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男の隠れ家バックナンバー

  • DEEP沖縄。沖縄ノスタルジー 異国文化編

    通りを飾る横文字の看板にコザの歴史が詰まっているかつて沖縄本島中部に存在したコザ市。日本で唯一の片仮名表記の市であった。現在は沖縄市となっているが、その地に足を踏み入れてみると、コザという響きの方がピンと来るはずだ。沖縄には「チャンプルー文化」と呼ばれる独特の文化があるが、コザこそがその代表といっても過言ではない。なぜなら、チャンプルーとは“混ぜこぜ”を意味する言葉で、コザの市内には50カ国、1700人余りの外国人が暮らしているからだ。そのコザの街を歩いていると行き交う人の多くは外国人、それも明らかに観光客ではないのがわかる。自分が外国に迷い込んだ錯覚に陥るだろう。メインストリートといえる「コザゲート通り」は、その名の通り嘉手納基地のゲートへと続いている。そして通りの両側を埋め尽くす商店の看板を見ると、ほとんどが横文字である。店を切り盛りする人も、日本人だけでなくアメリカ人、インド人、フィリピン人、タイ人など、様々な国の人たちがまさにチャンプルー状態。そんなコザの魅力を最初に感じたのは、通りを埋め尽くす異国情緒あふれる看板だった。それらを闇雲に眺めるのではなく、街の成り立ちと看板の関係を面白おかしく解説してくれるスペシャリストと回っている。「コザ街あるきガイド」のスマイリー大城さんである。「基地から出てきて羽根を伸ばそうとしている兵士たちを、呼び寄せる役目を果たしているのが看板サァ。ところが沖縄が台風銀座であるという事情もあり、看板は独特なスタイルに進化したのよ」それは英文なのに縦書きに設置されたネオンサイン。横書きにして店から突き出すと、ほぼ間違いなく台風に吹き飛ばされてしまうのだとか。そこで看板は三角錐のスタイルにし、あまり飛び出さないように縦に設置。それに合わせ英文も縦書きになったのだという。そんな話を聞きながら歩いていると「ヤァ、オオシロサン。キョウモオシゴトデスカ?」と、外国人が声をかけてきた。「この社長はインドから来たサァ。もう20年以上沖縄だよね?」「ニジュウロクネン。スッカリニホンジン!」。大城さんは看板だけでなく、コザという土地に住む人の魅力を教えてくれる。また、本業は安室奈美恵の巨大ポスターも製作する看板会社の代表も務める。その他、音楽関連のイベントなども手がけており、看板に対する愛情であふれている。1960年代の空気を運ぶAサインというメモリアルコザを巡る際に、もうひとつ忘れてはならないのが「Aサインだ。AサインのAはApprovedの頭文字で、認可済みという意味。米軍人や軍属が利用してもよいという店に発行する許可証で、1953年から導入された。その規定はかなり厳しく、店はコンクリート造りで、前面道路は舗装されていなければならない。トイレはタイル張りでペーパータオルまたは衛生的なタオルを備え付ける。さらに店全体にわたって清掃が行き届いていて、使用人は週に1回保健所で検査を受けなければならないなどの決まりがある。ベトナム戦争が佳境だった1960年代後半、沖縄は戦地へ向かう将兵であふれていた。彼らが基地から外出し、心置きなく遊んだのがAサインの店。ステーキを食べさせるレストラン、酒と音楽が楽しめるバー、さらには女性と遊べた風俗店まで。そんなAサインは、日本復帰直前の1972年4月15日に廃止された。今でもメモリアルに、当時のままAサインを店内に掲げている店の一軒に入ってみた。Aサイン店の老舗といえる「スナック喫茶プリンス」だ。「壁に貼ってある1ドル札はベトナムに出征する兵士が帰還を願いサインしたもの。彼らの魂サァ」。そんなママさんの言葉は、本州ではけして感じることのないリアルな1960年代の沖縄の空気である。Aサインの店は、それを教えてくれる案内役なのだ。本物のロックが息づく熱いライブに浸ってみるAサインを掲げた店から生まれたのが、沖縄のロックだ。今では「モンゴル800」や「りゆし58」といったバンドを輩出し、全国的に注目されている沖縄のロックシーンだが、そのルーツはコザにあった。1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約で、日本は連合国による占領から解放された。しかし沖縄は昭和42年(1972)に本土復帰が叶うまで、アメリカの施政政権下に置かれた。だから沖縄人は米軍基地や米兵、軍属たちから強烈な影響を受けたのである。そんな沖縄の中でも、特に米兵たちとの距離が近かったコザは、ロックがリアルな存在だった。そしてベトナムの戦地へと赴く兵士たちは、より刺激的で大きな音、間違いなく本物といえるロックを聴いて解放感を求めたのである。その中から伝説のバンド、「紫」や「コンディション・グリーン」が生まれた。演奏が不満だと、容赦なくビール瓶が投げつけられるという環境で鍛えられただけあり、彼らが本土デビューを飾った時はその実力の高さに誰もが驚いた。そんな系譜を今も引き継いでいる店が「JET」と「CLUB QUEEN」と、そして、そのステージを飾るバンドだ。ライブハウスの扉を開けると、むせるようなパワーあふれる空気のボディブローを喰らった。次の瞬間、強烈なグルーヴとビートの効いた爆音に、心臓を鷲掴みにされる。今も30軒近いライブハウスが毎夜、こうした熱い演奏を繰り広げている。「体温を感じられるほど、演者との距離が近いのが魅力ね」。東京からコザのライブハウス巡りを目的に、沖縄へやってきたOL2人組の言葉が印象的だった。琉球時代からの伝統も様々な形で継承する沖縄は、パワースポットの宝庫としても知られている。随所でアメリカを感じさせるコザにも、そんな沖縄の伝統を色濃く伝える場所が存在する。それは特に御利益があると沖縄全島で知られている「泡瀬ビジュル」だ。閑静な住宅街にある泡瀬ビジュルの始まりは、1768年頃にこの地に移り住んだ開拓者の高江洲義正翁が、海面に浮かんでいる不思議な霊石を見つけたことであった。翁はこの不思議な石をビジュル神(沖縄の言葉で信仰の対象となる石のこと)として祀った。以来、子安の神様として知られ、沖縄全土から子授けや安産祈願などのために訪れる人が増えたのだという。無人と思われたビジュルは午前10時になると、ご近所のオバァがやってきて社務所を開けた。それから午後6時まで、安産や子宝のお守りの販売などを行うという。「平日もお参りの人がけっこう来るサァ。そう言ってる間に、ほら」。若い男女が愛らしい紅型にくるまれたお守りを買っていった。沖縄の人たちの間には、こうした古くからの伝統や祖先の霊を大切にする文化が息づいている。その一方、新しい文化を積極的に取り入れる動きも活発だ。沖縄市でも、空き店舗になっ商店をリノベーションし、新しいタイプの宿泊施設として活用している「トリップショットホテルズ」などは、観光客はもちろんのこと、県外の業界関係者からも注目されている。もうひとつ忘れてはならないのが、沖縄市は平成19年(2007)に「エイサーのまち」宣言をしていることだ。町ぐるみでエイサー文化の継承、そして発展に努めている。旅行者が気軽にいつでもエイサーを楽しめる施設もある。こんな沖縄市の新旧入り混じったディープな部分を知れば知るほど、ビーチでぼんやりしている時間がもったいなくなるはずだ。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • いよいよキャンピングカー、欲しくない?

    まさに動く秘密基地、キャンピングカー。それは旅人にとって憧れのクルマである。今回はまずキャンピングカーの基礎知識を学び、実際のキャンプ旅を実践しその様子をルポ。押さえておきたいキャンピングカーの基本!多様なタイプが存在するキャンピングカーは、そのベースとなる車両の種類や、架装方法によってカテゴライズされている。装備や使い勝手なども、そのカテゴリーによるところが大きい。キャンピングカー選びは、各カテゴリーの特徴を知ることから始めよう。居住性が高く快適な空間が広がるキャブコン(Cab Conversion)トラックやワンボックスカーなどの運転台部分を残し、後方に壁や天井などを含めた、専用の居住空間を作り付けたのがキャブコンだ。外壁にFRPや断熱材入りアルミ複合素材などを用いるため、断熱性が高く、ほぼ垂直な壁ゆえ、非常に広い居住空間が確保できる。ただし、トラックがベースなら走行性能もトラックであることを理解しておく必要がある。バンテック/コルド バンクス 3.4ベース車両/TOYOTA CAMROADシフト・駆動方式/AT/2WD全長×全幅×全高/4995×1980×2960mmエンジン/2982cc燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/7人・5人価格/681万4800円~普段使いにも最適な一台バンコン(Van Conversion)ワンボックスカーなどをベースに、主に内装のみに手を加え、居住空間を設けたのがバンコン。屋根にポップアップテントを設けたものや、ガラス窓をFRP壁とアクリル二重窓に換装したものなども、バンコンの守備範囲。大型ワンボックスカーがベースの車種には、キャブコン並みの広さと装備を持つものもあるが、日常的に使いやすく、キャブコンに比べ走行性能が高い。トイファクトリー/バーデンベース車両/TOYOTA ハイエース スーパーロング特装車シフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/5380×1920×2285mmエンジン/2700cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/7人・5人価格/577万8000円~コンパクトな「動く秘密基地」軽キャンパー(Kei Camper)キャブコンやバンコンなどにカテゴライズされるべき車種であっても、軽自動車がベース車両の場合は、軽キャンパーと呼ぶことが多い。多くの軽キャンパーは2人分のベッドとミニキッチン、停泊時用電源装備などを備えるが、ポップアップテント装備で、4人分のベッドを備える車種も存在する。岡モータース/ミニチュアクルーズ SVベース車両/日産 NV100 クリッパーV DX-GLシフト・駆動方式/5AGS/2WD全長×全幅×全高/3395×1475×1940mmエンジン/660cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/4人・2人価格/279万9360円~出先での切り離しも自由にできるトレーラー(Camping Trailer)ヘッド車(けん引車)に連結し、けん引して使うのがトレーラー。車両重量750kg以下の車種なら、普通免許でけん引できる。エンジンを持たないため維持費が少なく、また、同価格帯の自走式に比べると、非常に充実した装備が得られるのも魅力。目的地で切り離せば、ヘッド車のみで気軽に出かけられる。ハイマー/ERIBA Touring 430 SEシャーシ/AL-KO 1200kg 強化シャーシ全長×全幅×全高/5280×2000×2260mm定員(就寝)/3人価格/394万2000円~エレガントな車体に夢が詰まったバスコン(Bus Conversion)バスがベースゆえ、走行性能や静粛性に優れ、室内も広い。内装だけに手を加えた車種や、壁面をも換装した車種もある。高価だが、キャンピングカーの理想形のひとつだ。RVランド/ランドホーム コースターベース車両/TOYOTA コースター標準ボディー ハイルーフLXシフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/6255×2080×2740mmエンジン/4009cc 燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/10人・5人価格/1263万6000円~シャーシ以外をオリジナル架装フルコン(Full Conversion)フロアシャーシ、フレーム、エンジンなどの骨格部分を除くパーツをオリジナルで作り付けたのがフルコン。居住空間と一体化された運転席や、豪華で充実した装備が魅力だ。ハイマー/Hymermobil Exsis-i678ベース車両/Fiat Ducatoシフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/7490×2220×2770mmエンジン/2287cc燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/5人・5人価格/1479万6000円~キャビン部の積み下ろし自由自在ピックアップキャビン(Pickup cabin)トラックの荷台に載せて使う小屋(キャビン)が、ピックアップキャビン。積載物扱いとなり、積み下ろしも自由自在。ピックアップトラック愛用者には、最高のキャンプ道具だ!ミスティックプランニング/ランクル Jcabin Lベース車両/ランクル全長×全幅×全高/3950×1670×2250mm定員(乗車・就寝)/4人・4人価格/252万4000円~普段使いとキャンプ旅をこの一台で乗用車ベース(Passenger Car Base Camper)車内で寝るための最低限の装備であれば、乗用車ベースでも成立する。俗にライトキャンパーと呼ばれるこのカテゴリーも、快適な車中泊を実現できる選択肢のひとつだ。ホワイトハウス/フリースタイルベース車両/HONDA フリードシフト・駆動方式/AT/2WD全長×全幅×全高/4210×1690×1840mmエンジン/1490cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/5人・4人価格/258万円 ※取材車は中古車価格です伊豆の自然を満喫する大人のお洒落なキャンプ旅キャンピングカー旅ルポ❶贅沢にゆったりくつろげるキャブコンの広さを生かしたキャンピングカーの旅。そのスタイルがすっかりお気に入りの夫婦2人が久しぶりに向かうのは伊豆半島。絶景ロードを走り、ちょっと食事にこだわり、焚き火と共に静かな夜を過ごした。028June2018文◎岩谷雪美 撮影◎佐藤佳穂 協力◎MYSミスティック、モビリティパーク圧巻の景色が続く道を走りキャンプサイトで快適な夜を緑まばゆい丘陵地に緩やかにカーブを描いて続く爽快なワインディングロード。車窓に映るのは、左手眼下に相模湾、右手に駿河湾のきらめき、そして雪を頂いた霊峰富士の秀麗な姿……。それらのパノラマが目に飛び込んでくるたび、2人で声を合わせたように歓声を上げてしまう。車高が高いキャブコン「アンセイエ」の座席からということもあるだろう、いつもと少し異なる目線では景色もよりワイドに見える。クルマを走らせていたのは伊豆半島中央部の山稜に延びる伊豆スカイライン。富士箱根伊豆国立公園内を走る自動車専用の有料道路で、屈指の眺望を誇るドライブウェイだ。そんなランドスケープや周辺の観光スポットを楽しみながら目指すのは、伊豆の国市長者原の山あいにある「モビリティーパーク」。今回のキャンピングカーの旅の拠点にと選んだ場所で、伊豆の東西南北各地へのアクセスにも便利な人気のキャンプフィールドだ。久しぶりの夫婦2人のキャンピングカーでのドライブ旅。以前にその非日常の空間と時間を満喫する旅スタイルを体験し、以来、2人ともすっかりキャンピングカーという特別なクルマに魅了されている。思い立って動くことができ、旅先も宿泊先も自由自在。そのフレキシブルさが何とも気軽で心地いいのだ。また、旅費が節約できる分、食事を贅沢にできるのも楽しみのひとつ。今回はルート上のレストランをチェックし、車内で食べるディナーもちょっとリッチに凝ってみることにした。食材は高速に入る前に買い揃えておいたので準備も万端だ。小田原厚木道路から箱根ターンパイクに入ると、ひとカーブごとに標高が上がってくるのがわかる。フロントガラスに映る緑陰も清々しい。芦ノ湖と富士山が見える大観山ポイントを過ぎて十国峠へ向かい、さらに熱海峠まで来るとここからが伊豆スカイラインの始まりだ。峠の標高は635m。富士山は雄大さを増し、その先の玄岳付近では大きく開けた景色が待ち構えていた。ウッドデッキの展望台がある玄岳駐車場からは、東側に熱海市街地と相模湾、北西側に富士山が一望のもと。付近は伊豆半島の成り立ちの痕跡がある伊豆半島ジオパーク指定地のひとつでもあり、標高798mの玄岳は海底火山が本州に衝突して出来上がったとされている。道は玄岳の西側を回り込むように延びて韮山峠へ。途中にも西丹那車場、池の向駐車場など絶景地が点在し、このあたりからは駿河湾が望め、富士山も裾野の長い美しい姿を見せるようになる。さらに韮山峠を経て亀石峠インターを下り、県道19号線に合流。目的地のモビリティパークはインターから10分ほどの距離だが、ランチを食べるため県道を先へと進み、「中伊豆ワイナリー シャトーT・S」へと向かった。ナビが誘導する山あいの道をたどると、突如現れる一面のブドウ畑と白亜のシャトー。その異国的な風景は感動を覚えるほどで、アメリカのワイン産地ナパバレーをイメージしたという当社のコンセプトそのものだ。ブドウ畑を望むレストランでは、自社栽培ブドウで醸したワインと共にパスタランチを堪能。さらに今夜のキャンピングカーでのディナー用にワインを購入する。ワインが飲めなかったドライバーの夫のため、じっくりテイスティングして香り豊かなボトルを選んだ。また、今回は旅の最後に足を運んだのだが、修善寺温泉近くの「ベアードブルーイング」でクラフトビールを仕入れておくのもいい。個性豊かなビールが多彩に揃い、ディナーをさらに素敵にしてくれるはずだ。さて、いよいよ旅のハイライトのモビリティーパークへ。入口からメタセコイヤの並木道をゆっくり進み、受け付けを済ませてキャンピングカーサイトにクルマを停める。自然の森や地形を生かした広大なキャンプフィールドには、ほかにもテントサイトやトレーラーホーム、ログハウスやコテージなどもあり、展望風呂や炊事場なども完備。キャンピングカーサイトには上下水道やAC電源などがあるので、車内の冷蔵庫やエアコンなどをフルに活用するのにもってこいだ。セッティングを終えてひと休みしていると、夕闇がうっすらと森を包み始めた。そろそろディナーの準備開始だ。車内のキッチンでサラダ用の野菜をカットしたりローストビーフを並べたり。メインのラザニアは家で下ごしらえをしているので温めるだけでいいが、今回のクルマには電子レンジが付いているのでそれもあっという間である。そして、待ちきれない様子の夫がさっそくワインの栓を開け、乾杯!昼間に飲めなかっただけに美味しさも格別だと、笑顔満面だ。日常とは違う時間の流れの中では会話も弾む気がするが、それより、少年のような目をして楽しむ夫がいつもより色々と動いてくれることが何だか嬉しい。ディナーの後は夫が焚き火を起こし、珈琲を淹れてくれた。パチパチと薪がはぜる音を耳に、静かに更けていく夜。安らかな心持ちへといざなう炎の温かさ。そんな穏やかな気分のまま寝袋に潜り込むと、すぐに深い眠りに落ちた。野鳥の声に起こされるまで、ぐっすりと眠っていた「アンセイエ」での一夜。思いのほか寝心地がよく一度も起きることはなかった。窓の外ではもう木々の間に朝陽がきらめいている。今日も天気はよさそう。さて、今日は伊豆半島の南部へと足を延ばしてみようか。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend 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  • 憧れの昭和団地生活

    戦後、最先端の設備と新しい生活様式が取り入れられ、人々の羨望を集めた団地。その魅力を再発見し、実際に団地生活を満喫する照井さんと古き良き昭和の姿を探る。公団ウォーカーと歩く神代団地(東京)団地特有の空間が持つ包容力や安心感が魅力戦後の復興期から半世紀以上にわたり、都市部を中心に続々と建てられた団地。都市への人口流入による住宅難解消のため、昭和30年(1955)に「日本住宅公団」が設立され、ピーク時には年間2万戸を越えるハイペースで建てられた。当時、洋風の新しい生活スタイルをいち早く提案した団地は庶民の憧れの的に。「食寝分離を目的にダイニングキッチンが設けられ、もちろん電気・ガス・水道完備、そしてトイレは水洗式。さらに浴室まで付いていたんですから、入居抽選倍率は宝くじ並みの人気でした」と話すのは、団地ファンサイト「公団ウォーカー」を運営する照井啓太さん。30代という若さながら昭和の面影を残す団地をこよなく愛し、全国の団地を巡ってサイトや本を上梓するだけでなく、実際に家族と共に団地に入居してしまった、いわゆる〝住み団〟のひとりだ。「東京小平市にあったNTTの社宅で生まれ育ち、団地生活は当たり前のように身近でした。高校3年の時に親がマンションを購入して転居。快適さに最初は気に入っていたのですが、5年たっても隣に誰が住んでいるかわからないことなどに違和感がありましたね」高校生の頃から写真撮影が趣味だった照井さんだが、気が付くと団地の写真ばかり撮り歩いていたという。そして10年前、結婚を機に引っ越してきたのが調布市にある「神代団地」だった。昭和30年代に造られた団地の多くが解体され消滅していく中で、昭和40年以降の団地には今なお人々の暮らしが息づいている所が少なくない。昭和40年(1965)竣工の神代団地もそのひとつで、東西1㎞の広大な敷地に59棟が並ぶ大規模団地である。「建物の外観こそ古めかしいものの、室内はピカピカにリフォームされていて、想像よりもずっと快適」と目を輝かせる照井さん。5階建ての4階に住む部屋を見せてもらうと、団地の標準設計の2DKで、狭いながらもサンサンと日が差し込み居心地も良さそうだ。「浴室がやや狭いこと以外は特に不満はなく、風通しの良さや収納など良く考えられた構造になっていて使い勝手はいいですよ」さらに子どもが生まれてからは、団地の良さをより実感したという。それは団地の敷地を歩いてみると分かるということで、さっそく団地内を案内してもらった。「部屋は小ぶりなのに屋外は驚くほど余裕があって、団地全体が公園のよう。木々も多く、僕は〝森の中の癒し系団地〟と呼んでいます」。日本住宅公団の団地の多くは敷地が広大で自然もたっぷり。棟と棟の間や歩道は広く取られ、子どもたちが遊べるプレイロットやグラウンドなども随所に見られる。「子どもが暮らすことを前提に団地が造られているんですね」。神代団地には幼稚園や病院、スーパーやカフェなどもあり、まさにひとつの町。さらに自治会を中心にコミュニティー活動も盛んで、人間関係、失われつつある近所付き合いの良さが今も息づいている。「団地の魅力はノスタルジーではなく、団地の空間が持つ〝包容力〟や〝安心感〟なんだと思います」昭和団地のデザイン変遷01 「食寝分離」でDKが生まれる昭和32年(1957)戦後の集合住宅建設で大きなテーマとなったのが「食寝分離」だ。ちゃぶ台で食事をし、寝る時にちゃぶ台をたたんで布団を敷くというそれまでの生活に対し、公団住宅ではDK(ダイニングキッチン)という新しい考え方が生まれた。台所を広くしてテーブルを備え、椅子で食事をする洋風生活スタイル。DKに2寝室を持つタイプは2DKと呼ばれ、公団住宅の代名詞にもなった。さらに冷蔵庫などの電化製品を備えた生活は「団地族」と呼ばれ、当時の憧れ、社会現象を起こした。02 2階建てテラスハウスの出現昭和33年(1958)欧米でもお馴染みの庭付き2~3階建てのテラスハウス。壁を接して建つ長屋形式の連続建て住宅で、日本住宅公団の発足当時の昭和30年代から、主に郊外の公団住宅に数多く、その数は昭和30年代で約2万戸。低層で構造上の制約が少ないため、ブロック造り、PC工法の先駆けのTilt-up(ティルトアップ)工法など各種工法が模索された。写真は昭和33年(1958)築の多摩平団地のテラスハウスの移築復元。1階は4.5畳間の和室と台所・浴室、2階に6畳間と3畳間がある3Kタイプ。03 先進的高層アパートの誕生昭和33年(1958)中低層の集合住宅の供給が行われる一方で、都市住宅のひとつの形態として日本住宅公団が目指したのが高層住宅だ。その第一段として昭和33年に建てられたのが、前川國男設計による晴海高層アパート。鉄骨鉄筋コンクリート造10階建てで、3層6戸を1単位とする可変性を持たせたメガストラクチャー、スキップ形式のアクセス、公団住宅初のエレベーター、従来の寸法にとらわれない畳形状など先進的な試みが多く見られた。外観もル・コルビュジエの集合住宅を想起させる。多様なカタチ 棟タイプ8Type1.スターハウス「スターハウス」という名称だが、上から見るとY字型となっている。別名「星型」とも呼ばれる。民間では類を見ないデザインで機能性に優れていて、住戸全てが角部屋となり採光性が優れている。今や現存しているものは極めて少ない。Type2.ボックス型ポイントハウススターハウスは人気だったが、建設コストの問題や隣接住居が見えてしまうという不評点があり、それを改良したのがボックス型となる。住居は全て角部屋。ほとんどが昭和40年代以降に造られたので、しばらくはその姿は消えないだろう。Type3.市街地住宅郊外に広い土地を確保して大規模な団地を開発するとともに、都市部には店舗併設型の「市街地住宅」も並行して造られた。通り側にはベランダは設置せず、サンルームや屋上の共同もの干し場を設置するなど、景観を考慮した造りとなっている。Type4.L字型ポイントハウス上から見るとL字型をしたポイントハウス。住宅公団の名古屋支所オリジナルデザインだ。1フロアに3戸なので、採光性や通風性を考えた全戸角部屋仕様だ。残念ながら、このタイプは全て解体され、今では見られなくなってしまった。Type5.中層フラット誰もがイメージする「団地」のタイプ。3~5階建ての長方形の住棟。写真は「北入りタイプ」。南側に設置されたベランダと反対の北側に階段室が付いている。「南入りタイプ」「階段室分離型」「片廊下型」など多くのタイプがある。Type6.セットバック型斜面を利用して、各戸の採光性や眺望性を高めたタイプ。民間のマンションでもひな壇型として目にすることがある。写真は「百草団地」で公団職員寮として建てられたものだが、接地面が大きく湿気の問題があり、ほかには建てられなかった。Type7.店舗住居併設型その名の通り1階には店舗があり、2階は住居となっているタイプ。広々とした団地内の生活面を支える店舗が軒を並べていたが、最近は若者がカフェなどを開く例もよく見られる。ただし店舗だけを借りることはできない。Type8.テラスハウス入居希望者に大人気で抽選倍率が高かったタイプ。平屋タイプとメゾネットタイプがあり、専用庭があるので戸建て感覚で住める。写真は東京・阿佐谷にあった分譲タイプの三角屋根のテラスハウス。地の利が良く一戸建て感覚が人気だった。今も残っている昭和の名団地昭和30年代に建てられた団地はほぼ無くなりつつあるが、40年代以降の団地はまだ健在だ。そんな昭和生まれの名団地がこれだ。高島平団地昭和47年入居開始 東京都板橋区 敷地面積36.5ha、総戸数1万170戸を誇る、公団史上最大規模のマンモス団地で、生活に必要な施設のほとんどが団地内に整備されている。人口が多く駅にも直結しているため商店街は栄えている。写真下のツインコリダー型の内部はSF系のダンジョンのようだ。みさと団地昭和48年入居開始 埼玉県三郷市 国鉄武蔵野線の開業とほぼ同時に完成した総戸数9867戸を擁する巨大住宅都市。昭和60年(1985)に「新三郷駅」が開業すると、近隣にIKEAやコストコ、ららぽーとが開店。さらにつくばエクスプレスの開業で「秋葉原駅」まで35分。便利な団地に大変貌を遂げた。習志野台団地昭和42年入居開始 千葉県船橋市賃貸エリアの美しすぎる芝生空間と遊歩道は一見の価値あり。広々とした緑の多い公園のような空間が広がる中に住棟が点在し、シニア世代や子育て世帯にかなりおすすめ。花見川団地昭和43年入居開始 千葉県千葉市総戸数7081戸という公団屈指のマンモス団地。団地完成時点では総戸数日本一だった。団地の端から端まで道なりに歩くと20分くらいかかる。駅まではバス便となるが、団地内の環境は非常に良い。活気に満ちた昔ながらの公団商店街は今も元気だ。百草団地昭和44年入居開始 東京都日野市・多摩市山の上に造られた百草団地はまさに天空の城。高低差の激しい山の地形を生かしつつ、広い遊歩道を骨格とした独特の住棟配置が特徴で、団地設計の専門書では必ず取り上げられる。ここは高台にあるため、団地からの見晴らしが非常に良いのが特徴である。小平団地昭和40年入居開始 東京都小平市西武鉄道多摩湖線の「一橋学園駅」から歩いて約10分。銀杏並木が自慢の団地である。高い樹木に埋もれたポイントハウスとSFチックな大型遊具が見所だ。団地内のバスターミナル横には、キヨスクのような売店があり、新聞・雑誌・菓子などを売っている。北砂五丁目団地昭和52年入居開始 東京都江東区砂町銀座に近く下町の風情が残る住宅密集地。北砂五丁目団地は人々を火災から守る防火帯の役割も。海抜ゼロメートル地帯のため、浸水に備え住戸は全て2階以上に設置されてる。当団地限定のスキップセンターコリダー型は、ダンジョンのような複雑さ。千里青山台団地昭和40年入居開始 大阪府吹田市千里ニュータウンの北部、阪急線「北千里駅」前の斜面に建てられた大規模団地。木々に包み込まれたポイントハウス群は高原の別荘地のよう。起伏の激しい地形に対応するため採用されたピロティ付きの住棟が特徴。ハイキング気分で散策するにはぴったり。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓KAZARINO マネークリップ使い込むほど、あなただけの風合いに。時間が磨く、美の深み。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • いまこそアナログ盤

    そっとターンテーブルにレコードを載せ、静かに回る盤に針を落とす。スピーカーから流れてくる温かく優しい音。近年またアナログ盤の人気が高まっている。各地に点在するレコードが聴ける店やショップも賑わいを見せ、さらに大手メーカーがプレーヤーの再販を決定した。なぜいまアナログ盤か。関東の中古レコード店巡り中古レコード店はマニアばかりが愉しめる店ではない。懐かしのアルバムや出会えなかった名盤を探し出すたび「あの頃」の様々なシーンが脳裏に浮かび上がってくる。そうした時間を超えた喜びが飛び交う店で「一枚」を探そう。レア盤が揃うビートルズの専門店The Perfect Circle (ビートルズ)東京都新宿区1990年代、新宿界隈では中古㆑コードショップが100軒近くあり、それぞれ特色のある店が多かった。今では数十軒とその数は減ってしまったものの、あるジャンルに特化した㆑コードショップがまだまだ健在である。そのひとつがパーフェクト・サークル ビートルズ店だ。ワンフロアの店内には2000枚以上のビートルズの㆑コードで埋め尽くされている。ここには廃盤になってしまった貴重な一枚やサイン付きものなど㆑ア盤も多数ある。ファンにとってはたまらない空間といったところだろう。「最近ではポールの来日公演があったので、若い世代や女性など客層も広がりました。初めてのお客様には古い楽曲から聴くように勧めています。」青木さんは初めての人にもビートルズの楽しみ方を丁寧に教えてくれる。ワンフロアに広がる夢の空間discland JARO (ジャズ)東京都渋谷区1973年にオープンしたジャズレコード専門の老舗だ。ビルの半地下にある3坪ほどの店舗は、約8000枚のレコードに埋もれている。店主の柴崎研二さんによれば、創業当時はジャズ喫茶全盛時代で、仕入れた新譜50枚が3日で無くなったという。現在は古くからの常連客や外国人が多く、委託販売もしている。在庫は50年代から60年代にかけてのモダンジャズが中心だ。「ジャズが一番ジャズらしかった時代。片面3曲で10分弱は聴きごたえがあって、人間の耳に合っています」。階段の天井にスピーカーがあり、いい音を醸し出している。穴倉のような店は不思議と居心地が良く、笑顔の柴崎さんとのジャズ談義が楽しい。アートのようなジャケットが並ぶIdea Classics (クラシック)東京都千代田区ガラス窓からこぼれる灯りに誘われるように店内に入ると、そこにはクラシックレコードのジャケットがアート作品のように飾られていた。「古いものの中にはアンディ・ウォーホルの描いたジャケットなどもあるんですよ」クラシックを専門に扱う「Idea Classic」の店主・佐野昭夫さんは優しい口ぶりで音楽以外のこともいろいろと教えてくれる。「お客様の滞在時間が長いのでいろいろお話をさせていただいています。コミュニケーションをとっていると思わぬ情報交換ができるんです」と佐野さん。常連客も多いというが、これからクラシックを聴きたいという「初めて」の人にとっても優しい店である。新しい音楽に出合うBarn Homes Records(インディーズなど)東京都新宿区日本のメジャーな音楽シーンでは、まず話題に上ることにない新譜と出合える店、それが「バーンホームズ㆑コード」である。ここにはアメリカン・インディーズからトラッシュ・ガ㆑ージ、さらには50年代のR&Bや戦前に流れていたブルースまで、全てが同じ店内に同居している。だが決してビギナーが近寄れないというわけではなく、辺境なジャンルながらポップで聴きやすいものを基本に揃えられている。「ネット通販全盛ですが当店では対面販売がメインです」と店主の吉原邦男さん。マニアックな客が多いため、初めて来店した人は戸惑うかもしれないが、気軽に声をかければ店主お薦めの一枚を紹介してくれる。日本初のレコード店富士レコード社(オールジャンル)東京都千代田区古本の街として知られる神田神保町。そこには中古㆑コードファンの間ではよく知られた名店「富士㆑コード社」がある。姉妹店の「㆑コード社」とともに1930年に創業した、日本で一番古い㆑コード店である。㆑コードの種類は LPやEPはもちろん、希少価値の高いSPも扱っている。老舗らしくジャンルはクラシックからポピュラー、歌謡曲、純邦楽と何でも揃えているのだ。「昔からのお客様はもちろん、新しくアナログを聴き始めた人たちにも、その楽しさや素晴らしさを紹介していきたい」と販売課長の佐藤満弘さん。店内に足を踏み入れれば、宝探し感覚が楽しめる。㆑コード下取りの相談にも真摯に対応してくれる。初心者のためのレコード環境の整え方「これからレコードを聴きたい」という方のケースは様々。そこで幅広いニーズに応えてくれる販売店・ヨドバシカメラの AV総合チーム プロダクト・スペシャリスト細川雄右さんに機器の揃え方を伺った。自分のベーシックな音環境を揃えた後に変化を加えよう「売り場にいてもLPレコード人気の再燃を感じます」と、この道10年のスペシャリスト・細川さん。ただしニーズは様々で、来店者が何を求めているかで提案も異なってくるという。20年ぐらい聴いていなかったけれど、退職を機に昔買ったレコードを再聴したい。そういった昔ながらの音や方法で楽しみたい方がいる一方で、ハイレゾ・オーディオとリンクさせて聴きたい方もいる。ハイレゾはスタジオで録音したマスター音源により近い音と言われているが、LPを自分で録音してハイレゾ化し、ハイレゾ対応ウォークマンなどでLPならではの音を手軽に愉しむ人も現れている。ただし、この記事を読んでいる方は昔ながらの楽しみ方をたい方が大半と思われるので、話をそちらに絞りたい。「まずは予算が大きいです。お金はかけられないという場合には、オールインワンタイプ。また10万円あれば、後につながる基本セットが組めます。その際、クラシックが多いのかジャズなのかポップスなのかといった、その方が聴く頻度の高い音楽を優先し、その中で何種類かご提案させていただきます」この予算での基礎知識として、カートリッジが交換できるアームを搭載したプレーヤーを選べば、音の雰囲気やレベルをカートリッジ交換によって後から変えられる。また、アナログプレーヤーからの信号は0・1〜5mVと微細なので、増幅するためのフォノイコライザーという装置が必要になる。ただしPHONO(フォノ)入力があるアンプの場合、イコライザーを内蔵しているので購入は不要。またMM型カートリッジには対応しているがMC型には対応していないアンプもあるので(MM/MC切替スイッチがあれば両方に対応)、対応していないアンプでMC型を使うならイコライザーが必要だ。ちなみに基本的なイコライザーは1万円台後半で購入できる。また、プレーヤーにはダイレクトドライブとベルトドライブがあり、耐久性が高いのはダイレクト。よりアナログらしい音なのはベルトドライブと覚えておきたい。さて、ちょっとこだわりのレコード環境をつくりたい方は、最低50万円ほどの予算をみてほしい。オーディオ機器は振動を抑えることによってノイズを減らす「静振性」を重視し、これを高めようと素材や構造にこだわるが、ここで紹介したモデルはそうした点でレベルが高い。「また、このクラスになるとデザインも大切な要素です。お好みやご自宅のインテアとマッチするか、といった点もチェックしてください」まずはプロに相談しながら、自分にとってのベーシックな音環境を揃えること。そこから奥深い音のバリエーションの森へと入っていくのが、道に迷わない最善の方法だ。今、アナログレコードを聴く贅沢。〜デジタル化で失われた大切なもの〜静かな夜ふけ、お気に入りの㆑コードを1枚手にする。何度も見ているはずのジャケットに、しばし見惚れてしまう。音溝部分に触れないようにディスクを慎重に取り出し、ターンテーブルに載せる。ゆっくりと回る黒い盤面にそっと針を落とす。プツッと乾いた音がして、ほどなく柔らかな楽音が部屋を満たし始める。ブランデーグラスを手にして深々とソファに身を沈め音と融け合う。音楽好きなら誰もが手にしたいと思う至福のひと時。レコードはエジソンの円筒型蓄音機「フォノグラフ」に始まる。彼が特許を申請したの1877年12月6日。しかし、フォノグラフは「トーキングマシン」と呼ばれたことからもわかるように、音楽メディアであるよりも、まずは画期的な事務機として受け止められた。蓄音機が音楽をリアルに記録再生するメディアになるには少し時間を必要とした。1887年9月26日、ベルリーナが特許申請した円盤型蓄音機「フォノグラム」によってレコードは音楽メディアとしての道を歩み始める。そして、SPからLPへ、モノーラルからステレオへと進化し、記録される元の音への忠実度をしだいに高めつつ、いつでもどこでも、まるで生の音楽を聴くように再現できるメディアとして広く普及したのである。ここで時間を一気に1982年10月に早送りしよう。この年、直径12センチの金色に輝く「CD」が新しい㆑コードとして登場する。CDは㆑コードの欠点や弱点と思われることを改善し、長時間記録と小型で壊れにくいなどの利便性を合わせもつ「夢の㆑コード」として生まれた。CDは予想をはるかに超える勢いで普及し、登場からわずか4年の86年には㆑コードの売上を追い抜く。ほどなく㆑コードメーカーはその大半が㆑コード製造部門を廃止し、㆑コードは音楽市場の片隅に追いやられることになった。そして、㆑コードと言えば30センチのLPのことだったのが、このころからデジタル技術によるCDと区別するため、「アナログ㆑コード」と呼ばれるようにもなった(ここでは愛惜の念をこめて「㆑コード」と表記する)。しかし、その後の目覚ましいデジタル技術の革新は、音楽の聴き方をさらに大きく変貌させていく。若い世代を中心にダウンロード音源を小さなデジタル携帯機器やスマートフォンで聴くことが主流となり、高音質を求めるマニアックなファンの間では、CD規格を大きく超えるデジタルデータを、そのままダウンロードして聴くことが注目を集めている。今やCDもその姿を消しかねない危機に陥っているのだ。今、アナログレコードを聴く贅沢。㆑コードからCDへ、そしてダウンロード音源へとメディアが革新されていくなかで、㆑コードを聴くことが見直される気運も根強い。㆑コードを話題にする記事は、これまでも新聞、雑誌に毎年のように登場してきたし、ジャズ喫茶のように㆑コードを聴ける場所も少なからずある。また、このところ内外で㆑コードの売上は少しずつだが増えているし、ニューモデル・プ㆑ーヤーの発売を予定している大手メーカーもある。つい最近、ある全国紙は「この㆑コード人気はもはや一過性のブームではない」とまで書いた。しかし、㆑コードの再評価は単なる懐古趣味、あるいは消え去るメディアへの挽歌に過ぎない、という声も相変わらずある。ここで少し冷静に㆑コードを見つめ直してみよう。㆑コードからCDになって変わったのはディスクの記録方式とサイズだけではない。操作が簡単になったことも大きなポイントだ。ボタンを押せばト㆑イが開き、そこにディスクを置いてボタンを押せば音が出る。ダウンロード音源では、もはや音を記録したディスクさえ見えない。音楽は膨大なデジタデータとしてハードディスクかメモリーに記録されている。聴き手に許されるのは音量調節と選曲ぐらいのものだ。また、㆑コードの良さは、その温かく柔らかい音にある。CDのように一定以上の高域をカットしていないからだ、などとよく言われる。しかし、CDの音も決して悪くはない。物理特性の優秀さではCDが上をいく。何よりもこれまで多くの音楽家や音楽制作者たちを満足させてきたのだ。㆑コードの人気が回復しつつあるのには、音質の優劣とは次元の異なる要因があるのではないかという気がしてくる。CDやダウンロード音源に比べると、㆑コードからいい音を引き出すには、実は手間も暇も資金も必要だし、操作には熟練も必要だ。万事に簡便さが尊ばれる時節には肩身が狭い。しかし、プ㆑ーヤーを構成する部品を自分の好みに合わせて替えられることはデジタルにはない大きな魅力だろう。例えば、同じ㆑コードがカートリッジを替えるだけで、柔らかくも硬くも、シャープにも滑らかにも、音の肌触りは変化する。また、ゆったりと回転するプ㆑ーヤーの姿を目にすると、日常とは違った時間が流れる別世界に誘い込まれる。こういうことが㆑コードの音の温かみや滑らかさにもつながっているに違いない。メディアのデジタル化は、音楽を聴く行為から操作に手をかける余地や視覚的充足感という大切なものを奪ったのである。音質の物理特性と簡便さではデジタルに一歩譲っても、㆑コードで音楽を聴く「至福のひと時」は捨てがたい。〜デジタル化で失われた大切なもの文◎船木文宏(「CDジャーナル」創刊編集長)028december 2015※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • 住まいに生かす「金沢」の伝統

    長い歴史に培われた伝統が今も暮らしの中に息づく町、金沢。この町は、住まい造りを考えるうえで重要な示唆を与えてくれる。暮らしの中に「金沢」を取り入れることで、人生はより豊かに、奥行きの深いものになるはずだ。和田屋 わたや石川県白山市三宮町イ55-2現代に受け継がれる古き良き伝統を求め「金沢」の町を訪ね歩くーー金沢に残る伝統建築昔懐かしい風情に心和む座敷の奥には囲炉裏が切ってあり、女将が食事の支度を始めた。ここは炭火で焼き上げた川魚が名物だ。金沢市内から少し離れた山際にある純和風の一軒宿。昔懐かしい風情に心が和む。金沢はその長い歴史の中で、日本古来の文化を藩政時代の加賀・前田家が引き継ぎ、独自の文化を大きく発展させた。その中で伝統的な建築もまた、大切に受け継がれてきたのである。町の中心部にある金沢城(跡)は、当時の技術の粋を集めた木造建築の代表格である。再建された五十間長屋の骨太な無垢材の木組みは、見る者を圧倒する。城下に目を移そう。土塀を巡らた町並みは武家屋敷の跡で、誇り高く質実剛健な前田家臣団の気質を今に伝える。茶屋街には趣のある木造2階建ての茶屋建築が建ち並んでいる。往年の面影を残すこの町並みは国の伝統的建造物群保存地区(ひがし茶屋街および主計町茶屋街)の指定を受けるほど歴史的な価値をもつものだ。伝統的な建築には、近代建築では味わえない情趣がある。金沢にはこうした伝統的な建築を大切にする古き良き文化が息づいている。往時の隆盛を偲びつつ町を歩けば、旅もまた楽しくなる。金沢城・五十間長屋石川県金沢市丸の内1-13 層 3 階の菱櫓と橋爪門続櫓(つづきやぐら)をつなぐ 2 層 2 階の五十間長屋は、平時武器などを保管する倉庫だが、戦時は防壁として機能し、白塗漆喰壁(しっくいかべ)や海鼠壁(なまこかべ)の強固な防火構造をもつ。日本古来の柱と梁(はり)・桁をもつ「木造軸組工法」で建てられ、2 階では骨太な木組みをそのまま見ることができる。鉄くぎやボルトを一切使わず、土塀と貫(ぬき)と呼ばれる柱と柱をつなぐ横木を組み合わせた「耐力壁」は、極めて丈夫な構造だ。松風閣石川県金沢市本多町3-2-1※一般非公開天保 5 年(1834)、十二代藩主・前田斉広(なりなが)の娘・寿々姫が、家臣の本多家九代・政和に輿入れした際に、本多家上屋敷に建築された御広式御対面所。明治期になって当地(北陸放送敷地内)に移築された。当時の武家文化を偲ぶ遺構として、国登録有形文化財に指定されている。現在は茶会など伝統的な行事に限って利用される。お宅訪問こだわり抜いた自分だけの家住まいに「金沢」を取り入れるなぜ住まいに「金沢」を取り入れるのか。「金沢」は暮らしをどう変えるのか。金沢で生まれた株式会社 ひまわりほーむの「金沢兼六の家」にそのヒントがある。実際に「金沢兼六の家」に住まう人を訪ね、そのこだわりを聞いた。木の温もりと過ごす家高下伊三美さん( 56)・珠子さん( 57)夫妻開放的な吹き抜け空間は骨太な無垢材が自慢「木の温もりのある家は気持ちが和みますね」と高下さん夫妻は話す。今年2月に完成したこの家には、ふたりのこだわりがたっぷり詰まっている。間取りを決めるのに1年以上かけ、その間に何度も図面を引き直してもらった。玄関を入り、短い階段を上がると広いリビングルームに出る。いわゆるスキップフロアで、階段の途中に中2階を設けて広いリビングルームとしている。これは1階中心に暮らすお母さんと、2階にある珠子さんの居室(寝室)とのコミュニケーションを取りやすくするのが大きな目的だという。リビングは開放的な吹き抜けになっていて、構造材としての梁や柱がそのまま露出している。驚くほどに骨太で頼もしい無垢材だ。金沢城の五十間長屋で見たそれとイメージが重なる。太い梁は厚さ40㎝ほどもあるという。そして頭上空間だけなく、床のフローリングにも無垢材が使われている。こうして木の温もりに包まれていると、まるで森の中にいるように心が落ち着いてくるから不思議。まさに伊三美さんの言う通りだった。興味深かったのは伊三美さんの部屋だ。いや、正確には部屋ではなく小屋裏なのだが。小屋裏は高さ1・4 m 以下という制約があるため、まるで子供の秘密基地のようなスペースだ。決して広くはないが、その狭さがかえって心落ち着く空間なのである。未来志向の住まいと和の美意識長谷和人さん( 26)・絵里花さん( 26)夫妻部にまで家族の思いが行き渡る家造り長谷さん夫妻がこの家を建てたのは2年前のこと。結婚と同時に移り住んだ。金沢市郊外の高台に建つ家は、窓を広く取って吹き抜けとした明るいリビングが特徴。木々の緑を眺めることができる開放的な空間だ。天気が良ければデッキに出て過ごしたり、気の置けない仲間と庭先でバーベキューを楽しむこともあるという。注文住宅は一般的に設計担当者との打ち合わせによって家造りを進めていくものだ。こだわりの強い人であれば、打ち合わせには多くの時間を要するだろうが、多くの人はほぼここまで。後は現場にお任せとなる、のだが……。人一倍こだわりが強い長谷さん夫妻の場合、建築現場に足しげく通い、時には大工の棟梁とも話し合い、自分の家が出来上がるのを見届けた。「おかげで和室の天井を高くしてもらったり、絵本の棚を作ってもらうことができたんです」と和人さん。こうした対応は工業化された住宅ではなかなかできないこと。自分のこだわりを実現してくれたことが「金沢兼六の家」を頼んで良かったことだと、うれしそうに語ってくれた。この家で家族の歴史が刻まれていく。長年の思いを実現した夢の家徳田幸三さん( 67)・恵美子さん( 68)夫妻快適な住環境を実現しライフワークに没頭能登出身の徳田幸三さんにとって、木組みの家は幼い頃からなじみが深かった。家を建て替えるにあたって「金沢兼六の家」を選んだのも、骨太の無垢材を使った頑丈な家造りに共感を覚えたからだ。この家の一番のお気に入りは、能登杉の梁が見える寝室。この梁は家を建てる際にわざわざ能登材の産地である輪島まで足を運び、納得できるものを選んできたという。柱に使われている能登ヒバも、自身の目で見て確かめた。さて、徳田さん夫妻がこの家に移り住んだ時、「どんなに荒天でも、家の中で過ごしていると外の陽気を忘れてしまうほど快適」で驚いたという。金沢の気候をひと言で表現するなら、夏は暑く冬は寒い。ご当地生まれの「金沢兼六の家」は、厳しい自然環境に向き合う家造りを提唱してきた。これは近年いわれる省エネルギー住宅に通じる考え方でもある。遮音や断熱に優れていることは、これからの住まいにとっても重要な要素になるだろう。快適な環境の中に、幸三さんは長年の夢だった書斎を設けた。書庫にはこれまで読んだ本がずらり。蔵書は優に千冊を超えるだろう。静かな書斎で幸三さんは、真実を探る読書の旅を続けている。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓伊賀焼 「いぶしぎん」 全2種作り手は真の使い手であれ!という精神の元作られた「いぶしぎん」のおうちで楽しむ燻製土鍋。約30分で本格燻製の出来上がり。伊賀焼の伝統を守りながら現代のライフスタイルでもお使い頂ける商品を提供しています。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • 昭和レトロ喫茶、 探訪。東京編

    ドアを開けるとそこに広がるのは古き良き時代の面影を残す空間。昭和の匂いがするその店の雰囲気に、ある人は懐かしい思い出に浸り、またある人はそのレトロさに新鮮味を感じるのかも知れない。60年の歴史がしみる、街の“文化遺産”さぼうる日本最大、いや世界最大規模の古書店街、東京・神田神保町。古書店街と喫茶店の親和性は実に深い。巡りあったばかりの書物を開いたり、界隈に点在する出版社との打ち合わせの場として、重宝される。数多くの名喫茶が集中するエリアなのである。その中でも、押しも押されもせぬ風格を放っているのが、「さぼうる」だ。昭和30年(1955)に創業して早61年。街のランドマークとなっている。蔦の絡まる外観からして見惚れてしまうが、店内に入れば、山小屋のような木の温もりに溢れている。小さな階段を上がった中二階はギュウギュウとこれまた小さな椅子とテーブルが配してあり、まるで小人の家のよう。半地下ではカーブのような穴蔵感が味わえる。初めての訪問ならば、一見しただけでは全体像を把握できないだろう。本の街で育まれた文化的な薫り、壁の書き文字に見られる濃密なエキスみたいなものが、ぎゅっと刻みこまれているこの店だけの空間。もはや街の〝文化遺産〟とでも呼びたくなる、時間が創り上げた飴色の空間なのだ。だが、店の造りより何よりすごいのは、店を開いた当人、鈴木文雄さん(83歳)その人が今も店に立ち、客を案内し、スタッフに気を配り、店内全体を見守っていることである。「店に入ってらっしゃる前にどの席に案内するかを見極めなきゃ。どの位のお歳か、大きな荷物を持ってらっしゃるか、足は悪くないか。あ、あのお客様は毎日来て下さる。あの方はもう40年ぐらい通ってるね」。長年の経験からマスターの目の行き届き具合は、さすがのひと言。「毎日通うどころか、一日2、3回来てくれる人もいる」という。生きる看板のごときマスターの存在と、「いわずともわかっていてくれる」という安心感が、この店へ客の足を60年以上も引き寄せるのだろう。ところで「さぼうる」は、実はアルコール類も飲めるのだ。『菊正宗』から『吉四六』、洋酒のほか、シェーカーを振るカクテルまであり、ボトルキープまでできるという充実ぶりだ。そして朝からでも飲める。意外と知らない客も多い。これは、かつて周辺の出版社から徹夜明けの編集者がやって来ることが多く、仕事終わりの一杯をここで楽しんでいた頃の名残りなのだそうだ。これだけの歴史を誇る店において、ここ2年で新メニューが誕生したという。それはクリームソーダのブルーハワイ味。なんでも、試しに作ってみたら味が良くて、従来の味に加え全4種にしたのだという。老舗にあぐらをかくことのない、飽くなき探求心。マスターは言う。「いつでも、新しい目線を持ってなきゃ。メニューだって今まで通りでいいのか考えないとね」。マスターの姿勢と、店への愛情。いやはや、お見それしました。欧州風のゴージャスな純喫茶古城昭和遺産とも呼びたくなる豪華絢爛のインテリア地下へと導かれる階段で、さっそく中世の騎士と貴婦人を描いたステンドグラスの出迎えを受けた。店は上野駅の近くにあるのだが、階段を下りるに従って外の喧噪が少しずつ遠ざかっていく。そんなアプローチを経て目の前に広がるのは、思わず「おっ」と声を発しそうになるほどの別世界。絢爛なシャンデリア、大理石の壁、奥正面の壁を覆うエルミタージュ美術館を模したという大きなステンドグラス、真鍮を組んだモザイク調の床などなど……。店名の「古城」にふさわしい雰囲気はもちろん、秘密の地下宮殿を見つけたような嬉しさがこみ上げてくる。「父である先代が美術全集などを見てアイデアを練り、内装を全てオーダーメイドで造り上げました。凝りけているようだ、と揶揄されたことも。大正モダンボーイのセンスとこだわりですね」と笑う、二代目オーナーの松井京子さん(69歳)。マダムと呼びたくなる凛とした立ち姿が何とも素敵で、料理に腕をふるう姉の山下千代子さん(72歳)とともに、父親から引き継いだこのゴージャスな店を守り続けてる。創業は東京オリンピック開催年の昭和39年(1964)。父の松井省三さんが、「本格的な珈琲をヨーロッパ風の豪華な空間でもてなしたい」と店を開いたのが始まりだという。定すぎちゃって壁に1万円札を貼り付けているようだ、と揶揄されたことも。大正モダンボイのセンスとこだわりですね」と笑う、二代目オーナーの松井京子さん(69歳)。マダムと呼びたくなる凛とした立ち姿が何とも素敵で、料理に腕をふるう姉の山下千代子さん(72歳)とともに、父親から引き継いだこのゴージャスな店を守り続けている。創業は東京オリンピック開催年の昭和39年(1964)。父の松井省三さんが、「本格的な珈琲をヨーロッパ風の豪華な空間でもてなしたい」と店を開いたのが始まりだという。定番珈琲はブルーマウンテン。当時は150円で出していたが、高級品になってきてからはどうにも折り合わず、仕方なく現在はメニューからはずしている。「父の思いが残せなくて残念でしたが、今、提供しているブレンドコーヒー(490円)も苦味とコク、香りが三位一体になった本格派です」クラシカルなデザインのコーヒーカップも店のイメージに調和しており、レースカバーの付いたソファに身を委ねて味わっていると、何とも贅沢な気分に包まれる。 GMは静かに漂うクラシックの調べ。この日は読書にふける若い女性や、上野という立地のせいかパンフレットを開いて談笑する美術館帰りとおぼしきご夫婦の姿などがセピア色の空間に溶け込んでいた。「若い頃に味わったクリームソーダとナポリタンを食べに来たよ〜、と遠方から再び足を運んでくださるお客様も。そんな時はお店を続けてきて良かったと思いますね」ここではまだ、昭和の良き時代の空気が色あせることなく流れている。クラシック音楽を気軽な雰囲気で名曲・珈琲 麦〝名曲〟の文字を冠し、大型スピーカーやソファに掛けられた白いカバーなどが名曲喫茶全盛期の雰囲気を醸しているが、昔からいわゆるお喋り厳禁という堅苦しい店ではない。創業は昭和39年(1964)。現店主の生沢直弘さん(68歳)は、当時からその自由な心地よさに惹かれて店に通い詰めた客の一人だった。いつしか創業者の河田宏さんから鍵を渡されるようになり、気が付くと店を任される側にいたという。初代から受け継いだ4種の豆をブレンドしたコーヒーや、プリンアラモードが人気。長居するお客が多いのは昔も今も変わっていない。新宿の地下のクラシカル空間名曲・珈琲 新宿らんぶる一階はごく普通の喫茶店の造りながら、地下へ下っていくとダンスホールを思わせる圧巻の広さだ。席数は約200席。真紅のベルベットのソファ席がゆったりと配される。昭和25年創業。昭和49年(1974)に建て替えられたが、創業時からのシャンデリアや燭台が用いられ、クラシカルな空間美で満ちている。そもそもは音楽を聞かせるための名曲喫茶。現在では、喧騒を逃れてゆったりと昼食をとる客にも重宝される店となった。同店は戦後の新宿文化を今日に伝える店として、地域文化財に認定されている。しばし、ノスタルジックな憩いに浸ろう。クラシックホテルのラウンジを思わせる純喫茶 ROYALオーナー自身が追求した、喫茶店の理想スタイル入店してすぐ現れる空間には、大理石が床にも壁の装飾にも用いられ、正面にはステンドグラスが出迎える。続く奥の空間は、アールがかった天井に、シャンデリアが掛かる。ビルの地下ながら、広がりのあるクラシックホテルのラウンジを思わせる空間と内装である。聞けば、初代オーナーは財界に精通していた人物。海外へ出向き、その目で見てきたエッセンスがそこかしこに織り込まれている。店長の野山弘さんによると、初代オーナーも、昼下がりには毎日のように店で珈琲を嗜んでいたという。「オーナーには、上質なものは古くなっても褪せることなく年月を経ていく、という考えがあったのです」好ましいものを追求し、それがベテランウェイターたちによって今も受け継がれ、店の魅力となっている。小岩で一番古いドリップコーヒー店珈琲木の実両親の愛情と思いが刻まれた和洋折衷の居心地のいい空間JR小岩駅北口から徒歩約3分、地元の人が行き交う商店街の中に少し空気感が異なる山小屋風の建物が佇んでいる。和洋折衷の外観とどこか郷愁を誘う風情。扉を開けて中に入ると、そこはさらに心躍る懐かしい色味を帯びていた。例えて言うなら昭和の純喫茶とアメリカのダイナーが融合したような……。そして観葉植物や壁に飾られたいくつもの絵画が趣を深めている。「内装や絵画の多くは父の作です」と話す店主の山本義一さん。開業は昭和30年(1955)。製鉄会社で働いていた父親が病に倒れ、生活の糧を得るため母親が店を開いたのが始まりだという。9年後に店を今の場所に移した際には、内装は病が回復した父親が手がけた。その後、母親が体を壊すと義一さんが店を手伝うことに。弟の和勇さんも加わり現在に至っている。「両親はもう亡くなりましたが、親から受けた恩を忘れずいつも店への細かな手入れを心がけています」コーヒーへのこだわりも同様で、厳選の豆とハンドドリップで淹れるスタイルは小岩では先駆け。香り高い一杯は店の看板となっている。老舗喫茶でモダンなパンケーキをCOFFEE ブリッヂ作家・向田邦子が通った喫茶店。創業は昭和33年(1958)。首都高速道路の高架下のデパート開業と同時だった。当初は有料喫茶室といい、客が入店時にタイムカードを押し、出るときに滞在料金を払う仕組みだった。界隈のマスコミ関係者には絶好の仕事場で、当時事務所を持たなかった向田さんは週に何度も通い、決まった席で執筆に励んだという。二代目・山口哲郎さん(65歳)は、30年前からボリューム満点のパンケーキをずっと提供し続けてきた。今やパンケーキは全8種にも上る。有料喫茶室時代から客層も大きく変わり、連日若い女性で賑わっている。自家焙煎にこだわる下町の老舗ローヤル珈琲店 本店浅草六区近くの商店街の賑わいのなかに佇む昭和37年(1962)創業の老舗珈琲店。店先からはときおり珈琲豆を焙煎する香ばしい煙が漂い、珈琲好きの嗅覚を刺激する。店での自家焙煎は初期から取り入れており、当時は画期的だと評判を呼んだ。基本のブレンドは苦味とコク、酸味のバランスが絶妙な一杯。また、ミルクが入った状態で出されるロワイヤル珈琲は創業時からある人気メニューで、高品質の中沢生クリームをたっぷり使ったヨーロピアンのテイストが味わい深い。銅版画や欧州絵画が飾られた落ち着いた店内も居心地抜群!----------------------------------------コラム:あの忘れえぬ一杯 懐かしい空間に魅かれて散歩の途中、よくあるチェーン系のカフェとは違う、個人経営の喫茶店を見つけると思わず立ち寄ってみたくなる。それも一見して年季の感じられる、昭和らしいムードの店ならば申し分ない。では、昭和らしい喫茶店の要素とは、いったいどういうものなのだろう。まぁその辺、開業の年や建物の築年を調べればいいわけだが、ここではそういう硬い話とは別に、僕好みの昭和調喫茶のポイントをいくつか提示しておきたい。まずは、屋号。『○×珈琲店』と銘打ったような店は、いかにも珈琲豆にこだわっていそうで魅かれるところはあるのだが、昭和らしさとなると、その辺多少ゆるい感じの方がいい。僕が割と好んでいるのは、「パーラー」と看板に謳った店。フルーツパーラー流れの店で、古風なミキサー式の生ジュースなどを出す所も多い。そして、看板を掲げた店先にジュースや軽食のサンプルを並べたショーケースが備えられていれば一段とテンションは上がる。生ジュースの話が出たので、メニューに眼を向けてみよう。先にも書いたとおり、珈琲豆にこだわりすぎると、昭和っぽさからはちょっと離れてしまう。ブラジル、グアテマラ、エチオピア……などと並んでいるより、ただコーヒー、あるいはブレンドとあるだけで、他はコーラ、クリームソーダ、レモンスカッシュ……と続く方がより日本の昭和喫茶らしい。ドリンク類でとりわけ魅かれるのは、ミルクセーキ。赤いサクランボをアクセントにしたミルクセーキのサンプルが玄関口のショーケースに置かれている店は、まず当たりだ。珈琲のヴァリエーションにこだわるな、とはいったけれど、瞬時にノスタルジーをかきたてられるメニューがある。ウインナーコーヒーってやつ。ホットコーヒーにホイップクリームを浮かべたもので、ウインナーはウィーン風の意。原地ウィーンでも伝統的な飲み方というが、クリームにアルプスの雪山をイメージした、なんて説を聞いたことがある。古い喫茶店のひとつのタイプに、山小屋風のつくりの所があるけれど、そういう店の定番ニューともいえる。店内の小道具で一段と昭和的ポイントを上げるのが、ピンク色の電話。いまどきは店内電話を利用する客もほとんどいないだろうが、壊れていても置いてあるだけで、懐かしい時代の喫茶風景が回想される(丸ノ内や大手町の数少なくなった古参ビルの地下街にはピンク電話のある店が割合と見られる)。星座占いのオミクジ装置の付いた灰皿とか麻雀やインベーダーゲームを内蔵したテーブル……といった諸々は僕の世代にとってはちょっと微妙な古さなのだが、このあたりにも昭和らしさを感じる世代が増えているのかもしれない。そして、なんといっても重要なのは客層。店内に年配の御常連──。手なれた感じでモーニングを注文しつつスポーツ新聞なんぞを読みふける単身の老人客がいるだけで、グッと雰囲気にコクが出る。泉 麻人 コラムニスト いずみ・あさと1956 年、東京生まれ。「週刊T V ガイド」などの編集者を経てコラムニストになる。町歩きをはじめ、喫茶店巡りの本も執筆。雑誌だけでなくテレビのコメンテーターや司会も務める。著書に『東京いつもの喫茶店 散歩の途中にホットケーキ』『東京ふつうの喫茶店(共に平凡社)『大東京23区散歩』(講談社)など。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓有田焼 マグカップ 全6色ボウル部分が大きく作られているので、マグの中で飲み物が転がり味がマイルドに感じられる形状です。詳しくはバナーをクリック↓有田焼 セラフィルター紙のフィルターでは不可能であった「うまみ成分である豆の油を通す」ことで、コーヒー豆本来の旨味を味わうことができる世界唯一のコーヒーフィルターです。

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  • 仏像を巡る旅 - 奈良 -

    山々が紅葉に色づき、稲穂が風にそよぐ頃、日本各地に残された古刹と仏像を巡る旅に出かけたい。永い時を超えて守り継がれてきた仏像たちは、穏やかな笑みをたたえて私たちに安らぎを与え、時として仁王のような形相で畏敬の念を抱かせる。いまだ苦しみや悲しみの絶えない現代において、仏像は一体、何を語りかけてくるのだろうか。悠久の歴史に思いを馳せて今、先人の想いを継ぐ旅へーー。日本人の心の故郷・南都で咲き誇った天平の美を辿る奈 良(奈良県)大らかで、ゆるやかな時間が流れる奈良。〝咲く花の匂うがごとく〟と詠われた古の都を巡り、ゆったりとこの地におわす、様々な御仏たちに邂逅した。先の大いなる夢のかたち人心を一つに結んだ大仏造立〝やまとは国のまほろば〟とたたえられたうるわしの都、奈良。この地で、遣唐使によってもたらされた大陸の文化が、和の文化と融合して天平文化が華麗に花開いた。仏教を深く信仰していた聖武天皇は、東大寺をはじめ、続々と寺を建立し、仏教文化も同時に花開いていく。静かな早朝、〝奈良の大仏さん〟に会うため、東大寺を訪れた。清々しい朝の空気に包まれて、大仏殿に一歩、足を踏み入れた瞬間、威風堂々、巨大な御仏が圧倒的な力量とスケールで迫ってくる。大仏建立は鎮護国家の象徴といわれているが、聖武天皇には別の真の願いがあったと、同寺・寺務所庶務係の鈴木公成さんは話す。その願いとは、人々が心をひとつにして新たな未来へ踏みだすこと。そのよすがとなるのがこの大仏造立だった。「天皇は〝一枝の草、一把の土を持って、この像を助け造らん〟という人々を募り、広く助力を求めました。天皇自ら衣の袖に土を入れて運び、柱を立てる綱を共に引いたとされ、並々ならぬ決意を感じます」参拝を終えて大仏殿を出ると、いつの間にかアジアからの旅行者であたりは賑わっている。大仏開眼の折も、インドや中国、朝鮮半島などから訪れた僧侶も参列したというが、外国の賓客の前で大仏を披露した時の、人々の誇らしさはいかばかであったろう。見るほどに大きく、広やかな御仏の姿は、この国の始まりにおいて、父祖たちが一つとなって新時代を切り開いた証し。そう思うと、胸がじんと熱くなってくる国家興隆のために建立された大寺院東大寺国聖武天皇の発願で創建され、天平勝宝4年(752)、大仏開眼供養会が盛大に行われた。その後、平安時代、戦国時代に焼失するが、その都度復興を果たし、現在の伽藍(がらん)は江戸期に再興したもの。創建当時の大仏殿は、現在の1・5倍の間口を誇ったとか。大仏造立には260万人もの人々が参加したという記録があり、日本初の壮大な国家プロジェクトだった。東大寺から奈良公園を通り、古くから春日大社の神職が住む町、高畑まで足を延ばした。緑深い閑静な住宅地の一角に、新薬師寺が佇む。ほの暗い本堂に入ると、独特の〝気〟が満ち満ちている。中心に在ましますのは、本尊の薬師如来坐像。古代ギリシャの装飾モチーフ、アカンサスの葉が光背に彫られており、シルクロードの先、遥かヨーロッパと日本をつなぐ文化の道筋をふと思う。本尊を囲むように、十二神将がすっくと立つ。十二の神々は、苦行中の薬師如来を妨害する悪魔との闘いに挑むため、12の方角に睨みをきかせている。土を用いた塑像で作られ、眼球は紺や緑のガラスの吹き玉。時折、蠟燭の炎を受けて、瞳がきらりと光り、どきりとする。一人の神将が7000の兵を率い、なんと総勢8万4000の大軍団がここにいると聞くと、先ほどの濃厚な〝気〟の存在にもうなずける。いつ観ても十二神将の格好良さ、クールさには感嘆する。凛として、生き生きと、今にも動き出しそうな気配にあふれている。リアルな〝気〟に満ちた新薬師寺には、力強いピュアなパワーがみなぎっていた。善悪一切の衆生を救い給う女人の寺の優しきみ仏平城宮跡の北東に位置する法華寺は、光明皇后が建立した総国分尼寺である。女人の寺らしく、たおやかな姿の本堂を囲む白砂に、木々の緑が冴冴と映えて、典雅な雰囲気が満ちている。光明皇后の祈りが生んだ由緒ある尼寺法華寺武天皇発願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后発願で日本総国分尼寺として建立された法華滅罪之寺。南大門と本堂、鐘楼は桃山時代に再建されたもので、いずれも重要文化財。「から風呂」は光明皇后が千人の民の垢を流したと伝わる。現・京都御所の庭を移築したとされている本坊庭園も見どころのひとつである本尊は十一面観音菩薩立像。艶めくような赤い唇、群青の髪が柔らかく頬を包む姿を見ていると、仏とは本来、男女の性を超越した存在にもかかわらず、女性であろうと思いたくなる。蓮は葉の光背を負うて、今まさに蓮池を渡ろうとする瞬間を捉えた姿は、匂い立つように美しい。「こんなにもお優しく、お美しい御仏にお仕えできることを、幸せに思います」と執事の渡邊英世さんは、静かに微笑む。清々しい境内には気高く優しい皇后の慈愛が、隅々まで穏やかに息づいている。法華寺を後にして、平城京の西側にあたる西の京へ。柱に丹を塗った豪奢な建物が並んだであろう花の都の面影を今にとどめるのが、薬師寺である。天武天皇の発願で建立された華麗な大伽藍は〝龍宮造り〟と賞されたほどだが、享禄元年(1528)の兵火でほとんどを焼した。現在は美しい白鳳伽藍が復興しており、色彩豊かな境内を歩くたびに、平城京とは、くも華やかな都だったのだろうかという思いを強くする。日本最古の十二神将立像が護る聖域新薬師寺天平17年(745)聖武天皇の病気平癒(へいゆ)を祈願して、光明皇后が東大寺南方に7躯の薬師如来を祀る寺院を建立した。当時は広大な寺域を持ち、7躯の薬師如来と脇侍(日光菩薩・月光菩薩)が安置された金堂をはじめとする大伽藍があり、南都十大寺のひとつであった。火災により焼失したが、鎌倉時代までに現在の伽藍が整備された。本尊は薬師三尊像。中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩の脇侍が並ぶ。薬師如来の柔和な表情は、円満相好といわれる。これはわれわれ衆生を穏やかに受け止める広やかな心の表れなのだとか。苦しみや不安に満ちた人生を見守り、最期に西方の阿弥陀如来のもとへ送り出してくれるという。「人の苦しみは無くならないもの。一切の苦厄を越える覚悟がついた時、人もまた、円満相好の境地に至れるのです」と静かに語る執事の松久保伽秀さんの言葉が、胸に深く染みてくる。薬師寺から奈良盆地の北西、なだらかな矢田丘陵の南方にある斑鳩の地へと向かう。〝いかるが〟という言葉には、どこか見知らぬ国を思わせるエキゾチックな響きがある。法隆寺をはじめ、聖徳太子ゆかりの古刹が点在する中、築地塀に沿ってゆるりと歩いていくと、太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后建立の中宮寺に辿り着く。日本最古の十二神将立像が護る聖域中宮寺聖徳太子の宮居だった斑鳩宮を中央に、西の法隆寺と対照的な位置に創建された古刹。平安時代に衰退し、国宝の菩薩半跏像は小さな草堂に祀られていた。昭和期に入り、高松宮妃殿下の発願によって現在の本堂が完成した。本堂は格調高く、池の周りに八重と一重の山吹が植えられており、尼寺らしい優雅な雰囲気が漂っている花々が咲き乱れる小さな寺には世界の三大微笑像のひとつ、アルカイック・スマイルで知られる本尊菩薩半跏像が祀られる。艶やかな漆黒の御仏は左足の上に右足をそっと組み、右手の細やかな指が頬に触れるか触れないかのはかなさで添えられている。繊細な唇にわずかに湛える微笑み。清らかな至高の美に、思わず息を飲む。ほの暗い堂内にほんのりと浮かび上がった菩薩は、胸のあたりが呼吸しているようにも思える。美しさに胸打たれ、立ち去りがたい思いにとらわれて、寺の近くにある珈琲店に腰を落ち着けた。深く濃いほろ苦い一杯のおかげで、ようやく現世に戻ってきた心持ちになる。1300年、人間の救いをいかにせんと思惟し続けるその姿を、胸深くに刻み、斑鳩の地を後にした。古代飛鳥人の純な思いをつなぐ最古の御仏との邂逅斑鳩から程近い信貴山にある眺望の良い旅館に泊った翌日、朝早く起床し、仏教伝来の地、飛鳥を目指す。そこは日本古の都であり、様々な歴史舞台となった地である。「つぬさはふ磐余も過ぎず泊瀬山」と詠まれた古代の道、磐余の道を歩くと、大化の改新後、左大臣となった安倍倉梯麻呂が一族発祥の地に創建した安倍文殊院がある。快慶の力がみなぎる文殊菩薩像安倍文殊院奈良時代の安倍仲麻呂公や、陰陽師(おんみょうじ)として有名な安倍晴明の生誕地と伝わる寺院。平成25年に国宝に指定された渡海文殊院菩薩群像を祀る本堂の他、安倍清明に関する宝物を展示する金閣浮御堂や、特別史跡「文殊院西古墳」など見どころも多い。創建以来、ご祈祷の寺としても知られ、国宝の前で祈祷をしてもらえる。本尊の渡海文殊菩薩群像は、鎌倉時代の大仏師・快慶の作。説法のため、世界を巡る文殊菩薩が4人の脇侍を連れ、まさに雲海を渡らんとしている姿を表す。「小さな善財童子が文殊菩薩か〝これ〟と呼び止められ、〝はい?〟と振り向いて見上げる瞬間を捉えているんです」と執事の東快應さんが教えてくれた。愛らしい善財童子に後ろ髪を引かれつつ、さらに飛鳥の懐深くへ。稲穂が実をつけて、秋を迎えるのどかな田園の中に、ぽつんと飛鳥寺が建っている。ほのかに明かりが差し込む本堂で、本尊の飛鳥大仏を拝する。悠久の歴史を伝える日本最古の仏像飛鳥寺蘇我馬子の発願で創建された日本最古の本格寺院。発掘調査で当時は塔を中心に東西と北に金堂を配し、外側に回廊を巡らす壮大な伽藍だったと判明している。一塔三金堂式という当時は類いまれな様式で、大陸の最新文化が凝縮した寺でもあった。火災などで建物が焼失し、飛鳥大仏は露座の時代が続いたが、江戸期に現在の形に再建された。推古天皇や聖徳太子の発願により、鞍作鳥によって造られた最古の仏像。飛鳥彫刻らしいアーモンド形の目、筋の通った高い鼻、エキゾチックな表情は、大陸文化の影響を色濃く映す。度重なる火災に遭い、修復を重ねてきた御仏。まろやかに開かれたその瞳に苦しみの影はない。「この寺は荒廃していた時代があり、大仏様も長年、露座同然の状態でした。しかし、名もなき飛鳥人たちが何代にもわたって守ってこられたのです。連綿とつながるその尊い心を受け止めて、今、大仏様はここにおられるのではないでしょうか」と住職の植島寶照さんは話す。1400年もの間、一度もここを動かず、多くの遺跡が土に埋もれるなか、地上におわした唯一無二の御仏。この御仏の前にかつて聖徳太子も立ち、手を合わせたと思うと、時を超えた雄大なロマンを感じる。東大寺の大仏から始まった御仏を巡る旅。その締めくくりは、日本最古の都、仏教の源流の地、飛鳥に在す最古の大仏との邂逅だった。大いなる慈愛に満ちた御仏の前に、ただ、小さな、無力な一人の人間として座す。それだけで、心がふわりと軽やかになっていく不思議。天平の香り燻る御仏たちに出合い、祈り、心で触れ得た旅の終わり。今、清澄な力が体の隅々まで満ちていることを感じる。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ラスト枕 Panda Evolve Pillow肩・首に合わせて高さを調整できるPanda Evolve Pillowで、 あなたにとっての良い姿勢を見つけましょう。

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  • 本格派バーの扉を開ける

    ※本記事の内容は雑誌掲載時点の情報です。オーセンティックとは「信頼できる正統派」という意味を持つ。ちまたに酒場は数あれど、ちょっと良い酒を飲むなら腕・味・もてなしが三拍子そろったBarがいい。さらにプラスαで“雰囲気がいい”となれば最高だ。2010年以降にオープンした、比較的新しい「本格的なBar」へ今夜、一緒に特別な一杯を求めて出かけませんか?東京から1時間、海辺のバーへの小旅行Bar d【神奈川・江ノ島】2014年11月、片瀬江ノ島駅から数十歩のところに、オーセンティックなバーが誕生した。潮が香り、トビの鳴き声が聞こえる稀有なバーである。喫茶店と間違えた客が扉をたたくのも仕方ない。天気のいい日はテラスの窓を開けはなし、店内は大胆でいて落ち着いた色彩でまとめられている。ソファに身をあずけたら、もうずいぶん遠くに来てしまった気分だ。あとはバーテンダーの田辺武さんに委ねればいい。供されたのは、豊潤な甘さをたたえるワイン。一口大のブルーチーズをサンドしたドライイチジク、フォアグラとチョコが添えてある。メニューはないが、酒とスイーツのマリアージュに田辺さんの抜群のセンスが光る。どんな味わい方がよいのかたずねてみた。「自由でいいんですよ」と前置きをして、こう教えてくれた。「イチジクを口に入れて、多めに甘いワインを含んで。うつむいて目を閉じながらよく噛んでみてください」。イチジクの軽い酸味や種の食感、濃厚なブルーチーズのコク、ワインの豊かな甘みが渾然一体になる。遠くから「ピーヒョロロロロ」なんて鳴き声が。瞬間、ここが楽園になった。繁華な渋谷駅前に潜む“秘密結社”の入り口BAR CAPRICE【東京・渋谷】渋谷の名門バーで研鑽を積み、2014年11月に開店。ここでなら、惜しまれつつ幕を閉じたあのバーのカクテルにも、師匠ゆずりのもてなしにも合える。目立つ看板はない。これぞ隠れ家である。だが女性客も多く、店内は和やかなムード。時にブラックなジョークも飛ばす、バーテンダー・福島寿継さんの軽妙な話術と人柄ゆえだ。渋谷 109 ビルの「コ㆑ヒオ」、渋谷センター街の「コ㆑オス」(現在は共に閉店)。異色の場にあったオーセンティックバーで、マスターの右腕として活躍してきた。だから、「ここなら安心」という女性客が多い。福島さんが言う。「秘密結社のようでしょ。でもうちは奥様、旦那様が公認してくれるバーなんです」。華やかな夜にふさわしいチャンピオンカクテルBar 耳塚【東京・銀座】数々の大会優勝者を輩出する銀座「リトルスミス」にて18年。自身も世界大会で優勝を果たした耳塚史泰さんが2014年2月に開店。本バーテンダー協会主催の全国バーテンダー技能競技大会で総合優勝を果たしたのは、2011 年のこと。翌年には IBA ワールドカクテルチャンピオンシップで部門優勝。栄誉あるチャンピオンカクテルが飲める。「大会は華やかな舞台ですが、バーテンダーはお客様の求めに的確に忠実に応えるもの。「ストライクゾーンに球を投げるイメージです」。耳塚さんの言葉の端々には、堅実な人柄がにじみ出る。前店で着ていた真っ白なバーコートでなく、ベストを選んだのも、「気張らずフットワークよく動きたい」という心の表れである。森の香りがする空間でモルト&ラムを味わうBar 3wood【東京・浅草】2012年7月開店。前面に木を用いた空間は、森にいるような心地良さ。迷い込んだ気分になって、未知の酒にトライしてみたい。「木々が造る自然のトンネル。それがこのバーを造る時に思い浮かんだんです」と、バーテンダー・堀江景太さんは言う。無垢の木を多用し、窓からは木々の緑が望め、一歩店内に入ると気分ががらりと変わる。酒は、シングルモルトとラムが二本柱。「自宅のストックが最近減ってきちゃって」と苦笑するように、棚にはこつこつ買い集めた好きな酒を並べる。あまり見かけないラベルの希少な酒も多い。迷い込みそうになってもご安心を。目の前の頼もしいバーテンダーがアテンドしてくれる。店主が惚れ込むアイリッシュとマティーニが主役BAR K's Ave. DARA【東京・池袋】2015年5月開店。アイリッシュウイスキーを希少な銘柄も含めて常時約20種そろえ、カクテルにも心を砕く。その心とは?様々な酒を飲んでみた中で、バーテンダー・大石和広さんがたどり着いたのが、アイリッシュウイスキーだ。「ウイスキー発祥の地といわれてますし、なにより滑らかで飲みやすいんです」。一方で、「 20代はマティーニに費やした」と言うほど、マティーニを大事にしている。バーを訪ねては研究を重ねた。目指したのは、喉を滑るようでドライ感もある配合。大石さんいわく、「カクテルは作り手の数だけ味があるし、ウイスキーにはロマンがある」。ここに来たなら、ぜひその両方を味わいたい。駆けつけには喉を潤すハイボールBAR 長谷川【東京・根津】根津の静かな細道に、2015年4月開店。キレのいい氷なしのハイボールと、小腹を満たす料理でごきげんになれる。一日約200杯も出るハイボールの名店で経験を積み、自身の店を構えた。そんな前情報を知らない客も、この一杯を飲むと「おっ」となる。注ぐのにかかる時間はわずか数秒。冷凍庫でキンキンに冷やした「サントリー角」を用いるため、氷を入れずともヒンヤリ。薄まることもない。オールドファッションな店の雰囲気同様、カクテルもごくスタンダードなものを丁寧に作る。うれしいのは、サンドイッチなどの軽食があること。明るめの照明のもと、本を片手にグラスを傾けるのも至福。日常を抜け出せるエアポケット空間bar cafca.【東京・南青山】2012年11月に開店したバー。階段を下りた先は、まるで時間が止まった廃城のごとき世界。早い時間の開店で、白昼夢を見たような気分に。「自分でも時々時間の流れがわからなくなります」。バーテンダー・佐藤博和さんが話すように、日常の喧騒とは無縁の空間である。供するのは、古い時代のものや造り手の思いが込もった酒。注ぐのはバカラ、モーゼルといったグラスで、その美麗な輝きにしばしうっとりとなる。カクテルはもとより、コーヒーも美味。自家焙煎の豆をネルで一杯ずつ淹れる。コーヒーカクテルの美味しさは言わずもがな。ちょっと厭えんせい世したい時、自分の時間を取り戻したい時、エスケープできる。女性バーテンダーが作る真心のこもった一杯に時を忘れるBAR アンドレイ【京都・祇園】祇園の中心から少し離れた閑静な一角、扉を開ければ、そこにバーテンダー・今泉さんが作り出すもてなしの空間が広がる。2012 年 6 月オープン。祇園の北、ビルの 2 階にあるバー。バーテンダーの今泉麗さんがホテルなどで十数年働いた後、満を持してバーを始めた。店名は自身の名前と「&」をかけている。対となるのは酒、そして客だ。「この店で自分の時間をゆっくり過ごしてほしい。私はそれをお酒と会話でお手伝いする感じです」と今泉さん。特製のブラッディマリーはトマトを丸ごと一個使い、果肉を残した飲み応えのある一杯。秋になると柿やイチジク、ラ・フランスを使ったカクテルも登場する。和とモダンが融合する町屋のバーで甘いひとときをWINE & SHOT BAR The door,, 高倉店【京都・四条】京都の伝統的な町屋を活かした落ち着いた雰囲気の和空間では、非日常の格別な時間を過ごすことができる。2010 年に四条高倉の町屋を改装しオープン。一枚板のカウンターは 9 席用意され、そこから見える坪庭など落ち着いた和の魅力が広がる。1751年から続く日本を代表する造園「植治」の小川勝章氏が手がけた庭を眺めながら飲む酒は格別だ。また、2 階にはテーブル席があり個室も 5 部屋用意。ソムリエの溝口達也さんは「バーテンダーと私とシェフで、ホテルバーに引けを取らないおもてなしを提案しています」と語る。デザート感覚で味わえるフ㆑ッシュフルーツのカクテルは絶品。スコッチウイスキーに酔いしれる秋の夜BARPARKMORE【大阪・北新地】「ウイスキーに対する間口を広げたい」気軽に酒のことを教えてくれる、気さくな店主と酒談義に華を咲かせるもまたよし。賑やかな北新地の繁華街にある隠れ家的バー。店内には店主・高谷幸次さんが集めたスコッチウイスキーがズラリと並ぶ。その数はスタンダードから㆑アなものまで約300本に上る。元はトラック運転手だったという高谷さんは、その頃からスコッチウイスキーの大ファン。酒の味と歴史を知るほどに、その奥深さに魅せられて2002年、ついにバーをオープンした。現在は当地に移転して 3 年の月日が流れ、今宵もスコッチファンが店のドアを叩く。しかし高谷さんいわく「ハードルを高くしたくはないんです。一人で、あるいは恋人と気軽に飲みに来てほしい」。その言葉通り、高谷さんは客によって飲みやすい酒を提供するなど配慮を怠らない。スコッチ初心者であっても気兼ねすることなく時間を過ごせるアットホームな雰囲気も店の魅力となっている。シェリー樽の匂いが香る上質の一杯を味わいながら、自分の時間に浸る。あるいは客同士で好きなスコッチの話で盛り上がるのも一興だ。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓メタルカードウォレット JUSTE CHIRONスキミングが防止でき、ICカードがそのまま使える。創業50年、滋賀県草津市の金属加工メーカーが本気で作ったメタルカードウォレット。詳しくはバナーをクリック↓折燕 ORI-EN 二重タンブラー 260ml 310ml 全3色保温保冷に優れた二重構造、唯一無二のデザイン。

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  • 大注目の国産地ウイスキー

    ※本記事の内容は雑誌掲載時点の情報です。2014年後半に放送されたNHK連続テレビ小説「マッサン」。ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝と妻・リタの物語だ。その影響で空前のウイスキー・ブームに沸いてから早1年。現在のジャパニーズウイスキーの「トレンド」を探る。ウイスキーファンを魅了する地ウイスキーとはNHK連続テレビ小説「マッサン」の影響や、近年のハイボール人気に後押しされ、ジャパニーズウイスキーの評価の高さが広く知られるようになった。そんな中、地方の酒造メーカーが造る"地ウイスキー"が今とても元気なのである。地ウイスキーの歴史は古く、福島県の笹の川酒造は昭和21年(1946)にウイスキーの製造免許を取得している。また鹿児島県に本社を置く本坊酒造は、戦後間もない昭和24年(1949)からマルスウイスキーの製造を開始した。その後、昭和60年(1985)には長野県伊那郡に信州マルス蒸留所を竣工し、中央アルプスの水を活かしたウイスキー製造を開始した。そして近年、世界中のウイスキーファンが注目しているのが、埼玉県秩父に蒸溜所を構えるベンチャーウイスキーだ。平成16年(2004)の創業で、酒造メーカーとしては若く規模も小さい会社である。しかし、この小規模蒸溜所から生み出される「イチローズモルト」は、サントリーの「山崎」や、ニッカウヰスキーの「竹鶴」と並び世界的な賞を数々と受賞。世界五大ウイスキーと称されるジャパニーズウイスキーのブランド力を担う一翼である。ウイスキーはその製造の難しさや貯蔵に要する年月から、酒造免許を取得していても商品化を諦める酒造メーカーが多かった。日本酒や焼酎といった繊細な酒造りを得意とする日本人。その職人たちや、日本人ブレンダーが手がけるウイスキーへの期待感は高まっている。そうした機運の高まりが後押しする形で蒸溜所を開設する動きが活発化している。輸入販売業のガイアフロー社が静岡市玉川地区に「静岡蒸溜所」を開設。2016年春の稼働開始を目指す。また同じく2016年秋の蒸溜開始を目指し、北海道厚岸町には堅展実業が「厚あっけし岸蒸溜所」を開設する予定である。早ければ2019年頃には、今までにない"新たな地ウイスキー"を味わえることだろう。世界に誇る、ジャパニーズウイスキーの歴史明治12年(1879) サントリーの創業、鳥井信治郎誕生。明治32年(1899) 鳥井信治郎(当時20歳)「鳥井商店」を創業。輸入ワインや缶詰を取り扱うが、商売はなかなか軌道に乗らず。明治39年(1906) 「寿屋(ことぶきや)」に社名を変更。明治40年(1907) 甘味料や香料をブレンドした甘味葡萄酒「赤玉ポートワイン」が誕生、人気となる。大正7年(1918) 寿屋の従業員・竹鶴政孝がウイスキー造りを学ぶため、スコットランドへ留学。大正12年(1923) 日本初のウイスキー蒸溜所「山崎蒸溜所」の建設が開始される。竹鶴政孝が設計を担当。昭和4年(1929) 初の国産ウイスキー「サントリー白札」の販売を開始。「焦げ臭くて飲めない」と評判は良くなかった。昭和5年(1930) 「サントリーウイスキー赤札」発売。昭和9年(1934) アメリカへサントリーウイスキーを初輸出。竹鶴政孝が「大日本果汁」を設立。北海道余市に「余市蒸溜所」を開設。昭和12年(1937) 「サントリーウイスキー角瓶」発売。脇田酒造が「東洋醸造」と社名変更し「トミーウイスキー」を発売。昭和13年(1938) ニッカアップルワインが発売開始。昭和15年(1940) 大日本果汁が「ニッカウヰスキー」「ニッカブランデー」第1号をそれぞれ発売。昭和20年(1945) 東洋醸造「45ウイスキー」発売。昭和21年(1946) 寿屋から「トリスウイスキー」、大黒葡萄酒からは「オーシャンウイスキー」が発売される。昭和27年(1952) 大日本果汁が「ニッカウヰスキー株式会社」へ社名変更。昭和30年(1955) 大黒葡萄酒が軽井沢蒸溜所を開設。昭和31年(1956) ブラックニッカ(特級)が誕生。昭和38年(1963) 寿屋が「サントリー株式会社」へ社名変更。昭和44年(1969) ニッカウヰスキーの宮城峡蒸留所が始動。昭和48年(1973) サントリーが白州蒸溜所での製造を開始。昭和49年(1974) キリン・シーグラムが富士御殿場蒸溜所で第一号となるウイスキー「ロバート・ブラウン」を発売。昭和59年(1984) サントリー「シングルモルトウイスキー山崎」が誕生。平成元年(1989) ニッカより「シングルモルト余市」「シングルモルト仙台宮城峡」が発売される。平成13年(2001) ニッカがアサヒビール株式会社と営業統合。「シングルカスク余市10年」が「BEST OF THEBEST 2001」で最高得点を獲得。平成16年(2004) 東亜酒造のウイスキー原酒を守った肥土(あくと)伊知郎によりベンチャーウイスキーが設立。埼玉県秩父市にて秩父蒸溜所が始動。平成19年(2007) WWA2007で「竹鶴21年ピュアモルト」がブレンデットモルトウイスキー部門で世界最高賞。平成17年(2005) キリンウイスキー「富士山麓シングルモルト18年」を発売。平成22年(2010) サントリーは「アイコンズ オブ ウイスキー 2010」の世界部門で、ウイスキー ディスティラー オブ ザ イヤーを受賞。日本企業として初の快挙。地方の多彩さを味わう日本各地の地ウイスキーカタログジャパニーズウイスキーは大手メーカーのものだけではない。それぞれ、製造する土地の気候や特徴を活かし、今日も造られている地ウイスキー。広く一般的には知られていないかも知れないが、これからのトレンドとして知っておきたい地ウイスキーの銘柄と、酒造メーカーについてここでは紹介したい。多くのメーカーはウイスキー以外に、日本酒や焼酎などの製造も手がける。一升瓶に詰められていたり、地の利や所有する設備を活かし商品化される個性豊かなウイスキーたち。これをきっかけに、気になる1本をぜひ見つけてほしい。イチローズモルト&グレーン ホワイトラベル秩父ブレンデットウイスキー 3780 円( 700ml )秩父蒸溜所の貯蔵庫で熟成された原酒をブ㆑ンド。華やかで柑橘系の果物を感じる仕上がりとなっている。イチローズモルトMWR(ミズナラウッドリザーブ)6480 円( 700ml )羽生蒸留所の原酒を中心に数種類のモルトをブ㆑ンドし、ミズナラ樽で再熟成した人気商品。最初の口当たりは奥深い甘みが特徴だが、次第に複雑な味わいとピート感が口の中に広がる。ホワイトオークレッド 2060 円( 1800ml )オーク樽で3年以上貯蔵熟成させた原酒を使用。価格の安さが魅力的でもある。ウッディなピートと、スト㆑ートなアルコールを感じさせる。ハイボールで味わうとより一層楽しめる。ホワイトオーク 地ウイスキーあかし 1180 円( 500ml )英国産麦芽を 100% 使用したスコッチタイプのブ㆑ンデッドウイスキー。淡麗でやや辛口な味わいは、ロックやハイボールによく合う。すっきりとした飲みやすさと後味が特徴だ。サンシャイン・ウイスキー2376 円( 1800ml )20 年以上蔵に眠っていた原酒を使用したブ㆑ンデッドウイスキー。度数は 37度と控えめながらハイボールで味わうと昔懐かしい、昭和期に親しんだ風味を感じることができる。ザ リバイバル 2011シングルモルト駒ヶ岳1 万800 円( 700ml )1992年から蒸留を休止していたが2011年、19年ぶりに再開した。以来、バーボン樽で 3年間熟成させたモルト原酒は若々しく甘い香りで、新時代の幕開けを期待させる仕上がり。ツイン アルプス1580 円( 750ml )蒸留所を取り囲む中央アルプスと南アルプスをデザインしたボトル。ナッツのような風味と、ウッディ香が特徴的なブ㆑ンデッドウイスキー。ロックにするとコクと甘みが際立つ。岩井トラディション※岩井の会限定1762 円( 750ml )ジャパニーズウイスキー創生の一翼を担った岩井喜一郎氏の姓を冠する。岩井氏設計のポットスティルで蒸留した原酒をベースとし、上品な口当たりと柔らかさを味わうことができる。マルス モルテージ 越百モルトセレクション4536 円( 700ml  )ハチミツやキャラメルを連想させる甘い香りと、ほのかに感じるスモーキーフ㆑ーバー。口当たりは丸く優しい余韻を残す。中央アルプス「越百山」から越百(コスモ)と名付けられた。チェリーウィスキーEX1188 円( 500ml )中央のチェリーウイスキーよりも原酒の混和率が高い、旧一級規格のブ㆑ンデッドウイスキー。スコッチに似た風味も感じられ、ほのかな甘さはスト㆑ートで味わうとより際立つ。ヤマザクラ2268 円( 700ml )チェリーウイスキーの後継商品として開発された。柔らかな口当たりだが、ピート香がしっかりと感じられる。後から青リンゴの香りがついてくる、独自ブ㆑ンドらしい複雑な味わい。チェリーウイスキー2700 円( 1800ml )1.8 リットルの一升瓶サイズ。旧二級規格で、手軽に楽しめる値段が嬉しい。ライトでスムーズな口当たりで日常的に愉しむにはちょうど良い。稀少なため見つけたら即買いしたい。ピークウイスキーオープン価格( 720ml )昭和 50 年代から 60 年代にかけて一世を風靡した銘柄のスペシャルタイプ。シェリー樽で熟成したモルトを使用しブ㆑ンド。ほのかに香るシェリーとまろやかな旨味が格別である。地ウイスキーを心ゆくまで愉しみたい疲れて帰宅した夜は、自宅でじっくりと心ゆくまで地ウイスキーを味わいたい。それぞれ銘柄の特徴を活かし、自分の好みに合わせて飲み方を変更できるのがウイスキーの面白いところ。一般的な飲み方としてストレート、ロック、ハイボールなどが広く知られている。ベーシックな飲み方もいいが、炭酸ではなくジンジャーエールやコーラで割ると普段とは違うテイストのハイボールが愉しめる。他にもロックが好みならばメイプルシロップを少量垂らしてみると、ほのかに甘みが加わり思いのほか愉しめるだろう。寒い夜ならば温かい紅茶に混ぜ、ゆっくり飲めば心も体も芯から温まる。これからの季節に向け、自宅で楽しむ地ウイスキー。自分好みにアレンジして愉しんでみたい。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓R.O.C.K.S.溶けない氷 魔法の天然石ROCKS 天然石アイスキューブ輝く美しい天然石で瞬間的な冷却を行い、キンキンに冷えたドリンクがすぐに出来上がり。冷たさをキープしたまま、味を薄めることなくドリンクを楽しめます。詳しくはバナーをクリック↓伊賀焼 あぶり名人あぶりながら、焼きながら、余分な脂をカットしてくれ、食材の一番うまい食べごろを逃さず味わう喜びをご堪能下さい。

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  • 紅葉の不思議 人と差が付く豆知識

    色彩豊かに山々を染め上げる日本の紅葉。その姿の美しさは外国人からも人気を得ている。そんな紅葉にまつわる豆知識を紹介しよう。いつから紅葉(こうよう)は愛されて誰が紅葉(もみじ)と名付けたの?日本の四季。それぞれの季節を代表する光景を思い浮かべてみる。パッと咲いて儚く散る桜。競い合うように鳴くセミの声。山々を赤く染める紅葉。しんしんと降り積もる雪。南北に長い列島は、南から桜が舞い始め、北から紅葉が色づき始める。いま日本列島では、カエデを中心とした木々たちが、紅や黄色に山を染め始めているのである。ところで紅葉には「こうよう」と「もみじ」のふたつの読み方がある。その違いをご存知だろうか。一般的に「こうよう」は冬に備えて落葉する前に、紅や黄色に葉の色が変わることを指す。これに対して「もみじ」は「こうよう」の状態の中でも、ひときわ紅く染まったカエデ科の樹木を総称する言葉である。ちなみに植物の分類上、モミジという科や属は存在しない。モミジと呼ばれる木は全てカエデ科に属する。ただ、園芸や盆栽の世界では、葉の切れ込みの数や具合によって区別するため、葉が5つ以上に切れ込み、子供の手のような形状のものを「モミジ」と呼び、切れ込みが3つのものを「カエデ」と呼んだりする。また「もみじ」の語源を紐解くと、紅や黄色の草木の葉が変化していくさまを「もみつ」と呼んでいたことから始まる。この連用形で名詞化したものが「もみち」。やがて平安時代に入ると「もみぢ」と濁音化されていった。そもそも紅葉する落葉広葉樹は、北半球の温帯地域にしか存在しないといわれている。東アジアや一部のヨーロッパ、北アメリカ東部やカナダなどで紅葉が見られるが、ほとんどの地域はイチョウなどの葉が黄色に色づく黄葉がメインだ。現在、日本には26種のカエデ科に属する樹木が存在しており、世界のどの地域よりも多い。それらの樹木がそれぞれに、赤や黄色、オレンジ色に葉を染めていき、混じり合った色彩は日本独自の美しさを形成する。そんな日本で紅葉が愛でられるようになったきっかけは、平安時代初期にさかのぼる。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した藤原定家がまとめた小倉百人一首は、恋の歌が43首と最多であるが、四季について歌った句は32首存在している。その中で紅葉について歌った句は6首。その6首を残した中で最も古い時代に生きたとされる歌人・猿丸太夫は、生没年が不詳ながら平安時代初期に『古今和歌集』が選ばれた際には、すでにその存在が述べられていることから、少なくとも平安時代初期より前に生きた人物だとされている。なお、中国からの影響が大きった奈良時代、『万葉集』に歌われた黄葉の歌は100首を超えている。このことから、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本独自に自生するカエデ科の樹木が、紅く色づく姿が、やがて〝紅葉〞と呼ばれ、愛されていったことがわかるのだ。教えて紅葉のメカニズム一般的に紅葉は一日の最低気温が8℃以下の日が続くと色づき始め、5℃以下で一気に進行するといわれている。木は気温が低下すると、根から水分を吸い上げる力が弱まり冬の間、満足に水分補給ができなくなる。そのため外に水分を放出する葉を落とし、幹の水分バランスを図るのだ。葉と幹の間で栄養素の交流がなくなると、葉では光合成が行われず葉緑体が分解される。このため緑色に見えていた色素が失われ、その際、葉に残された色素がその樹木の紅葉の色となる。イチョウなど黄葉する木なら、緑黄色野菜にも含まれるβ─カロチンの黄色い色素だけが残り、カエデのように紅く染まる植物の場合は、葉の老化で糖とアミノ酸を分泌し、紅色の色素・アントシアンを合成。最後に葉に残る色素は合成された紅色となるのである。いくつ知ってる?紅葉を表す美しい言葉知っていると洒落者知っていると洒落者!?ちょっと〝粋〞な紅葉の表現を知るうすもみじ【薄紅葉】仲秋緑色が残った、淡い色の紅葉。紅葉のはしり、秋の始まりを表現する言葉。深い紅の冬紅葉とは違う趣を持つ。かきもみじ【柿紅葉】晩秋柿の葉が紅葉し、本来の緑色に紅や黄色、茶色など様々な色が入り混じった状態の美しいさまを表現する。かしわもみじ【柏黄葉】晩秋カシワの葉の色づき。黄色から褐色に変化する。艶やかさはないが木が大きいため、紅葉山に彩りを添える。こうらく【黄落】晩秋広葉樹が黄色く色づき、落ちる姿。ケヤキやクヌギ、イチョウなど。太陽の光を浴び、落葉するさまの美しさ。はつもみじ【初紅葉】仲秋いち早く紅葉し秋の訪れを告げるもの。ナナカマドなどを指す。カエデはこれよりずっと遅れて紅葉が始まる。ははそもみじ【柞紅葉】晩秋ブナ科コナラ属の紅葉の総称。高さ15〜20mほどの雑木で、コナラ、クヌギ、オオナラなどを表現する言葉。ふゆもみじ【冬紅葉】初冬周りが枯れ始める中の紅葉。また、冬になってから色が際立つ、庭園や寺社などの紅葉を指すこともある。百人一首に登場する〝紅葉〞の歌日本人にとって最も身近なカルタ小倉百人一首から秋の歌を知る第5番 猿丸太夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)奥山に もみぢふみわけ なく鹿の声きくときぞ 秋はかなしき人里離れた山奥で紅葉を踏みながら鳴く鹿の声を聞くと秋がさらに寂しく感じる。----------------------------------第17番 在原業平(ありわらのなりひら)古今集 四季(秋)ちはやぶる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは不思議な事が多い神代でも、聞いたことがない。紅葉が竜田川を真紅に染めるとは。----------------------------------第24番 菅家(かんけ)古今集 羈旅このたびは 幣もとりあへず 手向山紅葉の錦 神のまにまにこの旅はお供えの用意がない。手向山の美しい紅葉を神の御心のままお受け下さい。----------------------------------第26番 貞信公(ていしんこう)拾遺集 雑小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば今ひとたびの みゆき待たなむ小倉山の紅葉よ。もしお前に心があるなら再び天皇の行幸まで散らずにそのままで。----------------------------------第32番 春道列樹(はるみちのつらき)古今集 四季(秋)山川に 風のかけたる しがらみは流れもあへぬ 紅葉なりけり山を流れる川の流れを止めた柵。よく見ると流れずに溜まった紅葉の葉だったのだ。----------------------------------第69番 猿丸大夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は竜田の川の 錦なりけり激しい風に散らされた三室山の紅葉。竜田川に散り水面を錦のように鮮やかに彩る。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓川根薪火三十年番茶&川根薪火三年番茶長期間放置された茶畑から新たな可能性が生まれる。自然にも人にもやさしい健康茶。詳しくはバナーをクリック↓冒険用品 ヨコザワテッパン ポケットヨコザワテッパン × 男の隠れ家小さくても万能なテッパン、元祖が作り上げた、これがもうひとつの究極。このサイズならではの使い勝手を追求した、小さな小さなアウトドアテッパン。

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  • 後世に残したい風景 。ニッポン紅葉遺産。

    ※当記事の内容は雑誌掲載時の情報です。世界遺産の日本の寺社や自然も秋になると紅葉に色づく。多様な生物を支える原生林、信仰の山や寺社など日本の〝紅葉遺産〞を後世にー自然と人の営みが生む景観風景が最も輝く紅葉の季節今年7月に登録された国立西洋美術館が加わり、ユネスコ世界遺産に登録されている日本の自然遺産、文化遺産は20カ所になった。このうち自然遺産は4カ所で、意外に少ない。一方、16カ所の文化遺産のなかには「文化的な景観」がキーワードとなっているものが多い。「文化的景観」とは「自然と人の営みが、長い年月を経て作り出した景観」という意味であり、日本を特徴づけるものだ。山や森を背景に造られた寺社や、幾世代にもわたって作り続けられてきた田畑と民家。日本のこうした景観が、世界から評価されている。紅葉の季節は日本の風景が最も輝く季節であり、世界屈指の美しさを持つ。日本の世界遺産から、紅葉が特に美しい文化遺産と自然遺産7カ所を〝紅葉遺産〟としてここで紹介しよう。日光 栃木県 10月下旬〜11月下旬1999年に東照宮など二社一寺の建物群が周辺の自然環境とともに形成する文化的景観が世界文化遺産に登録された。世界遺産の建物を紅葉が彩る見頃は11月だが、日光連山を背景にした紅葉が素晴らしい中禅寺湖周辺など奥日光の紅葉は10月が見頃。にっこう栃木県日光市中宮祠(中禅寺湖)アクセス/JR「日光駅」より中禅寺温泉東武バス行き東武バスで45分「中禅寺温泉」下車、徒歩3分清水寺 京都府 1月中旬〜12月上旬清水寺は平安京遷都以前からの歴史を持つ京都では数少ない寺院。1994年に「古都京都の文化財」を構成する17寺社のひとつとして、世界文化遺産に登録された。秋になると清水の舞台から見下ろす錦雲渓と呼ばれる渓谷の木々が、真っ赤に染まる。きよみずでら京都府京都市東山区清水1-294東山通北大路バスターミナル行き京都市交通局(市バス)で15分「五条坂」下車、徒歩10分吉野山 奈良県 11月上旬〜下旬野山は古代からの伝承や史実に彩られた大峰山から熊野三山に続く山岳霊場の北端に位置し、「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年に世界文化遺産に登録。春は全山、桜が満開となる桜の名所だが、秋にはその桜がカエデとともに美しく紅葉する。よしのやま奈良県吉野郡吉野町吉野山アクセス/近鉄「吉野駅」よりロープウェイで3分白川郷 岐阜県 10月中旬〜11月中旬急勾配の茅葺き屋根を持つ伝統的な民家である合掌造りで知られる白川郷は、1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録された。秋は白川郷周囲の山々の木々が黄や赤の紅葉で染まり、合掌造りの民家を引き立てる。しらかわごう岐阜県大野郡白川村荻町 アクセス/JR「高山駅」よりクルマで50分知床 北海道 10月上旬〜10月中旬知床は羅臼岳など1200~1600mの山々が連なるオホーツク海に飛び出た半島。流氷が育む海から山につながる生物の生態系と種の多様性から2005年に世界自然遺産に。原生林の紅葉を静寂な湖面に映す知床五湖と紅葉の眺めはまさに絶景だ。しれとこ北海道斜里郡斜里町 アクセス/「女満別空港」よりクルマで2時間20分白神山地 青森県 10月中旬〜11月下旬白神山地は秋田と青森にまたがるブナの原生林。多種多様な動植物が育まれ、貴重な生態系が保たれていることから、1993年、山地の中心部の約1万7000haが世界自然遺産へ。10月中旬から下旬にかけてブナ、カエデ、ヤマモミジなどが美しい。しらかみさんち青森県中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添417アクセス/JR「弘前駅」よりクルマで約1時間富士山 山梨県 10月下旬〜11月下旬富士山は古代より信仰され、広く日本の芸術文化の対象となってきた。これが評価され、2013年に世界文化遺産に登録。山麓のカラマツ、ナナカマドなどの木々は9月上旬から色づき、10月上旬から下旬の見頃には、富士山はうっすらと雪化粧する。ふじさん山梨県南都留郡鳴沢村8527 アクセス/富士急行線「河口湖駅」より本栖湖方面に富士急山梨バスで約25分「紅葉台入口」下車、徒歩30分----------------------------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓伊賀焼 「いぶしぎん」 全2種作り手は真の使い手であれ!という精神の元作られた「いぶしぎん」のおうちで楽しむ燻製土鍋。約30分で本格燻製の出来上がり。伊賀焼の伝統を守りながら現代のライフスタイルでもお使い頂ける商品を提供しています。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • Lake and Canoe CAMP -やってみません?ソロキャンプ-

    船でしか行けない極上のサイトで、水上散歩と脱俗を存分に堪能する。ソロキャンプの魅力は、何もしないで自然に身を任せることだ。しかし時には刺激的なアクティビティをプラスするのも悪くない。そんな贅沢な時間を味わえる湖畔のサイトへ出かける。非日常の空間に身を置ける湖畔のキャンプサイトへ東京からほど近いレジャースポット・神奈川県相模湖に、船でしか行くことのできないキャンプ場があることを、キャンプ好きの知人から知らされた。しかも現地ではカヌースクールも開かれているらしい。最近はすっかりカヌーから遠ざかっていたから、ここでキャンプ&カヌーと共に楽しめれば、ちょうどいいリハビリになるだろう。この非日常空間は、もともとは子どもたちのためのキャンプ場という性格が強い素朴さも魅力。ということでキャンプ道具を車に放り込み、すぐさま相模湖へ進路をとった。地図を見ると、目指す「相模湖みの石滝キャンプ場」(神奈川県相模原市)は、相模湖の南東奥、石老山の尾根が落ち込んだ付近に位置している。そこは相模湖の一番奥まった入江といっても過言ではなく、よほどの荒天にでもならない限り、静かな湖水が迎えてくれるはず。とにかく、船でしか渡れないので、持っていく道具や食材はコンパクトにまとめる必要がある。そこで今回はサムソナイト・ジャパンのグレゴリーザックにテントやテーブル&チェアといった大物を詰め込み、食材保管用にはソフトクーラーバッグを活用する。そして食材はなるべく現地の農協直売所で購入し、荷物で身動きが取れなくならないように注意した。ただし、全天候で役立つタープだけは必携アイテムである。キャンプ場に渡るための船着場は、相模湖の北東岸にある神奈川県立相模湖公園の西側にある「ヤマグチボート」。その佇まいは50年代のアメリカのボートハウスを真似た日本のビーチハウス、といった雰囲気だ。責任者の木内さんと談笑していると、迎えの船が近づいてきた。胸を躍らせつつ船上の人となったのである。山道散策やカヌー体験などアクティビティも充実船で湖上を渡ること約10分。船はカヌーやカヤックがズラリと並んだ桟橋に接岸する。桟橋の目の前は広場になっていて、一段高い場所にある建物が売店を兼ねた受付だ。まずはここでチェックイン。繁忙期以外はテントを張る場所を選ぶことができる。せっかくなのでこの畔、桟橋を渡ったすぐの広場にニーモのテント「ギャラクシーストーム」を張ることにした。サイトの準備が完了したところで、まずは周辺を散策してみる。サイトからキャンプ場の名前にもなった「みの石滝」への山道が続いている。なかなかの急坂を登ること15分、岩肌をどうどうと音を立てて流れ落ちる2段の滝が現れた。その前に立つと、心身共に洗われたような気分になる。そしてこのキャンプ場の大きな魅力が、本格的なカヌースクールを開催していることだ。小学生から大人まで、2時間の基本プログラムが組まれる。インストラクターを務める山口英治さんは先ほど渡船を操船した方で、キャンプ場のオーナーでもある。もちろん、ひとたびカナディアンカヌーで水上に出れば、見事なパドリングを披露してくれる。キャンプ場では船が日常生活の必需品であるため、独特のパドルワークが確立していったという。特に桟橋からカヌーに乗り降りするため、細やかな船のコントロールに長けたパドリングに特化している。カヌーの船内を濡らさないという、みの石の美学も脱帽ものだ。クールはカナディアンカヌーだけでなくシットオンタイプのカヤック、さらにはレーシング艇の体験も可能。1日体験コースも用意されている。経験者なので楽勝と思っていた私だが、山口さんの前では情けない限りのパドリング。それでも流れもなく、入江の奥なので風や波の影響もほとんどない最高のロケーションで漕いでいるうちに、少しは勘が戻り、水上散歩を心ゆくまで楽しんだ。男ひとりのキャンプの夜は手抜き料理に尽きるカヌーを存分に堪能した後、夕食の準備のためにまずは火をおこす準備に取りかかる。用意したのは焚き火を最大限に活用できるコンパクトな調理台「笑'sB‐6君」である。これはポケットサイズの焚き火台なので、ザックの中に余裕で忍ばせておけるのだ。そしてこのキャンプ場で販売されている薪は、炊事用のものと焚き火用の太めのものがある。コンパクトな焚き火台でも、薪を上手に組み合わせることで、火を長時間キープすることができるのだ。それに重かったが大小のスキレットを準備し、メイン料理は地元野菜とサーモンの切り身を使った、和風サーモン&野菜グリルを作ることにした。和風というのは、味付けにしょう油と塩昆布、煎りゴマを使っているから。スキレットはフタを活用すれば余熱で調理することもでき、大変便利である。作り方はいたってシンプル。適当な大きさに切った食材をスキレットに並べ、塩コショウを振ったらオリーブオイルをかけ回す。それを焚き火台の上に載せる。最後に味付けのしょう油、塩昆布、すりゴマを加えるだけだ。それだけでは寂しいので、ベーコンの塊を串に刺し、火で炙っただけのワイルドな一品と、3枚のミニスキレットで椎茸バター、茄子チーズ、ジャガイモのマヨネーズソテーを作った。全てオヤジが好きな夜のおつまみ系ばかりだ。どれもざっくりと火にかけ、食材に軽く火通ったらフタをして余熱で仕上げるだけという、ものぐさ料理の代表格と言える。人里離れた湖畔のキャンプ場では、夜になると聞こえてくるのは岸辺に打ち寄せるさざ波の音と、虫の声だけ。時おり焚き火が爆ぜるのが、心地良いアクセント。楽しみながら用意した肴を口に運びつつ、ひとり至福の夜を味わう。焚き火台の炎を眺めているだけで、いつの間にか夜が更けてしまった。じっくりと時間をかけて燃やした薪は、もうほとんど残っていない。これならば、明日の片付けで手間取ることはないはず。のんびりとコーヒーを楽しむこともできるはずだ。そんな最高の夜を提供してくれたキャンプ場に感謝しつつ、心地良い眠りに就いた。※当記事の情報は雑誌掲載時のものです。Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓Muthos Homura ブッシュクラフトナイフ プロミネンス 焚火作業に特化した左右非対称の刃(直刃+蛤刃)の本格ブッシュクラフトナイフです。バトニング、フェザリング、料理にも万能な5.5mmの極厚ブレードをもつ唯一無二のナイフ。詳しくはバナーをクリック↓1.0L トリップケトル日本の湯沸かし器の代名詞である「急須」からインスピレーションを受けたノスタルジックなデザインのケトル。

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  • 本当に美味しい日本茶を知る

    平安時代より続く奥深い日本茶の世界日本茶とひと言で表しても、その種類は実に様々だ。緑茶はもちろん、茶葉が日本で作られていれば烏龍茶や紅茶もこれに該当する。歴史も古い。喫茶文化は平安時代から日本人の愉しみのひとつだった。そんな日本茶の最大の魅力は、美味しさと奥深さであろう。旨味とまろやかさを併せもつ玉露、甘みと渋みのバランスが絶妙な普通煎茶、独特の香ばしさがあるほうじ茶や玄米茶。摘まれて加工されてもなお、お湯を注ぐことで味と香りが生まれるのである。奥深さでいうなら、同じ茶葉で淹れても、一番茶と二番茶と三番茶では味が全く変わる。湯の温度や抽出時間、注ぎ方によっても同じことがいえる。知れば知るほど奥妙な日本茶の世界。その魅力についてご紹介しよう。基礎知識1:日本茶の歴史とは中国から3度にわたり伝わった茶の文化。大きく3つの時代に分類できる茶の伝来の歴史を一つひとつを簡単に説明しよう。江戸時代・日本茶の代表「煎茶」が登場中国の明から「煎茶」が伝わったのは1650年頃の江戸時代。齢60を過ぎた禅僧・柴山元昭が煎茶を売る「売茶翁(ばいさおう)」となる。その活動は当時の人々の共感を呼び、全国に煎茶の文化が広まった。鎌倉時代・仙薬として崇められた「抹茶」鎌倉時代の1200年頃、中国の宋で臨済禅を学び帰国後に臨済宗を開祖した栄西が「抹茶」を日本へもたらす。その栄西が茶の薬用効果に注目して著した、日本で最初の茶の書が『喫茶養生記』である。平安時代・中国から伝わる喫茶文化新芽を乾燥し粉末状にして煮る「団茶」の一種が、800年頃日本に初めて伝わった茶とされている。唐の文人・陸羽(りくう)が著した世界最古の茶の書『茶経』には、それと似た製茶法も記されている。基礎知識2:日本茶の種類を知ろうひとくくりに日本茶といっても多種多様である。そのなかでも代表的な茶を12種類挙げてみた。普通煎茶:日本茶を代表する茶。新芽を蒸して揉み乾燥させたもので、甘みや渋みのバランスの良さが特徴。深蒸し煎茶:普通煎茶よりも蒸す時間を長くしたもの。香りは弱まるが、味が濃くなるうえ、甘みも強くなる。玉露:旨味が詰まった高級茶。直射日光を遮断することで、旨味成分のアミノ酸を増加させている。抹茶:玉露と同様に栽培した葉を揉まずに乾燥させ、石臼で挽いて微粉末にする。まろやかな甘みが特徴。番茶:硬くなった新芽や茎などを原料にした茶。アミノ酸やカフェインが少なくすっきりした味わい。ほうじ茶:下級煎茶や番茶や茎茶を強火で焙(ほう)じた茶。香ばしさが強く、脂っこい食事の後などにお勧め。玄米茶:煎茶や番茶の葉に炒った玄米を混ぜたもの。あっさりとしたうえに米の香ばしさが広がる。茎茶:煎茶や玉露などの仕上げで除かれた茎で作られる。爽やかな香りの中にほんのりとした甘みもある。玉緑茶:普通煎茶のひとつに分類され、主に九州や静岡で作られる。渋みが少なく、さっぱりとした味。烏龍茶:茶葉の発酵を途中で加熱して止めている。微量ながら国内でも生産している。独特の香りが特徴。紅茶:茶葉を完全発酵させた茶。国産のものは苦みや渋みが少なく、甘くてマイルドなものが多い。プーアル茶:茶葉を蒸してから揉み、微生物をつけて発酵させたもの。酸味のある香りでまろやかな味わい。基礎知識3:普通煎茶の作り方を学ぶ茶はどのような工程を経て飲まれているのか。知っているようで知らないお茶の作り方を紹介しよう。基礎知識4:生産者たちから学ぶ 日本茶のこだわり日本全国に数多ある茶園の中から、江戸時代より代々続く茶園にお茶作りの魅力を聞いてみた。上嶋爽禄園 上嶋伯協さん最適な環境に甘んじず常に美味しさを求める江戸時代より約300年にわたって「和束茶」(宇治茶)を生産。五代目の上嶋伯協(のりやす)さんは、急峻な山々に囲まれた和束町がお茶作りの環境に適していると言う。「ここの土地は『茶源郷』と呼ばれています。豊かな自然をはじめ、冷涼な気候や昼夜の寒暖差、通気性に優れた土壌など、美味しいお茶が育つ条件を満たしているのです」そんな理想的な場所に環境に優しい有機肥料を撒いたり、柔らかい生葉を揉みすぎて旨味を逃さないようさらなる工夫を凝らしている。妥協を許さない徹底したお茶作りの矜持は、旨味や甘みや渋みとなって多くの人に伝わっていることだろう。天空の里 上ヶ流茶 内藤敬司さん天空の茶畑で摘まれた最高級の一番茶阜県揖斐川町に「日本のマチュピチュ」と呼ばれる茶畑がある。そこで安政4年(1857)から代々茶園を経営している内藤敬司さん。無農薬にこだわった自然栽培の茶畑のみずみずしさに圧倒される。「私たちの特長は最高品質の一番茶しか摘採しないことです」そう、笑顔で話す内藤さんのお茶作りは丁寧のひと言。仕上げまで最小限の機械しか使わず、お茶という命と真剣に向き合う姿は日本茶の真髄に通じるものがあった。基礎知識5:日本茶がもっと美味しくなる急須急須は土地や陶芸家によって形も値段も千差万別だ。だからこそ自分だけの特別な物と出合いたい。白磁【はくじ】 深蒸し茶の旨味を引き出し、目詰まりしにくい急須。モダンな白磁の色合いが美しい。窯変【ようへん】伝統工芸士に認定された陶芸家のろくろ手挽き。「帯アミ」を装着しており、深蒸し茶に最適。尾垂【おだれ】三重県四日市市の「土」にこだわった、精緻で美しい作品。道具としての完成度も高い。東京深むし急須 網部分を外すことで、洗浄が難しい注ぎ口部分を丸ごと洗える。交換用の網も付属。北斎【ほくさい】茶器本来の機能を備えた急須。裏側には、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が描かれている。基礎知識6:美味しい日本茶の淹れ方~普通煎茶、玉露、冷茶編~お湯の適温や抽出時間など、日本茶は種類によって美味しい淹れ方が大きく異なる。ここではその一例を簡単にレクチャーしよう。普通煎茶玉露冷茶※本記事の情報は2019年6月時点の情報です。

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  • 冷酒と酒肴の美味しい関係

    そば屋の楽しみ方の一つに、酒とつまみを楽しむ「そば前」がある。藪蕎麦(やぶそば)の伝統を受け継ぎ、地酒の知識豊富な「蕎麦 周」の店主に代表的な酒肴(しゅこう)とそれぞれに合わせたい冷酒を紹介してもらった。蕎麦 周(そば あまね) 東京都千代田区内神田2-4-11 TEL:03-3256-5566営業時間:17:30頃~22:30頃定休日:土日祝アクセス:JR「神田駅」より徒歩5分※雑誌掲載時の情報です。〝そば前〟という江戸っ子の「粋」な慣わし。老舗名店「上野藪蕎麦」などで12年修行し、江戸の食文化にも精通する「蕎麦 周」店主・田中宗孝さんに話を伺った。そば屋で酒を嗜たしなむ背景には、江戸時代の庶民の生活が深く関係していると語る。「一日2食が基本。早朝に起きて日暮れ前には仕事が終わる、おてんと様と共にある生活。そば屋に通し営業が多いのは、そういった生活のリズムに合わせていたからでは。数少ないコミュニケーションの場でした」客たちはそばが出るまでの少しの間、酒と酒肴を楽しみながら世間話に花を咲かせていたのだろう。そして現代にもそうした江戸の文化が受け継がれている。実際に老舗そば屋を訪れると、そば前を楽しんでいる人が多いことに気づくはずだ。田中さん曰く、「そば屋の肴は種物の素材を用い、だしやかえしをベースにした味付け。香りが強い酒より、甘味や膨らみがあり、透明感のある酒がしっくりきます」とのこと。そこで今回はそば屋おなじみの6つの酒肴と、それぞれに合わせたい冷酒を田中さんに厳選していただいた。今夏はそばだけでなく、そば前を粋に楽しんではいかがだろうか。【出し巻き玉子】だしの旨味が凝縮された玉子には控えめで上品な味わいの酒を。そば屋で用いるのは、和食で一般的に用いる花鰹とは違い、厚削りの鰹節。「瞬間的な香りや旨味だけでなく、醤油、みりん、砂糖と合わせても負けない力強さと深さがある。温かいまま提供すると卵の良し悪しが出やすい。卵の質も大事な要素です」と田中さん。出し巻き玉子自体は主張が強いつまみではないので、繊細な肴の支えになる柔らかい酒を合わせると、落ち着いて飲める取り合わせとなる。喜一郎の酒特別純米 だしの旨味を後押しする優しい味わいの酒石鎚 純米吟醸 緑ラベル 四国の大地で醸されるしなやかな飲み口の一本澤屋まつもと 純米 繊細な料理を支える上品ではんなりとした味わい【煮穴子】ふっくらと脂が乗った身は、すっきりキレのいい一杯と共に。初夏から11月頃までが旬のアナゴ。身がまるまると太って脂が乗り、旨さが増す。とはいえ、脂肪含有量はウナギの約半分。淡白な味が食欲の落ちる夏にも好まれる。天ぷらや煮こごりの素材としても最適である。煮付けるのは、そばつゆのかえしベースのだし。お酒は、柔らかくも、甘ったるくはないクリアなものがよく合う。すりたてのワサビは、清涼感のあるアクセントになる。出雲富士 夏雲 特別純米生原酒 のびやかな飲み口がふくよかなアナゴに寄り添う村祐 夏の生酒 アナゴの旨味と絡み合う上品な余韻隆 純米吟醸 若水 白ラベル 爽やかな香りと味が甘辛のタレと調和する【そば味噌】甘辛い濃厚な味噌は、きれいに醸した一杯を合わせたい。箸先に付け、唾液と合わせて味わう料理。江戸切りそば屋にはなくてはならない肴の王道で、長期保存がきく。そばつゆに味噌、調味料を加えて、練りながら加熱して煮詰めていく。ベースのそばつゆと味噌はどちらが主張してもだめで、バランスが大切。弱火でじっくり煮詰めるため、作るのには2時間半ほどかかる根気のいる料理である。それだけに店の個性が出る酒肴である。豊盃 特別純米 濃厚なそば味噌の味を和らげるような酒日高見 超辛口純米 味噌のコクと一緒にのびるような旨み富久長 純米吟醸 山田錦 女性杜氏が造る香り高くなめらかな飲み口【天抜き】油とだしが融合する通好みの酒肴にはドライな酒を合わせて。「天抜き」は天ぷらそばの麺抜きのこと。酒を飲んでいるうちにそばが伸びるのを避けるのと、「〆のそばの前に満腹になりたくない」という意図で頼まれる。裏メニュー的で、「天抜き10年」(10年間通わないと提供してもらえない)という言葉もある。そば屋はだしに溶け出す油が程よくなるように、天ぷら屋より重めの油を使う傾向がある。油気を流すようなドライな酒を合わせたい。獅子の里 超辛口純米 辛いというより油を流すようなキレ味醴泉 活性発砲酒 落ち着きのある香りが天ぷらともよく合う澤の花 純米 火入れ 輪郭がシャッキリとした透明感あふれる味わい庭のうぐいす 特別純米 だしと油味を支えるシャープでドライな味わい【焼き鳥(かえし仕込み)】鶏肉とかえしの旨味を受け止める、ふわっと柔らかい口当たりの酒。そばつゆの甘汁、辛汁をバランスよく合わせたタレが特徴。これが鶏肉の旨味を受け止めてくれる。長期にわたって熟成したかえしは、醤油の尖りや、砂糖、みりんの甘ったるさを調整している。そのタレに、みりんなどの甘味を足して濃厚にし、甘辛さを楽しめるようにしてある。酒は、ファーストインパクトの旨味が大きいもの、あるいは、絡み合いながらもさらりと流れるものが合う。千峰天青 純米吟醸 口にとどめた鶏肉の旨味と同調するふくよかさ瀧自慢 吟醸 山田錦 肉の濃厚な味と楽しみたい豊かな香山和 特別純米 焼き鳥に合う酸と旨味が口中に満足感をもたらす【揚げナスの煮びたし】油を吸ったジューシーなナスにフレッシュな飲み口が冴える。初夏から晩夏に向けて美味しくなるナス。油を吸うことでさらに旨味が増す。「蕎麦周」は、ごま油と上質な綿油を用途によって配合。煮びたしのタレのベースは、甘辛のそばつゆをアレンジしたもので、揚げナスを一晩漬け込み、味を染み込ませている。酒は、油気のある料理と合わせてもスッキリと杯を進められる、フレッシュな発泡酒や味にのびがある吟醸酒などが適している。正雪 吟醸 山田錦 油っぽい料理とバランスが取れる辛口酔右衛門 無濾過生原酒 ボリューム感のある酸味が油を使った料理とぴったり雁木 活性にごり 発泡純米生原酒 ほのかな甘味と軽い酸発泡の爽快感で涼やかにRecommend Contents 伊賀焼 「粋」シリーズ 酒器 全2種類  焼酎を楽しむ酒器、「粋」シリーズ「炭焼タンブラー」、「焼酎カップ(大)」の全2種類は、酒を楽しむ「呑んべえ」のためのアイテムとして造り上げられました。茶の湯の精神と日常の暮らしをつなぐ伊賀焼。続きはこちらから折燕 ORI-EN 二重徳利 全3色新潟県燕市で誕生した「折燕 ORI-EN」。日本の美と和の伝統を感じさせてくれます。渋みのある鮮やかな色合いと、高級感のある仕上がりの二重徳利。熱を逃がさず、体温の断熱もされるため、熱燗や冷酒で飲む時にぴったり。続きはこちらから折燕 ORI-EN 二重ラテカップ&ソーサー 全3色「折燕 ORI-EN」は、高岡銅器の伝統着色技法と燕の金属加工技術を独自の手法で融合させたオリジナルブランド。美しい和モダンの配色と金属の腐食や錆びを人為的に発生させた風合いで、至福のコーヒータイムを。続きはこちらから

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  • 小さな秘密基地の造り方。

    「隠れ家」とは「心が安らぐ場所」「ホッとするひととき」だ。規模の大小や、かける金額の多い少ないは関係ない。心安らぐ場所、自分だけのスペースを「秘密基地」と呼び小さいけれど充実した時間が過ごせる空間を紹介する。和室と押し入れがワークスペースに大変身埼玉県 川成邸リビングダイニングからそのまま左側へと続くDYIルーム。もともとは6畳の和室だったところで、押し入れ部分を取り払い、作業台と棚を設えて工具などを置けるようにした。壁はOSBボードで、ビスなども打てる。6畳の和室だった部屋をDIYルームにガラリとチェンジした川成さん。リビングダイニングとの間もオープンにしたことで、より開放的な空間が生まれた。「もともとDIYが大好きで、気兼ねなく作業できるスペースが欲しかったんです。賃貸の時は、作業場はお風呂場でした(笑)」と話す。現在の3LDKのマンションを購入した際に、念願のDIYルームを造ることを計画したという。「施工会社のフィールドガレージの指導のもと、床材は自分で張りました。床は足場板風、壁はOSBボードにしたんですが、ウッディな雰囲気がとても気に入っています」木やコンクリートなど素材の持つ味わいを生かし、自由に手を加えられることや経年的な変化を楽しめるように工夫されたデザイン構成。マンションの一室とは思えない雰囲気は奥様も大満足だという。「棚や作業机、吊り下げラックなど、欲しいものは自分で造っているので使い勝手もバッチリなんです」狭いスペースが集中力を生みだす自分だけの小さな書斎埼玉県 T・B邸木の温もりに満ちた隠れ家的なワークスペース。引き戸の扉でリビングと仕切ると仕事も効率よくでき、とても落ち着くという。家主が設計者にリクエストしたのは〝巣ごもり感〞。狭いながらもほどよく仕切られたコンフォートなスペースは、まさにそれを言い得ている。リビングダイニングの一角にウッド調の箱型空間を設え、その中が書斎に。収納力のある棚、間接照明、入口は引き戸になっているため開閉がしやすく、存在感をあまり主張していないさりげない隠れ家感もお気に入りだという。「以前から書斎というか仕事場が欲しかったんですが、狭い団地では無理かなと……。でもリノベーションの際に設計者に相談したところ、想像以上の部屋が完成しました。持ち帰りの仕事がある時にもここなら集中してできるんです」と、家主のT・Bさんは満足そうにそう話す。1983年築の団地の一室を2013年にリノベーション。木とコンクリートの風合いを生かしたシンプル&モダンな造りは目を見張るばかり。特にリビングダイニングは引き戸で空間を仕切ることができ、開放感とともにフレキシブルで回遊性のある間取りが工夫されている。そこに箱式の書斎や洗面コーナーなどの水回りを造るというユニークな発想。家族の変化、使い方に応じて間取りも自由に変えられ、長くここで暮らすための快適性とプライベート感が追求されているという。「今はやっぱり書斎が一番好きな場所。今度はここに似合うもっと座り心地のいい椅子を購入したいと思っているんです」自宅内録音スタジオ製作の際に押し入れを小さな音楽空間に改造千葉県 山下邸山下さんが、最も気に入っているのが押し入れ右側の壁に設えたレコーディングケーブルを掛けるスペース。工場や作業場の雰囲気にしたかったのだという。押し入れを自分の趣味と仕事のために改造したのが、千葉県木更津市の自宅をレコーディングスタジオにしている山下さん。当初、この押し入れのある部屋の隣にレコーディングスタジオを造ったが、もっと広い空間が欲しくて、レコーディングスタジオと押し入れのある和室の壁を思いきってぶち抜いて今のような部屋のレイアウトになったのだという。改造は全て山下さんが自分の手で行うという徹底ぶり。やはり、自分の好み通りにするには自分の手で造るのが一番だという。改造中に思いついて、ここをこう変更したいとなっても、施工業者にお願いしているとなかなか途中変更が難しいので、結局自分でやった方が早いし、安く仕上がるそうだ。この押し入れを改造するにあたって、こだわった箇所はと聞くと、「向かって右側のレコーディングケーブルがたくさんまとめて掛かっている壁」という答えが返ってきた。理由を尋ねると、工場とか作業所のイメージが欲しかったからだそうだ。実用的にもレコーディングに使うケーブルがかっこよく収納できるとあって満足だと語る山下さん。さらに山下さんの思い入れが現れている箇所は押し入れの壁のカラーリング。バターミルクペイントを使い、派手な色でも柔らかなトーンが実現でき満足しているという。また、仕事柄どうしても増え続けてしまうCDを収納したくて、ホームセンターで木材を購入してラックを自作。それによって実用度もさることながら、より自分好みの雰囲気になったのだそうだ。これで改造は完成ですかと山下さんに聞くと「現状では使いやすくて満足してはいるんですが、今後はエジソンランプなどを追加して好みの空間にし上げていきたい」という答えが返ってきた。リビングの壁の奥にもうひとつの隠し部屋兵庫県 monyo 邸一見するとリビングの壁にしか見えない部分がこのように開いて隠し部屋の書斎が現れる。「家の中に隠し部屋があったら面白いだろうなと思って」と話すmonyoさん。発端は単に仕事場が欲しいということだったのだが、ただの書斎では面白くないので、リフォーム会社と相談して隠し部屋を造ることになったのだという。上の大きな写真はトビラが開いた時、左の写真が閉まっている時で、写真に写っている右側の壁が隠し部屋のトビラになっている。トビラには棚が設けられていて、花鉢が置かれていたり、コンセントが設置されているので、一見すると単なる壁にしか見えないところが面白い。リフォーム会社も、コンセントはもちろん、トビラの開き方、壁面の化粧材をつなぐ位置などが違和感のない壁であることと、普段の開け閉めなどの快適さを重視したという。使い勝手についても「満足しています」とmonyoさん。日田杉の1枚板を使うなど机にはこだわった。しかし仕事場としてファイルなどが増えていくので、今後は収納をどうにかしたいと考えているそうだ。※こちらは男の隠れ家2017年3月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents「ハウススモールツール」私たちの日常生活は、さまざまなアイテムに支えられています。近年、技術の進化やデザインの革新により、日々の生活をサポートする新しいアイテムが続々と登場しており、一度手に入れると手放せなくなること間違いなし。今回はそんな便利アイテムから厳選した3つの商品をご紹介します。――続きはこちらから【男の隠れ家限定】煎茶・釜炒り茶・紅茶のセット昔ながらの風味と香りが満載。美味なる川根茶セット「お茶の仕事を始めた当初、見た目の美しさや効率優先で数値ばかりにこだわる注文が多く、悶々としていました。そこで思い出したのが、初代で父親の勝彦が楽しそうにお茶を作る姿でした」 川根本町で茶作りを営む「鈴木茶苑」の2代目・鈴木健二さんが、実家のお茶を初めて意識した頃をこう振り返る。――商品詳細はこちら

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