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男の隠れ家コンテンツ

  • 国内最大級の水槽で育つ天然物を超える極上あわび

    魚介類の宝庫である三陸は養殖でも知られた地域あわびは夜行性なので、日中は太陽光を遮る板の裏側に集まっている。あわびは意外に動きが俊敏。板を水槽から引き揚げると、すぐに水の中に入ろうとする。三陸海岸の魅力は、訪れた人の目を楽しませてくれる素晴らしい景観美の連続と、世界有数の漁場で美味しい魚介の宝庫だということだ。岩手県宮古市よりも南側は、岬と入江が入り組んだ複雑な地形を成すリアス海岸が続き、天然の良港として活用されてきた。そんな三陸海岸の沖合いには太平洋プレートが沈み込んでいて、そのまま日本海溝まで到達している。この海は北東大西洋海域、北西大西洋海域と並んで世界有数の漁場のひとつとされている。優れた漁場であるもうひとつの要因が、栄養分をたっぷりと含み、北から流れて来る冷たい親潮が、南から流れて来る暖かい黒潮と三陸沖でぶつかることだ。栄養豊富な親潮は黒潮に温められ、植物プランクトンを爆発的に生む。そしてもうひとつ忘れてはならないのが、栄養をたっぷりと含んだ海を利用しての養殖。三陸では様々な海産物の養殖が行われているが、ここで注目したいのが国内で唯一、あわびを卵から食用サイズまで育てる「元正榮北日本水産」の陸上養殖法なのだ。驚くほど柔らかな食感と旨味が満喫できる養殖あわびあわびは5mm刻みのサイズごとに水槽を分けている。そうすることで、成長が早く力の強い個体だけが優先的に育ってしまうのを防げる。緑に覆われた岬を越えると、蒼く輝く海が陸地の奥深くまで入り込んでいる。典型的なリアス海岸が続く大船渡市三陸町。綾里漁港へと続く県道9号線を走っていくと、まるで小型タンカーのようなスタイルをした水槽が、いくつも陸上に並んでいる光景が目に入る。これは昭和 61年(1986)に創業した「元正榮北日本水産株式会社」が手がけている、あわびの陸上養殖プール。そして、ここで育てられているのは蝦夷あわび。ほとんどのあわび養殖は、稚貝から食用サイズまで育てるが、ここではその前段階、つまり親となるあわびの交配から産卵、孵化、そして生育するまで一貫して手がけている。これは国内では唯一、北日本水産だけが有する技術だという。「あわびを育てるために使っているのは、地下から汲み上げている海水です。海の水をそのまま使うと、餌以外の海藻や砂が混じっていて、あわびはそれも食べてしまいます。地下から汲み上げる海水は、何層もの地層によって自然にろ過されているので、不純物がほとんどありません。それをさらにろ過して24時間365日、温泉のように掛け流しで使っているのです。こうすることで、あわびが健康に生育できるわけです」そう話してくれたのは、取締役営業部長の古川翔太さん。創業者で会長の勝弘さんの孫。さらに「うちのあわびは、ワカメや昆布、限定した魚粉などを主成分とする、特別な人工飼料だけを与えて育てています。原料にこだわった飼料は、人が食べても何ら問題ありません。ひとつどうですか?」と、人工飼料を取り出した。タブレットのような飼料をひとつ口に入れてみると、香ばしい海藻の風味が鼻腔をくすぐる。クセになりそうな旨味があるうえ、健康にも良さそうだ。同じサイズの個体を集めれば、成長のスピードも揃えることができる。どんな大きさの発注があっても困らないのだ。古川さんは様々なサイズを見せてくれた。栄養たっぷりの食事を与えられ、のびのびと育てられるあわび。もちろん水や餌に成長ホルモンや抗生剤、その他一切の添加物は使われていない。それだけに、多くの手間を要しているのも確か。このような環境で育ったあわびは、天然物と比べ身がとても柔らかいのが特徴。これは栄養が行き渡っているうえ、天敵や潮流などから身を守る必要がなく、過度な運動を行なっていないから。しかも天然物よりも成長が早く、年間を通じて安定した供給量を確保することができる。さらにサイズまで揃えられるため、受注生産も可能になったという。あわびの貝殻は、食生活によって色が変わる。食べている海藻がワカメなどの場合は緑色に、海苔などならば赤色になる。北日本水産のあわびは原料にこだわった人工飼料なので美しい緑色をしている。これが「三陸翡翠あわび」という名の由来。老若男女、誰もが安心して食べられる極上のあわび、ぜひ試していただきたい。厳選!肉厚で柔らかい三陸翡翠あわび地中でろ過された海水をさらにろ過。清潔な環境を保つ水槽と、栄養満点の飼料で育てられた三陸翡翠あわび。育てる過程において、成長ホルモンや抗生剤を一切使用していない、安心の完全無添加生産なのだ。三陸翡翠あわび -お手軽ファミリーセット-誰でも簡単に美味しい料理が楽しめる逸品商品名:三陸翡翠あわび -お手軽ファミリーセット-価格:7,000円(税込)商品の詳細はこちら生鮮あわびセットあわび本来の旨味を凝縮 キモまでいただける商品名:生鮮あわびセット価格:4,650円(税込)商品の詳細はこちら好評発売中!牡蠣&ムール貝牡蠣ぽんレンジで簡単に調理完了 お酒のお供にも最適商品名:牡蠣ぽん 3袋セット価格:3,300円(税込)商品の詳細はこちら夢牡蠣フライ揚げるだけで本格的なレストランの味が堪能できる商品名:夢牡蠣フライ 2袋セット価格:4,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムール貝のカンカン焼きセットアウトドアでも楽しめる直火可能な缶がセット商品名:三陸漁師のカンカン焼き 牡蠣12個セット価格:5,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムールフライ一度味わえばたちまち虜になる珍しいメニュー商品名:三陸ムールフライ価格:3,500円(税込)商品の詳細はこちら蒸しムール貝水揚げされた国産ムール貝を最高の鮮度で浜蒸しにした逸品商品名:蒸しムール貝 500g2袋セット価格:3,000円(税込)商品の詳細はこちら

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  • 夏バテの体によく効く夏の冷泉 ぬる湯宿。

    温泉のべストシーズンは冬ばかりではない。「冷泉&ぬる湯」の魅力を知れば夏の暑い時期でも温泉を十分楽しめる。ぬる湯に、いつもより長い時間浸かって夏の緑の景色を眺めるも良し。気合い一発冷泉に浸かるのも良し。風呂上がりの体に心地良い爽快な風が吹き抜ける。冷泉とぬる湯温泉は「熱い」もしくは「温かい」ものだと思われているが、 素のままの掛け流しを楽しむなら「冷泉・ぬる湯」もよい。この夏の温泉旅にお勧め。冷泉とぬる湯の違いを理解して効果的な入浴を温泉は温かいもの、というのが常識かもしれません。しかし、世の中には「冷たい温泉」があり、冷泉などと言われています。そもそも「冷泉」という定義はありません。環境省が定めた鉱泉分析法指針によると温泉は25°C以上か、または一定以上の成分を含むものとされます。つまり、25°Cにも満たないものでも、一定の成分があれば温泉と認められるということです。従って冷たい温泉が存在することになります。また、鉱泉分析法指針では、温度によって温泉は4分類されています。25°C未満の冷鉱泉、25°C以上34°C未満の低温泉、34°C以上42°C未満の温泉、42°C以上の高温泉に分けられます。特に、入浴してかなりぬるく感じる「低温泉」や38°C未満の温泉をぬる湯と呼ぶこともあります。本稿では、25°C未満の温泉を「冷泉」、25°C以上38°C未満を「ぬる湯」と称して、その「効果的な入浴方法」と「効果」を述べることにしましょう。冷泉の効果的な入浴法としては、「温冷交代浴」が挙げられます。これは温かい温泉と冷泉に交互に入浴する方法です。温かい温泉に入ると温熱作用によって体の血管は拡張し、血流が増えてきます。冷泉に入ると特に手足の血管は収縮します。ちょうどポンプのように血管が伸び縮みすることによって、手足の血流は改善します。特に運動をした後、温冷交代浴を行うことによって、血流が改善されて栄養分が筋肉に運ばれ、また疲労物質が筋肉から洗い流されることによって運動後の筋肉痛が予防されたり、効果的に疲労回復できることがたくさんの実験結果から報告されています。また、温浴だけよりも温冷交代浴は保温効果が長続きするといった作用もあるため、冷え性の改善が期待されています。この温冷交代浴は体へ刺激が強い入浴法で、40°C前後の温かい温泉に3分から5分浸かり、冷泉に1分程度浸かることを3回から4回繰り返します。最後は温かい温泉で終了すると心地よく入浴を終了することができ、手足の温かさも長く続きます。注意点としては温かい温泉から急に冷たい冷泉に浸かるため、温度差で体への負荷が強いということです。「水風呂」に普段慣れていない人は無理に冷泉に入ると血圧の急上昇をきたして脳卒中を起こしたり、心筋梗塞や不整脈を起こすことがあります。刺激が強いので健康な方向けの入浴法といえるかもしれません。冷泉に入る場合は、少しずつ冷泉を手足にかけて、冷たさに体を慣らすことが肝心です。一方、ぬる湯は体に優しい入浴法です。ぬる湯の利点は自律神経への作用であり、ぬる湯に入ると交感神経、副交感神経のうち、リラックスの神経である副交感神経の働きが強くなることです。普段、私たちは日常生活でストレスがかかることが多く、交感神経が高ぶっています。現代人の体調不良で問題になるのは緊張状態が続き、交感神経が絶えず過剰に刺激されていることです。ゆったりとリラックスしてぬる湯に入り、副交感神経を刺激して自律神経のバランスをとることが重要です。ただし、あまり冷たく不快に感じるような温度では、むしろ体が緊張して交感神経の働きが強くなってしまいます。もうひとつのぬる湯のメリットは体の温まりが長く続く保温効果です。ぬる湯で保温効果とは釈然としないかもしれません。42°Cを超えるような熱い湯のほうが体がよく温まるのでは、と考えるのが自然でしょう。しかし、人間の体はうまくできていて、急に体を強く温めると、逆に急速に体温を下げようとします。つまり、あまり熱い湯に入ると一時的に体温が急上昇しますが、その温まりは長続きしません。38°Cと42°Cの入浴でどちらが温まりが長続きするか、を検証した実験が報告されていますが、湯を出てから30分後には38°Cのほうが体温が高いままを維持していました。ぬる湯でゆったり浸かり、額に汗を感じたらいったん湯舟から出るとよいでしょう。泉質にもよりますが、38°Cで20分が目安です。冷泉やぬる湯は、温泉に行き尽くしたファンにとっても人気の通な温泉の楽しみ方です。温度が低い分、温泉の成分の違いも肌で感じやすいのです。この夏の温泉旅にお勧めです。冷泉やぬる湯になじみのなかった皆さんも試してみてはいかがでしょうか。早坂信哉(はやさかしんや)東京都市大学教授、医学博士、温泉療法専門医。(一財)日本健康開発財団温泉医科学研究所長、(一社)日本銭湯文化協会理事など。温泉や入浴を医学的に研究しておりメディア出演も多い。渋・辰野館≪長野県茅野市/奥蓼科温泉郷≫創業百余年の信玄ゆかりの隠し湯で冷泉と滋味深い山里の幸を堪能宿が白樺林の中に佇んでいることがよくわかる。高原の涼やかなひとときが心地良い。八ヶ岳山麓に広がる蓼科の自然美を楽しみながら宿へ盛夏の澄みわたった蒼空に、八ヶ岳連峰の山稜がひときわ美しく映える。茅野市側から見上げると南端の編笠山から主峰の赤岳、天狗岳から蓼科山までのワイドなパノラマがぐるりと見渡せ圧巻だ。そして車は奥蓼科へと続く通称「湯みち街道」の県道191号線へと道をとる。ひとカーブごとに上がっていく標高と、鮮やかさを増す原生林の緑。ふと、道のところどころに石仏が立っているのに気がついた。苔むした古いものから新しい石仏まで表情は様々。今回、旅の荷を解いた温泉宿「渋・辰野館」の主人・辰野裕司さんに後で聞いたところ、それは江戸時代、この温泉地を訪れた湯治客らが湯の効能に感謝して寄進した観音様なのだそうだ。近年もその習わしは受け継がれ、新たに寄進されたものも少なくないという。道の終点は天狗岳の登山口にもなっている場所で、かつての渋之湯(渋・辰野館)があったところ。昭和12年(1937)に火災で焼失したことにより、翌年の昭和13年に2㎞下の強清水の湧く現在地に宿を移転したという。ちなみに源泉は以前の地から引いている。温泉の歴史については後述することにして、宿へと向けてさらに車を進めていくと右手の木立の間に小さな池が見えてくる。池畔に立つと思わず息をのんだ。原生林が静寂の水面に映り込み、その様相はまるで水鏡のよう。もともとは農業用のため池なのだが、「御射鹿池」と名付けられた神秘的な池は今やすっかり人気の観光スポットになっている。その名が広く知られるようになったのは、日本画家・東山魁夷の名画「緑響く」のモチーフやCMのロケ地になったことなどが大きい。風のない早朝の時間帯はさらに神秘性を増し、それこそ孤高の白馬が描かれた東山魁夷の作品世界を思わせる空気感が漂うという。実は、東山魁夷は「渋・辰野館」に滞在しており、その際に御射鹿池をモチーフとした作品を着想したのではないかとされている。「この『緑響く』がお披露目されてから、私はすぐに御射鹿池だと気づきました。普段見慣れた風景ですからね」と話す主人の辰野さん。御射鹿池にほど近いこの宿にて、日本画の巨匠も温泉を楽しみながら絵を描いたのだろう。左/木筒から源泉が勢い良く流れ落ちる。真ん中上/湯の花が浮く白濁の湯。右上2つ/風呂は全て男女別にあり、大きさも造りもほぼ同じ。真ん中下/洗い場のある「展望風呂」。右下/薬湯を発見した少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)を祀る。創業大正8年の宿にて信玄の薬湯冷泉に浸かる八ヶ岳山麓・奥蓼科の自然美を満喫し、その余韻を楽しみながらいよいよ「渋・辰野館」へとチェックイン。白樺や唐松などの森林に抱かれた一軒宿は、木の温もりあふれるロッジ風の建物が印象的だ。吹き抜けのロビーには大きな窓が設えられ、外の景色が鮮やかに映り込んでいる。階段や廊下には宿の歴史を物語る写真や説明書き、山の写真などが随所に飾られている。それによると、当温泉の開湯は奈良時代末期の延暦2年(783)。諏訪神社の神官の霊夢により発見されたと伝えられている。さらに古くは日本神話に登場する少名毘古那神(スクナヒコナノカミ)がこの薬湯を探し当てたとも。いずれにしても温泉成分がとても強いことから薬湯として珍重され、戦国時代には武田信玄が傷を負った重臣や軍馬の湯治のために利用したとされている。以来、“信玄の薬湯”とも呼ばれるようになった。江戸時代には高島藩(諏訪藩)が温泉場を造営。湯を樽に入れ薬として販売した時代もあったそうだ。「渋之湯へは道が険しかったため、その後は一時期寂れかけたこともありました。しかし大正8年(1919)に当館初代の辰野茂が経営を引き継ぐと、新しい旅館の建設と共に茅野駅から交通の利便性を図りました」と言う主人。何と初代は自力で道を整備し、高価な米国車を購入して送迎。さらに乗合バスも運行させ奥蓼科の開発に力を注いだのだという。道に佇む石仏の数が温泉の素晴らしさを物語るように、長きにわたり湯治客を治癒してきた。「とにかく温泉成分が非常に強いので体には効果的。でも、機械をはじめ宿のあちこちはすぐダメになってしまうんですわ(笑)」一番の特徴は何といっても源泉温度18°Cの冷泉だ。館内には木の香ゆかしい「信玄の薬湯」と、露天風呂を設えた「森の温泉」、洗い場のある「展望風呂」の3カ所を男女別に設置。前者2つには源泉のままの18°Cの冷泉と、40°C~42°Cに加温した温泉を満たした2つの浴槽があり、白濁の湯が滔々とあふれ出ている。冷泉の入り方を聞くと、足の方から体を馴染ませるようにゆっくりと浸かるのがコツだとか。部屋でひと息入れた後、まずは「信玄の薬湯」へ向かった。冷泉の湯船は源泉が滝のように落ち、何とも豪快。しかし、冷泉は最初の一歩に少々気合いが必要だ。膝まで入れられてもその先がなかなか沈められない。じわじわと2度ほどやり直した後、やがて体がするりと湯に滑り込んだ。もちろん冷たい。しかし、じっと湯に身を任せているうち、不思議な心地良さが体に満ちてくる。その後すぐに横の温湯船に入ると、体の芯がじわりと刺激される感覚を覚えた。さらに、白樺林に抱かれた「森の温泉」の冷泉露天風呂へ。一度入っているので今度はすぐに湯に浸かることができた。信玄の薬湯の方もそうだが、湯船の深さは90㎝。それは成分がとても強い温泉ゆえに長湯にならないよう、あえて深く造ってあるのだという。一回の入浴は15分くらいが適正。もっと長く入っていたかったが、部屋でゆっくり体を休めた後、夜にもう一度楽しむことにしよう。左上/しみじみ温まる冬瓜のスープ。十穀パンと共に和風出汁で仕上げた優しい一品。左下/たっぷりの野菜といただく信州野草豚鍋。右上/前菜の盛り合わせの“森のたからものづくし”。彩り豊かな旬の料理が目と舌を楽しませる。右下/イワナの燻製と信州サーモンのお造り。季節ごと常連が待ちわびる滋味深い信玄の山里料理さて、当宿のもうひとつの魅力が料理である。それは「信玄の山里料理」と銘打った創作料理。奥蓼科の山の恵みをたっぷりと、しかも丹念に料理された逸品が供される。なかでも前菜の盛り合わせの“森のたからものづくし”は、まず目で楽しみ、舌で滋味を感じる美しく楽しいひと品。それはまるで山菜や地野菜などの季節感を一枚の皿の上に演出した絵画のようだ。他にもこの日は、イワナの燻製と信州サーモンのお造りや冬瓜のスープ、信州野草豚鍋などが膳を賑わせた。それぞれの器づかいもセンスが光るが、料理は奥様と息子さん、そして主人の家族だけで作っているのだという。「仕入れた食材によって内容が変わりますが、また、食べたくなる優しい味を心がけています」と主人。その言葉通り、この料理を求めて何度も訪れる常連客は多い。味わうほどに地酒も進む口福な料理の数々。温泉の素晴らしさもさることながら、再びこの宿を訪れたくなる秘密がここにある。※こちらは男の隠れ家2019年9月号より一部抜粋しております

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  • スクスク育つ牡蠣に会いに行く

    海の畑と呼ばれる養殖に最適な三陸の海育った牡蠣は重いので、クレーンで引き揚げる。日本で見られるリアス式海岸は遥か昔、起伏の激しい山地が海面の上昇や地盤沈下によりに海面に没したことで形成された。海面よりも上に残された陸地が、複雑に入り組んだ湾や島を創り出したのだ。氷河が形成した北欧のフィヨルドとは、生まれた背景が違う。日本列島はどこも起伏に富んだ姿をしているのでリアス式海岸は各地に存在する。その中でも、宮城県北部から岩手県にかけての広範囲にわたる三陸海岸は、海岸線が複雑に入り組んでいるため、多くの観光客の目を愉しませる風光明媚な光景が広がっている。さらに漁業はもとより、養殖や水産加工が盛んなことでも有名だ。リアス式海岸はその成り立ちから、海への間口が広く湾岸の奥が浜辺になっている。湾は小高い山に囲まれているのでの影響を受けにくく波が穏やか。そして浜から少し離れただけで深くなるうえ、海を囲む山からは豊かな養分が海へと運ばれるため、海は豊富な栄養分を蓄えている。初回は、そんな三陸海岸で育った海の逸品を厳選してお届けしたい。生産だけでなく加工から管理、販売まで行う6次産業浮き玉の沈み方を見ながら水中にある牡蠣の成長を量り適度な深さへ調整しながらベストなタイミングで水揚げする。三陸自動車道を河北ICで下り、北上川に沿って海を目指すと、車窓を流れる風景は大きな建造物が見当たらず、空の広さが滲み入るように感じられた。30分ほど走ると目の前には小さな岬に抱かれた、典型的なリアス式海岸の風景が見えてくる。今回訪れた「株式会社海遊」は2011年、今では「日本一有名な漁師」と称されるまでになった、伊藤浩光さんが設立した。牡蠣やムール貝などの養殖場と加工工場がある宮城県石巻市の雄勝湾は、東日本大震災の影響もあり、周辺に商業施設がほとんど見当たらないが、それは逆に海の環境に悪影響を与えるものが少なく、代わりに周辺に広がる自然豊かな大地から、川を介して栄養分が海に注がれることを意味する。さらにミネラルを多く含む水が、雄勝湾の底から湧き出ている。そのためここで育つ牡蠣やムール貝には、よく栄養がいき渡っているのだ。左/水揚げされた牡蠣は1個ずつバラした後、高圧洗浄を行う。その後、自動選別機にかけ減菌海水に22時間以上入れて浄化し鮮度を保つ。その後出荷するために加工が行われ、消費者の元に届けられる。右/ホタテの貝殻に牡蠣の種をつけるのではなく、専用のバスケットカゴに稚菌を入れ、放し飼いのような状態で育てる方法も実践。「新しい水産ビジネスを示すために、様々な挑戦を実践してきました」と伊藤さん。そのひとつが豊かな海を舞台とし、水産業の6次産業化を試みたこと。これは生産(1次産業)、加工(2次産業)そして販売(3次産業)までを行うことだ。1次+2次+3次で6次になるという意味で、生産からお客様の元に届くまで責任を持って管理することを指している。これにより安心・安全で美味しい商品を、リーズナブルな価格で提供することができるようになった。さらに知識と経験に裏付けされた独自の牡蠣生産法も行なっている。それは「中層延縄養殖法」と呼ばれるもので、深い水深を誇る雄勝湾に適した方法である。まず水深2mほどの海面下に桁網を張れるように浮き玉を調整。そこから牡蠣の幼生が付着した原盤が水深5m以上の深さまで沈むように、長さを調整した下げ綱を吊り下げる。こうすることで菌が多く生息する上層部ではなく、中層で牡蠣を養殖できるわけだ。この養殖方法は上層部で養殖する筏と比べると菌の影響を受けにくいだけでなく、牡蠣の原盤が海表面の動揺に左右される心配が少なく、台風や高波といった災害に強い。おかげで良好な成長を促してくれ、年間を通じて安定した供給量が確保できる。その一方、常に浮き玉の状況を確認しなければならないため、手間がかかる。だが、伊藤さんが掲げた「食卓が笑顔で彩られるようなサービスや商品を提供する」という理念のため、汗を流すことを怠りはしない。このような環境下で、愛情を注いで育てられた牡蠣は旨味や塩味が濃く栄養満点。プリプリとした肉厚の食感も、一度味わえば病みつきになる。世界最高水準の管理体制も実施されているので、安心して口にできるのも嬉しい。厳選!牡蠣&ムール貝ミネラル豊富な雄勝湾の旨味が凝縮。旨味だけでなく栄養もたっぷりと含んだ三陸育ちの牡蠣と、輸入物とは比べ物にならない濃厚でジューシーな味わいが楽しめるムール貝。どちらも一度口にしたら忘れられない食の逸品。家庭で手軽に食べられる加工済みだ。牡蠣ぽんレンジで簡単に調理完了。お酒のお供にも最適商品名:牡蠣ぽん 3袋セット価格:3,300円(税込)商品の詳細はこちら夢牡蠣フライ揚げるだけで本格的なレストランの味が堪能できる商品名:夢牡蠣フライ 2袋セット価格:4,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムールフライ一度食べれば誰もが虜に。他にはない味わい商品名:三陸ムールフライ価格:3,500円(税込)商品の詳細はこちら蒸しムール貝水揚げされた国産ムール貝を最高の鮮度で浜蒸しにした逸品商品名:蒸しムール貝 500g2袋セット価格:3,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムールのカンカン焼きセットアウトドアでも楽しめる直火可能な缶とともに届く商品名:三陸漁師のカンカン焼き 牡蠣12個セット価格:5,000円(税込)商品の詳細はこちら※こちらは男の隠れ家2023年6月号より一部抜粋しております

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  • 大人の夏旅、北海道。【小樽・札幌・積丹編】

    もうすぐ夏本番。そして今年も亜熱帯のようなうだる暑さになるのが目に見えている。いっそのこと街を脱出して、青い空に涼やかな風の北海道に足を運ぶのはどうだろう。北の大地は、観光地も多く海の幸を筆頭に数多くのグルメも楽しめる夏旅の定番だ。さらに「北海道遺産」のスポットを巡っていけば、より思い出深い旅になるだろう。北海道ドライブ旅のテーマは「北海道遺産」。旅慣れていてもその意味合いや全貌を知る人はそれほど多くはないだろう。北海道遺産には北海道旅をより深くより楽しくするスポットが目白押しなのだ。小樽・札幌・積丹エリア年間を通じて多くの観光客が訪れる小樽・札幌・積丹(しゃこたん)の道央エリア。今なお北海道開拓の足跡を見ることができ、北海道の貿易や街づくりの拠点ともなった道央エリアの北海道遺産を紹介する。SPOT1 ニッカウヰスキー余市蒸溜所昭和11年以来ウイスキー造りの火が続くニッカウヰスキーJR「余市駅」と向かい合うように建つ余市蒸溜所正門国産ウィスキー造りに生涯を賭けた男の聖地明治2年(1869)、明治政府は開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改称した。そして2年後には開拓事業の本拠地を函館から札幌へ移転。以来、北海道の発展は札幌を中心とする道央地域を抜きには語れなくなった。という背景もあり、この地域には北海道開拓の足跡が随所に残されている。そのため近代日本の産業を牽引してきた歴史を、肌で感じられるのだ。まずはそんな遺産の代表格と言える「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」を訪ねてみた。ここは昭和9年(1934)、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝により、同社初の蒸溜所として建設された。余市が選ばれた理由としては、良質な水が豊富だったこと、原料となる大麦を集めやすい地であったこと、鉄道の便があることなどが挙げられる。加えて豊かな自然と夏でも涼しい気候が、本場のスコットランドに通じていたからだという。確かに、大都会の札幌から余市へとドライブすると、どんどん空が高く広がっていくのと同時に、空気が澄んでいくさまをはっきりと感じられる。眼前に広がる群青色の日本海も、ウイスキーの味に深みを与えてくれるのだろう。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、この地からは良質のピート(草炭)が採取できることだ。「ウイスキーは北の風土によって育まれる」という確固たる信念を抱いていた竹鶴にとって、余市は自分が理想とするウイスキー造りの条件を完璧に満たしていた地であった。そんな余市の蒸溜所にポットスチルが据えられ、火がくべられたのは昭和11年(1936)のこと。以来、当時と変わらない製法でウイスキーが造られている。余市蒸溜所に一歩足を踏み入れると、札幌軟石で造られた尖り屋根の工場群に目を奪われる。鮮やかな赤い屋根の向こうにある青空は、まるで絵画の背景のようだ。事務所や見学者の待合室となっている蒸溜所正門、現在は蒸溜液受タンク室となっている貯蔵庫、同じく混和室となっているリキュール工場など、9棟が国の登録有形文化財に認定されている。「建造物だけでなく、ウイスキー製造工程と平成10年(1998)に貯蔵庫を2棟改築して造られたウイスキー博物館の見学も楽しめます。博物館内では10年もののシングルカスクウイスキー(原酒)の試飲ができますよ」と、北海道工場総務部長の高橋智英さん。今年で創業85年目を迎えた蒸溜所にとって追い風となったのが、平成30年(2018)12月8日に後志自動車道の余市ICまでの23・3㎞区間が開通したこと。これにより札幌の中心地から蒸溜所まで、クルマで1時間もあれば行けるようになったのだ。SPOT2 開拓使時代の洋風建築明治人の開拓精神が息づくハイカラな建物明治14年(1881)に撮影された豊平館。現在は中島公園内に移築された。白い下見板にウルトラマリンブルーを使った枠まわりが美しい。正面中央部の棟飾りなどには、開拓使の建物であることを示す五稜星があしらわれる。明治人の気概と共に、異国情緒を感じる建物札幌の街中には、開拓使によって建設された洋風の建物が10棟近く遺されている。その中で当時の雰囲気を今なお残しているのが、開拓使官営のホテルとして明治13年(1880)に完成した「豊平館」だ。今は中島公園内に移築されているので、都会の中のオアシスのような存在となっている。「アメリカ風の建築様式にもかかわらず、各部屋の天井を飾るシャンデリアの吊元を飾っている円形の装飾は、日本独自の漆喰を使っています。それは幕末から明治初期に活躍した、伊豆松崎出身の入江長八の流れをくむ職人の手によるものと考えられています」(ガイド・猪股修輔さん)豊平館の外壁には、鮮やかなウルトラマリンブルーの顔料が使用されている。それとは対照的な木造のシックな建物が、開拓使の貴賓接待所として利用された「清華亭」だ。この建物は札幌初の都市型公園「偕楽園」の中に建てられていた。その最大の特徴は、全体に洋風の造りであるが、随所に和風の様式を調和させている点。和洋室併設住宅の先がけなのだ。今は閑静な住宅街にポツンと佇んでいる。建物の周囲には木立が茂っているため、往時の姿を容易に思い浮かべられる。風が吹くと木の葉がザワめき、それが開拓使の歓声のようにも聞こえてきた。そして忘れられないのが、明治11年(1878)に札幌農学校の演武場として建てられ、今では北海道のシンボル的な存在となっている「時計台」である。これは日本最古の塔時計で、バルーンフレーム構造という木を鱗状に重ねた外壁が特徴。今も2階ホールで音楽会などが行われる。札幌の中心地に位置するだけあって、カメラを手にした観光客の姿が、ほぼ終日にわたり途切れることはない。市内を巡る観光馬車と行き会えば、絶好のシャッターチャンスとなるだろう。SPOT3 札幌苗穂地区の工場・記念館群北海道における産業の発達を伝える施設明治時代の雰囲気をそのまま今に伝える博物館が入った開拓使館外観。日本近代産業の礎となった工場と記念館が建ち並ぶ「産業の街」と呼ばれている札幌市の苗穂地区。ここは豊平川の豊富な伏流水や、貨物輸送の利便性が着目され、明治初期から工業地帯として発展してきた。今も醤油製造を続け、全道一のシェアを誇る福山醸造をはじめ、大小様々な工場や倉庫がひしめいている。そんな下町情緒あふれるJR函館本線「苗穂駅」近隣には、北海道の産業史を振り返るうえで欠かせない「北海道鉄道技術館」「サッポロビール博物館」「雪印メグミルク酪農と乳の歴史館」「千歳鶴酒ミュージアム」などがあり、記念館群が形成されている。これらの工場群と記念館群がまとまり、北海道の産業史を後世に伝える北海道遺産に認定された。周辺に足を踏み入れると、まるで明治時代の活況が目の前に浮かんでくるような感覚に陥る。なぜだか昭和の香りも漂ってくる。それは古い工場が集まっている場所に漂う、独特の懐古感に包まれているからかもしれない。赤煉瓦や石壁に囲まれた路地は、工場好き人間には堪らないご褒美なのだ。そこでまず目に飛び込んでくるのが、明治の面影を色濃く残す赤煉瓦造りの「サッポロビール博物館」だ。サッポロビールの歩みを中心に、日本のビール産業史を豊富な資料や映像、ポスター、さらには実際に工場で使われていた実物資料で振り返ることができる。「昭和40年(1965)から平成15年(2003)まで札幌工場で使われていたこの煮沸釜は、直径が6.1m。500ml缶に換算すると、何と17万本に相当する仕込みができます」(サッポロビール博物館副館長・久保喜章さん)昭和52年(1977)、酪農と乳業の発展の歴史を後世に正しく伝承する目的で、雪印メグミルク札幌工場の隣に「酪農と乳の歴史館」が建てられた。館長の増田大輔さんによると「バターなどの乳製品お製造工程を、わかりやすくご説明しております。」とのこと。館内には創業当時のバター作りの機械や、製造ラインを再現した模型など、興味深い展示が目白押し。乳製品の試飲が楽しめるだけでなく、実際に稼働している工場を見学することもできる。SPOT4 北海道大学札幌農学校第2農場近代農業史を伝える最古の洋式農業建築群奥が模範家畜房のモデルバーン。外壁の板が縦に張られているのがアメリカ流。2階に乾草を格納していたため背が高い。手前は明治42年(1909)に建てられた牝牛舎。外壁の板は日本風に横張りで、サイロが附属するので背が低い。明治期の洋式建築技術の粋に触れてみる「第2農場は、札幌農学校が開校した明治9年(1876)直後から90年近く続いた研究施設です。約1万9000㎡の敷地内で、家畜を使った洋式農法を実践していました。明治10年(1877)に建てられたモデルバーンやコーンバーン、明治42年(1909)に建築された牝牛舎など、9棟の施設が現存しています」(北海道大学名誉教授・近藤誠司さん)モデルバーンは最古の洋式農業建築で、初代教頭のクラーク博士が前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建設した畜舎をモデルにしている。牛と馬の家畜房のほかに、牧草の乾燥収納庫を備えた木造2階建てで、地下を有する3層となっていた。モデルバーンと同じ年に建てられたコーンバーンは、トウモロコシを貯蔵するための施設。高床式の木造2階建てで、ねずみ返しが付いている。どちらもツーバイフォーの起源といわれる「バルーンフレーム方式」という工法。近藤さんによれば「日本の大工が独自に手を加え、日本の気候風土に合わせアレンジしている」という。SPOT5 札幌軟石開拓時代の建築資材の主力を担った凝灰岩札幌市資料館は、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた。当初は札幌オリンピック関係の資料や札幌にゆかりのある文学関係の資料が展示されていた。現在は控訴院時代の法廷を復元している。札幌や小樽で見られる独特な石造りの建物札幌の街を歩いていると、日本では珍しい石造りの蔵や倉庫をよく目にする。使用されている石材は約4万年前、支笏湖を形成した火山活動での火砕流が固まった岩石で「札幌軟石」と呼ばれるものだ。加工がしやすく、防火性に優れた特性だったから、開拓使が廉価な不燃建材として広く使用した。老朽化が進み、建て替えも増えたというが、それでも札幌市の中心街には、いまだ現役の建物も多い。しかも店舗も少なくないので、街中散策を兼ねて探して回るのも悪くない。散策後は札幌を後にして、炭鉱の街・空知へ向かう。SPOT6 空知の炭鉱関連施設と生活文化日本の近代化を支えた国内最大の産炭地目を奪われるほどの迫力をもつ「旧住友奔別炭鉱立坑櫓」。櫓の高さは51m、地下は-735m。昭和35年(1960)に稼働、昭和46年(1971)には閉山した。観光資源として新たな活用が注目される炭鉱空知地域には最盛期であった1960年代、約110の炭鉱があり、約1750万tもの石炭を産出する国内最大の産炭地であった。日本の近代化を支え続けた炭鉱だったが、エネルギー政策の転換によって1990年代、空知の坑内堀り炭鉱は全て閉山する。だが今も広大な地域に立坑櫓や炭鉱住宅、炭鉱鉄道関連施設など、ヤマ(炭鉱)に関する多くの記憶が遺されている。まずはJR「岩見沢駅」前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、情報を仕入れるのが得策だ。「実際に炭鉱で働いていた方を中心としたガイドのお話を聞きながら、旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部や坑内で使われていた大型機械が展示されている自走枠工場などを見学するツアーや、閉山で廃校になった小学校を利用して彫刻家の安田侃氏の作品を常時展示している美術館・アルテピアッツァ美唄など、見どころは盛りだくさんです。炭鉱関連だけでなく、様々な情報をお伝えできますので、立ち寄ってみてください」(事務局員・横山真由美さん)空知の炭鉱関連施設を巡る場合、エリアがあまりにも広大なのでクルマ移動が欠かせない。移動中も美唄市光珠内町~滝川新町まで、日本一長い29・2㎞の直線が続く国道12号線など、いかにも北海道らしい夏の風景を楽しめる。※こちらは男の隠れ家2019年8月号より一部抜粋しております

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  • やってみません?ソロキャンプ。

    ファミリーキャンプブームを経て今、ソロキャンプが注目を集めています。ソロ=ひとり。焚き火を起こし、酒や料理を楽しむ。何かをしなくてはいけないという決まりはありません。誰にも邪魔されない、ひとりだけの時間。そんな贅沢なソロキャンプ始めてみませんか?Mt.Fuji CAMP高原の夜空と朝霧を味わえる富士の麓の高原キャンプへ。思い立ったら即座に行動に移す。ソロキャンプ最大の強みはまさにそんな機動力であろう。相棒がどこへでも行ける4WDであれば言うことなし。道具を放り込み気ままに進路をとろう!高速道路を西へと向かうと雲の中から霊峰がお出迎え勢い良く雲は流れ、空にはみるみる青色が広がっていく。白く分厚い雲の彼方に完全に隠れていた富士山も、裾野部分が姿を現してくれた。しばらく眺めていると、時おり山頂付近も顔を出す。富士五湖のひとつ、西湖の畔でひと休みしていると、訪問を歓迎してくれているかのような天気となった。雨の心配がない予報を耳にしたある朝、愛車のジムニーにキャンプ道具を積み込んで家を後にした。どこに行くかは気分次第。とりあえず高速道路に乗り、車を西へと走らせる。その途中、富士山方面を目指そうと思いついたのだ。右上/地元の野菜だけでなく、様々な地場産品を取り扱う物産館がある「道の駅なるさわ」。右下/「ここでしか買えない」という文字に吸い寄せられ、鹿肉ソーセージをゲット。中上/広々としたスペースに朝採れ野菜がふんだんに並ぶ。中下/場内には富士山の湧水を汲めるスポットもあり。左上/名物のトウモロコシも見逃せない。左下2点/早朝から営業している「栄屋」は、今では珍しい自家製の手打ち麺を使っている。肉玉力うどんは450円。中央高速の河口湖ICを出たのは、朝の8時を少し回った頃。ここで小腹がすいたので、富士吉田名物「吉田のうどん」で、まずは腹ごしらえ。おあつらえ向きに、インターの近くに8時15分営業開始の「栄屋」を発見。まずは朝イチうどんを味わった。うどんに舌鼓を打った後は、9時にオープンする「道の駅なるさわ」へと足を運ぶ。ここには地元の食材を豊富に揃えている物産館があるので、新鮮な地元産の朝採れ野菜や珍しい地場産品などを買うことができる。これで夕餉の食卓が華やかになるだろう。買い物を済ませた後、せっかくなので近くの西湖を訪れると、冒頭のような好天に遭遇した。ここですっかり気を良くした私は、さらに先までドライブを楽しむことを即決。西湖にもキャンプ場はあるが、より富士山の勇壮な姿を愛でることができる、静岡県の朝霧高原まで足を延ばすことにした。富士山西麓の標高700〜1000mの広大な地域に広がる朝霧高原は、ほぼ全域で富士山の姿を望むことができる。そんな最高のロケーションでキャンプができれば、他には何も望まない。こうして気ままなソロキャンプの目的地は、気まぐれに決定したのである。広大な草原のキャンプ場で富士山を望むサイトを構築上3点/芝生ながら車での乗り入れができ、道具の積み降ろしも楽。地面は軟らかいので、ペグは楽に打ち込める。下/空いている時は贅沢なほど広い場所を占拠できる。私のサイトもひとりでは贅沢すぎるほどである。若い頃に山歩きやシーカヤックで島から島へと漕ぎ渡っていた時、宿泊手段は当然のようにキャンプだった。その後、子どもが小学生になると、夏には決まってファミリーキャンプを楽しみに全国各地へ出かけたものだ。しかし、子どもが成長し、あまり親と一緒に行動しなくなると、すっかりキャンプから遠ざかっていた......。そんなある日、週末にポッカリと時間ができた。その時、即座に頭に浮かんだのが「ひとりで気ままにソロキャンプでもしてみようか」ということだった。ソロキャンプなら目的地や出発時間など、全て自分ひとりで決められる。以来、車に道具を適当に放り込み、行く場所も決めずにひとりでキャンプを楽しむようになったのだ。そして今回は、日本有数の面積を誇るフリーサイトが自慢の「朝霧ジャンボリー オートキャンプ場」(静岡県富士宮市)に一泊することに決めたのであった。このキャンプ場の魅力は何といっても富士山の眺望と、光害に邪魔されない満天の星、さらには全面芝生の広大なサイトだ。区画にすれば350サイトはありそうなのに、一日の利用者を200サイトに絞っているのもいい。実際、この日は空いていたため、どこにサイトを作るか迷ってしまったほど。と言うのも、残念なことに朝霧高原は午後になっても霧のような雲が晴れなかった。この分だと今夜、楽しみにしていた星空を望むのも怪しいかも......。それでも夕方になれば富士山が顔を出すかもしれない。そう考え、数日前からキャンプをしていると思われるカップルに「富士山はどの方向に見えますか?」と尋ねた。「あっちですね」という彼の言葉が決め手になり、サイト作りに取りかかった。テントはソロキャンプにもぴったりのノルディスクのユドゥンミニ、さらにタープはカーリ。そして1時間ほどで、晴れれば富士山が借景になる(はず?)の極上サイトが完成した。時と焚き火の炎が許す限り気ままな食事を堪能するソロキャンプの楽しみは何と言っても食事に尽きる。誰にも遠慮せず、好きなだけ時間をかけてとっておきの献立を用意したい。そしてお気に入りの酒と共に、夜が更けるまでのんびりと味わう。これこそ誰にも遠慮しない、ひとりだけの贅沢である。しかも車を使ったキャンプなので、ダッチオーブンや焚き火台、さらにはトライポッドのような、大物道具も持ち込める。それだけで料理の幅も広がる。というわけで、今回のメイン料理はユニフレームのダッチオーブンで作る、超手抜きの和風ビーフシチューに決めていた。それに途中の道の駅で購入した新鮮野菜のサラダ、さらにジビエ感いっぱいの鹿肉ソーセージを加えることに。ビーフシチューはダッチオーブンの特性が最大限に活かせるメニューだ。牛すね肉の塊を適当な大きさに切って塩コショウを振って小麦粉をまぶす。それを焼いたら一度鍋から出し、ニンニクとタマネギ、セロリのみじん切りを炒め、再び牛肉を戻し、そこに赤ワイン、水、ドミグラスソース、隠し味のしょうゆを加えて煮込む。しばらく煮込んだらジャガイモとニンジンを加え、さらに煮込めば完成。シチューの煮込みが完了するまでの間、飲むために用意しておいた赤ワインを抜く。ここで満天の星と富士山のシルエットにひとりで乾杯、となるはずであったが、この夜、あいにく空一面を覆う雲が晴れることはなかった。持参した双眼鏡で空を眺めてみたものの、星どころか月も顔を出していない。それでも雨が落ちてくることはなく、焚き火の炎をゆっくりと愛でつつ、ワインのグラスを傾けた。そして時間を気にせずに作った料理は、思いのほか旨かった。やはり自然のスパイスが効いたのか。焚き火の炎が小さくなるまで、ひとり時間を存分に楽しんだ。天気が良ければ星明かりだけで過ごせるほどの星空が広がるはずであった。月明かりがあれば、富士山のシルエットも見える。それらは叶わなかったが、夜の暗さと静けさ、さらには冷たく澄んだ空気が自然との一体感を感じさせてくれた。いつになくゆっくりと、そして何度もワインを口に運んでいた。翌朝、明るくなってきたのと同時に目覚めると、キャンプサイトはその名にふさわしい朝霧に包まれていた。体が引き締まるような冷んやりとした空気が心地良く、早々と行動を開始。普段は食べないことが多い朝食も、キャンプでは欠かせない要素だ。お酒を飲んだ翌朝の体に優しい、野菜を中心にしたメニューをチョイス。それはスペインやポルトガルの冷製スープ、ガスパチョ風の野菜スープだ。男のソロキャンプの朝食であってもきちんと食事するのが私の決まり。簡単ではあるが美味しい朝食になった。片付けを済ませ、双眼鏡片手にサイト周辺を散策する。すると様々な野鳥の姿を見ることができた。今回のキャンプでは、お目当ての富士山と星空を目にすることは叶わなかった。でもそれは次回へ持ち越すお楽しみにしよう。朝霧ジャンボリー オートキャンプ場広大なフリーサイトの他、電源付きサイト、リビングに電源や炊事場まで付いたプレミアムサイトも用意。炊事に使用する水は富士山の天然水。本格派からレンタル派まで満足できる設備。静岡県富士宮市猪之頭1162-30544-52-2066アクセス/中央自動車道「河口湖IC」より約35分 HP/ asagiri-camp.net/※シーズンによって料金が異なりますのでお問い合わせください。※こちらは男の隠れ家2019年10月号より一部抜粋しております

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  • 心と体が幸せになる 食事の時間

    食のエッセイストとして知られる玉村豊男さん。信州でワイナリーを始めて、来年2018年でで15年目になるという。今回は毎日の食事を自ら作っている玉村さんに、心と体が健康になる食事の楽しみ方を聞いた。玉村 豊男(たまむら とよお)1945年、東京都生まれ。1971年東京大学仏文科卒業。在学中にパリ大学に2年間留学。通訳、翻訳業を経て文筆業に。1977年に『パリ 旅の雑学ノート』を刊行して以来、エッセイストとして旅と都市、料理、食文化、田舎暮らしなど、幅広い分野で執筆を続ける。1991年より長野県東御市に移住し、農園ヴィラデストを経営している。「食べる」ことを大切にするフランス人いい眺めでしょう。ブドウ畑に囲まれて遥か彼方には北アルプスの山々。この里山で畑仕事をするつもりが、いつのまにかワイナリーとカフェのオーナーになっていました。最初に田舎暮らしを始めたのは軽井沢です。テニスやアウトドア料理を楽しんでいたところ、肝炎を患って。病気がきっかけで、46歳の時にここに引っ越してきました。当時は物書きの傍ら、宝酒造のTaKaRa酒生活文化研究所の所長を務めていました。宝酒造のワイナリー造りに協力しているうちに計画が頓挫。ところが、宝酒造から派遣されていた小西超という男が自分たちでワイン造りをしたいという。妻には反対されましたが2003年から醸造を始めました。日本ワインコンクールの最高金賞などを受賞、日本を代表するプレミアムワインと評価されるようになりました。現在、東御市を中心とする「千曲川ワインバレー」には、志のある若者たちが数多く集まってきています。料理とワインは学生時代、パリに留学した時に覚えました。フランスで学んだことは「飯は決まった時間に食う」。フランス人は仕事を中断してでも、昼は2時間ほど食事をします。日曜日なら郊外の別荘で、12時頃から料理を作りながら4時間かけてゆっくり食事をするのです。フランス人にとって食事は最大の関心事です。日本のように酒が中心でなく、料理を楽しむためにワインを飲みます。味にはうるさくグルメですが、食事の時には料理の話はしない。仕事の話もしない。話題は社交的な話、映画、本など文化的な話が中心です。時には小咄とかも。みんなで料理を食べる時の時間の経過を共有して楽しむ。フランス人は子供の頃から食事の習慣を仕込まれます。本は読まなくても、食卓がフランス人の学校になっています。右/ヴィラデストワイナリーの代表的ワイン「ヴィニュロンズ リザーブ シャルドネ」。左上/周辺には垣根仕立てのブドウ畑が広がる。左下/カフェで提供される野菜は地元で採れるもの。日本人は食事の時に緊張し過ぎです。おしゃべりや人に見られて食べることが苦手ですね。特に古いおじさんたちは絶滅危惧種。今やお洒落なレストランは女性ばかりでしょう。何を食べるかはその人のものの考え、思想を表します。男性も女性と同じように食のリテラシーを持ち、食事の楽しみを知ってほしい。どんなに忙しくても、ゆったりとした時間をつくることが大事です。食事の楽しみとはみんなで美味しいと盛り上がりながら食べること。美味しいと言いながら食べて飲んで、楽しい時間を過ごし、帰り道では何を食べたか忘れるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。肝炎を患ってから2カ月に1度の血液検査。自分で数値を見て食事に気をつけています。ただ、うちの野菜は無農薬ですが、ガチガチのオーガニックでは楽しくない。自分が快適に思うなかで、楽しめる範囲で、自分の食生活を作っていけばいい。これを食べたら健康になる、野菜を1日30品目食べなくては、などのこだわりは不健康です。今日の食事が健康に良くないものだったら、明日健康的な食事をすればよい。1週間くらいのスパンでバランスをとりながらゆったりと考えたいものです。例えばワインと料理のマリアージュなんて、ソムリエに任せておけばいい。フランス人は昔からその土地でできるものを食べて、その土地でできるワインを飲んでいました。日本人は難しく考えがちなので、日常的にワインを飲むことが広まらないんです。もっと気楽に食事をしてお酒を飲んで、笑顔とともに楽しい時間を過ごしてほしいですね。ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー/ワイナリーカフェでは農園採れたてのハーブ、野菜などを使った料理とワインが楽しめる。食後は花々が咲き乱れるガーデンを散策。ゆったりとした時間を過ごせる。長野県東御市和6027※こちらは男の隠れ家2017年10月号より一部抜粋しております

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  • すべて見せます! 小京都 -郡上八幡-

    観光地のキャッチフレーズに「小京都」という言葉を見聞きすることがある。京都っぽい観光地なのかな、と見過ごしていたが、実は小京都と呼ばれるには「全国京都会議」の加盟基準があるのだ。「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能がある」という条件にひとつでも合致していれば加盟できるというものだ。加盟していない観光地でも観光目的で「小京都」をうたっている所はある。郡上八幡[岐阜県郡上市]名水が人々の暮らしに寄り添う奥美濃の小京都長良川の支流の吉田川沿いに、郡上八幡の中心部が開けている。八幡山の山頂には町のシンボルの郡上八幡城が建つ。防火としての目的もあった水路が通る美しき城下町町を歩いていると、至るところから心地よい水音が耳に響いてくる。ほとばしる渓流の瀬音、家々の軒下を流れる水路のせせらぎ、水舟という槽に注ぐ水の滴……。長良川の支流の吉田川を中心に、山から引き込まれた水や湧水が町中を縦横無尽に流れ、その豊かな水は古くから人々の暮らしに寄り添ってきた。町を潤す美しい水風景。郡上八幡は、まさに〝水の都〟という喩えが相応しい山あいの城下町である。町は八幡山の頂に建つ郡上八幡城に見守られるように広がり、町筋には職人町、鍛冶屋町といったかつての生業が偲ばれる町名などが今も残る。軒を連ねる古い町家の形式は、京都に似て間口は狭く奥に長い造り。また、通りの辻には町の防衛のため13もの寺が配置されていることなどから、郡上八幡は奥美濃の小京都ともいわれている。清らかな水と風情ある城下町の佇まい。南北約1㎞、東西約2㎞。ぐるりと1~3時間で散策できる町の規模もちょうどいい。もちろん、じっくり見て回れば時間はいくらあっても足りないほど。町に宿を取り、朝夕の静かな時間にそぞろ歩くのも楽しみ方のひとつだろう。職人町や鍛冶屋町あたりは特に風情があり、袖壁や格子のある家々が軒を連ねる。郡上八幡旧庁舎記念館/インフォメーションも兼ねている同記念館内の食堂で提供しているのが郡上の郷土料理“鶏ちゃん”。オリジナルの味は、若鶏のもも肉と野菜を地味噌ベースのタレで味付け。定食で1080円。「作家の司馬遼太郎が日本で一番美しい山城、と讃えたのが郡上八幡城だそうです」。山頂の天守閣を仰ぎ見ながらそう話すのは、町を一緒に歩いた「郡上八幡まちなみ観光案内人」の塚原秋夫さんだ。司馬遼太郎の作品に『功名が辻』がある。戦国武将・山内一豊と妻の千代の生涯、内助の功を描いた物語だが、実は郡上八幡はその千代の生まれ故郷という縁がある。司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で評した郡上八幡城は、昭和8年(1933)に大垣城を参考に再建された模擬天守閣。しかし4層5階建の木造建築は全国の復興城郭の先駆の城としても知られ、深緑の山に映える白亜の姿は確かに優美だ。「昨今は霧に浮かぶ幻想的な姿も知られ、天空の城ともいわれます」郡上八幡城を最初に築いたのは、永禄2年(1559)に八幡山に陣を敷いた遠藤盛数。この地は美濃、飛騨、越前への要衝にあり、長良川や吉田川も自然の要害として最適だったという。町を整備したのは四代城主・遠藤慶隆。慶隆は寺社の建立や町造りに力を注ぎ、同時にそれまで各所で行われていた盆踊りをひとつにまとめて城下で踊ることを奨励した。目的は領民たちの融和をはかるためで、これが国の重要無形民俗文化財にも指定されている「郡上おどり」の始まりである。「観光客も地元の人も一緒に踊るのが特徴です。郡上おどりは見る踊りではなく、参加する踊り。ぜひ踊りの輪に加わってみてください」と塚原さんは笑顔で話す。長敬寺の山門から職人町方面の古い町並みを望む。2階部分に見られる防火のための袖壁や、軒下に流れる水路などの様子がよくわかる。町歩きは下級武士たちの住まいがあったという柳町を経て、職人町方面へ。途中、郡上おどりの実演と歴史が学べる「郡上八幡博覧館」に立ち寄り、長敬寺へと向かう。長敬寺の山門付近から見る、職人町・鍛冶屋町へ続く通りはひときわ印象的だ。袖壁や出格子を備えた古い町家が軒を連ね、水路が清々しい水音を立てている。仕切りの袖壁は防火のため。家々の軒下にぶら下がるバケツも防火用だという。承応元年(1653)、町を焼き尽くす大火事が起こる。焦土と化した町の復興を手がけたのは六代城主の遠藤常友だった。4年の歳月をかけて上流から水を引き入れ、城下の町割りに沿って水路を築造。水路は普段は野菜や米を洗う生活用水に使われ、いざ火事が起きた時は防火用水になったのである。「バケツはさすがに今は使用しませんが、当時の様子がうかがい知れますね」。今見られる水路のある町並みは主にこの時代のものだという。慈恩禅寺/慶長11年(1606)、八幡城主・遠藤慶隆が開基した、臨済宗妙心寺派の名刹。特に半山禅師の作庭の室町様式の庭園「草園」が素晴らしい。自然の岩山を背景とし、清々しく流れ落ちる滝が幽玄な雰囲気を醸し出している庭園を、是非鑑賞しておきたい。さらに水の町を象徴するのが宗祇水だ。小さな社が組まれた下からこぽこぽと水が湧出し、涼感たっぷり。柄杓ですくって口に含むと、やわらかな水が喉にするりと落ちた。宗祇水の名は連歌の宗匠の飯尾宗祇がここに草庵を結び、水を愛用したことに由来する。町中を巡る清冽な水はまた、染物の色を鮮やかにするのにも役立ってきた。訪ねたのは本藍染めの技を430年余り守り続ける「渡辺染物店」。築180年の趣ある建物に足を踏み入れると、独特の藍の香りとともに丸い藍甕が目に留まった。甕には灰汁と蒅、消石灰などを合わせて熟成させた藍液が満たされ、この液に布を繰り返し浸して染めるのだという。十五代目の渡辺一吉さんに実際に絞り染めを見せていただくと、藍甕に浸すごとに徐々に色の深みが増していくのがわかった。そして、店の前に流れる水路へと移動。堰板で流れを止めた水にさらすと、布はみるみる藍色を際立たせ、より美しさを放ったのである。「水がいいと発色がいいんですね」 明治時代には町に17 軒の染屋があったが、現在はこの一軒だけに。「伝統の技も郡上の水も大切に守りたい」。渡辺さんは穏やかな口調でそう言葉を結んだ。そして名水散策の最後に向かったのは、渡辺染物店のほど近くにある「慈恩禅寺」。市指定名勝庭園「草園」が素晴らしい臨済宗妙心寺派の禅寺である。東殿山麓の自然の岩壁をそのまま背景として生かした室町様式の庭園。岩肌を濡らして一筋の滝が池へと流れ落ち、新緑、紅葉と四季折々の彩りが添えられるとそれは一幅の絵画のよう。庭と対峙するように座し、深くひと呼吸して目を閉じる。静寂の中にただ響くのは、木々を揺らす風の音と清らかな水音だけであった。郡上本染 渡辺染物店/創業はおよそ430年前の天正年間(1573~1592)。水の町のこの地で藍染め一筋に歴史を重ねてきた染物店。現在は十四代目の渡辺庄吉さんと十五代目の一吉さんが伝統の技を継承。江戸中期の藍瓶を今も使い、十数回繰り返し浸して染めるのが特徴だ。昭和52年(1977)、岐阜県重要無形文化財に指定。※こちらは男の隠れ家2017年7月号より一部抜粋しております

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -関東・東北・北海道編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!関東太平山の桜開花時期/3月下旬~4月上旬山頂から関東平野が一望でき、桜の名所としても名高い太平山。この山を中心に整備された太平山自然公園には約4000本の桜が植えられている。山麓から山頂へと続く太平山北側遊覧道路の両側には約2kmの桜並木が続き、満開時のトンネルが美しい。おおひらさんのさくら所在地/栃木県栃木市平井町~薗部町--------------------------------------------------幸手権現堂桜提開花時期/3月下旬~4月上旬幸手市の北部にある権現堂公園では、春を迎えると長さ1㎞の堤に約1000本のソメイヨシノが咲き誇り、見事な桜のトンネルが出来上がる。毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される桜まつり期間中には約100店舗の露店が出店し、たくさんの花見客で賑わう。さってごんげんどうさくらつつみ所在地/埼玉県幸手市内国府間887-3--------------------------------------------------天平の丘公園開花時期/3月下旬~4月下旬約11haの敷地内に美しい自然林と貴重な史跡が融合する天平の丘公園は、有数の花見スポットとして地元の人々から親しまれている。花広場周辺に植えられた八重桜を中心に、ヒガンザクラやウスズミザクラなど約450本もの様々な種類の桜が楽しめる。てんぴょうのおかこうえん所在地/栃木県下野市国分寺993-1--------------------------------------------------桜坂開花時期/4月上旬~4月中旬福山雅治の歌で一躍有名になった桜坂。その後アニメ番組の舞台になった影響もあり、今や若者の聖地巡礼の場にもなっている。最寄り駅は東急多摩川線の沼部駅。住宅街近くの道路の両側に植えられた30本ほどの桜が、満開時には桜のトンネルとなる。さくらざか所在地/東京都大田区田園調布本町19--------------------------------------------------東北みなみかた千本桜ドライブロード開花時期/4月中旬~下旬登米市の南方町高石地区から梶沼地区までの6kmに及ぶ市道の両側に、1000本の桜が植えられている桜並木。延々と続く桜のトンネルをくぐりながら、のんびりとドライブを楽しみたい。4月下旬にはさくら祭りも開催。みなみかたせんぼんざくらどらいぶろーど所在地/宮城県登米市南方町高石--------------------------------------------------北海道戸田記念墓地公園開花時期/5月上旬~中旬158万㎡の広大な敷地の中に、およそ8000本ものソメイヨシノが植えられた墓地公園。道内有数の桜の名所として知られ、ゴールデンウイークが終わる頃から一斉に開花する。園内の散策路「桜冠の道」では道の両側から桜に覆われ、桜のトンネルが出来上がる。とだきねんぼちこうえん所在地/北海道石狩市厚田区望来327--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -中国・近畿・中部編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!中国野呂山さざなみスカイライン開花時期/4月上旬~中旬呉市にある野呂山の麓から、標高839mの山頂へとつながる観光道路・野呂山さざなみスカイライン。わずか10kmほどの道のりが山頂まで続くので急カーブが多く、運転には注意したい。4月上旬になると、沿道に沿って植えられた約200本の桜並木が開花して桜のトンネルとなり、毎年それ目当ての花見客で賑わう。のろさんさざなみすかいらいん所在地/広島県呉市川尻町野呂山--------------------------------------------------斐伊川堤防桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬斐伊川沿いに800本の桜が植えられた、中国地方随一の美しさと讃えられる桜並木。「日本さくら名所100選」にも選ばれている。毎年3月下旬から4月中旬には「雲南市桜まつり」が開催され、多くの花見客で賑わう。全長2kmにわたる満開時の桜のトンネルは実に見事。ひいかわていぼうさくらなみき所在地/島根県雲南市木次町木次--------------------------------------------------上山の桜並木開花時期/4月上旬~中旬市内から上山町へ向かう道の両側約5kmに、約500本の吉野桜が咲き並ぶ桜のトンネル。開花シーズンには家族連れなどたくさんの花見客で賑わいを見せる。毎年4月中旬には「うやま桜まつり」が開催され、ステージイベントやゲーム大会なども行われる。うやまのさくらなみき所在地/広島県府中市上山町--------------------------------------------------府中公園開花時期/4月上旬~中旬JR福塩線・府中駅より徒歩で約15分ほどの場所に位置し、3万8000㎡もの敷地の中に運動広場や児童広場などの様々な施設が設置された都市公園。春になると数百本の桜が一斉に咲きほころび、園内にある庄ノ池の周囲の遊歩道に並んだ桜が見事なトンネルになる。ふちゅうこうえん所在地/広島県府中市出口町--------------------------------------------------近畿五月山開花時期/3月下旬~4月中旬大阪・北摂地区有数の桜の名所として知られ、池田市民にはシンボル的な存在として親しまれている五月山。桜が満開になる4月上旬の土日には、周辺の五月山公園と池田城跡公園で毎年さくらまつりが開催され、山の中を走る道路沿いの桜並木が桜のトンネルとなる。さつきやま所在地/大阪府池田市--------------------------------------------------中部鍋田川堤桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬町道鍋田川線沿い約4kmにわたって、ソメイヨシノを中心とした約1500本の桜が植えられた桜並木。満開時には空が見えなくなるほど見事に咲き誇り、文字通りの桜のトンネルが出来上がる。その中をくぐり抜ける気分は最高だ。なべたがわていさくらなみき所在地/三重県桑名郡木曽岬町和富--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -九州・四国編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!九州宇土市立岡自然公園の桜開花時期/3月下旬~4月上旬約2000本のソメイヨシノが植えられた宇土市花園地区の立岡自然公園。園内には立岡池と花園池の隣り合ったふたつの池があり、その間を通る道が満開時には250mの桜のトンネルとなる。湖面に映る桜も美しい。開花時期には、ぼんぼりに灯をともしたライトアップも毎年行われている。うとしたちおかしぜんこうえんのさくら所在地/熊本県宇土市立岡--------------------------------------------------秋月の桜トンネル開花時期/3月下旬~4月上旬もともとは武士たちの馬術の稽古を行う杉並木だったが、日露戦争の戦勝を記念して桜に植え替えられたという逸話のある並木道。そのため、地元では現在でも「杉の馬場」と呼ばれる。ソメイヨシノの満開時には約500mにわたる桜のトンネルが人々の目を楽しませる。あきづきのさくらとんねる所在地/福岡県朝倉市秋月野鳥--------------------------------------------------ハーモニーランドのハーモニートレイン開花時期/3月下旬~4月上旬ハローキティに会える屋外型テーマパーク・ハーモニーランド。園内各所にお花見スポットがある中で、桜シーズンに一番オススメのアトラクションは「ハーモニートレイン」。桜のトンネルをくぐりながらのんびりと走る列車に揺られ、子供も大人も大喜び。はーもにーらんどのはーもにーとれいん所在地/大分県速見郡日出町大字藤原5933四国香川県立公渕森林公園開花時期/3月下旬~4月上旬公渕池と城池の2つの池の周りに造られた約93haの広大な公営の森林公園。芝生広場や森林学習展示館、キャンプ場など様々な施設があり、「水と緑と花の公園」として親しまれている。園内には約5000本の桜が植えられ、メイン通りの桜のトンネルが一番の見どころ。かがわけんりつきんぶちしんりんこうえん所在地/香川県高松市東植田町寺峰1210-3--------------------------------------------------家地川公園開花時期/3月下旬~4月上旬四万十川沿いにあり、毎年3月下旬になると約300本のソメイヨシノが一斉に咲き誇る家地川公園。花が咲き始めると桜のトンネルとなった遊歩道やダム湖の湖面に映った桜をひと目見ようと、家族連れなど多くの花見客で賑わう。最盛期には桜まつりも毎年開催される。いえじがわこうえん所在地/高知県高岡郡四万十町家地川--------------------------------------------------鏡野公園の桜開花時期/3月下旬~4月中旬昭和53年の「全国植樹祭」を記念して、旧土佐山田町に開園した都市公園。園内にはソメイヨシノや八重桜など様々な種類の桜がおよそ600本あり、その中でも全長約200mの桜のトンネルが一番の人気スポット。「日本さくら名所100選」にも選定されている。かがみのこうえんのさくら所在地/高知県香美市土佐山田町宮ノ口--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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