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男の隠れ家コンテンツ

  • 【3大グルメ企画】 第四章「味の萬楽」編

    秋葉原駅と御茶ノ水駅の中間あたりにある「味の萬楽」秋葉原駅と御茶ノ水駅の中間あたりにある「味の萬楽」はそれぞれ駅から徒歩 5 分程歩き、昌平橋交差点の角に位置している。大きな道路を挟んだ向かい側には「ぐろ亭」がある。周辺には秋葉原の電気街や神田明神があり、地元の人はもちろん、多くの人が訪れる東京のど真ん中だ。遠目から見ると赤と白の縞模様の店構えはメルヘンチック洋菓子店のようだが、明治 45(1912)年創業のラーメンと中華粥の老舗専門店だ。100 年超えの老舗店を現在切り盛りしているのが 4 代目の女将、古室さん。明治代に日本橋で開業した曽祖母から、変わらぬ味を受け継いでいる。祖母が身体をし、車いすで店に立てなくなったときに、祖母の孫にあたる古室さんが店を任されるようになった。なお古室さんの父親は神田小川町にある中華店をオープンさせ、こちらは弟が後継いでいるのだという。古室さんが店を切り盛りするようになり 15 年ほどが経ち今では近所の子どもからビジネスマン、ママさんまで店脇を通りかかる人皆が知り合いになるほど濃厚な付き合いをしている。平日 11~15 時のみ営業する創業 100 年超のラーメン・中華粥専門店大きな道路の角にあるこの店は中がオープンになっていてよく見え、初めてでも入りやすい雰囲気だ。店のインテリアや空気感は昭和レトロそのもの。カウンターがメインのこじんまりとした店内は、建物自体は歴史を感じさせるが、かなり清潔にされている。オーダーは、入口を入ってすぐ横にある現金専用の券売機で注文するスタイルだ。店外に代表的なメニューが写真付きで飾られていて明瞭簡潔。ここの代表的なメニューは中華粥としょうゆラーメン、そして季節限定でいただける冷やし中華。セットメニューはもちろん、チャーハンやアルコールメニューなどもラインナップしている。また土日祝日は店を開けておらず、平日の 11~15 時のランチタイムのみ営業をしている。4 代目女将、古室さんが一人で切り盛り厨房内はオープンキッチンで古室さんの丁寧な作業を窺える。「(おばあちゃん、ひいおばあちゃんは)料理が上手な人だったというのと、いい出会いがあったのかなって。おばあちゃんの時代は出版社さんたちもよく来ていたので」と話してくれた。古室さんが子どものころは祖母が中華料理屋を営んでいたそう。「祖母のころは夜だけ営業している期間もあって、手作りの腸詰めや中国酒でもてなしていました神田は出版社が多く、有名な作家さんたちがよく来ていました。」馳星周先生や北方健三先生などの有名作家さんや井崎脩五郎先生など著名人が足しげく通っていたのを中学生の時に記憶しているのだそう。今のラーメンと中華粥にメニューを絞ったのは祖母が病に倒れて父の代からで、華料理店から業態を変更させたのだという。古室さんが店を継いだのはその父が亡くなったタイミングだったそう。「最初は 2 人でやっていたのですがコロナで 1 人になりました。でも 1 人の方がラクですね。休まなければいけないときにすぐ休業できるので」仕込みのために平日は毎日朝 8 時に店に入り、15 時の閉店後は 18 時くらいまで次の日の仕込みや掃除をしているという。調理場横の小さな扉が開放されていて、そこから通学していく小学生たちや常連客たちに、挨拶を交わしているのが印象的。仕込みや調理をしながら、店外から常連客からの挨拶に答えるため、しばし手を休める。その頻度は 10 分に 1 回程度だから、なかなか頻回なのだ。これが日常なのだそうだが、地元の飲食店でちょっとした世間話をする様子はすっかり見かけなくなった光景でもある。この和やかなやり取りこそ、味の萬楽の魅力ともいえよう。昔懐かしいしょうゆラーメンラーメン 850 円そうこうしていくうちに、しょうゆラーメンが完成。ひとり分のスープを丼に綺麗に注いでくれる。具の乗せ方も均一でとても美しい。ラーメンは、よくある昔懐かしいしょうゆラーメンで、少し黒く染まったスープが特徴的。スープを口に運んでみると、鶏ガラベースの昔ながらの中華そばの味わいが口いっぱいに広がる。サッパリとした後味なのに独特のコクを感じられた。麺は、若干硬めでコシがあり食べ応えがある。食べやすいサイズにカットされたチャーシューは、とろけるほど絶品。ここのチャーシューを目当てにしている人も多いのだそうだが、これは納得できる。脂の臭みがないのは丁寧な仕込み故だろう。十分な量のメンマと香ばしい海苔。薬味の葱も少し多めと嬉しいバランスまで完璧。特別なものは入っておらず、ここまでオーソドックスでありながら、美味しい、また食べたいと思わせる昔懐かしいラーメンがここにある。丁寧な仕込みや火加減、盛り付けまでのこだわりが多くの人々から愛され続ける理由であり、これからもさらに多くのファンを惹きつけていくのだろう。元・中華料理店の祖母から受け継いだおかゆ小おかゆ 500 円お粥もいただこう。お粥はとてもシンプルに見えるが中華出汁の味がついている。「しっかりめに味がついているので、そのままでも美味しいですよ」と古室さん。こだわりはお粥を 3 回に分けて炊いていること。食感の違いを出しているのだそう。このレシピは、代々受け継がれてきたもので大きく変更しておらず、老舗の味を守り続けている。なお、お粥にトッピングされているのは、ワンタンの皮を揚げたもの。香ばしくて、食感も良い。シンプルでそれだけでも美味しさを堪能できるが、お粥とともに差し出される「味変調味料」で好みの味にアレンジしてみても。豆腐を発酵させたふにゅうやチリソースなどを入れるのもおすすめとのこと。また、卓上に常備されている「辣油」も、お粥によく合う。シンプルな味わいのお粥が、各調味料を吸い込んで、それぞれの味わいを引き立てていく。一番嬉しかったことを聞いてみると、「私に代わってからずっと来てくれているお客様がいるわけですが、『味がよくなったね』と言われるのは嬉しいです。始めたばかりでまだまだのころからずっと通ってきてくれる人もいらっしゃるので」辛かったことは「ちゃんとできないことです。思っているよりもできないときは自分の無力さを感じますね。数字は嘘をつかないのでバロメーターにはなる」3 月から提供される期間限定冷やし中華冷やし中華 1,300 円季節限定の冷やし中華も必食。初夏を告げる風物詩として中華屋等で見かける「冷やし中華はじめました」の看板だが、ここの冷やし中華は 3 月からはじまっているという。「冷やし中華がコンビニで売れるのは 4 月、3 月だとデータを持ってきてくれるお客さまがいて。早ければ早い方がいいと教えてくれたんです。実際、お客さまも早い時期から出してほしいようだったみたいでね」お客さんの希望で年々提供時期が早まっていたが、3 月から冷やし中華を提供するようになったのは 2021 年からだという。ここの冷やし中華は具沢山の酢醤油タイプ。お酢が甘めなのが特徴で、これは父親好みのレシピで譲り受けたものなのだそう。なるほど、食べてもツンとくるような冷やし中華特有の酸味は控えめで甘みを強く感じた。冷たく締められた中細のちぢれ麺はぷりっぷり。タレはサラッとしているけどちぢれた部分によく絡む。具材もきゅうりやチャーシュー、錦糸卵にアクセントの紅生姜もクセになる味で、どれもバランスがよく、あっという間に汁まで食べ切ってしまった。酸っぱくて冷やし中華を食べてこなかった人にこそ食べて欲しい 1 杯だと感じる。4 代目女将の夢「ヨボヨボになるまで働き続けること」一番人気のセットメニュー「ラーメンと小がゆセット」1,350 円この店の一番人気のセットメニューは「ラーメンと小がゆセット」1,350 円。このほか今あるおかゆメニューは「チャーシューおかゆ」「海鮮おかゆ」「とりおかゆ」「ピータンおかゆ」で各 1,000 円。ベーシックなおかゆはラーメンとセットで頼むか「小おかゆ」500円でいただくことができる。なお、以前は朝の時間帯に中華粥を提供していたがやめてしまったそう。「体力的なものを感じてね。そして、長くこのお店を続けるために、朝粥はやめたんです。」そんな古室さんの今後の夢は「ヨボヨボになるまでここで働き続けること」健康に気を付けながら一人で切り盛りしている以上、自分自身の身体が何よりも大切だ。店に立てなくなったらそれで店をたたむことになることがわかっているからこそ、ランチタイムのみで、ある限りの接客を続けている。暖かみのある女将との何気ない会話も楽しめて、折り紙つきの昔ながらのラーメンや、ほかでは味わえない中華粥を食しに是非、一度訪れてみては。Shop data味の萬楽東京都千代田区外神田 2-3-9電話/03-3251-0213営業時間/11:00~15:00定休日/土・日・祝アクセス/東京メトロ丸ノ内線 淡路町駅 徒歩 4 分/都営新宿線 小川町駅 徒歩 4 分/東京メトロ千代田線 新御茶ノ水駅 徒歩 5 分------------------------------------------------------「藤井21プロフィール」 埼玉県東松山市出身で同市の観光親善大使「東松山市應援団 」にも任命されている。  実家は酒販店で学生時代から15年以上続けた飲食店勤務の経験を活かし、料理芸人としてバラエティ番組やラジオ等に出演し、レシピサイトクックパッドには自信が考案した1900以上のレシピを公開している。  またYoutube「藤井21チャンネル」では趣味の呑み歩き動画や旅画を投稿し2万3千人のチャンネル登録者がいる。  そして2025年より唎酒師を運営する団体SSI日本酒サービス研究会に就職し“兼業サラリーマン”として働いている。  料理芸人、Youtuber、観光親善大使、会社員とマルチに活躍する。

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  • 【3大グルメ企画】 第三章「FUNGO 三宿店」編

    日本人が大好きな人気のグルメ「ラーメン」「カレーライス」「ハンバーガー」を提供する飲食店をご案内していく【3大グルメ】。今回は、ハンバーガーショップの草分け、FUNGO 三宿店を、料理芸人としてバラエティ番組やラジオ等に出演し、YouTube でも人気を博している「藤井21」さんがご紹介します。地元ローカルにこよなく愛される味をどうぞ!都会の喧騒を離れてゆったり落ち着けるバーガーショップへようこそ。渋谷や三軒茶屋の喧騒を離れるだけで緩やかな時間の流れる住宅が建ち並び、遠くからテニスボールを打つ音が聞こえる公園には静かな緑が広がっている。ここには国道 246 を走る車の喧騒も聞こえてこない。池尻方面から世田谷公園を抜け、学芸大学方面向かう。「平日の午前中からテニスとは優雅ですな」と、誰に語るでもなく小さくつぶやきつつ午前中の涼しい風を感じ歩く。世田谷公園を抜けるとちょうど目の前の交差点を挟んで斜向かいに、真っ青な壁の建物が目に入る。鮮やかなオレンジ色の店名が、真っ青な壁にくっきりと映え、赤と白のストライプのサンシェードも相まって目のスクリーンにインパクトを残す。この地で“東京ハンバーガー御三家"のひとつ「FUNGO 三宿本店」は今年の12月で創業 30年を迎える。店前のテラス席にはスチール製の真っ赤な椅子と丸テーブルが数脚並び、店内に入ると木製のテーブルと椅子が綺麗に配列されている。壁は生成りの塗装に外装と同じ真っ青な腰壁の羽目板。和食店にはない色味にアメリカンを感じて少しだけワクワクしてくる。「せっかくだしテラス席で優雅にバーガーでも決めてやろうか」とテラス席に座る。少しだけ三宿の雰囲気にあてられたみたいだ。テーブル上にはカトラリーと紙ナプキン、使い切りのケチャップとマスタード、そして紙エプロンが置かれている。〜ハンバーガー?サンドイッチ?〜卓上のメニューを開くと先ずサンドイッチがずらりと幅を利かせている。「シュリンプとアボカド」「スモークサーモンとクリームチーズ」「自家製ベーコン・レタス・トマト」まあどれもワクワク感をそそられる具材だ。今でこそ定番の具材となったアボカドも創業当時は日本では扱っているお店は少なかったそうだ。オープン初期から人気のエビアボカドサンドウィッチ ¥1,350FUNGO 三宿本店は創業したオーナーがアメリカ留学時に食べたサンドイッチの味が忘れられないと、日本に帰ってきてからその味を再現して始めたお店らしい。つまりハンバーガー御三家の一角のルーツはサンドイッチにありということだ。…ん?ハンバーガーとサンドイッチって何が違うんだ?ふとなんとなく気になって違いを調べてみると、サンドイッチはパンに様々な具材を挟んだ料理で、ハンバーガーはバンズ(丸いパン)を切って肉類や野菜を挟み込んだものだという(※1)。どうやらハンバーガーはサンドイッチファミリーの一員らしい。ということは FUNGO のハンバーガーはサンド料理界の基礎をしっかりと押さえているということになるじゃないか。サンドイッチに少しだけ心惹かれつつも今日の目的はハンバーガーだとメニューをめくる。「クラシック」「アボカドタルタル」「自家製ベーコンチーズ」メニューに載っている写真も相まって香り立つようなラインナップにどれを選んでいいか考えこんでしまう。これは永遠に迷いかねないのでえいやと勢い一発「自家製ベーコンチーズバーガー」をチョイス。ご多分に漏れず“自家製”という言葉に惹かれてしまっている。自家製ベーコンが入った人気のベーコンチーズバーガー¥1,960カウンター越しにオープンキッチンを覗くと、鉄板の上でパティを焼きながらバンズを半分に切りつつフライヤーでポテトを揚げる。野菜やソースを準備し、流れるような手さばきで調理を進めている店長の関さんは27歳の若さでFUNGO 三宿の店長を任されている。「自家製ベーコンチーズバーガーです」と、関さんが爽やかな笑顔で出してくれた。〜大ご馳走の味〜白の丸皿にはデカデカとハンバーガーが立ち上がっている。茶褐色のバンズの間には下からゴツゴツした分厚いパティ、そしてとろけたチーズがパティを包み込み、その上にこれまた分厚い自家製ベーコンが折り重なっている。そして瑞々しいレタスにトマトの断面がチラリと顔をのぞかせる。そんなバーガーは脇には黄金色にカリッと揚がったポテトが寄り添っている。バーガーには「FUNGO」と書かれた小さな旗が誇らしげに立っている。まるでそれぞれの具材が主張しながらも“ちゃんと一緒に食べてくれよ”と言っているかのようなそんな出で立ちだ。シズル感のお手本のような見た目に、これはたまらんとばかりにテーブルの隅に置かれたナイフとフォークにガン無視を決め込んでハンバーガーを両手で持ち上げかぶりつく。もちっとしたバンズと共に具材も一緒に噛みしめる。レタスの歯触りが小気味よく、粗挽きの肉々しいパティからじゅわっと旨味が染み出してくる。直後にスモーキーな自家製ベーコンの香りとチーズの濃厚な味わいが広がり、トマトの瑞々しさが口の中をさっぱりとさせる。…あぁこれは笑っちゃうくらいに旨い。バンズやそれぞれの具がしっかりと存在感を示しながらも一つに調和している。ベーコンだけだと燻製感が前に出すぎるし、パティだけだと肉々しさが粗すぎる。でも、それらが一緒になると、不思議とハンバーガーというひとつの料理になる。これはちゃんと計算されている料理だ。FUNGO 三宿では毎朝開店前に野菜が届きグラム単位で量を調整して、その一口のための最適な分量になるよう切り分けられているらしい。もちろんパティも同じだ。粗挽きのミンチは噛むたびに肉感を感じられるように脂と赤身のバランスを見極めて特注していて、こね方から焼き方まで細やかな工夫が詰まっているのだとか。そして全体をふんわりと受け止めているのが特注しているというバンズだ。「峰や」さんに特別に焼いてもらっているというこのバンズは、もっちりとした弾力で甘味がありつつも香ばしい。試しにバンズだけ千切って食べてみたが美味しい、おいしいが確かにもっちりした食感が立ちすぎていて少しだけ重たい印象がある。しかしこれがハンバーガーになると不思議と調和している。“挟まれることを前提にしたパン”なのだろう。この料理は別々の具材が一つになって完成している。それを頭ではなく口の中から身体が納得させられているようなそんな理屈抜きで旨いと思える味だ。オーナー曰く「特別なことをやっているわけじゃないんです。100 年後も続くお店をやりたいんです」と。確かに奇をてらったような具材があるわけではないが、食材にこだわり突き詰める。FUNGO 三宿はサンドイッチというハンバーガーの基礎があり、ひとつひとつの食材にこだわり続けるからこそ、ここまで 30 年続きそしてきっとこの先 70 年、その先も続いていくのだろう。そんな完成されたハンバーガーでも個人的に唯一足りないものがあることに気づいてしまった。キンキンに冷えたビールだ。グラスの表面にはうっすらと細かい水滴が浮かんでいる。ハンバーガーの余韻が口の中に残るうちに生ビールを一気に流し込む。そうそうこれなんだよ…。パティの旨味、ベーコンの燻製香、そのすべてにビールがピタリと寄り添ってくる。かぶりついてはビールを一口、もう一口と手が止まらなくなる。これはもう“うれしい大ご馳走”だ。生ビール(ハイネケン) ¥700 とベーコンチーズバーガー¥1,960〜万人に愛される味〜ふと顔をあげると奥の窓際では、一人でやってきた様子の女性が、スマートフォン眺めながら提供を待っている。常連客に見えるやや年配の男性はハンバーグを黙々と頬張り、店の入り口にはテイクアウトを待っているであろう男性がいる。この店には三宿の穏やかな時間と空間がしっかりとあり、ふらりと立ち寄れる雰囲気を感じる。帰り際にレジの後ろに何十個も積み上げられたテイクアウト用の紙箱が気になって「この箱の量を一日で全部使うんですか?」と聞いてみた。「これは今日たくさんデリバリーの予約が入ってまして、常連さんがよく頼んでくれるんです」この大ご馳走はわざわざ食べにくる価値がありながら、どこでも楽しめる味でもあるんだな。オープン直後からぽつぽつとお客さんが入りだした店を後にする。キッチンの中では関さんが次々とパティを焼いている。もう少しだけこの三宿の緩やかな空気でも感じながら帰るかと歩き出す。もちろんテイクアウトの紙箱に入ったサンドイッチを持って。・コーラ ¥500 とカリフォルニアバーガー ¥1,900・コーラ ¥500 とクラシックハンバーガー ¥1,400※1:Weblio 英和辞書Shop dataFUNGO 三宿店東京都世田谷区下馬 1-40-10電話/03-3795-1144営業時間/11:00-21:00(last order 20:00)定休日/無休、年末年始(12/31〜1/2)------------------------------------------------------「藤井21プロフィール」 埼玉県東松山市出身で同市の観光親善大使「東松山市應援団 」にも任命されている。  実家は酒販店で学生時代から15年以上続けた飲食店勤務の経験を活かし、料理芸人としてバラエティ番組やラジオ等に出演し、レシピサイトクックパッドには自信が考案した1900以上のレシピを公開している。  またYoutube「藤井21チャンネル」では趣味の呑み歩き動画や旅画を投稿し2万3千人のチャンネル登録者がいる。  そして2025年より唎酒師を運営する団体SSI日本酒サービス研究会に就職し“兼業サラリーマン”として働いている。  料理芸人、Youtuber、観光親善大使、会社員とマルチに活躍する。

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  • 古民家でのんびり。自然と親しむ日。

    日々の喧騒から少し離れ、自然に囲まれた場所で過ごす一日は、心と身体をじんわりと癒してくれる特別な時間である。都会の生活ではなかなか味わえない、鳥のさえずり、風に揺れる木々の音、土や草の匂いに包まれるそのひとときは、人間が本来持っていた自然とのつながりを思い出させてくれる。古民家には、長い年月をかけて培われた落ち着きと、都会に慣れた人でも懐かしさを感じさせる空気がある。木のぬくもり、優しい質感、障子を通して差し込む柔らかな光――それらの要素が、知らず知らずのうちに心をほぐしてくれるのである。縁側でお茶を飲みながら、季節の移ろいを感じるだけでも、極上のひとときとなる。自然の中の古民家は、疲れやすい現代人へのよい影響も。自然の中で過ごすことには、科学的にも多くの効能がある。森林浴にはストレスホルモンの減少、免疫力の向上、血圧や心拍数の安定化といった効果が認められており、心身のバランスを整える働きがあるとされている。とりわけ、スマートフォンやパソコンから離れ、自然のリズムに身を委ねることで、脳が「休息モード」に入り、創造力や集中力が高まるという報告もある。古民家での一日は、特別なことをする必要はない。薪で火を焚き、ご飯を炊く。採れたての野菜を使って料理をする。昼下がりにはハンモックで読書にふける。そうした何気ない時間の積み重ねが、現代人の疲れた心をやさしく包み込んでくれるのである。自然の音を聞きながらゆっくりと深呼吸をすることで、自律神経の働きが整い、睡眠の質も向上する。夜には満天の星空を見上げ、静けさの中に身を置くことで、また明日への活力が湧いてくるはずだ。忙しい毎日だからこそ、「何もしない贅沢」を味わう時間が必要である。古民家で自然とともに過ごす一日は、忘れかけていた本当の豊かさを思い出させてくれる、かけがえのない体験となるであろう。「何もしない贅沢」を。古民家ゲストハウスで癒しのひととき。男の隠れ家PREMIUMより、古民家での素敵な体験をご提供。世界中をバックパックで旅して回ったオーナーの三髙菖吉さんが、「最初は適当にDIYが楽しめればと思って見に来たのですが、言葉に表せないほど素敵な梁をみた瞬間、すっかり惚れ込んでしまいました」という、築140年を越える古民家。そこで多くの人に快適な里山ライフを体験してもらおうと、ゲストハウスにリベーションし、「ゆる宿Voketto」として生まれ変わらせた。「ゆる宿Voketto」は、古民家の味わいを随所に生かしつつ、快適な一夜を過ごせる設備が充実。しかも清潔感にあふれているので、老若男女問わずに安心して利用できる。滞在しているだけでも、奥静岡の豊かな自然を堪能でき、「男の隠れ家限定プラン」には、ヨコザワテッパンポケット、川根本町産鹿肉ソーセージ、焚き火体験がセットされている。ちなみに食事は別料金で朝晩ともお願いすることもでき、キッチンを使って自分で楽しむことも可能。自由に過ごせるのも魅力。満天の星空や目に優しい焚き火体験が味わえる。泊まりたい人数に合わせて、8畳和室と16畳和室が選べるのもポイント。生まれた場所も年齢も違う人たちが集まって、お酒を飲みながら語り合う。そして、日々の喧騒から離れて本当の素直な自分に立ち返る。そんな場所をつくりたいと思い、生まれたゆる宿Voketto。ゲストハウスは木の温かみを感じる雰囲気で、オーナー手作りのテーブルやこだわりのものが飾られている。室内は昔ながらの雰囲気は残しながらも、快適に過ごすことが出来るようにリノベーションしてある。とにかくゆっくりと、心を開放して過ごせる。心をほどく、静かな時間。自然の中、古民家で過ごす一日は、自然と調和しながら自分自身を見つめ直すひととき。忙しさを手放し、本来の自分を取り戻す時間となるだろう。--------------------------------------------------商品詳細ゆる宿Voketto【男の隠れ家限定】古民家ゲストハウス利用権[16畳和室]28,000円 (税込)>>商品をチェックゆる宿Voketto【男の隠れ家限定】古民家ゲストハウス利用権[8畳和室]9,500円 ~ 26,000円 (税込)>>商品をチェック

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  • 竹富の緩やかな 南風(パイカジ)に吹かれて

    八重山諸島の宝石とも喩えたくなる竹富島。南国の自然と赤瓦の民家が織り成す沖縄の原風景を求め〝うつぐみ〞の心に育まれた八重山の美しき小島へ先人から受け継がれる島の営みに心奪われるエメラルド色に燦めく水面を心地良く渡っていくパイカジ(南風)。それに呼応するように白い帆が風をはらんで大きく膨らみ、舟は音も立てずに前へとスッーと進んでいく。舟の下でゆらゆら揺らめく白砂とサンゴ。時に小さな魚影が動くと、その度にわくわくと童心が呼び覚まされる。水平線の彼方に見える西表島の島影を眺めながら、舟は波の静かな珊瑚礁の端まで風に身を任せた。乗っていたのは“サバニ”と呼ばれる琉球の伝統的な木造船。サバニはかつて漁をしたり、島を行き来するための小さな帆船だが、今は八重山ブルーの海を体感できる観光用の舟として復活している。「西表島に自分の田んぼを持っていた私のおじぃも、昔はサバニに乗って農作業に通っていました」。櫂を操りながらそう話す船主の上勢頭輝さん。竹富島は珊瑚礁の隆起によって生まれた島だけに米が作れず、そのため西表島までサバニで通って稲作をした人が少なくなかったという。西表島への通耕は、琉球王朝時代に米での納税を求められたという歴史的背景もあるのだそうだ。そんな話を聞きながらサバニが行き交う昔の風景を想像し、海に漂うひととき。海の透明度は浮遊感ももたらし不思議な心持ちへと誘う。こんな緩やかな気分は久しぶりだ。沖縄県八重山諸島のひとつに数えられ、石垣島の6㎞南に浮かぶ周囲約9㎞の竹富島。先述のように珊瑚礁の隆起で生じた琉球石灰岩からなる平坦地で、遠浅のコンドイ浜や星砂で知られるカイジ浜など、八重山屈指の美しいビーチは訪れる人を魅了。全島が西表石垣国立公園に指定されている。石垣島からは高速船でわずか10分で到着するが、港に降り立った途端、時の流れが一気に穏やかにになるのを覚える。それは島の中心部へ足を運んでも変わることはなく、赤瓦屋根の木造民家と白砂の道、“グック”と呼ばれる琉球石灰岩を組んだ石塀、そこに鮮やかに色を添えるブーゲンビリアやハイビスカスなどの花々が目に眩しい。どこからか響いてきた三線の音色の方を目で追いかけると、グックの間を観光客を乗せた水牛車がゆっくりと通り過ぎていった。古きよき時代の沖縄の原風景が残る集落は、昭和62年(1987)に重要伝統的建造物群保存地区に選定。集落は東集落、西集落、仲筋集落の3つから成り、町並み保存には「竹富島憲章」なる原則がある。「売らない」「汚さない」「乱さない」「壊さない」という島を守る4原則、伝統文化と自然を観光資源に「生かす」を加えた5つの基本理念などが謳われている。その美しい家並みを少し俯瞰して眺めようと赤山公園の展望塔「なごみの塔」そばにある「HaaYa nagomi‒cafe」へ。なごみの塔はかつて竹富島で一番高い展望地だったが現在は老朽化で閉鎖。今はこの2階建てのカフェが眺望スポットとしても人気を集めている。窓辺に広がる赤瓦の家々を眺めながらのカフェタイム。改めて町の美観に心を奪われた。島人が先祖から受け継ぎ守り続けている美しい島は、“うつぐみ”の心、精神性で育まれている。うつぐみとは“協力一致”という意味で、皆で協力することが一番大事ということ。稲作ができないなど土地の生産性の低さ、台風や病虫害などの災いといった自然環境の厳しさがあったからこそ生まれた精神性だとも言われている。そして“うつぐみ”の心が最もひとつになるのが祭礼である。竹富島には数多くの祭事があるが、なかでも毎年秋に行われる「種子取祭」が島最大の祭り。10日間に渡って神に捧げる行事や多彩な芸能が繰り広げられ、島人はもちろん、訪れる島外の人たちとも心を通わせる。それは島全体が自然と人間の調和した劇場となるのだという。そんな祭事に合わせて島を訪れれば、忘れがたい思い出がまた紡がれることになるはずだ。島民として憩う空間星のや竹富島ずっと前からそこに存在していたかのようなもうひとつの〝離島の集落〞。赤瓦の美しい客室棟で、暮らすようにのんびりと過ごす贅沢な島時間。島の伝統をスタイリッシュに味わう大人のリゾート空間そこはまさに竹富島の4つ目の集落。そう錯覚してしまうほど、見事に竹富島の自然の中に溶け込んでいる。島の伝統の家並みで目にしたような赤瓦の家と白砂の道、琉球石灰岩の石塀“グック”、そして咲き誇る色鮮やかな南国の花々と緑濃い木々……。何の違和感もなく、古くからそこに存在している集落に迷い込んだような心持ちだ。実際、「星のや竹富島」のコンセプトは“離島の集落に滞在する”。それはリゾートでありながら島の暮らしを体感する他に類を見ないシチュエーションだろう。「星のや竹富島」の開業は2012年6月。竹富島の東海岸・アイヤル浜近くの約2万坪の広大な敷地を拓き、伝統建築に則った48棟の赤瓦民家の客室を配した。各棟は手積みしたグックで囲まれ、魔除けのための石の衝立(ヒンプン)が各客室の目隠しになっているのも沖縄の家屋を踏襲。赤瓦の上に鎮座するシーサーも表情豊かだ。星のや竹富島の島生活は、港に高速船が着いた時から始まる。日に焼けた笑顔のスタッフに出迎えられ車で施設に移動。レセプションを通って客棟に案内されると、そこはもう我が家のような自由で快適な空間だ。2泊以上からが星のやのお勧め滞在プランだが、暮らすように過ごすならやはりその日数は必要かもしれない。客棟の部屋は全室南向きの開放感のある造り。庭に面した縁側の大きな窓を開け放ち、さらに楕円形のバスタブを設えた裏手の窓を開けると、パイカジ(南風)がさぁーと吹き抜けた。裏手には防風林にも使われるフクギが植えられ、風がかすかに葉を揺らしている。まずは心地良い風を感じながら入浴を楽しむのも一興。いや、その前にプールでひと泳ぎしたり、ラウンジで島の命草茶(島のハーブティー)を味わいないがら読書に耽るのもいいかもしれない。そして、太陽が水平線にその姿を隠す頃、ダイニングはそろそろディナータイムを迎える。“琉球ヌーヴェル”と銘打ったコース料理は、沖縄の食材と島の食文化をフレンチの技で表現した逸品。車エビ、ミーバイ、赤マチなど地元の魚介類もふんだんに登場し、いずれもアーティスティックなひと皿に仕上げられている。料理に合わせるお酒はワインにしようか、泡盛のカクテルにしようか……。チョイスに迷うのもまた、贅沢で幸せな時間だろう。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • 【3大グルメ企画】 第一章「萬福」編

    【3大グルメ】企画は、日本人が大好きな人気のグルメ「ラーメン」「カレーライス」「ハンバーガー」を提供する飲食店を、料理芸人としてバラエティ番組やラジオ等に出演し、YouTubeでも人気を博している「藤井21」さんが紹介していくコンテンツです。------------------------------------------------------ 町に愛され100年続く中華屋の味  中央区銀座二丁目。銀座駅と築地駅のちょうど中間くらいに位置するこの地は、かつて江戸時代に江戸城の修理を担う木挽(こびき)職人※1が多く住んでいたことから「木挽町」と呼ばれた地域だ。今でも木挽町通りと言う名前が残っているのは当時の名残だ。この銀座木挽町で大正時代に屋台から創業した老舗の中華屋「萬福」は長年多くの人に愛され続けている。  昭和通りから一本路地へ。車通りの少ない路地に入るとすぐ目の前の角地に店が見える。真っ白で清廉な暖簾に白い看板。看板には「中華そば 萬福」の文字。店先には名入りの赤い提灯が下がりメニュー書きがある。いかにも中華屋然としたその店構えを見ているとそれだけでもう腹が減ってくる。 店内に入ると入口のすぐわきの帳場に黒電話が置かれ、天井から下がっているのは白くて丸い可愛らしいペンダントライト、壁には古時計があり、使い込まれた黒い木のテーブルとカウンターにアーチ状の窓にはフリルの白いカーテンがかかっていてテーブルには銀色の水差しが並ぶ。まるで昭和レトロの喫茶店に入ってきてしまったかと錯覚してしまう様な光景だが、卓上に置かれた醤油やお酢等の調味料を見るとやっぱりここは中華屋なんだと思い直す。  メニューには中華そば、ワンタンメン、チャシュウメン(※2)等の麺料理のほかに焼餃子や春巻き、レバーにら炒め等いわゆる町中華では定番の料理が並ぶ。  「僕の子ども頃はメニューも洋食と中華が半々くらいだったんですよ」と店主の久保さんは語る。創業者の祖父が洋食のコック出身だったらしく、西洋料理と支那料理(※3)を合わせて西支(せいし)料理として創業したらしい。そんなメニューも時代の移り変わりとともに色々なメニューが淘汰され無くなっていくなかで最後に残った洋食が「ポークライス」だそう。 「正解の中華そば」 萬福の中華そばはラーメンの正解だ。  縁にぐるりと雷紋が描かれた丼を見るだけで食欲が増してきて今からラーメンを食うぞ!という気持ちが沸き立ってくる。表面にうっすらと油が浮かぶスープは深くて濃い落ち着いた琥珀色のスープ。具材はシンプルに叉焼、しなちく、ほうれん草、なるとそして三角に切った薄い玉子焼きが特徴的だ。スープを一口すするとあっさりしているけど力強い醤油の味がキリッと立っている。醤油味がしっかりするが尖っていない優しい味だ。無駄なものを排除した正統派な味わいに思わずため息がもれる。この醤油味の優しいスープにのどごしの良い細めのちぢれ麺がよく合っていて麺をすする箸も勢いを増していく。そしてお楽しみの叉焼だ。この叉焼が旨い。しっかりと噛みしめるタイプの味の濃い叉焼。今時の柔らかくて口の中でとろける~なんて叉焼なんかに真っ向から反旗を翻して叉焼ってのはこうなんだと言わんばかりの肉感を感じるしっかりと主張してくる叉焼。やっぱり叉焼はこうでなくっちゃ。白地にピンクのうずまき、なるとってラーメンに入ってるとなんだか嬉しくなるんだ。  そうなんだよスープも麺も具材もこれが良いんだよ。子ども頃に伊丹十三監督の映画「たんぽぽ」を見てブラウン管の前で腹を減らしていたあの醤油ラーメンだ。俺はこんな醤油ラーメンが好きなんだ。俺はこれが食べたかったんだ。まるでラーメンの原体験のような味が俺にとっての正解の醤油ラーメンなんだ。飯ってのは自分にとっての正解こそが正しいのだから。   「土曜昼のポークライス」  あの頃の土曜の昼めしが脳裏をよぎる。  老舗の中華屋に唯一残った西洋料理は他では見た事ない「ポークライス」だ。   濃いオレンジ色でつやつやと光る米に粗めに刻んだ玉ねぎと角切りの肉がたっぷりと入っている、上に散らしたグリーンピースの緑も映える。そして甘酸っぱいケチャップの良い香りがふわっと漂ってくる。これは見た目と匂いですでに疑う余地もなく旨いのは確定だ。 一口食べた途端に食感と香りが口の中を支配する。炒めたケチャップの甘くてやさしい酸味が口の中にふわっと広がり口の中いっぱいにかきこみたい欲求にかられる。玉ねぎはシャキシャキとした食感を残してほんのり甘く、ここは中華屋だと主張する肉感ある角切りの叉焼もまた旨い。中華鍋で作るからだろうかほんのりと香ばしさも感じる。  そうだ…これはあの頃の土曜昼のごちそうだ。  土曜日学校が終わって半ドンで帰ってくると食卓に鎮座していたチキンライス。  オムライスじゃなくてチキンライスが定番だった。母親が作るあのケチャップ味のチキンライスが無性に好きだった。あの頃の土曜の昼に急に口の中の景色が巻き戻される。これはどうあがいたって懐かしい味だ。  「男の子ってケチャップ味が好きでしょ」そう語る店主の久保さん。ポークライスは懐かしさも一緒に食べている。きっと土曜昼のケチャップ味好きな同士が多いから必然的にこのポークライスだけがメニューに残ったんだろう。ふと思い出してたまに食べたくなる味、うちは常連さんが多いですねと語るのも納得だ。  「中華そばとポークライスの名コンビ」   「ある材料で出来る料理」中華屋にある材料で作る洋食は具材も同じだからどこか味にも共通する要素があるのかもしれない。  ケチャップ味のポークライスをスプーンで頬張り、ラーメンのスープをレンゲですする。そんなの口の中で味が渋滞しちまうだろうと思われるだろが、このコンビネーションが不思議とマッチする。炭水化物と炭水化物、似ても似つかない中華と洋食。おそらく萬福以外では出会うことはない二つの料理が今目の前で共演している。そしてこのふたつの味わいが見事に調和している。正解の醤油ラーメンとあの頃の土曜昼のポークライス、こんなコンビはおそらく萬福でしか生み出せないコンビだろう。  米の一粒も残さずスープも最後の一滴まで飲んで心も体も満ち足りてまさに「俺は‟萬福”じゃ!」とふと卓上に置かれたドリンクメニューを見ると「瓶ビール」の文字が。 あぁ…ここの料理で瓶ビールなんて呑めたら最高じゃないか。  白い暖簾をくぐり店を後にする。  次来た時には瓶ビールと焼餃子それに〆にワンタンメンだな。また銀座に来る楽しみが増えちゃったな。そう思いながら銀座の街を帰路に就く。  ※1:木材を加工して板材や柱材に加工する職人  ※2:メニュー準拠  ※3:中華料理 ------------------------------------------------------Shop data 萬福 まんぷく 東京都中央区銀座2-13-13 電話/03-3541-7210 営業時間/月火水木金11:30〜14:30(LO)・17:00〜22:00(LO)、土 11:30〜14:30(LO)・17:00〜21:00(LO) 定休日/日曜日・祝日である月曜日 アクセス/東京メトロ銀座線銀座駅徒歩4分、有楽町線 銀座一丁目駅 徒歩3分、東京メトロ日比谷線 東銀座駅徒歩4分、東京メトロ有楽町線 新富町(東京)駅 徒歩4分、都営浅草線東銀座駅徒歩2分------------------------------------------------------「藤井21プロフィール」 埼玉県東松山市出身で同市の観光親善大使「東松山市應援団 」にも任命されている。  実家は酒販店で学生時代から15年以上続けた飲食店勤務の経験を活かし、料理芸人としてバラエティ番組やラジオ等に出演し、レシピサイトクックパッドには自信が考案した1900以上のレシピを公開している。  またYoutube「藤井21チャンネル」では趣味の呑み歩き動画や旅画を投稿し2万3千人のチャンネル登録者がいる。  そして2025年より唎酒師を運営する団体SSI日本酒サービス研究会に就職し“兼業サラリーマン”として働いている。  料理芸人、Youtuber、観光親善大使、会社員とマルチに活躍する。

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  • DEEP沖縄。沖縄ノスタルジー 異国文化編

    通りを飾る横文字の看板にコザの歴史が詰まっているかつて沖縄本島中部に存在したコザ市。日本で唯一の片仮名表記の市であった。現在は沖縄市となっているが、その地に足を踏み入れてみると、コザという響きの方がピンと来るはずだ。沖縄には「チャンプルー文化」と呼ばれる独特の文化があるが、コザこそがその代表といっても過言ではない。なぜなら、チャンプルーとは“混ぜこぜ”を意味する言葉で、コザの市内には50カ国、1700人余りの外国人が暮らしているからだ。そのコザの街を歩いていると行き交う人の多くは外国人、それも明らかに観光客ではないのがわかる。自分が外国に迷い込んだ錯覚に陥るだろう。メインストリートといえる「コザゲート通り」は、その名の通り嘉手納基地のゲートへと続いている。そして通りの両側を埋め尽くす商店の看板を見ると、ほとんどが横文字である。店を切り盛りする人も、日本人だけでなくアメリカ人、インド人、フィリピン人、タイ人など、様々な国の人たちがまさにチャンプルー状態。そんなコザの魅力を最初に感じたのは、通りを埋め尽くす異国情緒あふれる看板だった。それらを闇雲に眺めるのではなく、街の成り立ちと看板の関係を面白おかしく解説してくれるスペシャリストと回っている。「コザ街あるきガイド」のスマイリー大城さんである。「基地から出てきて羽根を伸ばそうとしている兵士たちを、呼び寄せる役目を果たしているのが看板サァ。ところが沖縄が台風銀座であるという事情もあり、看板は独特なスタイルに進化したのよ」それは英文なのに縦書きに設置されたネオンサイン。横書きにして店から突き出すと、ほぼ間違いなく台風に吹き飛ばされてしまうのだとか。そこで看板は三角錐のスタイルにし、あまり飛び出さないように縦に設置。それに合わせ英文も縦書きになったのだという。そんな話を聞きながら歩いていると「ヤァ、オオシロサン。キョウモオシゴトデスカ?」と、外国人が声をかけてきた。「この社長はインドから来たサァ。もう20年以上沖縄だよね?」「ニジュウロクネン。スッカリニホンジン!」。大城さんは看板だけでなく、コザという土地に住む人の魅力を教えてくれる。また、本業は安室奈美恵の巨大ポスターも製作する看板会社の代表も務める。その他、音楽関連のイベントなども手がけており、看板に対する愛情であふれている。1960年代の空気を運ぶAサインというメモリアルコザを巡る際に、もうひとつ忘れてはならないのが「Aサインだ。AサインのAはApprovedの頭文字で、認可済みという意味。米軍人や軍属が利用してもよいという店に発行する許可証で、1953年から導入された。その規定はかなり厳しく、店はコンクリート造りで、前面道路は舗装されていなければならない。トイレはタイル張りでペーパータオルまたは衛生的なタオルを備え付ける。さらに店全体にわたって清掃が行き届いていて、使用人は週に1回保健所で検査を受けなければならないなどの決まりがある。ベトナム戦争が佳境だった1960年代後半、沖縄は戦地へ向かう将兵であふれていた。彼らが基地から外出し、心置きなく遊んだのがAサインの店。ステーキを食べさせるレストラン、酒と音楽が楽しめるバー、さらには女性と遊べた風俗店まで。そんなAサインは、日本復帰直前の1972年4月15日に廃止された。今でもメモリアルに、当時のままAサインを店内に掲げている店の一軒に入ってみた。Aサイン店の老舗といえる「スナック喫茶プリンス」だ。「壁に貼ってある1ドル札はベトナムに出征する兵士が帰還を願いサインしたもの。彼らの魂サァ」。そんなママさんの言葉は、本州ではけして感じることのないリアルな1960年代の沖縄の空気である。Aサインの店は、それを教えてくれる案内役なのだ。本物のロックが息づく熱いライブに浸ってみるAサインを掲げた店から生まれたのが、沖縄のロックだ。今では「モンゴル800」や「りゆし58」といったバンドを輩出し、全国的に注目されている沖縄のロックシーンだが、そのルーツはコザにあった。1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約で、日本は連合国による占領から解放された。しかし沖縄は昭和42年(1972)に本土復帰が叶うまで、アメリカの施政政権下に置かれた。だから沖縄人は米軍基地や米兵、軍属たちから強烈な影響を受けたのである。そんな沖縄の中でも、特に米兵たちとの距離が近かったコザは、ロックがリアルな存在だった。そしてベトナムの戦地へと赴く兵士たちは、より刺激的で大きな音、間違いなく本物といえるロックを聴いて解放感を求めたのである。その中から伝説のバンド、「紫」や「コンディション・グリーン」が生まれた。演奏が不満だと、容赦なくビール瓶が投げつけられるという環境で鍛えられただけあり、彼らが本土デビューを飾った時はその実力の高さに誰もが驚いた。そんな系譜を今も引き継いでいる店が「JET」と「CLUB QUEEN」と、そして、そのステージを飾るバンドだ。ライブハウスの扉を開けると、むせるようなパワーあふれる空気のボディブローを喰らった。次の瞬間、強烈なグルーヴとビートの効いた爆音に、心臓を鷲掴みにされる。今も30軒近いライブハウスが毎夜、こうした熱い演奏を繰り広げている。「体温を感じられるほど、演者との距離が近いのが魅力ね」。東京からコザのライブハウス巡りを目的に、沖縄へやってきたOL2人組の言葉が印象的だった。琉球時代からの伝統も様々な形で継承する沖縄は、パワースポットの宝庫としても知られている。随所でアメリカを感じさせるコザにも、そんな沖縄の伝統を色濃く伝える場所が存在する。それは特に御利益があると沖縄全島で知られている「泡瀬ビジュル」だ。閑静な住宅街にある泡瀬ビジュルの始まりは、1768年頃にこの地に移り住んだ開拓者の高江洲義正翁が、海面に浮かんでいる不思議な霊石を見つけたことであった。翁はこの不思議な石をビジュル神(沖縄の言葉で信仰の対象となる石のこと)として祀った。以来、子安の神様として知られ、沖縄全土から子授けや安産祈願などのために訪れる人が増えたのだという。無人と思われたビジュルは午前10時になると、ご近所のオバァがやってきて社務所を開けた。それから午後6時まで、安産や子宝のお守りの販売などを行うという。「平日もお参りの人がけっこう来るサァ。そう言ってる間に、ほら」。若い男女が愛らしい紅型にくるまれたお守りを買っていった。沖縄の人たちの間には、こうした古くからの伝統や祖先の霊を大切にする文化が息づいている。その一方、新しい文化を積極的に取り入れる動きも活発だ。沖縄市でも、空き店舗になっ商店をリノベーションし、新しいタイプの宿泊施設として活用している「トリップショットホテルズ」などは、観光客はもちろんのこと、県外の業界関係者からも注目されている。もうひとつ忘れてはならないのが、沖縄市は平成19年(2007)に「エイサーのまち」宣言をしていることだ。町ぐるみでエイサー文化の継承、そして発展に努めている。旅行者が気軽にいつでもエイサーを楽しめる施設もある。こんな沖縄市の新旧入り混じったディープな部分を知れば知るほど、ビーチでぼんやりしている時間がもったいなくなるはずだ。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • いよいよキャンピングカー、欲しくない?

    まさに動く秘密基地、キャンピングカー。それは旅人にとって憧れのクルマである。今回はまずキャンピングカーの基礎知識を学び、実際のキャンプ旅を実践しその様子をルポ。押さえておきたいキャンピングカーの基本!多様なタイプが存在するキャンピングカーは、そのベースとなる車両の種類や、架装方法によってカテゴライズされている。装備や使い勝手なども、そのカテゴリーによるところが大きい。キャンピングカー選びは、各カテゴリーの特徴を知ることから始めよう。居住性が高く快適な空間が広がるキャブコン(Cab Conversion)トラックやワンボックスカーなどの運転台部分を残し、後方に壁や天井などを含めた、専用の居住空間を作り付けたのがキャブコンだ。外壁にFRPや断熱材入りアルミ複合素材などを用いるため、断熱性が高く、ほぼ垂直な壁ゆえ、非常に広い居住空間が確保できる。ただし、トラックがベースなら走行性能もトラックであることを理解しておく必要がある。バンテック/コルド バンクス 3.4ベース車両/TOYOTA CAMROADシフト・駆動方式/AT/2WD全長×全幅×全高/4995×1980×2960mmエンジン/2982cc燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/7人・5人価格/681万4800円~普段使いにも最適な一台バンコン(Van Conversion)ワンボックスカーなどをベースに、主に内装のみに手を加え、居住空間を設けたのがバンコン。屋根にポップアップテントを設けたものや、ガラス窓をFRP壁とアクリル二重窓に換装したものなども、バンコンの守備範囲。大型ワンボックスカーがベースの車種には、キャブコン並みの広さと装備を持つものもあるが、日常的に使いやすく、キャブコンに比べ走行性能が高い。トイファクトリー/バーデンベース車両/TOYOTA ハイエース スーパーロング特装車シフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/5380×1920×2285mmエンジン/2700cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/7人・5人価格/577万8000円~コンパクトな「動く秘密基地」軽キャンパー(Kei Camper)キャブコンやバンコンなどにカテゴライズされるべき車種であっても、軽自動車がベース車両の場合は、軽キャンパーと呼ぶことが多い。多くの軽キャンパーは2人分のベッドとミニキッチン、停泊時用電源装備などを備えるが、ポップアップテント装備で、4人分のベッドを備える車種も存在する。岡モータース/ミニチュアクルーズ SVベース車両/日産 NV100 クリッパーV DX-GLシフト・駆動方式/5AGS/2WD全長×全幅×全高/3395×1475×1940mmエンジン/660cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/4人・2人価格/279万9360円~出先での切り離しも自由にできるトレーラー(Camping Trailer)ヘッド車(けん引車)に連結し、けん引して使うのがトレーラー。車両重量750kg以下の車種なら、普通免許でけん引できる。エンジンを持たないため維持費が少なく、また、同価格帯の自走式に比べると、非常に充実した装備が得られるのも魅力。目的地で切り離せば、ヘッド車のみで気軽に出かけられる。ハイマー/ERIBA Touring 430 SEシャーシ/AL-KO 1200kg 強化シャーシ全長×全幅×全高/5280×2000×2260mm定員(就寝)/3人価格/394万2000円~エレガントな車体に夢が詰まったバスコン(Bus Conversion)バスがベースゆえ、走行性能や静粛性に優れ、室内も広い。内装だけに手を加えた車種や、壁面をも換装した車種もある。高価だが、キャンピングカーの理想形のひとつだ。RVランド/ランドホーム コースターベース車両/TOYOTA コースター標準ボディー ハイルーフLXシフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/6255×2080×2740mmエンジン/4009cc 燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/10人・5人価格/1263万6000円~シャーシ以外をオリジナル架装フルコン(Full Conversion)フロアシャーシ、フレーム、エンジンなどの骨格部分を除くパーツをオリジナルで作り付けたのがフルコン。居住空間と一体化された運転席や、豪華で充実した装備が魅力だ。ハイマー/Hymermobil Exsis-i678ベース車両/Fiat Ducatoシフト・駆動方式/6AT/2WD全長×全幅×全高/7490×2220×2770mmエンジン/2287cc燃料/ディーゼル定員(乗車・就寝)/5人・5人価格/1479万6000円~キャビン部の積み下ろし自由自在ピックアップキャビン(Pickup cabin)トラックの荷台に載せて使う小屋(キャビン)が、ピックアップキャビン。積載物扱いとなり、積み下ろしも自由自在。ピックアップトラック愛用者には、最高のキャンプ道具だ!ミスティックプランニング/ランクル Jcabin Lベース車両/ランクル全長×全幅×全高/3950×1670×2250mm定員(乗車・就寝)/4人・4人価格/252万4000円~普段使いとキャンプ旅をこの一台で乗用車ベース(Passenger Car Base Camper)車内で寝るための最低限の装備であれば、乗用車ベースでも成立する。俗にライトキャンパーと呼ばれるこのカテゴリーも、快適な車中泊を実現できる選択肢のひとつだ。ホワイトハウス/フリースタイルベース車両/HONDA フリードシフト・駆動方式/AT/2WD全長×全幅×全高/4210×1690×1840mmエンジン/1490cc燃料/ガソリン定員(乗車・就寝)/5人・4人価格/258万円 ※取材車は中古車価格です伊豆の自然を満喫する大人のお洒落なキャンプ旅キャンピングカー旅ルポ❶贅沢にゆったりくつろげるキャブコンの広さを生かしたキャンピングカーの旅。そのスタイルがすっかりお気に入りの夫婦2人が久しぶりに向かうのは伊豆半島。絶景ロードを走り、ちょっと食事にこだわり、焚き火と共に静かな夜を過ごした。028June2018文◎岩谷雪美 撮影◎佐藤佳穂 協力◎MYSミスティック、モビリティパーク圧巻の景色が続く道を走りキャンプサイトで快適な夜を緑まばゆい丘陵地に緩やかにカーブを描いて続く爽快なワインディングロード。車窓に映るのは、左手眼下に相模湾、右手に駿河湾のきらめき、そして雪を頂いた霊峰富士の秀麗な姿……。それらのパノラマが目に飛び込んでくるたび、2人で声を合わせたように歓声を上げてしまう。車高が高いキャブコン「アンセイエ」の座席からということもあるだろう、いつもと少し異なる目線では景色もよりワイドに見える。クルマを走らせていたのは伊豆半島中央部の山稜に延びる伊豆スカイライン。富士箱根伊豆国立公園内を走る自動車専用の有料道路で、屈指の眺望を誇るドライブウェイだ。そんなランドスケープや周辺の観光スポットを楽しみながら目指すのは、伊豆の国市長者原の山あいにある「モビリティーパーク」。今回のキャンピングカーの旅の拠点にと選んだ場所で、伊豆の東西南北各地へのアクセスにも便利な人気のキャンプフィールドだ。久しぶりの夫婦2人のキャンピングカーでのドライブ旅。以前にその非日常の空間と時間を満喫する旅スタイルを体験し、以来、2人ともすっかりキャンピングカーという特別なクルマに魅了されている。思い立って動くことができ、旅先も宿泊先も自由自在。そのフレキシブルさが何とも気軽で心地いいのだ。また、旅費が節約できる分、食事を贅沢にできるのも楽しみのひとつ。今回はルート上のレストランをチェックし、車内で食べるディナーもちょっとリッチに凝ってみることにした。食材は高速に入る前に買い揃えておいたので準備も万端だ。小田原厚木道路から箱根ターンパイクに入ると、ひとカーブごとに標高が上がってくるのがわかる。フロントガラスに映る緑陰も清々しい。芦ノ湖と富士山が見える大観山ポイントを過ぎて十国峠へ向かい、さらに熱海峠まで来るとここからが伊豆スカイラインの始まりだ。峠の標高は635m。富士山は雄大さを増し、その先の玄岳付近では大きく開けた景色が待ち構えていた。ウッドデッキの展望台がある玄岳駐車場からは、東側に熱海市街地と相模湾、北西側に富士山が一望のもと。付近は伊豆半島の成り立ちの痕跡がある伊豆半島ジオパーク指定地のひとつでもあり、標高798mの玄岳は海底火山が本州に衝突して出来上がったとされている。道は玄岳の西側を回り込むように延びて韮山峠へ。途中にも西丹那車場、池の向駐車場など絶景地が点在し、このあたりからは駿河湾が望め、富士山も裾野の長い美しい姿を見せるようになる。さらに韮山峠を経て亀石峠インターを下り、県道19号線に合流。目的地のモビリティパークはインターから10分ほどの距離だが、ランチを食べるため県道を先へと進み、「中伊豆ワイナリー シャトーT・S」へと向かった。ナビが誘導する山あいの道をたどると、突如現れる一面のブドウ畑と白亜のシャトー。その異国的な風景は感動を覚えるほどで、アメリカのワイン産地ナパバレーをイメージしたという当社のコンセプトそのものだ。ブドウ畑を望むレストランでは、自社栽培ブドウで醸したワインと共にパスタランチを堪能。さらに今夜のキャンピングカーでのディナー用にワインを購入する。ワインが飲めなかったドライバーの夫のため、じっくりテイスティングして香り豊かなボトルを選んだ。また、今回は旅の最後に足を運んだのだが、修善寺温泉近くの「ベアードブルーイング」でクラフトビールを仕入れておくのもいい。個性豊かなビールが多彩に揃い、ディナーをさらに素敵にしてくれるはずだ。さて、いよいよ旅のハイライトのモビリティーパークへ。入口からメタセコイヤの並木道をゆっくり進み、受け付けを済ませてキャンピングカーサイトにクルマを停める。自然の森や地形を生かした広大なキャンプフィールドには、ほかにもテントサイトやトレーラーホーム、ログハウスやコテージなどもあり、展望風呂や炊事場なども完備。キャンピングカーサイトには上下水道やAC電源などがあるので、車内の冷蔵庫やエアコンなどをフルに活用するのにもってこいだ。セッティングを終えてひと休みしていると、夕闇がうっすらと森を包み始めた。そろそろディナーの準備開始だ。車内のキッチンでサラダ用の野菜をカットしたりローストビーフを並べたり。メインのラザニアは家で下ごしらえをしているので温めるだけでいいが、今回のクルマには電子レンジが付いているのでそれもあっという間である。そして、待ちきれない様子の夫がさっそくワインの栓を開け、乾杯!昼間に飲めなかっただけに美味しさも格別だと、笑顔満面だ。日常とは違う時間の流れの中では会話も弾む気がするが、それより、少年のような目をして楽しむ夫がいつもより色々と動いてくれることが何だか嬉しい。ディナーの後は夫が焚き火を起こし、珈琲を淹れてくれた。パチパチと薪がはぜる音を耳に、静かに更けていく夜。安らかな心持ちへといざなう炎の温かさ。そんな穏やかな気分のまま寝袋に潜り込むと、すぐに深い眠りに落ちた。野鳥の声に起こされるまで、ぐっすりと眠っていた「アンセイエ」での一夜。思いのほか寝心地がよく一度も起きることはなかった。窓の外ではもう木々の間に朝陽がきらめいている。今日も天気はよさそう。さて、今日は伊豆半島の南部へと足を延ばしてみようか。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend 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  • 昭和レトロ喫茶、 探訪。東京編

    ドアを開けるとそこに広がるのは古き良き時代の面影を残す空間。昭和の匂いがするその店の雰囲気に、ある人は懐かしい思い出に浸り、またある人はそのレトロさに新鮮味を感じるのかも知れない。60年の歴史がしみる、街の“文化遺産”さぼうる日本最大、いや世界最大規模の古書店街、東京・神田神保町。古書店街と喫茶店の親和性は実に深い。巡りあったばかりの書物を開いたり、界隈に点在する出版社との打ち合わせの場として、重宝される。数多くの名喫茶が集中するエリアなのである。その中でも、押しも押されもせぬ風格を放っているのが、「さぼうる」だ。昭和30年(1955)に創業して早61年。街のランドマークとなっている。蔦の絡まる外観からして見惚れてしまうが、店内に入れば、山小屋のような木の温もりに溢れている。小さな階段を上がった中二階はギュウギュウとこれまた小さな椅子とテーブルが配してあり、まるで小人の家のよう。半地下ではカーブのような穴蔵感が味わえる。初めての訪問ならば、一見しただけでは全体像を把握できないだろう。本の街で育まれた文化的な薫り、壁の書き文字に見られる濃密なエキスみたいなものが、ぎゅっと刻みこまれているこの店だけの空間。もはや街の〝文化遺産〟とでも呼びたくなる、時間が創り上げた飴色の空間なのだ。だが、店の造りより何よりすごいのは、店を開いた当人、鈴木文雄さん(83歳)その人が今も店に立ち、客を案内し、スタッフに気を配り、店内全体を見守っていることである。「店に入ってらっしゃる前にどの席に案内するかを見極めなきゃ。どの位のお歳か、大きな荷物を持ってらっしゃるか、足は悪くないか。あ、あのお客様は毎日来て下さる。あの方はもう40年ぐらい通ってるね」。長年の経験からマスターの目の行き届き具合は、さすがのひと言。「毎日通うどころか、一日2、3回来てくれる人もいる」という。生きる看板のごときマスターの存在と、「いわずともわかっていてくれる」という安心感が、この店へ客の足を60年以上も引き寄せるのだろう。ところで「さぼうる」は、実はアルコール類も飲めるのだ。『菊正宗』から『吉四六』、洋酒のほか、シェーカーを振るカクテルまであり、ボトルキープまでできるという充実ぶりだ。そして朝からでも飲める。意外と知らない客も多い。これは、かつて周辺の出版社から徹夜明けの編集者がやって来ることが多く、仕事終わりの一杯をここで楽しんでいた頃の名残りなのだそうだ。これだけの歴史を誇る店において、ここ2年で新メニューが誕生したという。それはクリームソーダのブルーハワイ味。なんでも、試しに作ってみたら味が良くて、従来の味に加え全4種にしたのだという。老舗にあぐらをかくことのない、飽くなき探求心。マスターは言う。「いつでも、新しい目線を持ってなきゃ。メニューだって今まで通りでいいのか考えないとね」。マスターの姿勢と、店への愛情。いやはや、お見それしました。欧州風のゴージャスな純喫茶古城昭和遺産とも呼びたくなる豪華絢爛のインテリア地下へと導かれる階段で、さっそく中世の騎士と貴婦人を描いたステンドグラスの出迎えを受けた。店は上野駅の近くにあるのだが、階段を下りるに従って外の喧噪が少しずつ遠ざかっていく。そんなアプローチを経て目の前に広がるのは、思わず「おっ」と声を発しそうになるほどの別世界。絢爛なシャンデリア、大理石の壁、奥正面の壁を覆うエルミタージュ美術館を模したという大きなステンドグラス、真鍮を組んだモザイク調の床などなど……。店名の「古城」にふさわしい雰囲気はもちろん、秘密の地下宮殿を見つけたような嬉しさがこみ上げてくる。「父である先代が美術全集などを見てアイデアを練り、内装を全てオーダーメイドで造り上げました。凝りけているようだ、と揶揄されたことも。大正モダンボーイのセンスとこだわりですね」と笑う、二代目オーナーの松井京子さん(69歳)。マダムと呼びたくなる凛とした立ち姿が何とも素敵で、料理に腕をふるう姉の山下千代子さん(72歳)とともに、父親から引き継いだこのゴージャスな店を守り続けてる。創業は東京オリンピック開催年の昭和39年(1964)。父の松井省三さんが、「本格的な珈琲をヨーロッパ風の豪華な空間でもてなしたい」と店を開いたのが始まりだという。定すぎちゃって壁に1万円札を貼り付けているようだ、と揶揄されたことも。大正モダンボイのセンスとこだわりですね」と笑う、二代目オーナーの松井京子さん(69歳)。マダムと呼びたくなる凛とした立ち姿が何とも素敵で、料理に腕をふるう姉の山下千代子さん(72歳)とともに、父親から引き継いだこのゴージャスな店を守り続けている。創業は東京オリンピック開催年の昭和39年(1964)。父の松井省三さんが、「本格的な珈琲をヨーロッパ風の豪華な空間でもてなしたい」と店を開いたのが始まりだという。定番珈琲はブルーマウンテン。当時は150円で出していたが、高級品になってきてからはどうにも折り合わず、仕方なく現在はメニューからはずしている。「父の思いが残せなくて残念でしたが、今、提供しているブレンドコーヒー(490円)も苦味とコク、香りが三位一体になった本格派です」クラシカルなデザインのコーヒーカップも店のイメージに調和しており、レースカバーの付いたソファに身を委ねて味わっていると、何とも贅沢な気分に包まれる。 GMは静かに漂うクラシックの調べ。この日は読書にふける若い女性や、上野という立地のせいかパンフレットを開いて談笑する美術館帰りとおぼしきご夫婦の姿などがセピア色の空間に溶け込んでいた。「若い頃に味わったクリームソーダとナポリタンを食べに来たよ〜、と遠方から再び足を運んでくださるお客様も。そんな時はお店を続けてきて良かったと思いますね」ここではまだ、昭和の良き時代の空気が色あせることなく流れている。クラシック音楽を気軽な雰囲気で名曲・珈琲 麦〝名曲〟の文字を冠し、大型スピーカーやソファに掛けられた白いカバーなどが名曲喫茶全盛期の雰囲気を醸しているが、昔からいわゆるお喋り厳禁という堅苦しい店ではない。創業は昭和39年(1964)。現店主の生沢直弘さん(68歳)は、当時からその自由な心地よさに惹かれて店に通い詰めた客の一人だった。いつしか創業者の河田宏さんから鍵を渡されるようになり、気が付くと店を任される側にいたという。初代から受け継いだ4種の豆をブレンドしたコーヒーや、プリンアラモードが人気。長居するお客が多いのは昔も今も変わっていない。新宿の地下のクラシカル空間名曲・珈琲 新宿らんぶる一階はごく普通の喫茶店の造りながら、地下へ下っていくとダンスホールを思わせる圧巻の広さだ。席数は約200席。真紅のベルベットのソファ席がゆったりと配される。昭和25年創業。昭和49年(1974)に建て替えられたが、創業時からのシャンデリアや燭台が用いられ、クラシカルな空間美で満ちている。そもそもは音楽を聞かせるための名曲喫茶。現在では、喧騒を逃れてゆったりと昼食をとる客にも重宝される店となった。同店は戦後の新宿文化を今日に伝える店として、地域文化財に認定されている。しばし、ノスタルジックな憩いに浸ろう。クラシックホテルのラウンジを思わせる純喫茶 ROYALオーナー自身が追求した、喫茶店の理想スタイル入店してすぐ現れる空間には、大理石が床にも壁の装飾にも用いられ、正面にはステンドグラスが出迎える。続く奥の空間は、アールがかった天井に、シャンデリアが掛かる。ビルの地下ながら、広がりのあるクラシックホテルのラウンジを思わせる空間と内装である。聞けば、初代オーナーは財界に精通していた人物。海外へ出向き、その目で見てきたエッセンスがそこかしこに織り込まれている。店長の野山弘さんによると、初代オーナーも、昼下がりには毎日のように店で珈琲を嗜んでいたという。「オーナーには、上質なものは古くなっても褪せることなく年月を経ていく、という考えがあったのです」好ましいものを追求し、それがベテランウェイターたちによって今も受け継がれ、店の魅力となっている。小岩で一番古いドリップコーヒー店珈琲木の実両親の愛情と思いが刻まれた和洋折衷の居心地のいい空間JR小岩駅北口から徒歩約3分、地元の人が行き交う商店街の中に少し空気感が異なる山小屋風の建物が佇んでいる。和洋折衷の外観とどこか郷愁を誘う風情。扉を開けて中に入ると、そこはさらに心躍る懐かしい色味を帯びていた。例えて言うなら昭和の純喫茶とアメリカのダイナーが融合したような……。そして観葉植物や壁に飾られたいくつもの絵画が趣を深めている。「内装や絵画の多くは父の作です」と話す店主の山本義一さん。開業は昭和30年(1955)。製鉄会社で働いていた父親が病に倒れ、生活の糧を得るため母親が店を開いたのが始まりだという。9年後に店を今の場所に移した際には、内装は病が回復した父親が手がけた。その後、母親が体を壊すと義一さんが店を手伝うことに。弟の和勇さんも加わり現在に至っている。「両親はもう亡くなりましたが、親から受けた恩を忘れずいつも店への細かな手入れを心がけています」コーヒーへのこだわりも同様で、厳選の豆とハンドドリップで淹れるスタイルは小岩では先駆け。香り高い一杯は店の看板となっている。老舗喫茶でモダンなパンケーキをCOFFEE ブリッヂ作家・向田邦子が通った喫茶店。創業は昭和33年(1958)。首都高速道路の高架下のデパート開業と同時だった。当初は有料喫茶室といい、客が入店時にタイムカードを押し、出るときに滞在料金を払う仕組みだった。界隈のマスコミ関係者には絶好の仕事場で、当時事務所を持たなかった向田さんは週に何度も通い、決まった席で執筆に励んだという。二代目・山口哲郎さん(65歳)は、30年前からボリューム満点のパンケーキをずっと提供し続けてきた。今やパンケーキは全8種にも上る。有料喫茶室時代から客層も大きく変わり、連日若い女性で賑わっている。自家焙煎にこだわる下町の老舗ローヤル珈琲店 本店浅草六区近くの商店街の賑わいのなかに佇む昭和37年(1962)創業の老舗珈琲店。店先からはときおり珈琲豆を焙煎する香ばしい煙が漂い、珈琲好きの嗅覚を刺激する。店での自家焙煎は初期から取り入れており、当時は画期的だと評判を呼んだ。基本のブレンドは苦味とコク、酸味のバランスが絶妙な一杯。また、ミルクが入った状態で出されるロワイヤル珈琲は創業時からある人気メニューで、高品質の中沢生クリームをたっぷり使ったヨーロピアンのテイストが味わい深い。銅版画や欧州絵画が飾られた落ち着いた店内も居心地抜群!----------------------------------------コラム:あの忘れえぬ一杯 懐かしい空間に魅かれて散歩の途中、よくあるチェーン系のカフェとは違う、個人経営の喫茶店を見つけると思わず立ち寄ってみたくなる。それも一見して年季の感じられる、昭和らしいムードの店ならば申し分ない。では、昭和らしい喫茶店の要素とは、いったいどういうものなのだろう。まぁその辺、開業の年や建物の築年を調べればいいわけだが、ここではそういう硬い話とは別に、僕好みの昭和調喫茶のポイントをいくつか提示しておきたい。まずは、屋号。『○×珈琲店』と銘打ったような店は、いかにも珈琲豆にこだわっていそうで魅かれるところはあるのだが、昭和らしさとなると、その辺多少ゆるい感じの方がいい。僕が割と好んでいるのは、「パーラー」と看板に謳った店。フルーツパーラー流れの店で、古風なミキサー式の生ジュースなどを出す所も多い。そして、看板を掲げた店先にジュースや軽食のサンプルを並べたショーケースが備えられていれば一段とテンションは上がる。生ジュースの話が出たので、メニューに眼を向けてみよう。先にも書いたとおり、珈琲豆にこだわりすぎると、昭和っぽさからはちょっと離れてしまう。ブラジル、グアテマラ、エチオピア……などと並んでいるより、ただコーヒー、あるいはブレンドとあるだけで、他はコーラ、クリームソーダ、レモンスカッシュ……と続く方がより日本の昭和喫茶らしい。ドリンク類でとりわけ魅かれるのは、ミルクセーキ。赤いサクランボをアクセントにしたミルクセーキのサンプルが玄関口のショーケースに置かれている店は、まず当たりだ。珈琲のヴァリエーションにこだわるな、とはいったけれど、瞬時にノスタルジーをかきたてられるメニューがある。ウインナーコーヒーってやつ。ホットコーヒーにホイップクリームを浮かべたもので、ウインナーはウィーン風の意。原地ウィーンでも伝統的な飲み方というが、クリームにアルプスの雪山をイメージした、なんて説を聞いたことがある。古い喫茶店のひとつのタイプに、山小屋風のつくりの所があるけれど、そういう店の定番ニューともいえる。店内の小道具で一段と昭和的ポイントを上げるのが、ピンク色の電話。いまどきは店内電話を利用する客もほとんどいないだろうが、壊れていても置いてあるだけで、懐かしい時代の喫茶風景が回想される(丸ノ内や大手町の数少なくなった古参ビルの地下街にはピンク電話のある店が割合と見られる)。星座占いのオミクジ装置の付いた灰皿とか麻雀やインベーダーゲームを内蔵したテーブル……といった諸々は僕の世代にとってはちょっと微妙な古さなのだが、このあたりにも昭和らしさを感じる世代が増えているのかもしれない。そして、なんといっても重要なのは客層。店内に年配の御常連──。手なれた感じでモーニングを注文しつつスポーツ新聞なんぞを読みふける単身の老人客がいるだけで、グッと雰囲気にコクが出る。泉 麻人 コラムニスト いずみ・あさと1956 年、東京生まれ。「週刊T V ガイド」などの編集者を経てコラムニストになる。町歩きをはじめ、喫茶店巡りの本も執筆。雑誌だけでなくテレビのコメンテーターや司会も務める。著書に『東京いつもの喫茶店 散歩の途中にホットケーキ』『東京ふつうの喫茶店(共に平凡社)『大東京23区散歩』(講談社)など。※本記事の内容は雑誌掲載時の情報です。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓有田焼 マグカップ 全6色ボウル部分が大きく作られているので、マグの中で飲み物が転がり味がマイルドに感じられる形状です。詳しくはバナーをクリック↓有田焼 セラフィルター紙のフィルターでは不可能であった「うまみ成分である豆の油を通す」ことで、コーヒー豆本来の旨味を味わうことができる世界唯一のコーヒーフィルターです。

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  • キャンプで食べたい、ワイルド飯。

    キャンプで楽しみなものといえば、焚き火など直火を使ったワイルドな料理。豪快な火力だからこそできるパワフルな料理は、家庭ではなかなか出せない味わいが魅力。薪の強火で炙ったお肉はジューシーな肉汁が中に閉じ込められ、外側はカリッと焼ける上、焚き木のアロマが移り、お家のガス火では味わえない旨みが味わえます。また煮込み料理などをする際も、じっくり煮込めるので食材が柔らかくなりやすく、お子様などでも食べやすいのが魅力的。今回はキャンプで楽しみたいワイルドな料理と、キャンプ飯にぴったりのアイテムをご紹介します。シンプルイズベスト。好きなものを焼いて食べよう。焚き火の醍醐味といえば「焼き」料理。高火力でさっと焼くと、焚き火の香りと華やかな旨みが口いっぱいに広がります。直火で美味しいものといえば、やはり牛・豚・鶏などのお肉。キャンプという非日常な時には普段なかなか食べないラム肉やジビエなどもおすすめ。ワイルド飯の名に恥じないパワフルなお味です。ウインナーやソーセージなども焼いて美味しいメニュー。「鹿肉ソーセージ 男の隠れ家PREMIUMセット」は、普段味わえないワイルドなジビエソーセージが楽しめます。他にも貝類や魚介もおすすめ。「貝付きホタテ&青つぶ」は、オホーツクに面する猿払村で採れたお刺身でも食べられる活ホタテと青つぶが楽しめます。バター醤油焼きで食べると、何ともいえない美味しさです。>>鹿肉ソーセージをチェック >>貝付きホタテ&青つぶをチェックずぼらでも絶品キャンプ飯なら、放置するだけのホイル焼き・蒸し焼き。焚き火だけあればできる料理の代表が「ホイル焼き」。ホイル焼きにも食材をホイルに包んでそのまま焚き火に放り込むだけのものと、網の上に食材を入れたホイルを乗せて焼くものがあります。じゃがいもやさつまいも、にんじんなどの火の通りにくい根菜類は、じっくり火を通すため湿らせた新聞紙に包んだ後に、アルミホイルに包んで焚き火の中に投入。その間、他の料理をすることもできるので、一番手軽にできる料理といえます。ずぼらな方やお子様と一緒に行うのにもぴったりの調理法です。また、焚き火の上に網を置き、その上にホイルを置いて調理することも可能です。その際は鮭ときのこや、豚肉、牡蠣などを包んで焼くのがおすすめです。アルミホイルで包むと、蒸されることによって旨みが凝縮してたまらない味わいになります。珍しいものでは缶に具材をそのまま詰めて直火で焼く「カンカン焼き」も。缶を直火にかけて蒸すことで簡単に美味しく調理できます。「三陸漁師のカンカン焼き 牡蠣12個セット」は特に調理がしやすく、カンカン焼きに必要なアイテムが揃っているので、美味しい牡蠣がすぐに楽しめます。>>商品をチェック高い火力で旨みをじっくり抽出。焚き火で煮込み料理。焚き火で煮込みをする利点は、高火力でじっくり煮込むことで旨みをしっかり引き出せることです。スープをはじめ煮込みハンバーグなど様々な料理を楽しめます。持っておくと便利なのが、キャセロールなどの厚手の蓋付き鍋。「LAVA ホーロー鍋 オーバルキャセロール」は直火にもIHにも使える優れもの。一つあるだけで家でもキャンプでも気軽に煮込み料理ができます。>>商品をチェック寒い時期や山間部の朝夕の冷え込みには、ポトフやシチューなど温かい料理が嬉しいもの。石狩鍋や豚汁など和風のメニューから、スパイスからカレーを作ってみても楽しいです。ほかほかの煮込み料理で心も身体も解きほぐされてみてください。無骨で簡単。ワイルド飯で全回復。簡単に作れて、家ではなかなか出せない非日常感が楽しい、お酒にも合うワイルド飯。疲れている時にも難しいことを考えずに作れる無骨メニューで、アウトドアならではの美味しさと楽しさを満喫しましょう。------------------------------------------------------商品詳細鹿肉ソーセージ 男の隠れ家PREMIUMセット5,000円 ~ 9,000円(税込)>>商品をチェック貝付きホタテ&青つぶ(ホタテ専用ヘラ付き)4,350円(税込)>>商品をチェック三陸漁師のカンカン焼き 牡蠣12個セット5,000円(税込)>>商品をチェックLAVA ホーロー鍋 オーバルキャセロール6,600円 ~ 27,500円 (税込)>>商品をチェック

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  • 仏像を巡る旅 - 奈良 -

    山々が紅葉に色づき、稲穂が風にそよぐ頃、日本各地に残された古刹と仏像を巡る旅に出かけたい。永い時を超えて守り継がれてきた仏像たちは、穏やかな笑みをたたえて私たちに安らぎを与え、時として仁王のような形相で畏敬の念を抱かせる。いまだ苦しみや悲しみの絶えない現代において、仏像は一体、何を語りかけてくるのだろうか。悠久の歴史に思いを馳せて今、先人の想いを継ぐ旅へーー。日本人の心の故郷・南都で咲き誇った天平の美を辿る奈 良(奈良県)大らかで、ゆるやかな時間が流れる奈良。〝咲く花の匂うがごとく〟と詠われた古の都を巡り、ゆったりとこの地におわす、様々な御仏たちに邂逅した。先の大いなる夢のかたち人心を一つに結んだ大仏造立〝やまとは国のまほろば〟とたたえられたうるわしの都、奈良。この地で、遣唐使によってもたらされた大陸の文化が、和の文化と融合して天平文化が華麗に花開いた。仏教を深く信仰していた聖武天皇は、東大寺をはじめ、続々と寺を建立し、仏教文化も同時に花開いていく。静かな早朝、〝奈良の大仏さん〟に会うため、東大寺を訪れた。清々しい朝の空気に包まれて、大仏殿に一歩、足を踏み入れた瞬間、威風堂々、巨大な御仏が圧倒的な力量とスケールで迫ってくる。大仏建立は鎮護国家の象徴といわれているが、聖武天皇には別の真の願いがあったと、同寺・寺務所庶務係の鈴木公成さんは話す。その願いとは、人々が心をひとつにして新たな未来へ踏みだすこと。そのよすがとなるのがこの大仏造立だった。「天皇は〝一枝の草、一把の土を持って、この像を助け造らん〟という人々を募り、広く助力を求めました。天皇自ら衣の袖に土を入れて運び、柱を立てる綱を共に引いたとされ、並々ならぬ決意を感じます」参拝を終えて大仏殿を出ると、いつの間にかアジアからの旅行者であたりは賑わっている。大仏開眼の折も、インドや中国、朝鮮半島などから訪れた僧侶も参列したというが、外国の賓客の前で大仏を披露した時の、人々の誇らしさはいかばかであったろう。見るほどに大きく、広やかな御仏の姿は、この国の始まりにおいて、父祖たちが一つとなって新時代を切り開いた証し。そう思うと、胸がじんと熱くなってくる国家興隆のために建立された大寺院東大寺国聖武天皇の発願で創建され、天平勝宝4年(752)、大仏開眼供養会が盛大に行われた。その後、平安時代、戦国時代に焼失するが、その都度復興を果たし、現在の伽藍(がらん)は江戸期に再興したもの。創建当時の大仏殿は、現在の1・5倍の間口を誇ったとか。大仏造立には260万人もの人々が参加したという記録があり、日本初の壮大な国家プロジェクトだった。東大寺から奈良公園を通り、古くから春日大社の神職が住む町、高畑まで足を延ばした。緑深い閑静な住宅地の一角に、新薬師寺が佇む。ほの暗い本堂に入ると、独特の〝気〟が満ち満ちている。中心に在ましますのは、本尊の薬師如来坐像。古代ギリシャの装飾モチーフ、アカンサスの葉が光背に彫られており、シルクロードの先、遥かヨーロッパと日本をつなぐ文化の道筋をふと思う。本尊を囲むように、十二神将がすっくと立つ。十二の神々は、苦行中の薬師如来を妨害する悪魔との闘いに挑むため、12の方角に睨みをきかせている。土を用いた塑像で作られ、眼球は紺や緑のガラスの吹き玉。時折、蠟燭の炎を受けて、瞳がきらりと光り、どきりとする。一人の神将が7000の兵を率い、なんと総勢8万4000の大軍団がここにいると聞くと、先ほどの濃厚な〝気〟の存在にもうなずける。いつ観ても十二神将の格好良さ、クールさには感嘆する。凛として、生き生きと、今にも動き出しそうな気配にあふれている。リアルな〝気〟に満ちた新薬師寺には、力強いピュアなパワーがみなぎっていた。善悪一切の衆生を救い給う女人の寺の優しきみ仏平城宮跡の北東に位置する法華寺は、光明皇后が建立した総国分尼寺である。女人の寺らしく、たおやかな姿の本堂を囲む白砂に、木々の緑が冴冴と映えて、典雅な雰囲気が満ちている。光明皇后の祈りが生んだ由緒ある尼寺法華寺武天皇発願の日本総国分寺である東大寺に対して、光明皇后発願で日本総国分尼寺として建立された法華滅罪之寺。南大門と本堂、鐘楼は桃山時代に再建されたもので、いずれも重要文化財。「から風呂」は光明皇后が千人の民の垢を流したと伝わる。現・京都御所の庭を移築したとされている本坊庭園も見どころのひとつである本尊は十一面観音菩薩立像。艶めくような赤い唇、群青の髪が柔らかく頬を包む姿を見ていると、仏とは本来、男女の性を超越した存在にもかかわらず、女性であろうと思いたくなる。蓮は葉の光背を負うて、今まさに蓮池を渡ろうとする瞬間を捉えた姿は、匂い立つように美しい。「こんなにもお優しく、お美しい御仏にお仕えできることを、幸せに思います」と執事の渡邊英世さんは、静かに微笑む。清々しい境内には気高く優しい皇后の慈愛が、隅々まで穏やかに息づいている。法華寺を後にして、平城京の西側にあたる西の京へ。柱に丹を塗った豪奢な建物が並んだであろう花の都の面影を今にとどめるのが、薬師寺である。天武天皇の発願で建立された華麗な大伽藍は〝龍宮造り〟と賞されたほどだが、享禄元年(1528)の兵火でほとんどを焼した。現在は美しい白鳳伽藍が復興しており、色彩豊かな境内を歩くたびに、平城京とは、くも華やかな都だったのだろうかという思いを強くする。日本最古の十二神将立像が護る聖域新薬師寺天平17年(745)聖武天皇の病気平癒(へいゆ)を祈願して、光明皇后が東大寺南方に7躯の薬師如来を祀る寺院を建立した。当時は広大な寺域を持ち、7躯の薬師如来と脇侍(日光菩薩・月光菩薩)が安置された金堂をはじめとする大伽藍があり、南都十大寺のひとつであった。火災により焼失したが、鎌倉時代までに現在の伽藍が整備された。本尊は薬師三尊像。中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩の脇侍が並ぶ。薬師如来の柔和な表情は、円満相好といわれる。これはわれわれ衆生を穏やかに受け止める広やかな心の表れなのだとか。苦しみや不安に満ちた人生を見守り、最期に西方の阿弥陀如来のもとへ送り出してくれるという。「人の苦しみは無くならないもの。一切の苦厄を越える覚悟がついた時、人もまた、円満相好の境地に至れるのです」と静かに語る執事の松久保伽秀さんの言葉が、胸に深く染みてくる。薬師寺から奈良盆地の北西、なだらかな矢田丘陵の南方にある斑鳩の地へと向かう。〝いかるが〟という言葉には、どこか見知らぬ国を思わせるエキゾチックな響きがある。法隆寺をはじめ、聖徳太子ゆかりの古刹が点在する中、築地塀に沿ってゆるりと歩いていくと、太子の母・穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后建立の中宮寺に辿り着く。日本最古の十二神将立像が護る聖域中宮寺聖徳太子の宮居だった斑鳩宮を中央に、西の法隆寺と対照的な位置に創建された古刹。平安時代に衰退し、国宝の菩薩半跏像は小さな草堂に祀られていた。昭和期に入り、高松宮妃殿下の発願によって現在の本堂が完成した。本堂は格調高く、池の周りに八重と一重の山吹が植えられており、尼寺らしい優雅な雰囲気が漂っている花々が咲き乱れる小さな寺には世界の三大微笑像のひとつ、アルカイック・スマイルで知られる本尊菩薩半跏像が祀られる。艶やかな漆黒の御仏は左足の上に右足をそっと組み、右手の細やかな指が頬に触れるか触れないかのはかなさで添えられている。繊細な唇にわずかに湛える微笑み。清らかな至高の美に、思わず息を飲む。ほの暗い堂内にほんのりと浮かび上がった菩薩は、胸のあたりが呼吸しているようにも思える。美しさに胸打たれ、立ち去りがたい思いにとらわれて、寺の近くにある珈琲店に腰を落ち着けた。深く濃いほろ苦い一杯のおかげで、ようやく現世に戻ってきた心持ちになる。1300年、人間の救いをいかにせんと思惟し続けるその姿を、胸深くに刻み、斑鳩の地を後にした。古代飛鳥人の純な思いをつなぐ最古の御仏との邂逅斑鳩から程近い信貴山にある眺望の良い旅館に泊った翌日、朝早く起床し、仏教伝来の地、飛鳥を目指す。そこは日本古の都であり、様々な歴史舞台となった地である。「つぬさはふ磐余も過ぎず泊瀬山」と詠まれた古代の道、磐余の道を歩くと、大化の改新後、左大臣となった安倍倉梯麻呂が一族発祥の地に創建した安倍文殊院がある。快慶の力がみなぎる文殊菩薩像安倍文殊院奈良時代の安倍仲麻呂公や、陰陽師(おんみょうじ)として有名な安倍晴明の生誕地と伝わる寺院。平成25年に国宝に指定された渡海文殊院菩薩群像を祀る本堂の他、安倍清明に関する宝物を展示する金閣浮御堂や、特別史跡「文殊院西古墳」など見どころも多い。創建以来、ご祈祷の寺としても知られ、国宝の前で祈祷をしてもらえる。本尊の渡海文殊菩薩群像は、鎌倉時代の大仏師・快慶の作。説法のため、世界を巡る文殊菩薩が4人の脇侍を連れ、まさに雲海を渡らんとしている姿を表す。「小さな善財童子が文殊菩薩か〝これ〟と呼び止められ、〝はい?〟と振り向いて見上げる瞬間を捉えているんです」と執事の東快應さんが教えてくれた。愛らしい善財童子に後ろ髪を引かれつつ、さらに飛鳥の懐深くへ。稲穂が実をつけて、秋を迎えるのどかな田園の中に、ぽつんと飛鳥寺が建っている。ほのかに明かりが差し込む本堂で、本尊の飛鳥大仏を拝する。悠久の歴史を伝える日本最古の仏像飛鳥寺蘇我馬子の発願で創建された日本最古の本格寺院。発掘調査で当時は塔を中心に東西と北に金堂を配し、外側に回廊を巡らす壮大な伽藍だったと判明している。一塔三金堂式という当時は類いまれな様式で、大陸の最新文化が凝縮した寺でもあった。火災などで建物が焼失し、飛鳥大仏は露座の時代が続いたが、江戸期に現在の形に再建された。推古天皇や聖徳太子の発願により、鞍作鳥によって造られた最古の仏像。飛鳥彫刻らしいアーモンド形の目、筋の通った高い鼻、エキゾチックな表情は、大陸文化の影響を色濃く映す。度重なる火災に遭い、修復を重ねてきた御仏。まろやかに開かれたその瞳に苦しみの影はない。「この寺は荒廃していた時代があり、大仏様も長年、露座同然の状態でした。しかし、名もなき飛鳥人たちが何代にもわたって守ってこられたのです。連綿とつながるその尊い心を受け止めて、今、大仏様はここにおられるのではないでしょうか」と住職の植島寶照さんは話す。1400年もの間、一度もここを動かず、多くの遺跡が土に埋もれるなか、地上におわした唯一無二の御仏。この御仏の前にかつて聖徳太子も立ち、手を合わせたと思うと、時を超えた雄大なロマンを感じる。東大寺の大仏から始まった御仏を巡る旅。その締めくくりは、日本最古の都、仏教の源流の地、飛鳥に在す最古の大仏との邂逅だった。大いなる慈愛に満ちた御仏の前に、ただ、小さな、無力な一人の人間として座す。それだけで、心がふわりと軽やかになっていく不思議。天平の香り燻る御仏たちに出合い、祈り、心で触れ得た旅の終わり。今、清澄な力が体の隅々まで満ちていることを感じる。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓灯AKARI(キャンドル) 2個セット日本古来の伝統、素材を活かし、桧のおちょこを反転させてロウを流し込んだろうそく。詳しくはバナーをクリック↓ラスト枕 Panda Evolve Pillow肩・首に合わせて高さを調整できるPanda Evolve Pillowで、 あなたにとっての良い姿勢を見つけましょう。

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  • 本格派バーの扉を開ける

    ※本記事の内容は雑誌掲載時点の情報です。オーセンティックとは「信頼できる正統派」という意味を持つ。ちまたに酒場は数あれど、ちょっと良い酒を飲むなら腕・味・もてなしが三拍子そろったBarがいい。さらにプラスαで“雰囲気がいい”となれば最高だ。2010年以降にオープンした、比較的新しい「本格的なBar」へ今夜、一緒に特別な一杯を求めて出かけませんか?東京から1時間、海辺のバーへの小旅行Bar d【神奈川・江ノ島】2014年11月、片瀬江ノ島駅から数十歩のところに、オーセンティックなバーが誕生した。潮が香り、トビの鳴き声が聞こえる稀有なバーである。喫茶店と間違えた客が扉をたたくのも仕方ない。天気のいい日はテラスの窓を開けはなし、店内は大胆でいて落ち着いた色彩でまとめられている。ソファに身をあずけたら、もうずいぶん遠くに来てしまった気分だ。あとはバーテンダーの田辺武さんに委ねればいい。供されたのは、豊潤な甘さをたたえるワイン。一口大のブルーチーズをサンドしたドライイチジク、フォアグラとチョコが添えてある。メニューはないが、酒とスイーツのマリアージュに田辺さんの抜群のセンスが光る。どんな味わい方がよいのかたずねてみた。「自由でいいんですよ」と前置きをして、こう教えてくれた。「イチジクを口に入れて、多めに甘いワインを含んで。うつむいて目を閉じながらよく噛んでみてください」。イチジクの軽い酸味や種の食感、濃厚なブルーチーズのコク、ワインの豊かな甘みが渾然一体になる。遠くから「ピーヒョロロロロ」なんて鳴き声が。瞬間、ここが楽園になった。繁華な渋谷駅前に潜む“秘密結社”の入り口BAR CAPRICE【東京・渋谷】渋谷の名門バーで研鑽を積み、2014年11月に開店。ここでなら、惜しまれつつ幕を閉じたあのバーのカクテルにも、師匠ゆずりのもてなしにも合える。目立つ看板はない。これぞ隠れ家である。だが女性客も多く、店内は和やかなムード。時にブラックなジョークも飛ばす、バーテンダー・福島寿継さんの軽妙な話術と人柄ゆえだ。渋谷 109 ビルの「コ㆑ヒオ」、渋谷センター街の「コ㆑オス」(現在は共に閉店)。異色の場にあったオーセンティックバーで、マスターの右腕として活躍してきた。だから、「ここなら安心」という女性客が多い。福島さんが言う。「秘密結社のようでしょ。でもうちは奥様、旦那様が公認してくれるバーなんです」。華やかな夜にふさわしいチャンピオンカクテルBar 耳塚【東京・銀座】数々の大会優勝者を輩出する銀座「リトルスミス」にて18年。自身も世界大会で優勝を果たした耳塚史泰さんが2014年2月に開店。本バーテンダー協会主催の全国バーテンダー技能競技大会で総合優勝を果たしたのは、2011 年のこと。翌年には IBA ワールドカクテルチャンピオンシップで部門優勝。栄誉あるチャンピオンカクテルが飲める。「大会は華やかな舞台ですが、バーテンダーはお客様の求めに的確に忠実に応えるもの。「ストライクゾーンに球を投げるイメージです」。耳塚さんの言葉の端々には、堅実な人柄がにじみ出る。前店で着ていた真っ白なバーコートでなく、ベストを選んだのも、「気張らずフットワークよく動きたい」という心の表れである。森の香りがする空間でモルト&ラムを味わうBar 3wood【東京・浅草】2012年7月開店。前面に木を用いた空間は、森にいるような心地良さ。迷い込んだ気分になって、未知の酒にトライしてみたい。「木々が造る自然のトンネル。それがこのバーを造る時に思い浮かんだんです」と、バーテンダー・堀江景太さんは言う。無垢の木を多用し、窓からは木々の緑が望め、一歩店内に入ると気分ががらりと変わる。酒は、シングルモルトとラムが二本柱。「自宅のストックが最近減ってきちゃって」と苦笑するように、棚にはこつこつ買い集めた好きな酒を並べる。あまり見かけないラベルの希少な酒も多い。迷い込みそうになってもご安心を。目の前の頼もしいバーテンダーがアテンドしてくれる。店主が惚れ込むアイリッシュとマティーニが主役BAR K's Ave. DARA【東京・池袋】2015年5月開店。アイリッシュウイスキーを希少な銘柄も含めて常時約20種そろえ、カクテルにも心を砕く。その心とは?様々な酒を飲んでみた中で、バーテンダー・大石和広さんがたどり着いたのが、アイリッシュウイスキーだ。「ウイスキー発祥の地といわれてますし、なにより滑らかで飲みやすいんです」。一方で、「 20代はマティーニに費やした」と言うほど、マティーニを大事にしている。バーを訪ねては研究を重ねた。目指したのは、喉を滑るようでドライ感もある配合。大石さんいわく、「カクテルは作り手の数だけ味があるし、ウイスキーにはロマンがある」。ここに来たなら、ぜひその両方を味わいたい。駆けつけには喉を潤すハイボールBAR 長谷川【東京・根津】根津の静かな細道に、2015年4月開店。キレのいい氷なしのハイボールと、小腹を満たす料理でごきげんになれる。一日約200杯も出るハイボールの名店で経験を積み、自身の店を構えた。そんな前情報を知らない客も、この一杯を飲むと「おっ」となる。注ぐのにかかる時間はわずか数秒。冷凍庫でキンキンに冷やした「サントリー角」を用いるため、氷を入れずともヒンヤリ。薄まることもない。オールドファッションな店の雰囲気同様、カクテルもごくスタンダードなものを丁寧に作る。うれしいのは、サンドイッチなどの軽食があること。明るめの照明のもと、本を片手にグラスを傾けるのも至福。日常を抜け出せるエアポケット空間bar cafca.【東京・南青山】2012年11月に開店したバー。階段を下りた先は、まるで時間が止まった廃城のごとき世界。早い時間の開店で、白昼夢を見たような気分に。「自分でも時々時間の流れがわからなくなります」。バーテンダー・佐藤博和さんが話すように、日常の喧騒とは無縁の空間である。供するのは、古い時代のものや造り手の思いが込もった酒。注ぐのはバカラ、モーゼルといったグラスで、その美麗な輝きにしばしうっとりとなる。カクテルはもとより、コーヒーも美味。自家焙煎の豆をネルで一杯ずつ淹れる。コーヒーカクテルの美味しさは言わずもがな。ちょっと厭えんせい世したい時、自分の時間を取り戻したい時、エスケープできる。女性バーテンダーが作る真心のこもった一杯に時を忘れるBAR アンドレイ【京都・祇園】祇園の中心から少し離れた閑静な一角、扉を開ければ、そこにバーテンダー・今泉さんが作り出すもてなしの空間が広がる。2012 年 6 月オープン。祇園の北、ビルの 2 階にあるバー。バーテンダーの今泉麗さんがホテルなどで十数年働いた後、満を持してバーを始めた。店名は自身の名前と「&」をかけている。対となるのは酒、そして客だ。「この店で自分の時間をゆっくり過ごしてほしい。私はそれをお酒と会話でお手伝いする感じです」と今泉さん。特製のブラッディマリーはトマトを丸ごと一個使い、果肉を残した飲み応えのある一杯。秋になると柿やイチジク、ラ・フランスを使ったカクテルも登場する。和とモダンが融合する町屋のバーで甘いひとときをWINE & SHOT BAR The door,, 高倉店【京都・四条】京都の伝統的な町屋を活かした落ち着いた雰囲気の和空間では、非日常の格別な時間を過ごすことができる。2010 年に四条高倉の町屋を改装しオープン。一枚板のカウンターは 9 席用意され、そこから見える坪庭など落ち着いた和の魅力が広がる。1751年から続く日本を代表する造園「植治」の小川勝章氏が手がけた庭を眺めながら飲む酒は格別だ。また、2 階にはテーブル席があり個室も 5 部屋用意。ソムリエの溝口達也さんは「バーテンダーと私とシェフで、ホテルバーに引けを取らないおもてなしを提案しています」と語る。デザート感覚で味わえるフ㆑ッシュフルーツのカクテルは絶品。スコッチウイスキーに酔いしれる秋の夜BARPARKMORE【大阪・北新地】「ウイスキーに対する間口を広げたい」気軽に酒のことを教えてくれる、気さくな店主と酒談義に華を咲かせるもまたよし。賑やかな北新地の繁華街にある隠れ家的バー。店内には店主・高谷幸次さんが集めたスコッチウイスキーがズラリと並ぶ。その数はスタンダードから㆑アなものまで約300本に上る。元はトラック運転手だったという高谷さんは、その頃からスコッチウイスキーの大ファン。酒の味と歴史を知るほどに、その奥深さに魅せられて2002年、ついにバーをオープンした。現在は当地に移転して 3 年の月日が流れ、今宵もスコッチファンが店のドアを叩く。しかし高谷さんいわく「ハードルを高くしたくはないんです。一人で、あるいは恋人と気軽に飲みに来てほしい」。その言葉通り、高谷さんは客によって飲みやすい酒を提供するなど配慮を怠らない。スコッチ初心者であっても気兼ねすることなく時間を過ごせるアットホームな雰囲気も店の魅力となっている。シェリー樽の匂いが香る上質の一杯を味わいながら、自分の時間に浸る。あるいは客同士で好きなスコッチの話で盛り上がるのも一興だ。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓メタルカードウォレット JUSTE CHIRONスキミングが防止でき、ICカードがそのまま使える。創業50年、滋賀県草津市の金属加工メーカーが本気で作ったメタルカードウォレット。詳しくはバナーをクリック↓折燕 ORI-EN 二重タンブラー 260ml 310ml 全3色保温保冷に優れた二重構造、唯一無二のデザイン。

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  • 紅葉の不思議 人と差が付く豆知識

    色彩豊かに山々を染め上げる日本の紅葉。その姿の美しさは外国人からも人気を得ている。そんな紅葉にまつわる豆知識を紹介しよう。いつから紅葉(こうよう)は愛されて誰が紅葉(もみじ)と名付けたの?日本の四季。それぞれの季節を代表する光景を思い浮かべてみる。パッと咲いて儚く散る桜。競い合うように鳴くセミの声。山々を赤く染める紅葉。しんしんと降り積もる雪。南北に長い列島は、南から桜が舞い始め、北から紅葉が色づき始める。いま日本列島では、カエデを中心とした木々たちが、紅や黄色に山を染め始めているのである。ところで紅葉には「こうよう」と「もみじ」のふたつの読み方がある。その違いをご存知だろうか。一般的に「こうよう」は冬に備えて落葉する前に、紅や黄色に葉の色が変わることを指す。これに対して「もみじ」は「こうよう」の状態の中でも、ひときわ紅く染まったカエデ科の樹木を総称する言葉である。ちなみに植物の分類上、モミジという科や属は存在しない。モミジと呼ばれる木は全てカエデ科に属する。ただ、園芸や盆栽の世界では、葉の切れ込みの数や具合によって区別するため、葉が5つ以上に切れ込み、子供の手のような形状のものを「モミジ」と呼び、切れ込みが3つのものを「カエデ」と呼んだりする。また「もみじ」の語源を紐解くと、紅や黄色の草木の葉が変化していくさまを「もみつ」と呼んでいたことから始まる。この連用形で名詞化したものが「もみち」。やがて平安時代に入ると「もみぢ」と濁音化されていった。そもそも紅葉する落葉広葉樹は、北半球の温帯地域にしか存在しないといわれている。東アジアや一部のヨーロッパ、北アメリカ東部やカナダなどで紅葉が見られるが、ほとんどの地域はイチョウなどの葉が黄色に色づく黄葉がメインだ。現在、日本には26種のカエデ科に属する樹木が存在しており、世界のどの地域よりも多い。それらの樹木がそれぞれに、赤や黄色、オレンジ色に葉を染めていき、混じり合った色彩は日本独自の美しさを形成する。そんな日本で紅葉が愛でられるようになったきっかけは、平安時代初期にさかのぼる。平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した藤原定家がまとめた小倉百人一首は、恋の歌が43首と最多であるが、四季について歌った句は32首存在している。その中で紅葉について歌った句は6首。その6首を残した中で最も古い時代に生きたとされる歌人・猿丸太夫は、生没年が不詳ながら平安時代初期に『古今和歌集』が選ばれた際には、すでにその存在が述べられていることから、少なくとも平安時代初期より前に生きた人物だとされている。なお、中国からの影響が大きった奈良時代、『万葉集』に歌われた黄葉の歌は100首を超えている。このことから、奈良時代から平安時代初期にかけて、日本独自に自生するカエデ科の樹木が、紅く色づく姿が、やがて〝紅葉〞と呼ばれ、愛されていったことがわかるのだ。教えて紅葉のメカニズム一般的に紅葉は一日の最低気温が8℃以下の日が続くと色づき始め、5℃以下で一気に進行するといわれている。木は気温が低下すると、根から水分を吸い上げる力が弱まり冬の間、満足に水分補給ができなくなる。そのため外に水分を放出する葉を落とし、幹の水分バランスを図るのだ。葉と幹の間で栄養素の交流がなくなると、葉では光合成が行われず葉緑体が分解される。このため緑色に見えていた色素が失われ、その際、葉に残された色素がその樹木の紅葉の色となる。イチョウなど黄葉する木なら、緑黄色野菜にも含まれるβ─カロチンの黄色い色素だけが残り、カエデのように紅く染まる植物の場合は、葉の老化で糖とアミノ酸を分泌し、紅色の色素・アントシアンを合成。最後に葉に残る色素は合成された紅色となるのである。いくつ知ってる?紅葉を表す美しい言葉知っていると洒落者知っていると洒落者!?ちょっと〝粋〞な紅葉の表現を知るうすもみじ【薄紅葉】仲秋緑色が残った、淡い色の紅葉。紅葉のはしり、秋の始まりを表現する言葉。深い紅の冬紅葉とは違う趣を持つ。かきもみじ【柿紅葉】晩秋柿の葉が紅葉し、本来の緑色に紅や黄色、茶色など様々な色が入り混じった状態の美しいさまを表現する。かしわもみじ【柏黄葉】晩秋カシワの葉の色づき。黄色から褐色に変化する。艶やかさはないが木が大きいため、紅葉山に彩りを添える。こうらく【黄落】晩秋広葉樹が黄色く色づき、落ちる姿。ケヤキやクヌギ、イチョウなど。太陽の光を浴び、落葉するさまの美しさ。はつもみじ【初紅葉】仲秋いち早く紅葉し秋の訪れを告げるもの。ナナカマドなどを指す。カエデはこれよりずっと遅れて紅葉が始まる。ははそもみじ【柞紅葉】晩秋ブナ科コナラ属の紅葉の総称。高さ15〜20mほどの雑木で、コナラ、クヌギ、オオナラなどを表現する言葉。ふゆもみじ【冬紅葉】初冬周りが枯れ始める中の紅葉。また、冬になってから色が際立つ、庭園や寺社などの紅葉を指すこともある。百人一首に登場する〝紅葉〞の歌日本人にとって最も身近なカルタ小倉百人一首から秋の歌を知る第5番 猿丸太夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)奥山に もみぢふみわけ なく鹿の声きくときぞ 秋はかなしき人里離れた山奥で紅葉を踏みながら鳴く鹿の声を聞くと秋がさらに寂しく感じる。----------------------------------第17番 在原業平(ありわらのなりひら)古今集 四季(秋)ちはやぶる 神代もきかず 竜田川からくれなゐに 水くくるとは不思議な事が多い神代でも、聞いたことがない。紅葉が竜田川を真紅に染めるとは。----------------------------------第24番 菅家(かんけ)古今集 羈旅このたびは 幣もとりあへず 手向山紅葉の錦 神のまにまにこの旅はお供えの用意がない。手向山の美しい紅葉を神の御心のままお受け下さい。----------------------------------第26番 貞信公(ていしんこう)拾遺集 雑小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば今ひとたびの みゆき待たなむ小倉山の紅葉よ。もしお前に心があるなら再び天皇の行幸まで散らずにそのままで。----------------------------------第32番 春道列樹(はるみちのつらき)古今集 四季(秋)山川に 風のかけたる しがらみは流れもあへぬ 紅葉なりけり山を流れる川の流れを止めた柵。よく見ると流れずに溜まった紅葉の葉だったのだ。----------------------------------第69番 猿丸大夫(さるまるだゆう)古今集 四季(秋)嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は竜田の川の 錦なりけり激しい風に散らされた三室山の紅葉。竜田川に散り水面を錦のように鮮やかに彩る。----------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓川根薪火三十年番茶&川根薪火三年番茶長期間放置された茶畑から新たな可能性が生まれる。自然にも人にもやさしい健康茶。詳しくはバナーをクリック↓冒険用品 ヨコザワテッパン ポケットヨコザワテッパン × 男の隠れ家小さくても万能なテッパン、元祖が作り上げた、これがもうひとつの究極。このサイズならではの使い勝手を追求した、小さな小さなアウトドアテッパン。

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  • 後世に残したい風景 。ニッポン紅葉遺産。

    ※当記事の内容は雑誌掲載時の情報です。世界遺産の日本の寺社や自然も秋になると紅葉に色づく。多様な生物を支える原生林、信仰の山や寺社など日本の〝紅葉遺産〞を後世にー自然と人の営みが生む景観風景が最も輝く紅葉の季節今年7月に登録された国立西洋美術館が加わり、ユネスコ世界遺産に登録されている日本の自然遺産、文化遺産は20カ所になった。このうち自然遺産は4カ所で、意外に少ない。一方、16カ所の文化遺産のなかには「文化的な景観」がキーワードとなっているものが多い。「文化的景観」とは「自然と人の営みが、長い年月を経て作り出した景観」という意味であり、日本を特徴づけるものだ。山や森を背景に造られた寺社や、幾世代にもわたって作り続けられてきた田畑と民家。日本のこうした景観が、世界から評価されている。紅葉の季節は日本の風景が最も輝く季節であり、世界屈指の美しさを持つ。日本の世界遺産から、紅葉が特に美しい文化遺産と自然遺産7カ所を〝紅葉遺産〟としてここで紹介しよう。日光 栃木県 10月下旬〜11月下旬1999年に東照宮など二社一寺の建物群が周辺の自然環境とともに形成する文化的景観が世界文化遺産に登録された。世界遺産の建物を紅葉が彩る見頃は11月だが、日光連山を背景にした紅葉が素晴らしい中禅寺湖周辺など奥日光の紅葉は10月が見頃。にっこう栃木県日光市中宮祠(中禅寺湖)アクセス/JR「日光駅」より中禅寺温泉東武バス行き東武バスで45分「中禅寺温泉」下車、徒歩3分清水寺 京都府 1月中旬〜12月上旬清水寺は平安京遷都以前からの歴史を持つ京都では数少ない寺院。1994年に「古都京都の文化財」を構成する17寺社のひとつとして、世界文化遺産に登録された。秋になると清水の舞台から見下ろす錦雲渓と呼ばれる渓谷の木々が、真っ赤に染まる。きよみずでら京都府京都市東山区清水1-294東山通北大路バスターミナル行き京都市交通局(市バス)で15分「五条坂」下車、徒歩10分吉野山 奈良県 11月上旬〜下旬野山は古代からの伝承や史実に彩られた大峰山から熊野三山に続く山岳霊場の北端に位置し、「紀伊山地の霊場と参詣道」として2004年に世界文化遺産に登録。春は全山、桜が満開となる桜の名所だが、秋にはその桜がカエデとともに美しく紅葉する。よしのやま奈良県吉野郡吉野町吉野山アクセス/近鉄「吉野駅」よりロープウェイで3分白川郷 岐阜県 10月中旬〜11月中旬急勾配の茅葺き屋根を持つ伝統的な民家である合掌造りで知られる白川郷は、1995年に「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として世界文化遺産に登録された。秋は白川郷周囲の山々の木々が黄や赤の紅葉で染まり、合掌造りの民家を引き立てる。しらかわごう岐阜県大野郡白川村荻町 アクセス/JR「高山駅」よりクルマで50分知床 北海道 10月上旬〜10月中旬知床は羅臼岳など1200~1600mの山々が連なるオホーツク海に飛び出た半島。流氷が育む海から山につながる生物の生態系と種の多様性から2005年に世界自然遺産に。原生林の紅葉を静寂な湖面に映す知床五湖と紅葉の眺めはまさに絶景だ。しれとこ北海道斜里郡斜里町 アクセス/「女満別空港」よりクルマで2時間20分白神山地 青森県 10月中旬〜11月下旬白神山地は秋田と青森にまたがるブナの原生林。多種多様な動植物が育まれ、貴重な生態系が保たれていることから、1993年、山地の中心部の約1万7000haが世界自然遺産へ。10月中旬から下旬にかけてブナ、カエデ、ヤマモミジなどが美しい。しらかみさんち青森県中津軽郡西目屋村大字川原平字大川添417アクセス/JR「弘前駅」よりクルマで約1時間富士山 山梨県 10月下旬〜11月下旬富士山は古代より信仰され、広く日本の芸術文化の対象となってきた。これが評価され、2013年に世界文化遺産に登録。山麓のカラマツ、ナナカマドなどの木々は9月上旬から色づき、10月上旬から下旬の見頃には、富士山はうっすらと雪化粧する。ふじさん山梨県南都留郡鳴沢村8527 アクセス/富士急行線「河口湖駅」より本栖湖方面に富士急山梨バスで約25分「紅葉台入口」下車、徒歩30分----------------------------------------------------Recommend Contents 詳しくはバナーをクリック↓伊賀焼 「いぶしぎん」 全2種作り手は真の使い手であれ!という精神の元作られた「いぶしぎん」のおうちで楽しむ燻製土鍋。約30分で本格燻製の出来上がり。伊賀焼の伝統を守りながら現代のライフスタイルでもお使い頂ける商品を提供しています。詳しくはバナーをクリック↓ホームロースター機能は生真面目、デザインはクリエイティブな家庭用焙煎機。

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  • シルク100%の滑らかな履き心地。機能性あふれるシルクシューズで軽やかに。【スロモ プレミアムシルクシューズ】

    シルク100%の滑らかな履き心地。機能性あふれるシルクシューズで軽やかに。【スロモ プレミアムシルクシューズ】普段の生活でどうしても気になるのが靴のムレ感です。様々な靴の中での靴選びは人によっては強いストレスを感じてしまいがち。様々な目的に応じて開発された機能性に優れた靴は世の中にたくさんありますが、履き心地が良く疲れにくい靴はなかなか巡り合えません。男の隠れ家PREMIUMでは、ちょっとした外出だけでなくアウトドアにも優れた機能性を発揮するシルクシューズの取り扱いを開始しました。高級感あふれる素材。靴にシルクを使うメリットとは。蚕が吐く糸を紡いだシルクは、私たちの肌と同じタンパク質でできた天然繊維です。人のタンパク質と構成が近いため、シルクなら痒くなったりしないという方が多いのは、シルクが持つ人肌への親和性の高さゆえ。しかもシルクの一本の長さは1,200〜1,500mと、天然繊維の中では断トツの長さを誇ります。そのため肌触りが良く滑らかで、毛羽立ちません。通気性が良いので夏は涼しく、保温性も高いので冬は暖かいのも特徴です。「スロモ プレミアムシルクシューズ」は表地はもちろん、裏地もシルク。「スロモ プレミアムシルクシューズ」は軽く肌に優しく、シルク特有の通気性を感じられるため、素足のようなはきごこちです。生地にシルクを100%使用し、裸足で履けるのが特徴。シルク100%で皮膚の弱い方も履けるシューズとなっています。シルクは通気性が良く、同時に吸水性も綿の1.3〜1.5倍。汗を吸い込んで素早く乾かし、触感もサラサラとしています。蒸れやすい夏の外出も、素足で履けるシルクシューズなら快適です。とろけるような履き心地が足をしっかりホールドしてくれます。シルク素材というと扱いが難しい印象を受けますが、洗浄した際に生地が縮まない防縮加工、洗濯で生地の変形やねじれを防ぐテンター加工、汚れが生地に付着しにくくする防汚加工を施しているので、耐久性にすぐれており水洗いも可能です。お手入れも簡単で、素足で履くのにも安心の逸品。韓国の特許技術の振動チップで、衝撃を緩和し歩行をサポート。歩行時の衝撃を緩和し、姿勢を補正して軽快に歩ける、韓国の特許技術の振動チップをかかとに搭載し、踏み込んだ時の体圧を分散させてくれます。この振動チップの内部には9つの永久磁石が配置され、外部から衝撃を受けると振動するように設計されています。かかとから踏み込むと振動チップが発動して振動を起こし、足にかかる衝撃を分散する仕組みです。さらにインソールに衝撃吸収力の高い素材を採用し、天然ゴム製アウトソールで滑りにくく歩行が楽々なので、アウトドアシーンでも活躍します。足裏に隙間なくフィットし、適度な硬さがあるため踏み込みの力を無駄なくシューズに伝え、歩行時のパフォーマンスを維持してくれるのも特徴。痛みなく長い距離を歩行しやすく、日々の生活、軽い運動からアウトドアにも、使い勝手の良い一足となっています。また、アッパーがシルクなので、重量も一足当たり24cmサイズで217g、27cmサイズで267gと非常に軽やかなのも、足に優しいポイントといえます。特別なシルクシューズで快適な夏を。アウトドアシーンや街歩きは楽しい反面、汗をかきやすくムレやすいなど不快な状態に出くわしやすいです。そんな時は「スロモ プレミアムシルクシューズ」の爽やかな機能性で、軽やかに乗り切りましょう。商品詳細スロモ プレミアムシルクシューズ全3色/37,400円 (税込)

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  • 燕三条のアウトドアブランド「Muthos Homura」のナイフシリーズが「男の隠れ家PREMIUM」に登場!

    燕三条のアウトドアブランド「Muthos Homura」のナイフシリーズが「男の隠れ家PREMIUM」に登場! 約60年に渡り工具OEM製造や鍛造部品製造を行う株式会社小林工具製作所(所在地:新潟県三条市、代表取締役:小林拓磨)は、2022年9月にアウトドアブランド「Muthos Homura (ミュートス ホムラ)」を設立しました。 オリジナル製品第一弾として開発した「ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス)」をはじめ、「プロシェフナイフシリーズ」、「プロカットソー」の販売を「男の隠れ家PREMIUM」にて開始しました。 ▼ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス) ■開発背景 5.5mm厚のハードな使用に耐えるフルタング構造で、一本一本丁寧に研ぎあげた刃は、刃先断面形状を片側はハマグリ刃(バトニングで薪割りの際にナイフが挟まらずに割れやすい刃形状)、片側はストレート刃(フェザースティックを作る際に薄く細かいフェザー形状が作りやすい刃形状)になっており、良く切れるだけでなく2つの用途を1本のナイフで最適に実現でき、切れ味の持続性と欠けにくい耐久性も備えています。 このナイフが1本あれば、薪を割る・フェザースティックを作る・肉を切る・魚をさばく等、ブッシュクラフトキャンプを楽しむのに最適です。 刃の切れ味はもちろん、握りやすさは約60年に渡り、プロの職人向けの工具を作り続けてきた会社ならではのこだわりです。 ■特徴 「ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス)」の持つ最大の特徴は、意匠登録をされた独自の左右非対称な刃形状で片面はシャープな切れ味の「直刃」、もう片面はハリのある滑らかな曲線の「ハマグリ刃」の二面構造。これによって自由自在なブッシュクラフトが可能です。 極厚刃によって硬い薪・木材でも難なくバトニング、フェザリングが可能な圧倒的性能をもち、ナイフでの導入は珍しい3D設計&マシニング加工による造形と、確かな技術で丁寧に磨き上げた美しい刀身が特徴となっています。 「Muthos Homura」のブランドコンセプトである滾る想いを体現した「唯一無二」のアウトドアナイフです。このナイフを使って木を削り、焚き火をする時間は何物にも代えられない時間となるでしょう。 <製品概要> 商品名 :ブッシュクラフトナイフProminence(プロミネンス) 種類  :MH-001(右利き用) 内容  :ナイフ本体×1本、本革シース×1個、専用桐箱×1箱 サイズ :全長 約230mm、刃長 約107mm、重量 約250g 素材  :刃材質 高強度特殊ステンレス鋼、ハンドル材質 ローズウッド、      シース材質 栃木レザー ▼Pro Chef Knife series (プロシェフナイフシリーズ) ■特徴 プロの料理人に愛される包丁を生産していることでも有名な燕三条エリア。その最高峰ともいえるステンレスダマスカス包丁を3種類のペアでお届けします。包丁に加えて、天然大理石カッティングボードや栃木レザー製の現代版サラシなどを加えたオールインのプレミアムギフトセットです。 ご自分でご使用されるも良し、大切な方へのプレゼントとしても用いることができるよう、ギフトラッピングされた状態でのお届けとなります。 <製品概要> Pro Chef Knife Series(プロシェフナイフシリーズ) set A : Damascus包丁(パン切包丁、90mmペティ)、天然大理石カッティングボード包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:77,000円(税込・送料別)set B : Damascus包丁(牛刀180mm、120mmペティ)、天然大理石カッティングボード 包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー 専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:71,500円(税込・送料別) set C : Damascus包丁(150mmペティ、90mmペティ)、天然大理石カッティングボード 包丁カバー、栃木レザー製包丁ケース、包丁専用シャープナー 専用ギフトBOX(ラッピング)   販売価格:66,000円(税込・送料別) ▼Pro Cut Saw PCS-210 / Pro Cut Saw Mini PCS-125 (プロカットソーシリーズ)■特徴目指したのは、常に持っていきたくなる魅せるノコギリ(携帯ケース付き)。 Muthos Homuraでは単なる工具としてではなく、Outdoor Gearとしてファッションの一部となる魅せるノコギリを目指しました。キャンプシーンを彩るアイテムとして、ご使用中は勿論のこと何気ないシーンでも、その存在感がワンランクアップのシーンを演出いたします。工具の本場、新潟県三条市のプロ仕様ノコギリに、プラスアルファの所有感をご堪能ください。 サイズは実用性重視の刃長210mmと携帯性重視の刃長125mmの2サイズを準備しており、ベルト地の携帯ケースは「カーキグリーン、ブラック、ワインレッド、アイスグレイ」の4色からお選びいただけます。 <製品概要> Pro Cut Saw PCS-210 ノコギリ本体:全長440mm使用時 245mm折畳時 刃材質 SK-85 高周波焼入 一般木材用刃(あさり有) 刃長210mm 重量 230g   専用ケース:全長260mm 全幅50mm 重量60g  材質PP製 カラー4色  販売価格:2,750円(税込・送料別) Pro Cut Saw Mini PCS-125 ノコギリ本体:全長280mm使用時 165mm折畳時 刃材質 SK-85 高周波焼入 一般木材用刃(あさり有) 刃長125mm 重量 147g   専用ケース:全長205mm 全幅50mm 重量48g  材質PP製 カラー4色   販売価格:2,530円(税込・送料別)

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