まなくてはいけない店」ではない。従って好みの本がなければ持参の本を読んでもいいし、考え事をしていてもいい。しばし自分を世間から隔絶させる、そんなことができる場所でもあるのだ。そして至福の時間をサポートしてくれる旨いコーヒーやお酒、カレーなどの食べ物が充実しているのも嬉しい。ドリンクやフードをオーダーすることで、席料が少なくなるシステムを採用。ちょっと複雑なので、お店で確認しよう。ESPACE BIBLIO[東京・御茶ノ水]都会にいることを忘れさせる不思議な空間と希少な本を提供してくれるコーヒーはオールドビーンズの深煎りを使用。イベントスペースもある。インテリアのように並ぶグラフィック関連の美しい本「御茶ノ水駅」からとちの木通りを水道橋方面に向かうと、「ESPACE BIBLIO」の看板が見える。地下へと続く階段を降り、店内に入ると両側の壁に備えられた本棚に、自然と目がいく。そこには横文字が並ぶ洋書が、ビッシリと収められているのだ。座席の間にも本棚があり、日本の著名な写真家の希少な写真集などが置かれている。オーナーの齋藤芳弘さんは「私のデザイン事務所で集めた約6000冊の蔵書を、閲覧してもらうために開設しました。海外アートだけでなく歌舞伎や浮世絵などの日本文化、70~80年代のファッション雑誌、建築本や映画本など、希少な初版や絶版がたくさんありますよ」と語る。ブックカフェながらランチメニューも充実し、談笑に興じるお客の姿も多い。地下なのにテラス席が用意されているのも特筆ものだ。アール座読書館[東京・高円寺]私語厳禁の緑あふれる店内で自分だけの特別な時間を過ごす外からの自然光を取り入れ、優しい光が差し込む。店内には2人がけの席を9つ用意。それぞれのテーブルで異なる趣が楽しめる。世界に来たかのような特別な空間で読書に耽るJR「高円寺駅」から徒歩5分ほどの場所にあるブックカフェは、ひっそりと建つビルの中にある。2階へと続く階段を上がり扉を開けると、どこからか虫の鳴き声が聞こえてくる。「うちは『森の中で読書』をコンセプトにしていて、今は鈴虫を店内で飼っています」と話す店主の渡辺太紀さん。店内の至る所に配された植物やアクアリウムを見るとなるほどと頷ける。蔵書は1000冊以上にも及ぶといい、そのどれもが渡辺さんのセレクト。「ここで気軽に本を読んでもらえるよう、画集や写真集などパッと開いて読めるものが多いんです」と話す。また店では〝私語厳禁〟がルールとなっているが、堅苦しさは一切感じない。ジャズやヒーリングのメロディが店内に一定のリズムを生み、自然の中で読書をしているかのような心地良い空間が生み出されている。BOOKS BUNNY[東京・原宿]並べられた本や食事のメニューからニューヨークの薫りが漂ってくる人気のランチメニュー「チキンオーバーライス」はドリンク付き。洋書に囲まれて食べる味は格別。蔵書は約1000冊。毎年2回、ニューヨークに買い付けに行く。少し怪しい洋書に囲まれ至福のコーヒーブレイクを原宿というより、ニューヨークやロサンゼルスのような雰囲気漂う路地の一角にブックショップ&ブックカフ ェ「BOOKS BUNNY」はある。赤いバニーの看板に誘われて店内に足を踏み入れると、店主の伊藤沙帆さんがニューヨークから買い付けてきた洋書が所狭しと並ぶ。その多くは60~70年代の先鋭的なアートやファッション、頽廃的な薫りに包まれたロック関連本という、かなり〝尖った〟ものばかりだ。「絵を描いているので、参考になるデザインの本をセレクトしているうちに、ほかでは見られない毒っ気のある本に惹かれてしまって」若い女性にはなかなか勇気のいる本もある。カフェメニューだけでなく、伊藤さんが作るニューヨーク風の食事やお酒をいただきながら、ちょっと危ない本に目を通すのも粋である。※こちらは男の隠れ家2018年12月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents鮮烈なカラーと浮世絵の繊細さの融合【ルパン三世浮世絵】アニメ「ルパン三世」の50周年記念として生まれたこの作品は、現代と伝統が見事に交錯する一方で、ルパン三世というキャラクターの魅力を最大限に引き立てています。――続きはこちらからアズスプレッド消臭剤日本のバイオテクノロジーから生まれた天然酵素消臭スプレー。アズスプレッドシリーズは信州大学を中心とした産学官のプロジェクトで研究開発した植物由来の酵素群を原料にしています。――商品詳細はこちら

    もっと読む
  • たまにはいいよね?昼呑みのススメ。

    スーツ姿のサラリーマンが足早に過ぎ去っていく。酎ハイ片手に店の外を見ると、太陽はまだまだ元気な昼のひと時。ひと口呑む度に胃に流し込まれ、消化されていく若干の罪悪感。同時に悦楽の時間を噛みしめる。たつや 駅前店[東京・恵比寿]ホッピーファンの聖地と呼ばれる老舗店内の佇まいには老舗らしい風格がにじみ出ている。年季の入ったカウンターの一角に陣取り、やきとりの美味しそうな匂いを嗅ぎながら、名物の黒ホッピーをグイッ。隣の客と会話が弾んでいるうちに、時が過ぎていく。JR恵比寿駅の西口からすぐ近く。お洒落な街・恵比寿にあって、長く愛され続けてきた大衆酒場「たつや」。昼の時間帯に木枠のガラス扉を開けると、店内はすでにほぼ満席。中央のコの字型カウンターの周りで、客が楽しそうに呑んでいる。昭和51年(1976)、創業者の佐藤正光さんが43歳の時に、ボウリング場の支配人を辞め、退職金で開業した。当初から消防、鉄道、タクシーなど夜勤明けの人たちのために朝8時から営業。平日は翌朝4時まで。朝呑み、昼吞みができる店として、恵比寿界隈では古くから知られていた。佐藤さんは現在88歳。会長として週に3回は顔を出して、常連客と一杯やっているという。実はこの店は知る人ぞ知る、黒ホッピー発祥の店だ。「最初はホッピーにギネスビールを入れて、黒ホッピーとしてお出ししていました。〝美味しい〟とお客さんにも好評で、ばんばん注文をもらっていた。そうしたら、ホッピーを製造しているホッピービバレッジさんが、黒ホッピーを商品化してくれたんです」ギネスを使うと値段が高くなるが、黒ホッピーなら安くてヘルシー。現在でも黒ホッピーを頼む客が圧倒的に多い。20本入りのホッピーケースが、一日になんと34箱も消費されるという。「ホッピーの消費量は都内で一番じゃないかな」と佐藤さん。つまみは種類豊富な「やきとり」、創業以来変わらない味の「煮込み豆腐」など。40年以上通っている常連客の大橋さんは、「近くに勤めていた時は、毎日通っていた。リタイアしてからも週2回は来ているね。ここはお客さんがみんな良い人ばかり。その中心にいるのが会長さん。人柄が良いので万人に好かれる。常連客のみんなで釣りやゴルフ、カラオケなどを楽しんでいます」老舗に通うお客さんは皆、品格のある呑み方を心得ている。たとえ黒ホッピーで酔っていても、声を荒げることなく、陽気に呑む。だからその場にいれば思わず笑みがこぼれるし、酒やつまみもまた格別に旨い。常連さんの人柄、それもまた店の魅力のひとつなのだ。なんどき屋[東京・新橋]素材の味を生かした家庭料理右/店の入口は目立つ黄色の看板や電光掲示板があり、一見派手な印象を受けるが、店内は清潔感漂う落ち着いた雰囲気。左上/静かに語らう常連客。左下/男性グループは呑み疲れで一休み。たらこをバーナーで炙るご主人・服部さんは二代目店主。新橋駅前、西口通りといえば、夜ともなると、呑み屋に繰り出す仕事終わりのサラリーマンたちで賑わう通りだ。昼間は閑散としているが、縄暖簾と黄色い提灯が目印の、この店だけは別格だ。「なんどき屋」という店名の通り、24時間営業で、〝いつ、なんどき〟行っても開いている。元々は新橋に数店舗あった牛めし店のひとつ。昭和46年(1971)に独立して、居酒屋へと衣替えをした。今でも牛めしだけでなく、「家庭料理が基本」の単品料理にプラス300円で定食を食べられる。24時間営業なので、朝呑み、昼吞みができる店として人気が高いのは言うまでもない。「一日のうちで混んでいる時間帯は、強いて挙げるなら明け方ですね。早朝4時から7時頃まで。近くで働く同業者などが仕事帰りに寄っていきます」と主人の服部逸郎さん。「昼吞みのお客さんは、明るいうちからすいません、お騒がせします、と申し訳なさそうに言うんです。罪悪感があるんでしょうかねえ。店からすると、昼から呑んでくれてありがとう、ですよ」ガスバーナーでたらこを炙る服部さんは、こう続ける。このたらこは800円。高くても旨いねとお客さんに言ってもらいたい。うちは素材にこだわっているので、単価は決して安くない。でも、料理の味に納得して来てくれるお客さんが多いです」例えば、「牛めし」や「肉豆腐」には服部さんが厳選した和牛を使う。上質な食材を使いたいというその姿勢が、この店が長く人々に愛され続けている秘訣といえる。こだわりは酒にもある。炭酸は瓶ではなく、炭酸が強い業務用を使用。多くの人が注文する名物「Dハイ」を飲んでいた客は、「ダブルのハイボールなので、シングル2杯よりもお得。ここのハイボールは炭酸が強いので、シュワシュワ感が違うんだ」。リピーターが多く、7・8割が常連客というのも納得である。〝家庭で食べるような料理を〟という服部さんの温かな思いと手料理が、今日も都会で働く人々の空腹を優しく満たしてゆく。岐阜屋[東京都・新宿]思い出横丁のある町の中華屋カウンター席で思い思いに昼間酒を楽しむ客たち。店は入口が2つあり、コの字型のカウンターがそれぞれにある。こちらは線路通りに面した店内で、一人で静かに呑むには最適な場所。反対側はオープンな造りで、グループ客でも楽しめる。新宿・思い出横丁は狭い路地に呑み屋がひしめき合う、人気の呑み屋街だ。横丁で唯一の中華屋として昭和21年(1946)に創業。専務の堤康一さんによれば、創業者は岐阜出身で満州から引き揚げてこの地で中華屋を開業したという。昭和43年(1968)に堤さんのお父さんが引き継ぎ、現社長が四代目となる。「元々は満州の味だったが、二代目は横浜中華街、四代目は高級中華料理の店で修業しているので、今では日本人好みの、昔ながらの味になっています」と堤さん。最近流行の町中華での昼吞みは、この店では昔から当たり前だったそうだ。10年来の常連客は「勤務時間が不規則で、仕事帰りに朝、昼呑める店はありがたい」と顔をほころばせる。「これからも安らげる場所を提供し続けていきたい」と堤さん。活気と優しさに包まれた温かい町の中華屋に今日も人々が集う。クラフトビアバル IBREW 新橋駅前店[東京・新橋]30種類以上のクラフトビールが呑める通りすがりにフラッと入れそうな、カジュアルで親しみやすいクラフトビール酒場。昼の時間帯はのんびりしているが、夜になると満席になり、立ち呑みで楽しんでいる客も多い。クラフトビールは一律料金でハーフ390円、パイント690円。橋駅前ビルの1階にある、クラフトビール酒場「IBREW」。カウンター奥の壁には、30種類の生樽サーバーのタップがずらりと並ぶ。クラフトビールは国産に限定。30種類をラガー、エール、フレーバー、WHEAT(小麦)、IPA(インディア・ペールエール)、ブラックの6タイプに分類、メニューにも表示しているのでビール選びがしやすい。店長の赤羽根優衣さんは言う。「クラフトビールはいろいろなタイプがあるので、ビールが苦手な人でも自分の好みに合うビールを見つけられます」人気のつまみは、「自家製おばんざい」と「もつ煮」。「和食系のつまみが意外にクラフトビールに合うんだよね」と昼吞みの男性が言う。お勧めは、平日の19時まで限定の「ちょい呑みセット」。クラフトビール3種とおばんざいで1000円(税込)、これを目当てに訪れる客も多いようだ。※こちらは男の隠れ家2019年12月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents自宅で本格的な炉端焼きを楽しもう【伊賀焼 あぶり名人】伊賀焼の美学と工芸の粋を結集伊賀焼 「あぶり名人」は、伊賀焼の美学と工芸の粋を結集した、本格的なあぶり焼きが楽しめる逸品です。素朴でありながらも高度な技術が込められています。「あぶり名人」の特徴は何と言っても、そのメカニズム。――続きはこちらからROGENオイルリッチローション乾燥/テカリに秒速1本ビジネス専用オールインワン化粧水日本初、印象のプロが監修したオールインワン化粧水。男性肌特有の肌悩みに着目し、男性肌の特徴にこだわった無添加オールインワン化粧水。1本で、化粧水、美容液、乳液、アフターシェーブローションまでの機能性を実現。――商品詳細はこちら

    もっと読む
  • 全国山城紀行。

    城というと、立派な天守があり高い石垣と広い水堀に囲まれているイメージがある。しかし城のほとんどは時代の背景から山の地形を利用した山城なのだ。「男の隠れ家」が選んだ13の山城を歩いて、戦国の時代の息吹を感じてほしい。備中松山城[岡山県]「おしろやま」として市民に親しまれる標高日本一の天守が現存する山城日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城。そこには中世と近世の城郭跡が共存している。さらに、山城唯一の現存天守や岩を生かした石垣など見どころは尽きない。雲海展望台から天守が建つ臥牛山と高梁市の町を望む。秋から冬には雲海が見られることもあり、“天空の城”としても有名に。近世の城跡から戦国の砦へ 時代を遡る山城歩きが妙味山間を縫ってゆったりと横たわる清流、高梁川。その川沿いに細長く開けた城下町はかつて松山と呼ばれ、明治2年(1869)に地名は高梁と改められた。武家屋敷や町人町など今も随所に城下の趣を残す町筋。町中から北側を見上げると、臥牛山がそびえ、頂付近の木々の間からは天守が見え隠れしている。日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城の中核だが、実はこの天守、日本一の標高にある現存天守なのである。標高430mの小松山城跡。二層二階の天守や二重櫓など、近世の城郭の姿を今に伝える。右下は麓にある石火矢町の武家屋敷通り。「備中松山城は臥牛山の全域に広がっているのですが、実は天守の建つ小松山は近世城郭の部分です。そしてその奥の大松山などが戦国時代の城域。つまり時代によって築城範囲が移り変わっているのがこの山城の大きな特徴です」そう話すのは高梁市教育委員会の三浦孝章さん。臥牛山には大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰があり、急峻な地形を生かしてかつては山全体に21もの砦が展開していたという。小松山はもともと大松山と同様の中世の城郭だったが、天正2年(1574)の「備中兵乱」で、当時の城主・三村氏から毛利氏に支配が変わった後、石垣や土塀などを擁する近世城郭に造り替えられていった。「この山城を歩く一番の醍醐味は、中世と近世の両方の時代が楽しめることなんですよ」臥牛山に初めて城が築かれたのは鎌倉時代の延応2年(1240)。その後、戦乱の世では城主は高橋氏、秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏と目まぐるしく変遷。山陰と山陽を結ぶ備中国の中央に位置するこの地は、戦略的に重要な地であったため、城は守りを堅めるため時代と共に堀や出丸など縄張りを拡張。規模が最も大きかったとされるのが先出の備中兵乱の頃で、城主の三村元親は山塊全体を要塞化した。しかし三村勢は籠城半年で毛利8万の大軍に滅ぼされてしまう。さらに、関ヶ原の戦いの後に毛利から小堀正次、政一(遠州)親子が備中国奉行として城を守り、その後は池田氏、水谷氏と城主が変わっていく。水谷氏は三代にわたって町造り、高梁川の水運、小松山の天守の修復(現存天守の原型)など功績を残したが、三代目で家は絶えたことで領地は没収。この時、城受け取り城代として1年間在番したのが、播州赤穂藩家老の大石内蔵助だった。「昔の登城口から登って行くと、途中には大石内蔵助の腰掛け石と伝わる石があります」と三浦さん。麓からの登城道は急坂が続く深い山道。大石も登城の際にひと休みしたのだろう。現在は城見橋公園駐車場まで車かタクシーで行ってシャトルバスに乗り換え、終点のふいご峠から歩いて本丸に向かうのが一般的。もちろん当時の気分で登城するなら麓から歩くのもいい。本丸まで約1時間の行程だ。ちなみに腰掛け石は、ふいご峠を7分ほど下ったところにある。さて、ふいご峠から整備された山道を歩くこと約15分、中太鼓櫓跡を過ぎて大手門跡へ向かうと、木々の間から突如姿を現した見上げるほどの岩壁に思わず息をのんだ。荒々しく切り立った岩の上にはなんと石垣と土塀が組まれている。真下に来ると身震いするほどの迫力に満ちている。青紅葉が映える大手門跡横の石垣。花崗岩の荒々しい岩壁の上に石垣が組まれているのがよくわかる。「臥牛山は花崗岩質の山なんですが、その天然の岩盤を巧みに取り込んで城を築いているんです」天守や二重櫓の基礎も同様に岩盤を利用。これぞ山城! といえる圧巻の光景である。さらに大手門から枡形虎口の石段を上り、三の丸、厩曲輪、二の丸へとくねくねと屈折しながら歩みを進める。曲輪ごとに連なる石垣群、山城としては珍しい土塀など見どころは盛り沢山。そして本丸までたどり着くと、正面に二層二階の天守が構えていた。天守は背後に建つ二重櫓と共に国指定重要文化財に指定されている。大きく広がった唐破風や連子窓が美しい。この天守、常陸国から入封した水谷家の二代目・勝宗によって天和3年(1683)に修築された時のもの。幕末の廃城の後は長く放置され荒れていたが、昭和になって土塀や二重櫓などと共に大規模な解体修理が施され、二層二階の優美な層塔型の姿が甦った。さて本丸を後にして次は戦国時代、中世の城跡の大松山方面へと向かうことにする。水の手門跡を過ぎると山は深さを増し、足を運ぶ人も少なくなる。大堀切に架かる土橋を渡って備中兵乱の戦場となった相畑城戸跡へと進み、さらに臥牛山の最高峰・天神の丸跡(標高480m)へ。あたりはブナ科のアベマキやコナラが鬱蒼と茂っている。そしてその緑の先には別名〝血の池〟とも呼ばれる石積の大池があった。首や刀を洗ったとも、籠城のための貯水槽ともいわれるが、江戸時代の絵図には舟が浮かぶ様子も見られるという。現在発掘調査中で用途はまだ分からないそうだが、四角い形や下へ降りる石段らしきものもあり、想像と興味は尽きない。大池から最後の目的地の大松山城跡へは10分ほどでたどり着く。三浦さんがぐるり指さす四方には、堀切や曲輪などの山城の砦の特徴がうっすら見てとれるが、今は木々に覆われ、城跡は〝兵どもが夢のあと〟の如く静かだ。山の中に息を潜めるように残る中世城郭の遺構。備中国の戦略拠点となった山城はこの砦から始まり、最後の城主・板倉氏が治めた明治維新まで長い歴史が紡がれ、今にその姿を伝えていた。岩村城[岐阜県]女城主の悲話で知られる苔に覆われた美しい石垣が残る城戦国時代に尾張の織田、甲斐の武田が覇権を争った岩村城。江戸時代に近世城郭として整備され、山上には苔むした石垣や豪快な六段壁が今も残る。日本三大山城のひとつ。上空から見た岩村城。右下に追手道。六段壁の上部が本丸、右の森が二の丸。日本一高い山城だ。六段壁と石垣の本丸に霧が漂う幻想的な山城岩村城の城下町には今も江戸時代が息づく。酒蔵や古い商家が並ぶ本通りは国の重要伝統的建造物群保存地区。桝形を過ぎて緩やかな坂道を行くと、正面に岩村城がその姿を現す。あいにくの空模様で緑の城山には靄がかかっていた。案内役の恵那市役所・三宅唯美さんと共に、山麓にある藩主居館跡から城下を見下ろした。「ここから岩村藩2万石の城下町が一望できます。岩村城には天守がなく、追手門の三重櫓やぐらが一番大きな建造物でした。今は森に覆われていますが、江戸時代は城下の本通りから、正面に岩村城の象徴ともいえる三重櫓が見えました」城下町から見える三重櫓。さぞや見事な景観だったろう。現在は城の建造物は一切残っていない。「現在残っている遺構は関ヶ原の合戦後に近世城郭として整備されたもので、戦国時代の山城については詳細がよくわかっていません。所々に中世の山城の名残を見ることができます」本丸南面の石垣。複雑な造りの石垣が歳月も経て、圧倒的な存在感を放っている。石垣の城・岩村城の顔だ。現在の登山ルートは、江戸時代の追手道にあたる北側の尾根道だ。近年になって造られた石畳の道が続く。初門を過ぎると防御のためにくねくねした道に変わる。「中世の山城の名残は四方に広がる尾根筋。枝の部分がよく残っています。曲く る わ輪や尾根を分断する堀切、縦堀も造られています」一の門を過ぎると道の両側に石垣が見られるようになる。森の中にひっそり残る苔むした石垣。その佇まいは幻想的ですらあった。最初の見どころは追手門跡だ。手前に土と き岐門、角馬出しがあり、この尾根で最大の堀切には畳んで敵を遮断できる畳橋が架けられ、追手門につながっていた。脇の三重櫓からも敵を横矢で攻撃できるなど、何重にもわたる防御が考えられていた。三つの門と畳橋と三重櫓のあった戦略拠点。往時を想像して、しばし時を過ごした。追手門を過ぎると、縄張りは三の丸の八幡曲輪、二の丸、本丸が続く連郭式の配置になっている。やがて右手に高い石垣が見えてきた。菱櫓跡だ。その左手には俄坂門跡があったという。本丸の北側にある埋(うずみ)門。本丸の搦手になる。西脇には2重の納戸櫓、中に入ると二つの門があった。「中世の遠山氏の時代にはこの俄坂門が追手門だったと考えられています。この先には遠山氏の菩提寺・大円寺があり、城下町だった可能性があります」中世の追手門にたどり着いたところで、岩村城の歴史を紐解いてみよう。岩村は遠山荘という荘園で、源頼朝の家臣・加藤景廉の領地となった。それから数えると、築城800年といわれるが、実際に山城が築かれたのは16世紀の初めと見られる。戦国時代になると、岩村は激動の時代を迎える。「岩村は信濃と美濃の境に位置する絶妙な場所にあり、東から甲斐の武田信玄・勝頼、西から織田信長に狙われるようになった」弘治元年(1555)、武田信玄の軍勢が岩村に侵攻。これ以降、遠山氏をはじめ岩村衆は武田軍団として活動するようになる。元亀3年(1572)、遠山景任が亡くなり当主が不在になった機に乗じて、織田信長が五男の御坊丸を養子として岩村城に送り込んだ。信長の叔母・景任未亡人は女城主といわれるが、実際には後見人だったと考えられている。しかし、同年11月、岩村は武田方に戻った。従来の説では秋山虎繁を総大将に武田方が岩村城を攻め、景任未亡人を妻とすることを条件に無血開城したといわれていた。近年の研究では、岩村城の自発的な判断で、武田方に単独で帰順したと考えられている。武田との結び付きが強かったのだ。翌年、長篠の戦いで信長軍が勝頼軍を破ると状況は一変する。『信長公記』によれば、織田軍が岩村城を取り囲み、半年籠城の末に落城した。秋山虎繁と武将は長良川河原で磔はりつけ、家臣は皆殺しにされた。一説によると虎繁と夫人は逆さ磔で処刑されたともいう。「織田を裏切ったといわれますが、景任が亡くなった後の数カ月を除いて、岩村城は最初から最後まで武田方の城でした」岩村城を巡る攻防戦はこの時と小牧長久手の合戦、関ヶ原の合戦の計3回あったが、寄せ手がどこを攻め、城側がどう応戦したか、詳細はわかっていないという。時代を再び戦国から江戸時代に戻そう。菱櫓から本丸方向を見ると、巨大な石垣が目に入る。雛壇状になった石垣だ。その名も六段壁。石垣の城・岩村城の中でも、圧倒的な存在感で迫って来る。「六段壁は初めに最上段の石垣を一気に立ち上げ、その後に崩落の危機があったため上から順に石垣を積み上げて補強したものです」岩村城はこの六段壁をはじめ見事な石垣が本丸を囲む。竹田城跡にも負けない、壮大な石垣の城であり、もっと知られてもよい山城であろう。これらの石垣は慶長6年(1601)に城主となった松平家乗が、近世城郭として本格的な整備をした際に造られたものだ。本丸西側の高石垣。一番下の石は野面積み、上部は積み直しで斜めの線など修理の跡が見える。「石垣は野面積み、打ち込みはぎ、切り込みはぎなど時代によって違う積み方を見ることができます。積み直した跡もあります」六段壁横の石段から本丸へ。二の丸は植林され見通しが良くないが、岩村城が広壮な山城であることがわかる。「2万石の小藩に大きな城があった。岩村城の最大の特徴です」岩村城は急峻な山城であるにもかかわらず、関ヶ原後も廃城にならなかった。理由は岩村のポジションだ。徳川家康は尾張の北の美濃に大きな藩を造らず、有事の後方支援のために、東美濃の岩村に譜代大名を置いた。譜代の格付けと有事の備えのために、幕府に大きな城を造らされたという。「岩村城は近世の城跡が後世の建造物もなく、手つかずに残っていることが大きな魅力です。江戸時代の城と城下町を体験できます」いつの間にか本丸に霧が立ち込めてきた。岩村城は別名・霧ケ城。霧の名所である。歴史上の戦の際にも、この霧が大きな役目を果たしたという。女城主や信長が見たであろう霧。歴史が残した最大の名残は霧なのかもしれない。※こちらは男の隠れ家2018年3月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents「自分だけの世界を楽しむ -大人の趣味3選-」普段は眠ったままの感性を揺さぶり、新たな自己表現の一歩を引き寄せる趣味。今回はそんな趣味の中から、一風変わった”大人の趣味”を紹介します。今まで感じたことのない魅力を心ゆくまで味わってみてください。ーー続きはこちらから「超精密スーパーカー消しゴム 第一弾 ランボルギーニ」1970年代後半に巻き起こったスーパーカーブームで人気グッズだった「スーパーカー消しゴム」を現代に復刻ーー商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 京都の隠れ家 路地裏迷宮

    碁盤の目状で区切られている京都の道。しかしメインストリートから一歩裏に入れば路地や辻子が入り組んで、まるで迷宮のようだ。その細い道の奥にそっと佇んでいる隠れ家の引き戸を開けてみよう。一見踏み入れがたい路地の奥で旬の地の食材で極みの味を堪能馳走 いなせや 〈烏丸御池〉入口の門の上には縁起飾りの“笑門”が。今城焼の陶板が敷き詰められたアプローチを奥へと進む。三条通の賑わいを避けて静かに佇む町家で美味探訪地鶏すきやきの木蓋を開けると、湯気と共にいい香りがふわり。山科と嵐山を結んで東西に延びる三条通。中心部には、東海道の起点でもあった鴨川に架かる三条大橋や、幕末期に起こった「池田屋事件」の舞台などがあり、また、明治時代には旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)や中京郵便局など赤煉瓦の近代建築が建ち並ぶメインストリートのひとつであった。現在も通り沿いにはアーケード商店街と共に新旧の個性的な店が軒を連ね、京都きっての人気エリアとなっている。京都の面白いところは、碁盤の目に広がる縦横の道を一本ずらしただけで雰囲気が変わること。混在する賑やかな町筋と静かな佇まい。予約しておいた料理処「馳走いなせや」への道筋も、三条通から柳馬場通へと少し上ル(北ヘ曲がる)だけで、人の流れや店舗の明るさがすっと薄れた。通りの左手にぼんやりと浮かぶ行燈に誘われ、縁起飾りの〝笑門〟が下がる入口へと足を踏み入れる。清々しく打ち水された石畳に導かれ路地の奥へ。のちに店のスタッフに聞いたところ、敷き詰めた石畳は大阪の今城焼の陶板で、一つひとつに周辺の町名が刻まれているのだという。そして、白い暖簾がかかる引き戸を開けて中に入ると、そこには期待通りの落ち着いた空間が。靴を脱いで通されたテーブル席はさらに趣を深くしており、窓の外にはライトアップされた坪庭が美しく映し出されていた。建物は大正時代の呉服屋の町家だったもので、テーブル席とカウンター席のある1階は柱や梁など往時の趣を生かしてリノベーション。2階の座敷はそのまま残し、また4~6人の予約制で使える蔵座敷も用意されている。右上/馳走いなせや名物「地鶏すきやき」(1人前1800円)。右下/すきやきの最後の〆に玉子締めを味わうのがおすすめ(ご飯・香物付きで1人前500円)。左上/「平井牛ローストビーフ」(1800円)。左下/「秋ハモと丹波しめじの玉子とじ」(1300円)。※アラカルトのほか、コースも6200円~。かつて三条通のこのあたりは、呉服屋さんが軒を連ねていた場所でもあったんですよ」と話す店長の村上聡孝さん。「馳走いなせや」はその歴史に新しい感性を融合させ、洗練された空間と共に旬の創作料理を提供している。料理は生産者と地物の食材を使うことにこだわり、季節の京野菜はもちろん、肉や魚などもしかり。例えば名物の地鶏料理に使う鶏肉は、毎朝、丹波の契約養鶏場から届けてもらうのだという。丹念に4カ月ほどかけて育てられた丹波地鶏は地鶏刺しや塩焼き、唐揚げなどの料理に仕上げられるほか、一番人気の地鶏すきやきは、肉の旨みと甘みが際立つ逸品だ。お造り盛り合わせや菜物(サラダ)などを酒の肴として味わいながら、次に供されたその地鶏すきやきをいただく。ふわりと立ち上る湯気と共に漂う食欲をそそる甘辛い香り。ごろりと大きめの鶏もも肉、つくねの上には九条ネギがたっぷりと盛られている。はやる気持ちを抑えつつ取り碗に移して口に運ぶと、ぷりっとした歯ごたえながら柔らかな肉の旨味が口中に広がった。割下は砂糖と醤油をベースに甘味を押さえてコクを出したもの。これがまた、すき焼きの〆にご飯を入れて玉子とじで食すると絶品なのだ。しかもこの卵も地鶏の〝初玉子〟を使用。「鶏が生み始めて2週間目の卵のことで、卵黄が大きいんですよ」と村上さん。ほかにも京都丹波牧場の平井牛のローストビーフやしゃぶしゃぶ、お米は綾部で作られている低農薬のコシヒカリにこだわるなど、まさに地産地消にいなせやの味の原点がある。そして、料理と同様に力を入れているのが、蔵元直送の日本酒だ。店主やスタッフが実際に蔵元に足を運び、時に酒造りを手伝うこともあるとか。日本酒のメニューを見ると、蔵元や扱う銘柄の詳細な説明が記されており、店の思い入れの深さが感じられる。ラインアップは京都・伏見の「月の桂」(増田徳兵衛商店)や滋賀県大津の「浪乃音」(浪乃音酒造)を始め、京都府、滋賀県を中心に店オリジナルも多彩。しかもその多くが生原酒というのも特徴的だ。「丹波地鶏や丹波牛などしっかりとした味の料理には、生原酒が見事に合うんです」旨し料理に旨し酒。〝心を込めてもてなす、食事をふるまう〟という意味合いの〝馳走〟が名に恥じない隠れ家である。ちそう いなせや京都市中京区三条柳馬場上ル油屋町93京都らしさが漂う小さな路地で本格イタリアンと京懐石に舌鼓を打つ柳小路TAKA 〈河原町〉通りから店内が見渡せるので、待ち合わせの人も多い。昼から閉店までいる強者もいる。世界で活躍していたシェフが始めた気軽なバル美味しい料理と共にTAKAさんの軽妙な語り口に、引き込まれてしまうのがこの店の魅力。京都で一番の繁華街といっても過言ではない四条河原町。その交差点から1本西側にひっそりとある、一見目立たない路地が柳小路の入口である。かつては男性向けの店が建ち並んでいたというが、今では映画などのロケに使われるほど、古き良き時代の京都を彷彿させる光景が広がっている。そこには小さいながらも、強い個性が感じられる店が軒を連ねている。そんな柳小路の一角に、2016年5にオープンしたのが「柳小路TAKA」だ。1階はカウンターだけの立ち飲み、2階にはテーブル席が用意されているそのスタイルは、まさに隠れ家「日本版バル」といったところか。オーナーシェフのTAKAさんは、本格的な京懐石の店で修業した後、和食の素晴らしさを世界に広めたいという情熱を持ってイタリアに渡った。そしてミラノにある世界的な人気レストラン「NOBU/Armani」で、料理長を10年以上も務めた。さらにイタリアの調理師学校の講師も務め、日本の料理手法、魚の捌さ ばき方などを、多くのイタリア人シェフに教えていたという。まさに本場で磨き上げたイタリアンの腕前と京懐石が融合した〝本物の味〟が気軽に楽しめる店なのだ。誰もがすぐに常連気分で毎月足を運びたくなる①常連客に超人気の裏メニュー「レバー塩」(300円)。口に入れると濃厚な甘みと共にとろけてしまう絶品。②関さばの一夜干し。塩気が絶妙でご飯にも合う(800円)。③イタリアンの定番、ナスのトマトソース煮(500円)。④夕方になるとイタリア人が必ず飲むというスプリッツ。ほろ苦いアペロルとスパークリングワインのカクテル(600円)。⑤人気メニューの牛肉タタキは1200円。⑥揚げたごぼうがたっぷり入った卵かけご飯は550円。入口は大きなガラスの引き戸なので、賑やかな店内の雰囲気は通りからでも一目瞭然。この店には京都に来る度に通いたくなる要素が詰まっている。店は昼の13時にオープンし、そのまま23時まで通しで営業しているのも酒飲みにとっては嬉しい限り。実際、カウンターはほぼ満席で、店中のみんなが知り合いのように大いに盛り上がっている。翌日、改めて14時頃に店を訪ねた。やはりカウンターには数人の客が陣取り、店の人や初対面の隣同士で談笑している。「この店は一見さんでも、すぐに常連さんのようになるんです。外国の方だって同じです。言葉が通じなくても、お客さん同士でいつの間にか意気投合しています」時には2階席で飲んでいたグループが、1階があまりに楽しそうなので寂しくなり、下りてきてしまった、ということもあったという。それはTAKAさんの、とても海外の一流レストランで料理長を務めていたとは思えないほどの、気さくな雰囲気や人柄がそうさせるのだろう。そんなTAKAさんが作る絶品料理に魅了されるファンも多く、居合わせた常連らしき人にその魅力を尋ねると「旬の食材に合わせて料理も変化するから、毎月こぉへんとあかんわ」とのこと。昼に軽く飲み、夜になったら本格的に飲み食いをする。そうしたケースも度々あるのだという。そして日本酒のこだわりも面白い。ここでは滋賀の酒蔵「岡村本家」との縁で、同店で扱う日本酒はこちらの銘柄限定。代表銘柄の「金亀」の、40%~100%の精米歩合7種類を、全て飲み比べできるセットがある。美味しい料理とお酒、そして弾む会話で、時間を忘れさせてくれる名店であった。やなぎこうじ たか京都市中京区中之町577番柳小路はちべえ長屋※こちらは男の隠れ家2018年3月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents「スクスク育つ牡蠣に会いに行く」日本で見られるリアス式海岸は遥か昔、起伏の激しい山地が海面の上昇や地盤沈下によりに海面に没したことで形成された。海面よりも上に残された陸地が、複雑に入り組んだ湾や島を創り出したのだ。氷河が形成した北欧のフィヨルドとは、生まれた背景が違う。ーー続きはこちらから有田焼 セラフィルター佐賀県有田町で作られ、江戸時代から400年以上の歴史をもつ有田焼。かつては、将軍家への献上品として、ヨーロッパへ影響を与えたと言われ、王侯貴族の蒐集品として重宝されたと言われています。ーー商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • バイクに乗ってみませんか? -上州〜信州・志賀高原-

    ツインエンジンの鼓動と共に上州から信州の高原道路で涼風にやすらぐーー緑に囲まれたワインディングロードを軽やかに駆け抜ければ、ひと筋の道が遠くまで延びる高原ロードが目の前に。さあ、自分の時間を求めて上州から信州に続く快適な道を走ろう。バイクの醍醐味は爽やかな風に当たることだ「志賀草津高原ルート」。白根山の雄大な山容を右に見ながら快適な道が続くワインディングロードだ。並列2気筒・500㏄エンジンが奏でる排気音と、それに伴う鼓動の心地良さを感じながら高速道路をクルージングしている。前を走る車を抜こうという気も起きず、このまま流れに乗っているとどこまでも行けそうな気になってくる。両サイドの景色は視界の中で溶け込み、色の帯になって後方に流れていく。「ホンダレブル500」はまるで万華鏡の筒の中を走っているようだった。関越自動車道から上信越自動車道へとハンドルを切り、「松井田妙義IC」で高速を降りた。国道18号・中山道に入ると信越本線の「横川駅」はすぐ。横川駅といえば「峠の釜めし」。長野新幹線が開通するまでは、横川駅に長距離列車が着く度、乗客は駅弁の売り子から、峠の釜めしを買い求めていたというほどの名物。新幹線開通に伴い横川駅の先は廃止され、駅弁の売り子がホームに立つことはなくなったが、今は駅前本店やドライブイン、高速のSAなどで売られている。昼食には少し早いがここでこの名物を食べない手はない。腹を満たすことでまだ先の長いツーリングに備えることにしよう。連続するカーブを抜けて、道はいよいよ高原へ向かう左/「横川駅」から軽井沢までの道は緑に包まれて気持ち良い。右/旧信越本線のレンガ造りの橋梁(めがね橋)が突然現れる。横川駅の先で国道18号線に入り、坂本宿の看板を過ぎると道は勾配が急になり、タイトなカーブが連続する。そして突然、雄大な4連レンガアーチの鉄道橋梁が姿を現した。たくさんの観光客が車を停めて記念撮影をしている。実はこの橋梁、明治25年(1892)に完成したアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれている。ちなみに橋梁は第二橋梁から第六橋梁まで残っていて、その5基が全て国重要文化財に指定されている。道はいつの間にか平坦となり軽井沢の町に出た。観光客で賑わう町を抜け、浅間山の麓を整備された爽快な道が走る鬼押ハイウェーへ。道の両脇に明るい林が続く緑のトンネルをしばらく走ると左手に茶褐色の浅間山の姿が浮かぶ。ちょうど浅間山の展望を目的としたような浅間六里ヶ原休憩所が右手にあったので、しばし休息。目の前に迫る雄大な活火山をのんびりと眺めることにした。鬼押ハイウェーの浅間六里ヶ原休息所で眺める浅間山の勇姿。再び走り始め、いったん高原の道からJR吾妻線が走る嬬恋村まで下りてきた。とたんに体に感じる風は熱気を帯びてきた。熱風から逃れるように万座温泉方面に向かう万座ハイウェーに入り高地を目指す。力強いエンジンはドドドドッという鼓動と共に標高をどんどん稼いでいく。クルーザータイプなのだが、バンク角は意外に深く、ステップをすることもなく安定したコーナリングでカーブをクリアしていく。トルクフルなエンジンは頻繁なギアチェンジを必要としないのでとても楽だ。急勾配の九十九折りの道を走ること約30分。ヘルメット越しに硫黄の香りが鼻をくすぐると、そこは万座温泉だ。この辺りから道の周囲の木々が低くなり、ハイマツが目立つようになった。見通しが良くなり、下を覗くと今まで走ってきた道が遠くからうねうねとカーブを描いている様子が見える。草津温泉方面から延びる国道292号線と合流すると道は比較的なだらかになり、見晴らしの良い高原道路となった。この通称「志賀草津高原ルート」はどこまでも走りたくなるような道だ。ちなみに草津温泉方面からこの合流点までは白根山の火山活動の影響で通行止めになっているので注意したい。志賀草津高原ルートの天空を走るコーナー。標高が上がると景色も広がりを見せる。しばらく走ると道の右側に「日本国道最高地点」の標識が目に入った。ここは標高2172mの渋峠だ。バイクを停め、そこからの景色に目をやると、ラムサール条約に登録されている芳ヶ平湿地群や赤茶色の白根山が見える大展望が広がっていた。そろそろお腹もすいてきたなと感じる頃、横手山ドライブインに到着。志賀草津高原ルートの長野県渋温泉方面の景色が見える2階のレストランで「ライダーズランチ(1500円)」をオーダーして、窓際に腰を下ろした。目の前には視界を占める志賀高原のパノラマが広がっている。宿へ向かう道も選んで高原をつなぐ道を左/志賀草津高原ルートを長野県側に下りると渋温泉となる。路地の両側に昔ながらの風情ある温泉旅館が並ぶ。9つの外湯があり、宿泊者以外は9番湯大湯のみ利用できる。右/HONDA Rebel 500」特徴的に立ち上がったフューエルタンク、くびれのあるナロースタイル、マット&ブラックアウトに徹したパーツによってタフでCOOLなイメージを表現。ワイドサイズの前後タイヤが、ロー&ファットな存在感をアピールする。ほどなく猿が温泉に入ることで有名な地獄谷野猿公苑に。ひと休みするのに格好の「猿座カフェ」があった。自分のバイクを目の前に、風の吹き抜けるテラスで一服。他のテーブルは外国人観光客ばかりだ。カフェのスタッフが「この先にツーリングライダーが集まる蕎麦屋があるのよ」と教えてくれたので訪ねてみることに。カフェからすぐ、国道292号線沿いにその「そば禄」はあった。ここの特徴は蕎麦を注文すれば天ぷらが食べ放題。ご飯も食べ放題なので蕎麦を食べ終わったら天丼にして腹を満たす強者もいるらしい。お腹もいっぱいになって後は今宵の宿を目指すのみ。国道292号線をそのまま進み、信州中野で403号線へ。美術館やフルーツで有名な小布施、蔵造りの町家が連なる須坂を通り、ラグビーの夏合宿をしているグランドの合間にキャベツ畑が広がる菅平高原を経て、「休暇村嬬恋鹿沢」へ着いたのは熱気も収まった夕暮れだった。翌朝、疲れも残らずすっきり目覚めた。昨夜たっぷり浸かった温泉のおかげかもしれない。今日の予定は特に決めていない。のんびりと気持ちの良い高原道路を走って昼寝して帰ろうかな、ぐらいの気持ちだ。小諸へ出て、八ヶ岳の東麓をJR小海線沿いに国道141号線を南下して小淵沢に出るのも良し、途中から国道299号線を麦草峠に向かうも良しだ。麦草峠は昨日の渋峠に続いて国道の標高では2番目の高さ(2120m)だ。高原道路を走るコースは色々と設定できて楽しい。さあ出発だ。国道144号線に戻り、東へ向かう。昨日の爽快感をもう一度味わうために、鬼押ハイウェーに出て北軽井沢などを流して帰路につくことに決めた。※こちらは男の隠れ家2018年9月号より一部抜粋しております

    もっと読む
  • DEEP 沖縄

    本土ではすでに夏が過ぎ去り、錦秋の彩りが南下する頃、沖縄はまだまだ夏の残照が煌めいている。沖縄は夏ばかりではなく、秋こそベストシーズン。ディープな沖縄を楽しめる季節となる。秋、ゆっくり「島」を歩けば、見たことのない沖縄に出会えるかもしれない。沖縄に行くなら〝出会いの秋〟がいい「沖縄に行くなら、いつがいいですか?」とよく聞かれる。僕は迷わず「秋がいいです」と答える。沖縄も秋が深まると、暑さもようやくやわらぎ過ごしやすくなる。晩秋ともなれば、台風が襲来することも少ない。それでいて冬の気配を感じる本土と違い、穏やかな暖かさは十分に堪能できる。観光客も比較的少なめで、落ち着いて周れる。だから沖縄を旅するなら、秋がいい。秋の沖縄で、何をしようか。気合いを入れれば泳げるが、沖縄の魅力は青い空と海だけではない。この快適な時期には、気ままに歩く「散歩の旅」を勧めたい。沖縄は歩くほどに、発見と出会いがある場所だ。夏の強烈な日差しも落ち着くこの時期は歩きやすい。だから歩いてほしい。街を歩こう。それも表通りから外れ、脇道へ。ガイドブックに載る名所や人気店は少ないが、そこでは予想もしない発見や出来事が、旅人を待っている。「飛び安里の碑←」。那覇市の隣、南風原町の脇道で聞き慣れない「飛び安里」の案内板が目に留まった。矢印に従い、丘に続く石段を上る。1、2、3……実に200段以上!息を切らし丘の上に着くと「飛び安里初飛翔記念碑」は立っていた。飛翔? 説明文を読む。かつてこの地に住んだ「安里さん」が、琉球時代の18世紀に飛行機を考案し、空を飛んだーーライト兄弟よりも早く? まさか! 頭上に広がる青空。この空を本当に飛んだのだろうか。学校では習わない歴史の片鱗に触れ、得した気分。歩いた甲斐があった。「あーら、お久しぶり」本島の住宅街で、以前たまたま寄った「パーラー」。以来、近くに行くと必ず寄る。そのたびに店の奥さんが、明るく迎えてくれる。先客は生ビールを飲むオジさんと、小学3年くらいの少年4人。ビールに泡盛、沖縄そばにコーヒーとジュース、お菓子までそろうのが沖縄のパーラーだ。ランドセルを放り投げ、1個20円のチロルチョコで盛り上がる少年たちを横目に、僕はアイスコーヒー。「ウナギ食べる?」と奥さん。コーヒーと一緒に? でもいただきます。ここで「こーんにちはー」と地元の婦人がご来店、ウナギを食べる僕を見て、すかさず言う。「アラ、ウナギあるの?」奥さん「(ヤバい、もうないのよね)今日は蒸すわねー」婦人「ねえウナギあるの?」奥さん「雨が降りそうねー」そそくさとウナギをかきこむ僕の横でチョコを頬張り「最近どう?」「まあね」と少年たち。何が「まあね」だか。緩い空気に身を任せ、自分が旅人であることすら忘れていく。老若男女も地元もヨソ者もゴチャまぜの午後のパーラーで「ああ、沖縄だ」と感じずにいられない。那覇から遠く、観光客もいない小集落。ブラブラ歩き、小学校のそばを通りかかった。すると、「オジさーん、何やってるの?」窓から子どもたちが顔を出し、大声で叫びながら僕に手を振る。「アンタたち、授業中よ!」と背後から女先生も現れて「ゴメンなさいねえ」と言いながら、僕を見て苦笑い。ああ、沖縄に来た。やはり観光客が少ない、別の小集落。散歩の途中、日陰のベンチで休んでいると、地元らしきオジさんが来て隣に座った。そして手元のビニール袋をガサゴソとまさぐり、取り出したのは缶ビール。「飲む?」と言い僕に差し出す。「いいんですか?」と言うと、再び「ほれ」とオジさん。いただきます。プシュッと栓を抜き乾杯。「こんな何もない所に、なんで来たの?」と、オジさんは笑った。夜も歩こう。沖縄は夜行性の人が多いから、夜は居酒屋やバーの明かりが煌々と灯り大にぎわい。ホテルに閉じこもっていてはもったいない。那覇の外れ、闇夜にポツンと灯る「BAR」の看板。「いらっしゃいませ」眼鏡、ヒゲのマスター。ジャック・ダニエルをロックでもらう。アメリカ統治の影響で、沖縄のウイスキーの主流はバーボンかテネシー。沖縄の長老は泡盛より、バーボンを好む人が多いとも聞く。客は僕ひとり。マスターが氷を削る音がシャリッ、シャリッと静かに響く。店内の隅でレコードが回り、ジャズが流れているーー。沖縄に秋が来た。歩くほど話すほどに、素顔の魅力を感じてやまない、沖縄の秋が来た。沖縄の奥深さを味わうなら秋がいい。出かけよう、秋の沖縄へ。もうひとつの那覇の顔 迷宮を彷徨うような裏通りのマチグアーえびす通りに立地するから「恵比寿珈琲」。しかしビール派が集う店。小径が複雑に交差する迷路のような商店街へ進入県庁前から延びる約1.6kmの道路に沿って、レストランや土産物屋がびっしりと軒を連ねる那覇の国際通り。ここは沖縄を訪れる観光客誰もが足を踏み入れる超メジャーな観光地だ。時期や時間帯によっては、まっすぐ歩くことも困難なほど人があふれているため、旅慣れたリピーターの中には、敬遠する人も少なくない。だがそんな国際通りには、一歩裏へ踏み込むとまるで迷宮のように入り組んだ商店街も存在する。地元の人ですら自分の居場所がわからなくなることがある、そんなスージグワー(路地)のマチグワー(商店街)を訪ねてみた。国際通りの入口へは、那覇空港からモノレールで約13分の「県庁前駅」で下車。駅の南側すぐの通りが国際通りだ。県庁北口の交差点から国際通りをプラプラと東へ向かう。「兄さんによく合うかりゆしウエアあるよー」など、威勢のいい呼び込みの誘惑に負けずに10分ほど歩くと、市場本通りという商店街の入口に至る。そのすぐ先にはむつみ橋通りという商店街もある。どちらの道を選んでも、奥で無数の路地と結ばれ、巨大なマチグァーを構成している。市場本通りの入口付近には、お土産物屋から各種総菜を扱う店、衣料品店、鮮魚店などが並ぶ。観光客の姿も多く、明るい南国の雰囲気あふれる通りという感じが漂っている。そして多くの観光客がそれらの店を覗き込んでいる。しかし市場本通りをさらに奥へと進んでいくと、次第に人通りが少なくなっていく。やがて平和通りと交差し、いつの間にか名前は市場中央通りに変わる。さらに迷路のような小径がたくさん交わってくる。面白がってそれらの道に入っていくと、だんだんと方向感覚が失われていってしまう。平和通りと市場中央通りが交差している辺りには、かつて観光客にも人気だった第一牧志公設市場があった。現在は改築中のため、店は全てシャッターが下ろされ、廃墟のようになっている。当然、観光客の姿などあるはずがない。市場中央通りと並行するパラソル通りに入ってみると、シャッターを下ろしたままの店が増え、先ほどまでの明るい雰囲気はなくなった。その代わりに、東南アジア風の空気が漂っている。衣料品を扱う店が目につくが、商品を無造作に積み上げているかと思えば、公共の通路の手すりに引っ掛けるという荒技ディスプレイを見せてくれる。テーゲー(いい加減)なところが実にいい。どこの道に足を踏み入れても面白い光景ばかりに出くわすので、ついつい通りを右へ行ったり左に折れたりしてしまう。そうこうしているうちに足は疲れてくるし、喉も乾いてくる。ふと路地の先に目をやると、えびす通りの看板下にカウンターのカフェらしき店があるのが目に入った。そこは店名が「恵比寿珈琲」というのに、先客はみんなビールを呑んでいる。「コーヒーもありますけど、どうします?」と、店を切り盛りしていた青年。沖縄はまだまだ夏が続いていたので、明るい時間であったが、オリオンの生をいただくことにした。青年は沖縄のゆる~い時間が気に入り韓国から来沖。そのまま住み着いてしまったという。その彼に店名の由来を尋ねると「えびす通りにあるからっしょ!」と笑われた。ひと息ついたところで、さらに探索を続けた。再び市場中央通りに戻り、そこから薄暗い路地へと足を踏み入れた。すでに夜の雰囲気が漂う路地奥には「足立屋」という大衆串揚げ居酒屋が、早くも大勢の吞ん兵衛たちを引き寄せているではないか。「“千ベロ”いかがっすか。つまみ1品にビールやサワーが3杯呑めますよ。つまみは串カツ4本か、もつ煮込みのいずれか。味は保証しまっせ」なんだか大阪新世界界隈にでも迷い込んだ気分。店はけっこう混んで賑やかだったが、時間はまだおやつ時の3時。いいのか!?ディープな店が多い歓楽街は今も元気に営業①路地を歩いていると「金玉」という文字が目に飛び込んできた。どうやら占いの専門用語のようだが、なかなか見かけない看板だろう。②アーケードの商店街は筋ごとに名前が変わる。③那覇最大の買い物スポット、国際通りの裏手とは思えない鄙びた雰囲気がいい。④小さな路地ほど面白い店が見つかる。市場中央通りを核とする迷宮のような路地に隣接し、戦後に歓楽街として発展した所が桜坂通りだ。最盛期には数百もの飲食店が軒を連ね、夜な夜な怪しげなネオンに多くの人たちが吸い寄せられていたエリアだ。現在も当時の面影をわずかに残す店と、新たに開発されたホテルや店が混在し、不思議な匂いを醸し出している。この通りが開発されたのは1951年。現在の桜坂劇場と、西にあるアーケード街の平和通りまでの小高い丘を越える道路として造られた。坂の頂上付近に、桜坂劇場の前身である芝居小屋の珊瑚座が建築された。1952年にこの小屋が営業を開始し、坂に桜を植樹したことが、名前の由来だという。だが桜は、たった2年で伐採され、道路となってしまう。日中の桜坂通りは人通りが少なく、通りに面したカフェのテラス席には、地元のおじぃとおばぁがゆんたく(おしゃべり)に興じていた。そんな光景を楽しみつつ、ゆっくりと散策する。昼間からさらに呑むのは気が引けたので、沖縄の郷土玩具の琉球張子作家が営む「玩具ロードワークス」に入ってみた。こんな個性的な店と出会えるのも路地裏の面白さだろう。桜坂通りの東北側に続く路地が、一帯を米軍に接収されていた時代、沖縄随一の歓楽街であった竜宮通り社交街である。社交という言葉には、かつてはいろいろと深い意味があったようだ。今は150mほどの細い路地に、小さなスナックや飲食店がひしめいている。常連客ばかりが集いそうな、小さくディープな印象の店が多く、何となく敷居が高く感じられてしまう。しかし実際に訪れてみると、観光地の店よりも居心地が良く、案外値段も安いみたい。ウチナーンチュとの一期一会を期待するなら、こうした場所がいいかも。戦後復興期の風景を残す地元民に愛され続けた市場桜坂・竜宮通り界隈。国際通りの店は観光地価格なので、地元の人は足を向けないようだ。だが昔から変わらない風情を残す竜宮通り社交街は、地元の人で賑わう。最近ではわざわざ足を延ばす観光客も増えてきているという。そして戦後の復興期に誕生し、今もなおその当時の姿をとどめている栄町市場へと向かった。そこは国際通りから近いモノレールの「牧志駅」の次の「安里駅」前という一等地にありながら、日本に唯一残された歴史の生き証人といっても過言ではない、戦後のカオス感をまとっているのだ。市場内はご多分に漏れず入り組んだ迷路のような路地で構成されている。日中は地元産の野菜や精肉などの生鮮食品、それに手作りの総菜を扱う店が路地のあちらこちらで営業している。どの店からも、威勢のいいおばぁのかけ声と笑い声が聞こえてくる。そして店の前には買い物ついでにお店の人と話し込む客の姿があった。戦後復興期にできた建物が昔を感じさせるだけでなく、ここには人の温かさや優しさも残っているのだ。市場のほぼ中央にあり、買い物客や店の人たちの鼻孔をくすぐり、引き寄せてしまう憩いのスペースが「コーヒー ポトホト」だ。カウンターに2人座ると満席だが、その周囲で立ち飲みする人が後を絶たない。そこでおすすめのコーヒーの情報交換が始まるのも、人との距離が近い路地ならでは。ここは地元のコーヒー通だけでなく、県内のカフェが豆を求めにやって来るほど、その美味しさは評判だ。夕刻が近づいてくると、日中シャッターを閉じていた店が次々にシャッターを開いていく。そして赤提灯に火が灯ると、行列ができる餃子屋や古酒や琉球料理が味わえる居酒屋、さらにはエビだけしか置いていない店、貝料理専門店など、とにかく個性的な店が開店時間を迎える。こうして市場は、昼間と違った顔となった。何かが焼ける美味しそうな香りにお酒のグラスの中の氷の音が交ざり、身体の中はガス欠状態になってくる。そこで栄町市場のシメとして、居酒屋なのに沖縄そばがめっぽう旨いという「栄町ボトルネック」へ。酒や肴も言うことなしなのだが、肉や魚の缶詰の食べ比べもできるユニークな店だ。那覇には浮島通りやニューパラダイス通りといったスージグワーがまだたくさんある。一歩足を踏み入れて、ディープな“伝統の顔”を探ってみるのも旅の醍醐味だ。※こちらは男の隠れ家2019年11月号より一部抜粋しております

    もっと読む
  • アウトドアでも防災でも大活躍!持ち運びに便利なリュック型ソーラーパネル

    今回、男の隠れ家PREMIUMからご紹介するのは、ソーラー充電可能なパネルを備えたバッグ「リュック型ソーラーパネル」です。その名が示す通り、日常からアウトドアまで幅広く活躍するエネルギーハブで、太陽光を電気へと変えるその姿は未来感が溢れる便利な一品です。一見するとただのリュックサックですが、その背面には発電力に優れたソーラーパネルが4枚搭載されており、1枚から使えるので、限られたスペースでも最大限の発電が可能。キャンプ用の大容量バッテリーは重くて持ち運びに不向きなものばかり。この「リュック型ソーラーパネル」は、お子様や女性でも持ち運びやすいよう、人間工学に基づいたデザインを採用し、重さを感じにくく、揺れを抑える設計を実現しました。移動の際はリュックサックが体にフィットし、重心が安定。背面パッドはメッシュ加工で通気性・速乾性に優れており、いつでも快適に持ち運びができますよ。アウトドア以外のシーンでも大活躍間違いなし。「アウトドアで電気を使うシーンって、キャンプとかBBQぐらいでしょ?」と思っている方も多いはず。今の日本において、最も有用な使い道があります。それは、「防災用品」としての可能性です。地震や大雨などの災害時には、インフラが機能しておらず、ガスや水道はおろか電気もまともに使えないこともしばしば。防災グッズに忍ばせていたモバイルバッテリーや乾電池式の携帯充電器も、すぐに力尽きてしまうことでしょう。そんな時にこの「リュック型ソーラーパネル」があれば、晴れ間を見つけて充電しておくことで、スマホの充電から、明りを維持したり、季節によっては暖を取ることも可能になります。大型の充電器は避難の際に邪魔になってしまいますが、リュックサック型であれば全く問題なし。防災グッズとして、一家に一台おいておくのもおすすめですよ。丈夫で長持ちだから、コスパ良し。3万円を超えてくると充電器としては高く感じてしまうかもしれません。ですが、リュック全体に水や汚れに強いブルーナイロンを採用。耐久性に優れており、長時間の使用にも負けない耐久性を実現しています。さらに「止水ファスナー」や「断熱素材」を用いており、雨天や直射日光の下でも耐久性を発揮してくれますよ。長く使えて、防災グッズとしての備えにもなる、コスパ最強のソーラー充電器です。キャンプ用の電源としてはもちろん、いざという時のアイテムとして手にとってみてはいかがでしょうか。【商品詳細】商品名:リュック型ソーラーパネル価格:35,980円 (税込)商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 夏バテの体によく効く夏の冷泉 ぬる湯宿。Vol.2

    温泉のべストシーズンは冬ばかりではない。「冷泉&ぬる湯」の魅力を知れば夏の暑い時期でも温泉を十分楽しめる。ぬる湯に、いつもより長い時間浸かって夏の緑の景色を眺めるも良し。気合い一発冷泉に浸かるのも良し。風呂上がりの体に心地良い爽快な風が吹き抜ける。微温湯温泉旅館二階堂《福島県福島市/微温湯温泉》享保年間から滾々と湧き出す良泉ひんやりと心地良い湯に浸かる200年以上の歴史を誇る標高920mの温泉歴史を感じさせる木造の佇まいに、良泉の予感が高まる。車を降りてから「微温湯温泉旅館二階堂」へは、両脇にオオヤマザクラの木が並ぶ小径を行くことになる。そこで、ひと夏の命を惜しむかのようなおびただしいセミの声に包み込まれるだろう。見上げれば、磐梯朝日国立公園にある吾妻小富士の頂。宿はその東麓の標高920mの台地にあるのだ。ほどなく目の前に現れたのが、歴史を感じさせる宿である。微温湯温泉旅館二階堂は五棟からなる。一番奥が明治5年(1872)に建てられた茅葺きの建物で、手前が大正初期、さらに昭和の建物と続いている。そのうち三棟が国登録有形文化財の認定を受けている。温泉の存在が知られたのは享保年間(1716~1735)だという。九代目で現主人の二階堂哲朗さんによると「はっきりした歴史がわかっているのは享和3年(1803)。当家の初代が桜本村(現・福島市)から温泉の権利を譲り受けて、湯治客を受け入れたのが微温湯温泉のはじまりです。四代目の時に起きたのが戊辰戦争。戦後まもなく官軍はこの山の中腹まで巡視にきて、その時に宿は焼かれてしまいました」それから、時代が変わるごとに一棟一棟、建て増していったわけだが、その歴史の重みは宿の中を歩くと実感させられる。玄関を入ると右手に帳場と厨房があり、奥に食堂。2階の奥が客室で、外れの茅葺き屋根の建物は主に湯治客用に使われている。さらに細かく見れば、杉を渡した長い廊下は歩くたびにギシギシと鳴り、交換手を呼び出してかけた昔の電話器が柱に掛けられている。心落ち着く客室の天井が低いのは屋内で日本刀を振りまわさせぬ設計だからだ。引き戸のガラスは波打つ波紋を帯びていて、今では作ることのできない昔のガラスが大切に使われていた。それら全ての渋さが心に染みる。旅館は昔と変わらぬ佇まいを残しているが、温泉もまた昔のまま、滔々と湧き出ている。母屋から別棟へ続く長い廊下を渡っていくと、途中に湯治客用の炊事場があり、その突き当たりが男女別の浴室だ。大きな浴槽は源泉掛け流しのぬる湯で満たされ、ザアザアと音を立てて流れていた。その脇には温泉ではない沸かした上がり湯がある。つまり、秋口や春先はぬる湯の温泉だけでは寒いため、体を温めるのに沸かし湯が用意されているのである。壮快感を感じさせる温泉と心に染みるもてなし湯上がりには、やっぱりビールだろう。鬱蒼とした木立や吾妻小富士の頂を肴に、喉を潤す。その壮快感がたまらない。さて、二階堂さんが、31.8°Cからプラスマイナス0.2°Cほどと言い、日本ぬる湯番付で「東の横綱」とされている温泉に浸かってみた。確かにぬる湯ではあるものの、夏だけにその冷たさがとても快適に感じられる。窓からは木々の緑を眺めることができた。熱い温泉はせいぜい5分ぐらいしか入っていられないのだが、ここの湯には1時間以上、平気で浸かっていられた。読書でもしてみようかと思ったほどである。夏の木洩れ日を感じながら、冷泉に長い時間浸かる。次に入った時は読書も楽しんだのだった。湯船に浸かりながら水を飲んでいると、ふと宿までの道すがら見た光景が思い出された。いつしか対向車とすれ違えないほどの狭さの山道を登ってきたが、林の切れ間から見下ろす福島市内の風景はとても美しかった。もちろん、宿の周囲に人家はないのだが、高原の空気が爽やかに透き通っていて、その壮快感はこの温泉に通じるもののようだ。ただ、ぬるい温泉を温める宿も多い中、それをしないのはなぜなのだろう。二階堂さんによると、「来てくださった方に源泉をそのままに楽しんでほしいという思いがあります。また、鉄分が多いために、温めた温泉が冷めてしまった場合、再加熱すると真っ赤になってしまう。この湯の管理は難しいんですよ」と言った。含アルミニウム泉の泉質は結膜炎や白内障などの眼病に効くとされている。江戸時代から明治、大正、昭和にかけては、多くの眼病治療を目的とする湯治客で賑わったそうだ。そんな話を聞いていると、いわき市からよく通ってくるという60歳代の客が、「長いこと腰痛に苦しんでいましたが、ここの湯口から出る温泉を腰に当てる方法を繰り返していたら、痛みが軽くなりましてね」と言った。私はいつも疲れ目なので目を洗ってみたい。それでやり方を聞くと、「湯船内で温泉に顔をつけて何度も目をパチパチして洗うのです」と言う。しかし、温泉の成分のためだろう、最初はジリジリと染みたが、次第に収まって心地良くなっていく。これはいいと何度も洗ったのだった。宿はご夫婦とご主人のお母さんの3人で切り盛りしている。その女性お二人の肌がツヤツヤしていて、とてもお若く見えるのも、やはり温泉の効用だろうかと尋ねると、予想にたがわず、毎晩欠かさずこの湯に入るのだそうだ。左/夕食。岩魚の味噌焼き、レモンが添えられた相鴨の陶板焼き、ふきとクルミの和え物、れん根・鳥肉の煮物など。どれも美味しかったが、なかでも、わらびのお浸しは絶品。右/朝食。アジの干物の焼き物のほかに、山菜の小鉢など。夕朝食とも内容はほぼ変わらない。夕刻、食事は個室の食事処に用意してくれた。メイン料理は相鴨の陶板焼きで、岩魚の味噌焼きも、山菜料理もどれもが美味しかった。見た目は決して豪華ではないが、客人をもてなそうという作り手の温かい気持ちが直に伝わってくる。その心遣いも肴に日本酒がすいすい入ってしまった。だが、まだすることがある。外に出て、星を見てみようと思っていたのだ。すると降るような星空で、とても星が近くに感じられた。おそらく空気が澄み切っているからなのだろうが、この“澄み切る”という言葉に誘われて、また温泉に浸かった。後は心和む和室の客間へ戻るだけである。ひんやりと心地良い湯加減は、熟睡を保証してくれているかのようだった。ぬるゆおんせんりょかんにかいどう福島県福島市桜本字温湯11※こちらは男の隠れ家2019年9月号より一部抜粋しております

    もっと読む
  • ローカル線 海、山、川の旅。-海・JR五能線-

    夏、ローカル列車に乗ると遠い昔を思い出す。網と籠を手に虫を追って、草の匂いあふれる原っぱを走り回ったあの頃。スイカを頬張りながら花火を見ていた少年時代。一日がとても長く、夏休みは永遠に続くものだと思っていた。ローカル列車の向かい合わせボックスシート。目の前には海、山、川が行き交う車窓を見つめるあの頃の自分が座っていた。海:JR五能線秋田県・青森県/東能代駅~川部駅波打ち際の列車から海岸線と水平線を眺めるあきた白神駅~岩館駅間の第二小入川橋梁。高さは23.4m、長さ174m。海が見たい。美しい砂浜と波打ち際の白波。緩やかな曲線を描く海岸線と彼方に霞む水平線。どこまでも続く海の風景を眺めていたい。人間とは時折、無性に海を見たくなる生き物らしい。そんな時に真っ先に思い浮かぶのがJR五能線だ。秋田県から青森県へ。4時間以上をかけて、日本海沿いをひたすら走るローカル線である。始発駅は秋田県の「東能代駅」。朝7時23分発の列車通学の高校生で賑わっていた。しかし隣の「能代駅」、次の「向能代駅」で全ての学生が下車。2駅目で早くもひとりぼっちになってしまった。唖然としていると、発車間際に麦わら帽子をかぶったお婆さんがひとり乗り込んできた。やれやれと安堵したのも束の間、お婆さんも次の駅で降りてしまった。地元の人たちこそ少ないが、途中からは少しずつ観光客が乗り込んでくる。今や五能線は観光客が支えているといってよい。4人組の女性観光客が語る。「テレビで五能線を紹介しているので、観光客で混雑していると思ったんですが、朝早い時間はやはり空いているんですね」東能代駅からしばらくは内陸部を走り、車窓には田園地帯が続く。日本海に出合う本番までの助走区間のようで「海はまだか」と期待感が高まってくる。鯵ヶ沢を目指して荒々しい海岸段丘を進む日本海の絶景を車窓から眺める乗客たち。それは突然やってきた。「東八森駅」を出て、しばらく田園風景が続いていたが、左手の家々の向こうに海がちらちらと見えてきた。小さな丘陵の裾野を縫うように左にカーブしながら進むと、いきなり視界が開けて、左手に大きな日本海が現れたのである。夏の日差しを浴びて、凪ないだ海はきらりきらきら光っている。波打ち際の明るいコバルトブルーのような海水の色が沖合に行くにしたがって群青色へ、藍色へと変わっていく。夏の五能線は冬の荒れた海とは別の顔を持っていた。しばらく海岸線沿いを走った後、列車は海岸段丘を駆け上がる。五能線沿いには「八森駅」辺りから「鯵ケ沢駅」まで海岸段丘が続いている。列車が段丘の一番下を走る時には波打ち際ギリギリを通るため、車内から海の底までのぞき込める。段丘の上を走る時には、眼下に水が張られた美しい水田と遠くの日本海を俯瞰することができる。海との距離感が刻々と変わっていき、飽きることがない。「岩館駅」を過ぎたところで、女性車掌のアナウンスがあった。「これより速度を落としてまいります。日本海の荒々しい景色をお楽しみください」波が大小の岩々にぶつかっては白く小さな波しぶきを上げる、荒々しい風景が続いている。海沿いを走るローカル線は多いが、この荒涼とした景色は五能線ならではのもの。心にしかと刻みたくなる印象的な風景だ。「十二湖駅」に到着。観光客がぞろぞろと降りるので、気まぐれに下車してみた。駅前はバスも発着して賑やかだ。白神山地山麓に湖が点在する十二湖や日本キャニオンというU字谷大断崖などの観光地の拠点になっている。歩いて行くなら森山海岸だ。五能線の線路のすぐ近くに、日本海の荒波が造り上げた大小の奇岩がある。大昔に火山が噴火、マグマが冷えたことによりできた十二湖凝灰岩だ。この森山海岸の風景は車窓からも眺めることができる。五能線沿いの海岸では多彩な岩を見られるのも面白い。再び列車に乗って、漁港のある「陸奥岩崎駅」を過ぎると右にカーブして、日本海に突き出した小さな半島を海岸沿いに走る。海辺の露天風呂で夕暮れの絶景を堪能露天風呂は混浴と女性専用の2種。塩化物泉で鉄分を含んだ温泉は茶色く濁っている。殺菌効果や美肌効果があり、皮膚病によく効くといわれる。途中の「ウェスパ椿山駅」で下車した。本日の列車旅はここまで。どうしても見たい風景があった。露天風呂から見る、日本海に沈む夕陽だ。「黄金崎不老ふ死温泉」である。宿泊客のみが夕方以降の露天風呂に入浴できるので、今宵はここに宿泊することに決めていた。夕暮れ前に露天風呂へ。建物から屋外の通路を歩いていくと、岩がごろごろと続く海岸に、豪快な露天風呂があった。茶色く濁った湯にゆっくりと入ると、ざばー、ざばーと波の音だけが聞こえてくる。湯を嘗なめたらしょっぱかった。さて、肝心の夕陽はというと、残念ながら水平線の上が雲に覆われ隠れてしまった。しかし諦めかけたところで、徐々に雲が切れ始めた。薄く雲がかかってぼわっとした太陽が、今まさに日本海に沈まんとしている。日輪は海上を黄金色に染めて、こちらに向かって黄金の道をつくっている。初めて見る雄大な大自然に見とれているうちに、太陽はあっけなく海に沈んでいった。後には美しい夕焼けが残るだけ。静かに絶景の余韻に浸った。2日目。列車は高台から「深浦駅」へと下りて行く。深浦は北前船の風待ち湊として栄えた町だ。北前船は江戸時代に、大坂(阪)から日本海を通って蝦夷地まで通った「動く総合商社」。日本海交易の拠点だった深浦の町には京、大坂から様々な文化が流入した。北前船は明治時代半ばまで活躍したが、その後は鉄道や車に移行した。海運・陸運の栄枯盛衰は、深浦の歴史そのものだ。カモメが飛来する千畳敷海岸を散策する広戸駅~深浦駅間を走る列車。夏の五能線は青い空と海を堪能できる。深浦駅で発車を待っていると、急に車内が賑やかになった。旅行会社の旗を持ったガイドを先頭に、団体客が乗ってきたのだ。「ここからが五能線のハイライトですよ。日本海の絶景を車窓からじっくり堪能してくださいね」ガイドの言葉に、乗客が窓際の席へと散らばった。五能線には快速列車「リゾートしらかみ」があるが、最も景色の良い区間だけ各駅停車に乗るのも、なかなか賢い乗車方法だ。深浦駅を過ぎると、広戸、追良瀬、驫木、風合瀬、大戸瀬......。名を聞いただけで日本海の風景が浮かんでくるような、風情ある駅名が続く。海沿いを走る列車から見えるのは、雲ひとつない青い空と穏やかな日本海。誰もいない砂浜。夏の日本海の佇まいは爽やかでいながら、どこか陰りを帯びて、旅人へ語りかけてくる。列車は砂浜に沿って緩やかなカーブを描いて走る。点在している岩礁の岩がだんだん大きく広くなってきたら千畳敷海岸だ。千畳敷は寛政4年(1792)の地震で、緑色凝灰岩の海食台地が隆起した。車窓からも見えるが、できるなら下車して、カモメが飛び交う千畳敷の岩の上を歩いてみたい。千畳敷を過ぎると右に大きくカーブする。海の向こうに津軽半島の小泊付近の陸地が見えてくる。晴れた日には北海道もうっすらと見える。やがて「鯵ケ沢駅」だ。鯵ヶ沢湊は江戸時代、弘前藩の藩米を大坂へと積み出す御用港だった。漁港の近くにはイカ焼きの店が並んでいる。最近の名物は「ヒラメの漬け丼」だ。鯵ケ沢駅を出て右に大きくカーブすると、あっという間もなく海が見えなくなってしまった。海の残像が宿る目には、津軽平野の真ん中にそびえる岩木山が見えてくる。津軽富士の稜線が、すっきりと秀麗な姿に変わると、そろそろ五能線の旅も終わりである。※こちらは男の隠れ家2018年8月号より一部抜粋しております

    もっと読む