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男の隠れ家コンテンツ

  • バイクに乗ってみませんか? -上州〜信州・志賀高原-

    ツインエンジンの鼓動と共に上州から信州の高原道路で涼風にやすらぐーー緑に囲まれたワインディングロードを軽やかに駆け抜ければ、ひと筋の道が遠くまで延びる高原ロードが目の前に。さあ、自分の時間を求めて上州から信州に続く快適な道を走ろう。バイクの醍醐味は爽やかな風に当たることだ「志賀草津高原ルート」。白根山の雄大な山容を右に見ながら快適な道が続くワインディングロードだ。並列2気筒・500㏄エンジンが奏でる排気音と、それに伴う鼓動の心地良さを感じながら高速道路をクルージングしている。前を走る車を抜こうという気も起きず、このまま流れに乗っているとどこまでも行けそうな気になってくる。両サイドの景色は視界の中で溶け込み、色の帯になって後方に流れていく。「ホンダレブル500」はまるで万華鏡の筒の中を走っているようだった。関越自動車道から上信越自動車道へとハンドルを切り、「松井田妙義IC」で高速を降りた。国道18号・中山道に入ると信越本線の「横川駅」はすぐ。横川駅といえば「峠の釜めし」。長野新幹線が開通するまでは、横川駅に長距離列車が着く度、乗客は駅弁の売り子から、峠の釜めしを買い求めていたというほどの名物。新幹線開通に伴い横川駅の先は廃止され、駅弁の売り子がホームに立つことはなくなったが、今は駅前本店やドライブイン、高速のSAなどで売られている。昼食には少し早いがここでこの名物を食べない手はない。腹を満たすことでまだ先の長いツーリングに備えることにしよう。連続するカーブを抜けて、道はいよいよ高原へ向かう左/「横川駅」から軽井沢までの道は緑に包まれて気持ち良い。右/旧信越本線のレンガ造りの橋梁(めがね橋)が突然現れる。横川駅の先で国道18号線に入り、坂本宿の看板を過ぎると道は勾配が急になり、タイトなカーブが連続する。そして突然、雄大な4連レンガアーチの鉄道橋梁が姿を現した。たくさんの観光客が車を停めて記念撮影をしている。実はこの橋梁、明治25年(1892)に完成したアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれている。ちなみに橋梁は第二橋梁から第六橋梁まで残っていて、その5基が全て国重要文化財に指定されている。道はいつの間にか平坦となり軽井沢の町に出た。観光客で賑わう町を抜け、浅間山の麓を整備された爽快な道が走る鬼押ハイウェーへ。道の両脇に明るい林が続く緑のトンネルをしばらく走ると左手に茶褐色の浅間山の姿が浮かぶ。ちょうど浅間山の展望を目的としたような浅間六里ヶ原休憩所が右手にあったので、しばし休息。目の前に迫る雄大な活火山をのんびりと眺めることにした。鬼押ハイウェーの浅間六里ヶ原休息所で眺める浅間山の勇姿。再び走り始め、いったん高原の道からJR吾妻線が走る嬬恋村まで下りてきた。とたんに体に感じる風は熱気を帯びてきた。熱風から逃れるように万座温泉方面に向かう万座ハイウェーに入り高地を目指す。力強いエンジンはドドドドッという鼓動と共に標高をどんどん稼いでいく。クルーザータイプなのだが、バンク角は意外に深く、ステップをすることもなく安定したコーナリングでカーブをクリアしていく。トルクフルなエンジンは頻繁なギアチェンジを必要としないのでとても楽だ。急勾配の九十九折りの道を走ること約30分。ヘルメット越しに硫黄の香りが鼻をくすぐると、そこは万座温泉だ。この辺りから道の周囲の木々が低くなり、ハイマツが目立つようになった。見通しが良くなり、下を覗くと今まで走ってきた道が遠くからうねうねとカーブを描いている様子が見える。草津温泉方面から延びる国道292号線と合流すると道は比較的なだらかになり、見晴らしの良い高原道路となった。この通称「志賀草津高原ルート」はどこまでも走りたくなるような道だ。ちなみに草津温泉方面からこの合流点までは白根山の火山活動の影響で通行止めになっているので注意したい。志賀草津高原ルートの天空を走るコーナー。標高が上がると景色も広がりを見せる。しばらく走ると道の右側に「日本国道最高地点」の標識が目に入った。ここは標高2172mの渋峠だ。バイクを停め、そこからの景色に目をやると、ラムサール条約に登録されている芳ヶ平湿地群や赤茶色の白根山が見える大展望が広がっていた。そろそろお腹もすいてきたなと感じる頃、横手山ドライブインに到着。志賀草津高原ルートの長野県渋温泉方面の景色が見える2階のレストランで「ライダーズランチ(1500円)」をオーダーして、窓際に腰を下ろした。目の前には視界を占める志賀高原のパノラマが広がっている。宿へ向かう道も選んで高原をつなぐ道を左/志賀草津高原ルートを長野県側に下りると渋温泉となる。路地の両側に昔ながらの風情ある温泉旅館が並ぶ。9つの外湯があり、宿泊者以外は9番湯大湯のみ利用できる。右/HONDA Rebel 500」特徴的に立ち上がったフューエルタンク、くびれのあるナロースタイル、マット&ブラックアウトに徹したパーツによってタフでCOOLなイメージを表現。ワイドサイズの前後タイヤが、ロー&ファットな存在感をアピールする。ほどなく猿が温泉に入ることで有名な地獄谷野猿公苑に。ひと休みするのに格好の「猿座カフェ」があった。自分のバイクを目の前に、風の吹き抜けるテラスで一服。他のテーブルは外国人観光客ばかりだ。カフェのスタッフが「この先にツーリングライダーが集まる蕎麦屋があるのよ」と教えてくれたので訪ねてみることに。カフェからすぐ、国道292号線沿いにその「そば禄」はあった。ここの特徴は蕎麦を注文すれば天ぷらが食べ放題。ご飯も食べ放題なので蕎麦を食べ終わったら天丼にして腹を満たす強者もいるらしい。お腹もいっぱいになって後は今宵の宿を目指すのみ。国道292号線をそのまま進み、信州中野で403号線へ。美術館やフルーツで有名な小布施、蔵造りの町家が連なる須坂を通り、ラグビーの夏合宿をしているグランドの合間にキャベツ畑が広がる菅平高原を経て、「休暇村嬬恋鹿沢」へ着いたのは熱気も収まった夕暮れだった。翌朝、疲れも残らずすっきり目覚めた。昨夜たっぷり浸かった温泉のおかげかもしれない。今日の予定は特に決めていない。のんびりと気持ちの良い高原道路を走って昼寝して帰ろうかな、ぐらいの気持ちだ。小諸へ出て、八ヶ岳の東麓をJR小海線沿いに国道141号線を南下して小淵沢に出るのも良し、途中から国道299号線を麦草峠に向かうも良しだ。麦草峠は昨日の渋峠に続いて国道の標高では2番目の高さ(2120m)だ。高原道路を走るコースは色々と設定できて楽しい。さあ出発だ。国道144号線に戻り、東へ向かう。昨日の爽快感をもう一度味わうために、鬼押ハイウェーに出て北軽井沢などを流して帰路につくことに決めた。※こちらは男の隠れ家2018年9月号より一部抜粋しております

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  • River Fishing CAMP -やってみません?ソロキャンプ-

    トラウトと戯れる緑深き渓川音を聴きながら焚き火を楽しむ。渓流釣りとキャンプの相性はとてもいい。美しい渓流には総じて素晴らしいキャンプフィールドがあり、釣り人は焚き火を前に今日の釣果を想う。歩き疲れた体を癒す食と酒もまた、旨い。深い山に分け入り渓を歩く自然を存分に味わう時間山林が広がる埼玉県飯能市の名栗地区。西川材という良質な杉の産地で自然豊かだ。都心からも2時間弱で行けるため、釣りをはじめ、アウトドアアクティビティの拠点にするアウトドアマンも多い。渓流釣り師の朝は早いものと決まっている。早朝4時半、雨上がりの森にはまだ濃い霧がかかっていて、山々の全貌は見渡せない。規則正しく並んだ杉や檜の針葉樹の山に、山鳩の低い鳴き声だけが響いている。目の前を流れる美しい渓流。数日降り続いた雨のおかげで水量が増えて適度な笹濁り、まさにベストコンディションだ。素晴らしい渓流魚を1尾、なんとか釣り上げたい。早々にウェーダー(胴長)を着て愛用のフィッシングベストを羽織り、ウェーディングシューズを履いた。3.6mのテンカラロッドを1本持ち、ワレットの中には替えのテンカラ毛針を多数仕込む。最小限の装備で渓流を歩くこのテンカラ釣り、実は日本の伝統的な渓流釣り手法であり、近年は欧米でも人気が高まっているという。餌釣りのほか、ルアーやフライなど様々な手法があるが、今日はテンカラでトラウト(ニジマス、イワナ、ヤマメなど)を狙っていく。小さなポイントも見逃さず毛針を流す。しかし見た目以上に水量が多く、遡行すらままならない。日没に気をつけながら慎重に遡り、深場では沈む毛針をチョイスしてキャストを繰り返した。リリースサイズのヤマメが毛針を追うのが見えるが、なかなかヒットせず。しかし渓流釣りとはこんなものだ。釣れるに越したことはないが、釣れなくても川を歩くだけで気持ちがいい。いや、そんな無理やりの納得をもう何度したことか。それでも渓流が解禁すると、私はひとり渓に立っているのだ渓流釣りとソロキャンプそれはワンセットなのだテンカラロッドを振る。狭い渓流ゆえ、枝葉も多く、ロッドのテイクバックがとても難しい......。渓流釣りに出かける日、その夜もし泊まれる時間があるならば、私はその渓流近くのフィールドでキャンプをしようと決めている。今日も渓流からほど近い場所にある「ケニーズ・ファミリー・ビレッジ」(埼玉県・飯能市)に1泊お世話になることにした。人気のキャンプ場だとは聞いていたが、なるほど、それも頷ける。野宿キャンパー寄りの私にはもったいないほど整ったフィールド、清潔で安全な設備、そしてなによりスタッフの接客が素晴らしい。ファミリーと名が付くキャンプ場ではあるが、聞けばソロキャンパーも意外に多いらしい。「平日、ぶらっとお見えになる熟年男性のソロキャンパーさんもいらっしゃいますよ」。まさに私がそれだろう。川音が聴けるサイトがいいなと思っていたのでその旨を伝えると、河原サイト(7〜8月は日帰りの利用のみ可)を案内してくれた。チェックインを済ませて薪を2束(箱)購入し、早速サイトへと向かう。そして設営の前、まずはお決まりの儀式から。今日は深夜出発のため、昨夜我慢していたビールが疲れた体にジワーッと染み入っていく。この一杯があるから釣りとキャンプはやめられない。いや、私はもうこの一杯のために釣りをしているのかもしれないな。渓流釣りをする人ならきっと共感していただけるだろう。ソロキャンプなので装備も最小限のギアしか持参していない。ゆえにサイトもコンパクト、全体的にミニマムだ。今日はモンベルのムーンライト1型でインナーテントを使わず、グランドシートとフライシートを直結してテント代わりのシェルターを作った。焚き火に強いコットンTCのタープを張ってヘリノックスのテーブル&チェア、焚き火台と簡易的なトライポッドを配置したら完成。ミニマムとはいえ、快適さや自分の嗜好には贅沢でいたい。だからフィールド選びも焚き火ができる場所であることが大前提。何かをしなくてはいけないという決まりはないが、美味しい料理と酒があり、焚き火キャンプを楽しむというのが小さなこだわりなのである。イワナのホイル焼き、夏野菜のラタトゥイユ、チキンの白ワイン煮などを自家製レモンサワーを飲みながらのんびり下ごしらえしていく。さっきまでBBQをしていた若者が会釈をして帰って行った。河原には私ひとり。カジカガエルが鳴く渓を目の前に、静かで優しい夏の夕暮れがやってきた焚き火と美味しい料理と酒 ソロでしか味わえない贅沢料理を作り終えると、後は食べること、飲むこと、焚き火をいじることしかしない。いつ寝ても誰にも怒られるわけではないが、酒を飲みつつ焚き火の前でだらだらしてしまう人も多いだろう。眠くなってきたらヘッドライトと文庫本を持ってテントイン。が、3ページも読まずに寝てしまうのも、いつものこと。夜の帳が下りる頃、小さなメッシュランタンに火を灯した。サイト全体が明るくなるほどの照度はないが、テーブルランタンとしては十分な明るさ。雰囲気も悪くないのでもう長年愛用している。そして下ごしらえしておいた料理各種を仕込むため、焚き火に薪をくべて火力を上げていく。お気に入りの8インチダッチオーブンでチキンの両面をじっくり焼いたら、安い白ワインをひたひたに注いでコンソメと粉チーズを大量に投入する。このままトライポッドに引っ掛けてアルコール分が飛ぶまでかまわず放っておく。さらに、シングルバーナーの上にヨコザワテッパンを載せ、イワナの腹にマイタケと大葉を入れて包んだホイル焼きを蒸し焼きにした。とにかくこのヨコザワテッパンが優秀だ。ソロキャンプ(見た目は小さいが4人くらいまでなら余裕で使える)にはもってこいの万能鉄板で、私はどこに行くにもキャンプギアの中に忍ばせておいて愛用している。ここ数年、この〝ちまちま〞感をたまらなく愛しているのである。さらに小さなスキレットでバター味の焼き枝豆も作った。これをつまみにしてレモンサワーを飲むのが今のお気に入り。ラタトゥイユは焚き火が勝手に作ってくれるし、ここからは何もしない〝ひとり飲み時間〞の始まりだ。ひとりで釣りをしたりキャンプすることは寂しくないかとよく聞かれるのだが、話相手がいないという点だけでいえば寂しさがないわけではない。ただ、真剣に渓流釣りを楽しんだ後のソロキャンプでは、その余韻にひとりどっぷり浸るのがきっと私は好きなんだな。仲間たちとワイワイと楽しむ賑やかなキャンプもいいけど、釣りで疲れた日は誰にも気を遣わない自分勝手なソロキャンプがやはり一番いいと思っている。焚き火の火力を少しだけ落とし、ダッチオーブンの蓋をずらす。白ワインのアルコール分はもうほぼ飛んで、濃い目のスープの中でチキンがグツグツと煮えている。夏野菜がたっぷり入ったラタトゥイユとチキンを味わいながら、今度は山桜のククサでアイリッシュウイスキーをちびちび飲んだ。こんなソロキャンプをもう何年やってきただろう。栃木の山奥で焼いた地鶏は最高だったな。郡上の雨の釣りキャンプ、鮎の塩焼きと焼酎が美味しかった。伊那谷ではマトンロースをたらふく食べて日本酒をしこたまを飲んだっけ。新しくくべた太めの薪がパチンと爆ぜ、火の粉が勢い良く舞った。気持ちの良い酔いに包まれて、私は楽しかったソロキャンプの場面を思い出していたケニーズ・ファミリー・ビレッジ/オートキャンプ場都心からアクセスも良く、管理も行き届いた人気の高規格キャンプ場。キャンプ場の名にファミリーと付くが、ソロキャンパーにも人気があり、特にオフシーズンの河原サイトはお勧めだ。 埼玉県飯能市上名栗3196 アクセス/圏央道「青梅IC」より約30分 HP/www.kfv.co.jp 【商品詳細】商品名:冒険用品 ヨコザワテッパン ポケット(ヨコザワテッパン ポケットサイズ付き)価格:2,500円(税込) サイズ:縦25.7cm×横18.2cm×高さ0.14cm商品の詳細はこちら※こちらは男の隠れ家2019年10月号より一部抜粋しております

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  • 大人の夏旅、北海道。【江差・函館・松前編】

    北海道の中でも最も本州に近く、海に開かれた江差・函館・松前エリア。幕末から明治の歴史の面影を色濃く残し、国際貿易港として栄えた函館をはじめ道南エリアの北海道遺産を巡る旅へ。SPOT1 五稜郭と箱館戦争の遺構維新へ向け最後の戦いが繰り広げられた地五稜郭は幕末になり江戸幕府によって築かれた、火砲による攻撃に強い星型をした西洋式の要塞である。函館周辺の随所に残された国内最後の内戦の傷跡広大な北海道の中で本州に最も近い道南地域は、函館や松前といった町に代表されるように、歴史や文化が色濃く残されている。そんな道南地域にある北海道遺産には、様々な戦争の爪痕や貿易によって他国からもたらされた文化など、海に向かって開かれた土地ならではの特色が見られる。訪れてみればどこも、それぞれの時代の生活を肌で感じることができる遺産ばかりなのである。北海道の歴史を語るうえで欠かせないのが、明治元年(1868)10月から始まった箱館戦争だ。榎本武揚率いる旧幕府脱走軍艦隊が森町鷲ノ木に上陸し、箱館府があった五稜郭へ進軍。函館を基点にドライブを楽しむなら、まずは五稜郭を目指そう。そのルート上には褐色の山肌を天に突き出す駒ヶ岳と、周囲の景色を鏡のような湖面に写す大沼や小沼が織りなす素晴らしい景観が待っている。特に渡り鳥が羽根を休めるポイントである大沼は、時代を超えて人々の心を捉えて離さない。それは戦いに臨む兵士たちの目には、どのように映ったのかが気になってしまった。五稜郭に無血入城を果たした榎本らは、箱館政権樹立を宣言。しかし明治新政府は明治2年(1869)4月、乙部の海岸に軍を上陸させ反撃を開始。5月には箱館が戦いの舞台となる。「今年は箱館戦争終結から150周年の節目です。そのため市街随所に残る激戦地には順次、新たな案内板を設置している最中です」と、五稜郭タワー企画室長の木村朋希さん。五稜郭タワーは展望台に昇れば、特徴的な星型の稜堡式の城郭を一望することができる。それだけで満足するのではなく、市街地から港、山の方面へも目を向け、激戦地跡にも目を移す。町の景色を見渡すことで、函館山を中心に、函館が海へと突き出た両側に海が迫る独特の地形を持つことも再認識できるはずだ。戦いは今の函館市街だけでなく、江差や松前も含む道南一帯に及んでいるので、激戦の足跡をたどってみるもの面白い。ただし土方歳三が奮戦した二股口古戦場は、樹木に覆われた山深い地なので、クマとの遭遇に要注意だ。SPOT2 内浦湾沿岸の縄文文化遺跡群全国的にも珍しい「水場の祭祀場」を確認北黄金貝塚では、ひとつの集落に30人程度が暮らしていた。竪穴式住居には7~8人が生活していたとされている。全国的にもあまり例がない貴重な遺跡を間近で見る函館を出て車を内浦湾沿いに進める。室蘭市から函館市までの内浦湾(噴火湾)を囲むエリアからは、縄文時代から近世までの遺跡が数多く発見されている。なかでも縄文時代の早期(7000年前)から中期(6000~4000年前)のものとされる伊達市の「北黄金貝塚」では、大変貴重で興味深い遺跡が発見されている。「縄文文化は”自然と共生”したものと思われがちですが、意外に大量のウニ、カキやホタテなどの採取も行っています。それでも自然環境が保たれたのは、貝塚を全ての生き物の墓地として捉え、そこに人間も埋葬することで、自分たちも自然の一部だということを忘れずにいる。だから必要以上の獲物を取らないという考えが生じ、極端な自然破壊を防いだのだと考えられます」伊達市噴火湾文化研究所の永谷幸人さんは、貝塚は単なるゴミ捨て場ではなく、縄文人にとって神聖な場所であったと語る。そしてそんな貝塚の断面を見ると、様々な動物や魚介類の骨や殻などが交互に積み重なっていた。小高い斜面上にある貝塚からは、目の前に内浦湾が広がり、かすかに潮の香が鼻孔をくすぐる。弓なりに続く陸地は緑に覆われ、今でも豊かな自然に恵まれていることが実感できる素晴らしい地だ。さらに永谷さんは全国的にほとんど例を見ない「水場の祭祀場」にも案内してくれた。遺跡内には縄文時代から変わらずに湧き出ている水場がある。その周囲からは、壊された石の道具がこれまで1200点以上も発見されている。「役目を終えた道具は、壊すことで完全にあの世へ送ったことになったのではないか。それが水が生まれる神聖な場所に納めることで、道具への感謝と再生を祈っていたのだろうと考えられているのです」北黄金貝塚は「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界遺産への登録を目指しており、これからますます注目されるだろう。SPOT3 函館西部地区の街並み明治の面影を色濃く残す通りと建築物末広町電停と大町電停間を走る函館市電800形電車。背後に見えるグリーンの建物は大正2年(1913)築の相馬株式会社社屋。瀟洒な洋館とレトロな路面電車が一幅の絵画にそして、函館へ再び戻って市内へ。安政6年(1859)、日米修好通商条約に伴い箱館港は横浜港、長崎港と共に日本国内初の国際貿易港として開港された。この町は古くから北海道への玄関口であったが、幕末にはいち早く西欧文明を迎え入れる窓口となったのである。現在の函館市街地は内陸部へと広がっているが、もともとの町は函館山麓の、西部旧市街と呼ばれているエリアであった。旧市街には函館山に向かって何本も南北の道がある。その中に「基坂(もといざか)」と名付けられた、ひときわ広い坂道が存在する。坂の上から見下ろすと、まずは海と船が織りなす絵画のような美観に目を奪われる。箱館が貿易港として開港すると、基坂の下に運上所(後の税関)、坂の上には奉行所が置かれた。その名の通り、この坂は町の中心だったのだ。奉行所の跡地には明治43年(1910)9月20日、旧函館区公会堂が開堂する。現在はこの瀟洒な洋館を中心に、一帯は元町公園として整備されている。さらに公園周辺には、和洋折衷の洒落たショップや住宅が建ち並び、格好の散策スポットとなっている。この日は平日だったが、大勢の観光客の姿があり、活気にあふれていた。また函館ハリストス正教会、カトリック元町教会、函館聖ヨハネ教会、真言大谷派東本願寺函館別院という、異なる宗教が肩を並べて建つ、不思議な光景にも遭遇する。これも国際貿易港を持つ、開放的な空気に満ちた函館らしい。坂の上から海側を見下ろすと、港を借景にして走り過ぎる路面電車の姿が見られる。北海道で路面電車が走っている町は函館と札幌だけだ。函館市電は明治30年(1897)12月に馬車鉄道として産声を上げた。そして大正2年(1913)6月には電車化。それは東京以北で初の、路面電車誕生の瞬間であった。函館に遅れること5年、札幌の路面電車は大正7年(1918)に運行を開始。いずれも「まちの顔」となり、現在も両市民の足として活躍している。特に函館市電は古い車両も多く、それが明治期の佇まいを残す街並みを背景に走る姿が、見る者の心に郷愁を抱かせる。車を使った旅であっても、少しの間は駐車場に預け、電車旅を味わってみるのも悪くない。運が良ければ復元されたレトロ車両「箱館ハイカラ號」に遭遇できるだろう。SPOT4 函館山と砲台跡明治後期に要塞化され津軽海峡を防備した実戦を経験することなく、大砲が撤去された砲台跡。軍事施設が生み出した思わぬ副産物に感謝函館という町の特徴を成すのが、海に突き出した標高334mの函館山だ。この山頂から眺める夜景は、日本に関する旅行ガイドである『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で、三つ星として掲載されている。夜景の時間ではなくても山頂から函館市街を一望しようと、大勢の観光客が山頂展望台に集まっていた。だが函館山には、まるで観光客には気づかれたくないかのように、うっそうと茂った木々の中に軍事施設が隠れている。これは明治31年(1898)から4年の歳月を費やし築かれた函館要塞跡で、当時、戦争状態に陥ることが予測されたロシアの艦隊から、造船所が置かれていた函館港と、津軽海峡を守備するために築かれたものだ。だが要塞は一度も実戦を経験することなく、昭和20年(1945)の太平洋戦争終戦と共に砲台や台座などは撤去。コンクリート土台や煉瓦の壁だけが残った。と共に軍事機密を守るために立ち入り禁止だったことで、手つかずの自然も残された。要塞周辺は約600種の植物、約150種の野鳥と遭遇できる。途中の駐車場からはアップダウンも少なく、山道の四方に海が見える景色も飽きないので、ドライブでなえた足には、格好のハイキングコースなのだ。SPOT5 上ノ国の中世の館和人とアイヌの混住説を裏付ける墳墓発見勝山館を築いたのは、松前藩の祖とされる武田信広と伝えられている。夷地のユートピアで和人とアイヌ民族が共存函館から約1時間30分。見渡す限り緑のグラデーションがまぶしい樹木に覆われた山中を抜ける道を走り続ける。そしてやってきた上ノ国は、日本海に面した小さな町であった。わずかな平地の周囲には低山が折り重なる。そのひとつ、標高159mの夷王山からは、1470年頃に築城された山城「勝山館」跡が発見された。弓なりの海岸線を一望する城跡からは、200戸近い和人とアイヌ民族が暮らしてきた痕跡があった。「館の背後から見つかった約650基の墳墓からは、和人の墓の間にアイヌ民族の墓が確認されています。それまで言われてきた和人対アイヌ民族という対立図式は、ここでは当てはまらないのです」上ノ国町教育委員会学芸員の塚田直哉さんの話を伺いながら素晴らしい景観を眺めていると、この城が理想郷に思えてきた。SPOT6 福山(松前)城と寺町最後の日本式城郭と道内唯一の近世的寺町奥は外観が復元された松前城天守と火災を免れた本丸御門。こちらは国の重要文化財。開拓以前の姿を伝える北海道で唯一の和式城郭最後に、道内唯一の日本式城郭が残る松前へ。福山城が竣工したのは幕末の安政元年(1854)。そんな時期に城が築かれた理由は、ロシアやアメリカなどの船舶が、日本海に出没するようになったことから。幕府は北方警備を目的に嘉永2年(1849)、松前崇廣に福山館の改築を命じたのだ。その結果、完成した城は最後期のもので、かつ北海道内唯一の日本式城郭となった。領民は親しみを込めて松前城と呼んだ。城の北側には、これも道内で唯一の近世的な寺町が残る。現在は江戸時代の本堂や庫裏を残す龍雲院をはじめ5つの寺院と歴代松前藩主の墓所が、木立に囲まれた静かな一角に集まっている。城跡から寺町界隈を散策していると、まるで信州あたりの城下町を散策している錯覚に陥る。古木に囲まれた参道からは、荘厳な空気と歴史の重さが感じられた。こうした気持ちを抱かせてくれるのも、北海道の懐の深さであろう。「箱館戦争や太平洋戦争を経ても、無事だった天守は、残念ながら昭和24年(1949)、城跡の麓にある役場で起きた火災で類焼してしまいました。」(松前町教育委員会主査・佐藤雄生さん)それでも、今も美しい日本の風景が残されている松前町。開拓使以前の北海道の姿を知りたければ、ぜひ松前町は訪ねてほしい。※こちらは男の隠れ家2019年8月号より一部抜粋しております

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  • 格好良すぎるクラシックカー。

    旧車ファンでなくてもクラシックカーには心温まるオーラを感じてしまう。変化の激しい現代において、クラシックカー自体が癒しとなっている特別な存在なのだろう。近ごろ産業遺産などに注目が集まるのは、同様に単なるノスタルジーではない何かに惹かれるからに違いない。活躍した時代の空気を纏って今も走っている文化遺産的クルマとその50人のオーナーが登場する。01.アメリカで楽しむオープンカーライフ高原景良さん(会社員・54歳)ダットサン SPL310[ 1967/日本 ]カリフォルニアの青い空の下では、真っ赤なスポーツカーが似合う。日差しが強い場所柄だけに、ガレージ前にテントを建ててメンテナンスなどの作業をする場所にしていると話す。自ら再生レストアした真っ赤なオープンカー1987年に渡米した沖縄県出身の高原さんは現在、ロサンゼルス郊外のサイプレス市に住んでいる。元々知人の勧めで語学を学ぶために渡米したのだが、既に滞在30年を超えて人生の半分以上をアメリカで過ごしている。渡米して最初に手に入れたクルマは70年式ポンティアックV8、その後VWビートル、マツダ323(ファミリア)と乗り継ぎ、現在はスバルバハと、このダットサンSPL310。このクルマは現地で毎週発行される中古車雑誌「トレーダーニュース」で探し、不動コンディションのクルマを1800ドル(約20万円)で購入。近所にあった日系の自動車修理屋さんに助けてもらいながら「仕事の合間や週末ごとに少しずつ仕上げたんですよ。例えば錆だらけのトランクキャリアは再メッキしたり、オリジナルの1500㏄のエンジンはアメリカでは非力だったので後から販売された2000㏄のものに換装したんです」と高原さん。気になるパーツ供給だが、アメリカでは中古品や再製品が手に入るので苦労はないという。02.英国車のスタイルに惚れてここに行き着く今井高司さん(自営業・65歳)ウーズレー 9 ロードスター [ 1946/イギリス ]右/英国の丘陵地を彷彿とさせる筑波山を望む農道を疾走するウーズレー9ロードスター。左上/御年65歳。英国車をこよなく愛する。左下/往年の英国車によく見られるウッドパネルは自然木から削り出したもの。輸入からレストアまで全て自分の手で行うハンチング帽をかぶり、颯爽とオープンカーを走らせてきた今井さん。そこで語ったのは英国車愛だった。最初のクルマは20歳の時に手に入れたフェアレディZだったが、それから8年後に最初の外車を手に入れた。それがジャガーEタイプだった。そのジャガーのしなやかさや運転する楽しさから英国車にはまってしまったという。このウーズレー以外にも今井さんはジャガーを8台保有している。「往年の名優、ハンフリー・ボガードやゲーリー・クーパーが保有していたXK120などを含め50〜60年代のクルマをアメリカなどから直接仕入れ、自分で全てレストアしています」と今井さん。このウーズレーは8年前に手に入れたのだが、現在の状態までに全ての箇所を自分でレストアしたという。車の修理の経験なんてまるでなかったのだが、あちこちいじり倒して試行錯誤していくうちにレストアを自然と覚えていったのだそうだ。「今欲しいのは1937年のジャガーSS101です」。英国車への情熱はまだまだ続きそうだ。03.ハイスクール時代の夢を今に再現するクルマTed TC Yanagisawaさん(プロダクション関係)VW タイプ1 ラグトップ[ 1962/ドイツ ]近くのビーチまでVWでドライブ。きれいな車体に散歩中のミドルアメリカンたちも声をかけてくる。カリフォルニア州の中でもビーチ沿いはVWビートルが一番似合う場所だ。サーフィンのメッカであるハンティントンビーチに居を構えるテッドさん、彼は横須賀の米軍基地で生まれた日系アメリカ人である。その後、父親の仕事の関係で日本とアメリカを行ったり来たりの生活となった。クルマに関してはハリウッドでの高校時代に手に入れたエルカミーノ、キャデラックやファイヤーバードなど、カリフォルニアンなカーライフを過ごしてきた。このクルマを手に入れたのは2003年。高校生時代にカリフォルニアのビーチでたくさん走っていたVWを、当時の雰囲気で再現して乗ってみたかったのだ。同じように当時目にしていたバハバグ(バギー)も手に入れている。映像関係の仕事の合間に「このクルマでビーチを走るのが息抜きなんです」と言う。※こちらは男の隠れ家2019年7月号より一部抜粋しております

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  • 大人の夏旅、北海道。【小樽・札幌・積丹編】

    もうすぐ夏本番。そして今年も亜熱帯のようなうだる暑さになるのが目に見えている。いっそのこと街を脱出して、青い空に涼やかな風の北海道に足を運ぶのはどうだろう。北の大地は、観光地も多く海の幸を筆頭に数多くのグルメも楽しめる夏旅の定番だ。さらに「北海道遺産」のスポットを巡っていけば、より思い出深い旅になるだろう。北海道ドライブ旅のテーマは「北海道遺産」。旅慣れていてもその意味合いや全貌を知る人はそれほど多くはないだろう。北海道遺産には北海道旅をより深くより楽しくするスポットが目白押しなのだ。小樽・札幌・積丹エリア年間を通じて多くの観光客が訪れる小樽・札幌・積丹(しゃこたん)の道央エリア。今なお北海道開拓の足跡を見ることができ、北海道の貿易や街づくりの拠点ともなった道央エリアの北海道遺産を紹介する。SPOT1 ニッカウヰスキー余市蒸溜所昭和11年以来ウイスキー造りの火が続くニッカウヰスキーJR「余市駅」と向かい合うように建つ余市蒸溜所正門国産ウィスキー造りに生涯を賭けた男の聖地明治2年(1869)、明治政府は開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改称した。そして2年後には開拓事業の本拠地を函館から札幌へ移転。以来、北海道の発展は札幌を中心とする道央地域を抜きには語れなくなった。という背景もあり、この地域には北海道開拓の足跡が随所に残されている。そのため近代日本の産業を牽引してきた歴史を、肌で感じられるのだ。まずはそんな遺産の代表格と言える「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」を訪ねてみた。ここは昭和9年(1934)、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝により、同社初の蒸溜所として建設された。余市が選ばれた理由としては、良質な水が豊富だったこと、原料となる大麦を集めやすい地であったこと、鉄道の便があることなどが挙げられる。加えて豊かな自然と夏でも涼しい気候が、本場のスコットランドに通じていたからだという。確かに、大都会の札幌から余市へとドライブすると、どんどん空が高く広がっていくのと同時に、空気が澄んでいくさまをはっきりと感じられる。眼前に広がる群青色の日本海も、ウイスキーの味に深みを与えてくれるのだろう。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、この地からは良質のピート(草炭)が採取できることだ。「ウイスキーは北の風土によって育まれる」という確固たる信念を抱いていた竹鶴にとって、余市は自分が理想とするウイスキー造りの条件を完璧に満たしていた地であった。そんな余市の蒸溜所にポットスチルが据えられ、火がくべられたのは昭和11年(1936)のこと。以来、当時と変わらない製法でウイスキーが造られている。余市蒸溜所に一歩足を踏み入れると、札幌軟石で造られた尖り屋根の工場群に目を奪われる。鮮やかな赤い屋根の向こうにある青空は、まるで絵画の背景のようだ。事務所や見学者の待合室となっている蒸溜所正門、現在は蒸溜液受タンク室となっている貯蔵庫、同じく混和室となっているリキュール工場など、9棟が国の登録有形文化財に認定されている。「建造物だけでなく、ウイスキー製造工程と平成10年(1998)に貯蔵庫を2棟改築して造られたウイスキー博物館の見学も楽しめます。博物館内では10年もののシングルカスクウイスキー(原酒)の試飲ができますよ」と、北海道工場総務部長の高橋智英さん。今年で創業85年目を迎えた蒸溜所にとって追い風となったのが、平成30年(2018)12月8日に後志自動車道の余市ICまでの23・3㎞区間が開通したこと。これにより札幌の中心地から蒸溜所まで、クルマで1時間もあれば行けるようになったのだ。SPOT2 開拓使時代の洋風建築明治人の開拓精神が息づくハイカラな建物明治14年(1881)に撮影された豊平館。現在は中島公園内に移築された。白い下見板にウルトラマリンブルーを使った枠まわりが美しい。正面中央部の棟飾りなどには、開拓使の建物であることを示す五稜星があしらわれる。明治人の気概と共に、異国情緒を感じる建物札幌の街中には、開拓使によって建設された洋風の建物が10棟近く遺されている。その中で当時の雰囲気を今なお残しているのが、開拓使官営のホテルとして明治13年(1880)に完成した「豊平館」だ。今は中島公園内に移築されているので、都会の中のオアシスのような存在となっている。「アメリカ風の建築様式にもかかわらず、各部屋の天井を飾るシャンデリアの吊元を飾っている円形の装飾は、日本独自の漆喰を使っています。それは幕末から明治初期に活躍した、伊豆松崎出身の入江長八の流れをくむ職人の手によるものと考えられています」(ガイド・猪股修輔さん)豊平館の外壁には、鮮やかなウルトラマリンブルーの顔料が使用されている。それとは対照的な木造のシックな建物が、開拓使の貴賓接待所として利用された「清華亭」だ。この建物は札幌初の都市型公園「偕楽園」の中に建てられていた。その最大の特徴は、全体に洋風の造りであるが、随所に和風の様式を調和させている点。和洋室併設住宅の先がけなのだ。今は閑静な住宅街にポツンと佇んでいる。建物の周囲には木立が茂っているため、往時の姿を容易に思い浮かべられる。風が吹くと木の葉がザワめき、それが開拓使の歓声のようにも聞こえてきた。そして忘れられないのが、明治11年(1878)に札幌農学校の演武場として建てられ、今では北海道のシンボル的な存在となっている「時計台」である。これは日本最古の塔時計で、バルーンフレーム構造という木を鱗状に重ねた外壁が特徴。今も2階ホールで音楽会などが行われる。札幌の中心地に位置するだけあって、カメラを手にした観光客の姿が、ほぼ終日にわたり途切れることはない。市内を巡る観光馬車と行き会えば、絶好のシャッターチャンスとなるだろう。SPOT3 札幌苗穂地区の工場・記念館群北海道における産業の発達を伝える施設明治時代の雰囲気をそのまま今に伝える博物館が入った開拓使館外観。日本近代産業の礎となった工場と記念館が建ち並ぶ「産業の街」と呼ばれている札幌市の苗穂地区。ここは豊平川の豊富な伏流水や、貨物輸送の利便性が着目され、明治初期から工業地帯として発展してきた。今も醤油製造を続け、全道一のシェアを誇る福山醸造をはじめ、大小様々な工場や倉庫がひしめいている。そんな下町情緒あふれるJR函館本線「苗穂駅」近隣には、北海道の産業史を振り返るうえで欠かせない「北海道鉄道技術館」「サッポロビール博物館」「雪印メグミルク酪農と乳の歴史館」「千歳鶴酒ミュージアム」などがあり、記念館群が形成されている。これらの工場群と記念館群がまとまり、北海道の産業史を後世に伝える北海道遺産に認定された。周辺に足を踏み入れると、まるで明治時代の活況が目の前に浮かんでくるような感覚に陥る。なぜだか昭和の香りも漂ってくる。それは古い工場が集まっている場所に漂う、独特の懐古感に包まれているからかもしれない。赤煉瓦や石壁に囲まれた路地は、工場好き人間には堪らないご褒美なのだ。そこでまず目に飛び込んでくるのが、明治の面影を色濃く残す赤煉瓦造りの「サッポロビール博物館」だ。サッポロビールの歩みを中心に、日本のビール産業史を豊富な資料や映像、ポスター、さらには実際に工場で使われていた実物資料で振り返ることができる。「昭和40年(1965)から平成15年(2003)まで札幌工場で使われていたこの煮沸釜は、直径が6.1m。500ml缶に換算すると、何と17万本に相当する仕込みができます」(サッポロビール博物館副館長・久保喜章さん)昭和52年(1977)、酪農と乳業の発展の歴史を後世に正しく伝承する目的で、雪印メグミルク札幌工場の隣に「酪農と乳の歴史館」が建てられた。館長の増田大輔さんによると「バターなどの乳製品お製造工程を、わかりやすくご説明しております。」とのこと。館内には創業当時のバター作りの機械や、製造ラインを再現した模型など、興味深い展示が目白押し。乳製品の試飲が楽しめるだけでなく、実際に稼働している工場を見学することもできる。SPOT4 北海道大学札幌農学校第2農場近代農業史を伝える最古の洋式農業建築群奥が模範家畜房のモデルバーン。外壁の板が縦に張られているのがアメリカ流。2階に乾草を格納していたため背が高い。手前は明治42年(1909)に建てられた牝牛舎。外壁の板は日本風に横張りで、サイロが附属するので背が低い。明治期の洋式建築技術の粋に触れてみる「第2農場は、札幌農学校が開校した明治9年(1876)直後から90年近く続いた研究施設です。約1万9000㎡の敷地内で、家畜を使った洋式農法を実践していました。明治10年(1877)に建てられたモデルバーンやコーンバーン、明治42年(1909)に建築された牝牛舎など、9棟の施設が現存しています」(北海道大学名誉教授・近藤誠司さん)モデルバーンは最古の洋式農業建築で、初代教頭のクラーク博士が前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建設した畜舎をモデルにしている。牛と馬の家畜房のほかに、牧草の乾燥収納庫を備えた木造2階建てで、地下を有する3層となっていた。モデルバーンと同じ年に建てられたコーンバーンは、トウモロコシを貯蔵するための施設。高床式の木造2階建てで、ねずみ返しが付いている。どちらもツーバイフォーの起源といわれる「バルーンフレーム方式」という工法。近藤さんによれば「日本の大工が独自に手を加え、日本の気候風土に合わせアレンジしている」という。SPOT5 札幌軟石開拓時代の建築資材の主力を担った凝灰岩札幌市資料館は、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた。当初は札幌オリンピック関係の資料や札幌にゆかりのある文学関係の資料が展示されていた。現在は控訴院時代の法廷を復元している。札幌や小樽で見られる独特な石造りの建物札幌の街を歩いていると、日本では珍しい石造りの蔵や倉庫をよく目にする。使用されている石材は約4万年前、支笏湖を形成した火山活動での火砕流が固まった岩石で「札幌軟石」と呼ばれるものだ。加工がしやすく、防火性に優れた特性だったから、開拓使が廉価な不燃建材として広く使用した。老朽化が進み、建て替えも増えたというが、それでも札幌市の中心街には、いまだ現役の建物も多い。しかも店舗も少なくないので、街中散策を兼ねて探して回るのも悪くない。散策後は札幌を後にして、炭鉱の街・空知へ向かう。SPOT6 空知の炭鉱関連施設と生活文化日本の近代化を支えた国内最大の産炭地目を奪われるほどの迫力をもつ「旧住友奔別炭鉱立坑櫓」。櫓の高さは51m、地下は-735m。昭和35年(1960)に稼働、昭和46年(1971)には閉山した。観光資源として新たな活用が注目される炭鉱空知地域には最盛期であった1960年代、約110の炭鉱があり、約1750万tもの石炭を産出する国内最大の産炭地であった。日本の近代化を支え続けた炭鉱だったが、エネルギー政策の転換によって1990年代、空知の坑内堀り炭鉱は全て閉山する。だが今も広大な地域に立坑櫓や炭鉱住宅、炭鉱鉄道関連施設など、ヤマ(炭鉱)に関する多くの記憶が遺されている。まずはJR「岩見沢駅」前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、情報を仕入れるのが得策だ。「実際に炭鉱で働いていた方を中心としたガイドのお話を聞きながら、旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部や坑内で使われていた大型機械が展示されている自走枠工場などを見学するツアーや、閉山で廃校になった小学校を利用して彫刻家の安田侃氏の作品を常時展示している美術館・アルテピアッツァ美唄など、見どころは盛りだくさんです。炭鉱関連だけでなく、様々な情報をお伝えできますので、立ち寄ってみてください」(事務局員・横山真由美さん)空知の炭鉱関連施設を巡る場合、エリアがあまりにも広大なのでクルマ移動が欠かせない。移動中も美唄市光珠内町~滝川新町まで、日本一長い29・2㎞の直線が続く国道12号線など、いかにも北海道らしい夏の風景を楽しめる。※こちらは男の隠れ家2019年8月号より一部抜粋しております

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  • すべて見せます! 小京都 -郡上八幡-

    観光地のキャッチフレーズに「小京都」という言葉を見聞きすることがある。京都っぽい観光地なのかな、と見過ごしていたが、実は小京都と呼ばれるには「全国京都会議」の加盟基準があるのだ。「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能がある」という条件にひとつでも合致していれば加盟できるというものだ。加盟していない観光地でも観光目的で「小京都」をうたっている所はある。郡上八幡[岐阜県郡上市]名水が人々の暮らしに寄り添う奥美濃の小京都長良川の支流の吉田川沿いに、郡上八幡の中心部が開けている。八幡山の山頂には町のシンボルの郡上八幡城が建つ。防火としての目的もあった水路が通る美しき城下町町を歩いていると、至るところから心地よい水音が耳に響いてくる。ほとばしる渓流の瀬音、家々の軒下を流れる水路のせせらぎ、水舟という槽に注ぐ水の滴……。長良川の支流の吉田川を中心に、山から引き込まれた水や湧水が町中を縦横無尽に流れ、その豊かな水は古くから人々の暮らしに寄り添ってきた。町を潤す美しい水風景。郡上八幡は、まさに〝水の都〟という喩えが相応しい山あいの城下町である。町は八幡山の頂に建つ郡上八幡城に見守られるように広がり、町筋には職人町、鍛冶屋町といったかつての生業が偲ばれる町名などが今も残る。軒を連ねる古い町家の形式は、京都に似て間口は狭く奥に長い造り。また、通りの辻には町の防衛のため13もの寺が配置されていることなどから、郡上八幡は奥美濃の小京都ともいわれている。清らかな水と風情ある城下町の佇まい。南北約1㎞、東西約2㎞。ぐるりと1~3時間で散策できる町の規模もちょうどいい。もちろん、じっくり見て回れば時間はいくらあっても足りないほど。町に宿を取り、朝夕の静かな時間にそぞろ歩くのも楽しみ方のひとつだろう。職人町や鍛冶屋町あたりは特に風情があり、袖壁や格子のある家々が軒を連ねる。郡上八幡旧庁舎記念館/インフォメーションも兼ねている同記念館内の食堂で提供しているのが郡上の郷土料理“鶏ちゃん”。オリジナルの味は、若鶏のもも肉と野菜を地味噌ベースのタレで味付け。定食で1080円。「作家の司馬遼太郎が日本で一番美しい山城、と讃えたのが郡上八幡城だそうです」。山頂の天守閣を仰ぎ見ながらそう話すのは、町を一緒に歩いた「郡上八幡まちなみ観光案内人」の塚原秋夫さんだ。司馬遼太郎の作品に『功名が辻』がある。戦国武将・山内一豊と妻の千代の生涯、内助の功を描いた物語だが、実は郡上八幡はその千代の生まれ故郷という縁がある。司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で評した郡上八幡城は、昭和8年(1933)に大垣城を参考に再建された模擬天守閣。しかし4層5階建の木造建築は全国の復興城郭の先駆の城としても知られ、深緑の山に映える白亜の姿は確かに優美だ。「昨今は霧に浮かぶ幻想的な姿も知られ、天空の城ともいわれます」郡上八幡城を最初に築いたのは、永禄2年(1559)に八幡山に陣を敷いた遠藤盛数。この地は美濃、飛騨、越前への要衝にあり、長良川や吉田川も自然の要害として最適だったという。町を整備したのは四代城主・遠藤慶隆。慶隆は寺社の建立や町造りに力を注ぎ、同時にそれまで各所で行われていた盆踊りをひとつにまとめて城下で踊ることを奨励した。目的は領民たちの融和をはかるためで、これが国の重要無形民俗文化財にも指定されている「郡上おどり」の始まりである。「観光客も地元の人も一緒に踊るのが特徴です。郡上おどりは見る踊りではなく、参加する踊り。ぜひ踊りの輪に加わってみてください」と塚原さんは笑顔で話す。長敬寺の山門から職人町方面の古い町並みを望む。2階部分に見られる防火のための袖壁や、軒下に流れる水路などの様子がよくわかる。町歩きは下級武士たちの住まいがあったという柳町を経て、職人町方面へ。途中、郡上おどりの実演と歴史が学べる「郡上八幡博覧館」に立ち寄り、長敬寺へと向かう。長敬寺の山門付近から見る、職人町・鍛冶屋町へ続く通りはひときわ印象的だ。袖壁や出格子を備えた古い町家が軒を連ね、水路が清々しい水音を立てている。仕切りの袖壁は防火のため。家々の軒下にぶら下がるバケツも防火用だという。承応元年(1653)、町を焼き尽くす大火事が起こる。焦土と化した町の復興を手がけたのは六代城主の遠藤常友だった。4年の歳月をかけて上流から水を引き入れ、城下の町割りに沿って水路を築造。水路は普段は野菜や米を洗う生活用水に使われ、いざ火事が起きた時は防火用水になったのである。「バケツはさすがに今は使用しませんが、当時の様子がうかがい知れますね」。今見られる水路のある町並みは主にこの時代のものだという。慈恩禅寺/慶長11年(1606)、八幡城主・遠藤慶隆が開基した、臨済宗妙心寺派の名刹。特に半山禅師の作庭の室町様式の庭園「草園」が素晴らしい。自然の岩山を背景とし、清々しく流れ落ちる滝が幽玄な雰囲気を醸し出している庭園を、是非鑑賞しておきたい。さらに水の町を象徴するのが宗祇水だ。小さな社が組まれた下からこぽこぽと水が湧出し、涼感たっぷり。柄杓ですくって口に含むと、やわらかな水が喉にするりと落ちた。宗祇水の名は連歌の宗匠の飯尾宗祇がここに草庵を結び、水を愛用したことに由来する。町中を巡る清冽な水はまた、染物の色を鮮やかにするのにも役立ってきた。訪ねたのは本藍染めの技を430年余り守り続ける「渡辺染物店」。築180年の趣ある建物に足を踏み入れると、独特の藍の香りとともに丸い藍甕が目に留まった。甕には灰汁と蒅、消石灰などを合わせて熟成させた藍液が満たされ、この液に布を繰り返し浸して染めるのだという。十五代目の渡辺一吉さんに実際に絞り染めを見せていただくと、藍甕に浸すごとに徐々に色の深みが増していくのがわかった。そして、店の前に流れる水路へと移動。堰板で流れを止めた水にさらすと、布はみるみる藍色を際立たせ、より美しさを放ったのである。「水がいいと発色がいいんですね」 明治時代には町に17 軒の染屋があったが、現在はこの一軒だけに。「伝統の技も郡上の水も大切に守りたい」。渡辺さんは穏やかな口調でそう言葉を結んだ。そして名水散策の最後に向かったのは、渡辺染物店のほど近くにある「慈恩禅寺」。市指定名勝庭園「草園」が素晴らしい臨済宗妙心寺派の禅寺である。東殿山麓の自然の岩壁をそのまま背景として生かした室町様式の庭園。岩肌を濡らして一筋の滝が池へと流れ落ち、新緑、紅葉と四季折々の彩りが添えられるとそれは一幅の絵画のよう。庭と対峙するように座し、深くひと呼吸して目を閉じる。静寂の中にただ響くのは、木々を揺らす風の音と清らかな水音だけであった。郡上本染 渡辺染物店/創業はおよそ430年前の天正年間(1573~1592)。水の町のこの地で藍染め一筋に歴史を重ねてきた染物店。現在は十四代目の渡辺庄吉さんと十五代目の一吉さんが伝統の技を継承。江戸中期の藍瓶を今も使い、十数回繰り返し浸して染めるのが特徴だ。昭和52年(1977)、岐阜県重要無形文化財に指定。※こちらは男の隠れ家2017年7月号より一部抜粋しております

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  • -キャンピングカー旅ルポ- 伊豆の自然を満喫する 大人のお洒落なキャンプ旅

    圧巻の景色が続く道を走り キャンプサイトで快適な夜を緑まばゆい丘陵地に緩やかにカーブを描いて続く爽快なワインディングロード。車窓に映るのは、左手眼下に相模湾、右手に駿河湾のきらめき、そして雪を頂いた霊峰富士の秀麗な姿……。それらのパノラマが目に飛び込んでくるたび、2人で声を合わせたように歓声を上げてしまう。車高が高いキャブコン「アンセイエ」の座席からということもあるだろう、いつもと少し異なる目線では景色もよりワイドに見える。クルマを走らせていたのは伊豆半島中央部の山稜に延びる伊豆スカイライン。富士箱根伊豆国立公園内を走る自動車専用の有料道路で、屈指の眺望を誇るドライブウェイだ。そんなランドスケープや周辺の観光スポットを楽しみながら目指すのは、伊豆の国市長者原の山あいにある「モビリティーパーク」。今回のキャンピングカーの旅の拠点にと選んだ場所で、伊豆の東西南北各地へのアクセスにも便利な人気のキャンプフィールドだ。久しぶりの夫婦2人のキャンピングカーでのドライブ旅。以前にその非日常の空間と時間を満喫する旅スタイルを体験し、以来、2人ともすっかりキャンピングカーという特別なクルマに魅了されている。思い立って動くことができ、旅先も宿泊先も自由自在。そのフレキシブルさが何とも気軽で心地いいのだ。また、旅費が節約できる分、食事を贅沢にできるのも楽しみのひとつ。今回はルート上のレストランをチェックし、車内で食べるディナーもちょっとリッチに凝ってみることにした。食材は高速に入る前に買い揃えておいたので準備も万端だ。小田原厚木道路から箱根ターンパイクに入ると、ひとカーブごとに標高が上がってくるのがわかる。フロントガラスに映る緑陰も清々しい。芦ノ湖と富士山が見える大観山ポイントを過ぎて十国峠へ向かい、さらに熱海峠まで来るとここからが伊豆スカイラインの始まりだ。峠の標高は635m。富士山は雄大さを増し、その先の玄岳付近では大きく開けた景色が待ち構えていた。ウッドデッキの展望台がある玄岳駐車場からは、東側に熱海市街地と相模湾、北西側に富士山が一望のもと。付近は伊豆半島の成り立ちの痕跡がある伊豆半島ジオパーク指定地のひとつでもあり、標高798mの玄岳は海底火山が本州に衝突して出来上がったとされている。 道は玄岳の西側を回り込むように延びて韮山峠へ。途中にも西丹那駐車場、池の向駐車場など絶景地が点在し、このあたりからは駿河湾が望め、富士山も裾野の長い美しい姿を見せるようになる。さらに韮山峠を経て亀石峠インターを下り、県道19号線に合流。目的地のモビリティパークはインターから10分ほどの距離だが、ランチを食べるため県道を先へと進み「中伊豆ワイナリー シャトーT・S」へと向かった。ナビが誘導する山あいの道をたどると、突如現れる一面のブドウ畑と白亜のシャトー。その異国的な風景は感動を覚えるほどで、アメリカのワイン産地ナパバレーをイメージしたという当社のコンセプトそのものだ。ブドウ畑を望むレストランでは、自社栽培ブドウで醸したワインと共にパスタランチを堪能。さらに今夜のキャンピングカーでのディナー用にワインを購入する。ワインが飲めなかったドライバーの夫のため、じっくりテイスティングして香り豊かなボトルを選んだ。また、今回は旅の最後に足を運んだのだが、修善寺温泉近くの「ベアードブルーイング」でクラフトビールを仕入れておくのもいい。個性豊かなビールが多彩に揃い、ディナーをさらに素敵にしてくれるはずだ。さて、いよいよ旅のハイライトのモビリティーパークへ。入口からメタセコイヤの並木道をゆっくり進み、受け付けを済ませてキャンピングカーサイトにクルマを停める。自然の森や地形を生かした広大なキャンプフィールドには、ほかにもテントサイトやトレーラーホーム、ログハウスやコテージなどもあり、展望風呂や炊事場なども完備。キャンピングカーサイトには上下水道やAC電源などがあるので、車内の冷蔵庫やエアコンなどをフルに活用するのにもってこいだ。セッティングを終えてひと休みしていると、夕闇がうっすらと森を包み始めた。そろそろディナーの準備開始だ。車内のキッチンでサラダ用の野菜をカットしたりローストビーフを並べたり。メインのラザニアは家で下ごしらえをしているので温めるだけでいいが、今回のクルマには電子レンジが付いているのでそれもあっという間である。そして、待ちきれない様子の夫がさっそくワインの栓を開け、乾杯!昼間に飲めなかっただけに美味しさも格別だと、笑顔満面だ。日常とは違う時間の流れの中では会話も弾む気がするが、それより、少年のような目をして楽しむ夫がいつもより色々と動いてくれることが何だか嬉しい。ディナーの後は夫が焚き火を起こし、珈琲を淹れてくれた。パチパチと薪がはぜる音を耳に、静かに更けていく夜。安らかな心持ちへといざなう炎の温かさ。そんな穏やかな気分のまま寝袋に潜り込むと、すぐに深い眠りに落ちた。野鳥の声に起こされるまで、ぐっすりと眠っていた「アンセイエ」での一夜。思いのほか寝心地がよく一度も起きることはなかった。窓の外ではもう木々の間に朝陽がきらめいている。今日も天気はよさそう。さて、今日は伊豆半島の南部へと足を延ばしてみようか。※こちらは男の隠れ家2018年6月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -関東・東北・北海道編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!関東太平山の桜開花時期/3月下旬~4月上旬山頂から関東平野が一望でき、桜の名所としても名高い太平山。この山を中心に整備された太平山自然公園には約4000本の桜が植えられている。山麓から山頂へと続く太平山北側遊覧道路の両側には約2kmの桜並木が続き、満開時のトンネルが美しい。おおひらさんのさくら所在地/栃木県栃木市平井町~薗部町--------------------------------------------------幸手権現堂桜提開花時期/3月下旬~4月上旬幸手市の北部にある権現堂公園では、春を迎えると長さ1㎞の堤に約1000本のソメイヨシノが咲き誇り、見事な桜のトンネルが出来上がる。毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される桜まつり期間中には約100店舗の露店が出店し、たくさんの花見客で賑わう。さってごんげんどうさくらつつみ所在地/埼玉県幸手市内国府間887-3--------------------------------------------------天平の丘公園開花時期/3月下旬~4月下旬約11haの敷地内に美しい自然林と貴重な史跡が融合する天平の丘公園は、有数の花見スポットとして地元の人々から親しまれている。花広場周辺に植えられた八重桜を中心に、ヒガンザクラやウスズミザクラなど約450本もの様々な種類の桜が楽しめる。てんぴょうのおかこうえん所在地/栃木県下野市国分寺993-1--------------------------------------------------桜坂開花時期/4月上旬~4月中旬福山雅治の歌で一躍有名になった桜坂。その後アニメ番組の舞台になった影響もあり、今や若者の聖地巡礼の場にもなっている。最寄り駅は東急多摩川線の沼部駅。住宅街近くの道路の両側に植えられた30本ほどの桜が、満開時には桜のトンネルとなる。さくらざか所在地/東京都大田区田園調布本町19--------------------------------------------------東北みなみかた千本桜ドライブロード開花時期/4月中旬~下旬登米市の南方町高石地区から梶沼地区までの6kmに及ぶ市道の両側に、1000本の桜が植えられている桜並木。延々と続く桜のトンネルをくぐりながら、のんびりとドライブを楽しみたい。4月下旬にはさくら祭りも開催。みなみかたせんぼんざくらどらいぶろーど所在地/宮城県登米市南方町高石--------------------------------------------------北海道戸田記念墓地公園開花時期/5月上旬~中旬158万㎡の広大な敷地の中に、およそ8000本ものソメイヨシノが植えられた墓地公園。道内有数の桜の名所として知られ、ゴールデンウイークが終わる頃から一斉に開花する。園内の散策路「桜冠の道」では道の両側から桜に覆われ、桜のトンネルが出来上がる。とだきねんぼちこうえん所在地/北海道石狩市厚田区望来327--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -中国・近畿・中部編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!中国野呂山さざなみスカイライン開花時期/4月上旬~中旬呉市にある野呂山の麓から、標高839mの山頂へとつながる観光道路・野呂山さざなみスカイライン。わずか10kmほどの道のりが山頂まで続くので急カーブが多く、運転には注意したい。4月上旬になると、沿道に沿って植えられた約200本の桜並木が開花して桜のトンネルとなり、毎年それ目当ての花見客で賑わう。のろさんさざなみすかいらいん所在地/広島県呉市川尻町野呂山--------------------------------------------------斐伊川堤防桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬斐伊川沿いに800本の桜が植えられた、中国地方随一の美しさと讃えられる桜並木。「日本さくら名所100選」にも選ばれている。毎年3月下旬から4月中旬には「雲南市桜まつり」が開催され、多くの花見客で賑わう。全長2kmにわたる満開時の桜のトンネルは実に見事。ひいかわていぼうさくらなみき所在地/島根県雲南市木次町木次--------------------------------------------------上山の桜並木開花時期/4月上旬~中旬市内から上山町へ向かう道の両側約5kmに、約500本の吉野桜が咲き並ぶ桜のトンネル。開花シーズンには家族連れなどたくさんの花見客で賑わいを見せる。毎年4月中旬には「うやま桜まつり」が開催され、ステージイベントやゲーム大会なども行われる。うやまのさくらなみき所在地/広島県府中市上山町--------------------------------------------------府中公園開花時期/4月上旬~中旬JR福塩線・府中駅より徒歩で約15分ほどの場所に位置し、3万8000㎡もの敷地の中に運動広場や児童広場などの様々な施設が設置された都市公園。春になると数百本の桜が一斉に咲きほころび、園内にある庄ノ池の周囲の遊歩道に並んだ桜が見事なトンネルになる。ふちゅうこうえん所在地/広島県府中市出口町--------------------------------------------------近畿五月山開花時期/3月下旬~4月中旬大阪・北摂地区有数の桜の名所として知られ、池田市民にはシンボル的な存在として親しまれている五月山。桜が満開になる4月上旬の土日には、周辺の五月山公園と池田城跡公園で毎年さくらまつりが開催され、山の中を走る道路沿いの桜並木が桜のトンネルとなる。さつきやま所在地/大阪府池田市--------------------------------------------------中部鍋田川堤桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬町道鍋田川線沿い約4kmにわたって、ソメイヨシノを中心とした約1500本の桜が植えられた桜並木。満開時には空が見えなくなるほど見事に咲き誇り、文字通りの桜のトンネルが出来上がる。その中をくぐり抜ける気分は最高だ。なべたがわていさくらなみき所在地/三重県桑名郡木曽岬町和富--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -九州・四国編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!九州宇土市立岡自然公園の桜開花時期/3月下旬~4月上旬約2000本のソメイヨシノが植えられた宇土市花園地区の立岡自然公園。園内には立岡池と花園池の隣り合ったふたつの池があり、その間を通る道が満開時には250mの桜のトンネルとなる。湖面に映る桜も美しい。開花時期には、ぼんぼりに灯をともしたライトアップも毎年行われている。うとしたちおかしぜんこうえんのさくら所在地/熊本県宇土市立岡--------------------------------------------------秋月の桜トンネル開花時期/3月下旬~4月上旬もともとは武士たちの馬術の稽古を行う杉並木だったが、日露戦争の戦勝を記念して桜に植え替えられたという逸話のある並木道。そのため、地元では現在でも「杉の馬場」と呼ばれる。ソメイヨシノの満開時には約500mにわたる桜のトンネルが人々の目を楽しませる。あきづきのさくらとんねる所在地/福岡県朝倉市秋月野鳥--------------------------------------------------ハーモニーランドのハーモニートレイン開花時期/3月下旬~4月上旬ハローキティに会える屋外型テーマパーク・ハーモニーランド。園内各所にお花見スポットがある中で、桜シーズンに一番オススメのアトラクションは「ハーモニートレイン」。桜のトンネルをくぐりながらのんびりと走る列車に揺られ、子供も大人も大喜び。はーもにーらんどのはーもにーとれいん所在地/大分県速見郡日出町大字藤原5933四国香川県立公渕森林公園開花時期/3月下旬~4月上旬公渕池と城池の2つの池の周りに造られた約93haの広大な公営の森林公園。芝生広場や森林学習展示館、キャンプ場など様々な施設があり、「水と緑と花の公園」として親しまれている。園内には約5000本の桜が植えられ、メイン通りの桜のトンネルが一番の見どころ。かがわけんりつきんぶちしんりんこうえん所在地/香川県高松市東植田町寺峰1210-3--------------------------------------------------家地川公園開花時期/3月下旬~4月上旬四万十川沿いにあり、毎年3月下旬になると約300本のソメイヨシノが一斉に咲き誇る家地川公園。花が咲き始めると桜のトンネルとなった遊歩道やダム湖の湖面に映った桜をひと目見ようと、家族連れなど多くの花見客で賑わう。最盛期には桜まつりも毎年開催される。いえじがわこうえん所在地/高知県高岡郡四万十町家地川--------------------------------------------------鏡野公園の桜開花時期/3月下旬~4月中旬昭和53年の「全国植樹祭」を記念して、旧土佐山田町に開園した都市公園。園内にはソメイヨシノや八重桜など様々な種類の桜がおよそ600本あり、その中でも全長約200mの桜のトンネルが一番の人気スポット。「日本さくら名所100選」にも選定されている。かがみのこうえんのさくら所在地/高知県香美市土佐山田町宮ノ口--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 快適車中泊のすすめ -高断熱&プライバシー 保護がポイント-

    AIZUマルチシェード■参考価格(E51型エルグランド)※車種・仕様などにより価格は異なります。マルチシェード・シルバー/グレー フロント3枚セット 価格/1万800円マルチシェード・シルバー/グレー リア5枚セット 価格/1万8900円……商品に関する問い合わせ/アイズ ☎053-422-760810:00〜18:00(日祝・第2・4土曜休業)http://www.aizu-rv.co.jp/車旅愛好家の間で必須アイテムとして絶大な支持を得ているのがアイズの「マルチシェード」だ。車は窓ガラス部分が多く、車内は外気の影響をもろに受ける。そのままでは夏は暑く、冬は寒くなり、車内泊どころではなくなってしまう。そこでマルチシェードの登場だ。最大の特徴は断熱性の高さにある。まず注目したいのは、車外側に補強材入りアルミ蒸着シートを採用していること。これにより夏は直射日光を反射して車内温度の上昇を抑制。冬は車外の冷気を遮断し、結露も防止してくれる。断熱性能を高めるため、180g/㎡と量感のある中綿をはさんでいるのもポイントだ。車内側には安全面に配慮した難燃性フレンチパイル生地を使用している。高い断熱性能を確保するため、マルチシェードは完全車種別設計でフィッティング性を高めている。近年増えているドライブレコーダーなど、最新の状況を踏まえ、サイズを調整したり吸盤を増設したりするなど、常に改良が加えられている。フィッティングがいいので、車外からの視線もまったく気にならない。就寝中のプライバシー確保などセキュリティ面でも安心感が高い。❶車外側はアルミ蒸着シートを使用。夏の強い日差しを反射して断熱性を高める。❷窓ガラスに吸盤部分を押し付けるだけ。誰でも簡単に装着できる。❸コンパクトに折りたためるので車内に常備しても邪魔にならない。❹車種別専用設計の網戸「ウィンドーバグネット」もあると便利。虫の侵入を防ぎつつ通気を確保できる。窓枠にはめ込むだけの簡単装着。そのまま窓の開閉もできる優れものだ。参考価格(E51型エルグランド)フロントウィンドー(2枚)セット1万800円マルチシェードは国産/輸入を問わず400車種以上に対応。車種別専用設計で窓枠にジャストフィットするので断熱効果は抜群。車内泊をはじめさまざまなシーンで活用したい。※こちらは男の隠れ家2018年6月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • Enjoy camper life キャンピングカーオーナー登場 part.2

    3兵庫県 網盛 徹さん(43歳)広い車内空間が 家族の憩いの場となるバンテック/コルドバンクス2015年購入(中古車)走行距離/約1万5000km価格/約500万円家族との旅も楽しく、旅先で初対面のキャンパーと仲良くなるのもまた楽しいという網盛さん。ペットも一緒に旅に連れて行けるので、子供たちにとって良い思い出になります」と家族愛を語る網盛さん。1台目のキャンピングカーはベッド展開が必要だったが、今乗っている2台目は常設ベッドを装備。子供を寝かしつけた後は、夫婦2人で中央テーブルでくつろいでいるという。また車内には十分な収納スペースや空調設備が備わっているので快適に旅ができる。今後はソーラーパネルを設置し、利便性を高めたいと話す。4神奈川県 広瀬正尚さん(45歳)日本の道路事情に合った コンパクトなキャブコンファンルーチェ/セレンゲティ2017年購入(新車)走行距離/約1万km価格/約750万円以前乗っていたカムロードに比べ、乗り心地が良くなったという。宿泊施設への予約が不要で、思い立ったらすぐに出発できるため、「金曜の仕事終わりから日曜の夜までたっぷり遊べるようになりました」と話す広瀬さん。長距離運転も多々あるのでホイールやシートを交換。今後はスタビライザーを装備し走行性を高めていくという。※こちらは男の隠れ家2018年6月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • Enjoy camper life キャンピングカーオーナー登場 part.1

    1東京都 櫛原三千男さん(68歳)キャンピングカーを中心にした アメリカに憧れたライフスタイルボナンザ/ジェイコ メルボーン29D2015年購入(新車)走行距離/約1万マイル価格/約1700万円富士山麓の専用のガレージで富士を望みながらくつろぐオーナーの櫛原さん。キャンピングカーのために専用の施設を富士山麓に 全長10mのアメリカ製キャンピングカーを所有しているのは、イベント企画などの会社を経営している櫛原さん。趣味はバイクとキャンプ。キャンピングカーを所有するまではバイクでキャンプをしていたが、自分の好きな空間で過ごしたいということから購入したのがこのキャンピングカーだ。「若い頃からアメリカンなスタイルに憧れていたため迷わずこのクルマを選びました」という櫛原さん。室内はマット類などをネイティブアメリカンのデザインで統一している。クルマの置き場は山梨県の富士山麓。都内で持つにはクルマが大きすぎるので、ここに専用のガレージを設置したという。自分のライフスタイルをそのまま旅先へと持ち込め、ペットの猫も一緒に連れて行けるキャンピングカー。「手に入れて正解でした」。左/トイレ、洗面台はシャワールームと別に独立して設けられている。中/キッチンには4口コンロとガスレンジも装備。バスのように巨大な後ろ姿。はしごを登ってルーフに上がると太陽電池パネルがずらりと並んでいる。停車時に左右に電動で広げられるリビングスペース。その広さは圧巻だ。2群馬県 矢吹友一さん(47歳) お気に入りのクルマで 家族や仲間と旅へ!!フィールドライフ/バロッコ2014年購入(新車)走行距離/約1万9000km価格/約450万円ポップアップルーフやオーニング、サイクルキャリアなどを取り付け、思いたったらすぐキャンプが楽しめるクルマを通じて生まれたキャンパー同士のつながり軽キャンパーを手にしてからは、気が向いたらすぐに遊びに行けるようになったという矢吹さん。車内は狭いと感じることはなく、ちょうどいい大きさ。小回りが利くだけでなく、維持費や燃費が低く抑えられるので、自身にぴったりな一台だという。「SNSを通じてキャンパー仲間がたくさんでき、この前は仲間と一緒にカヤックツアーに行ってきました」。ほかにもホタル鑑賞キャンプに出かけ、夜は野外料理とお酒を囲んで仲間と旅の話で盛り上がるなど、充実のキャンパーライフを手に入れた。「これからも気ままにキャンプへ出たいですね」。キャンプの際にはサイドオーニングを広げつつ、テントを設営しました。大型の荷物もサイクルキャリアに入れておけば出し入れも簡単にできます。※こちらは男の隠れ家2018年6月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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