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男の隠れ家コンテンツ

  • 大人の夏旅、北海道。【小樽・札幌・積丹編】

    もうすぐ夏本番。そして今年も亜熱帯のようなうだる暑さになるのが目に見えている。いっそのこと街を脱出して、青い空に涼やかな風の北海道に足を運ぶのはどうだろう。北の大地は、観光地も多く海の幸を筆頭に数多くのグルメも楽しめる夏旅の定番だ。さらに「北海道遺産」のスポットを巡っていけば、より思い出深い旅になるだろう。北海道ドライブ旅のテーマは「北海道遺産」。旅慣れていてもその意味合いや全貌を知る人はそれほど多くはないだろう。北海道遺産には北海道旅をより深くより楽しくするスポットが目白押しなのだ。小樽・札幌・積丹エリア年間を通じて多くの観光客が訪れる小樽・札幌・積丹(しゃこたん)の道央エリア。今なお北海道開拓の足跡を見ることができ、北海道の貿易や街づくりの拠点ともなった道央エリアの北海道遺産を紹介する。SPOT1 ニッカウヰスキー余市蒸溜所昭和11年以来ウイスキー造りの火が続くニッカウヰスキーJR「余市駅」と向かい合うように建つ余市蒸溜所正門国産ウィスキー造りに生涯を賭けた男の聖地明治2年(1869)、明治政府は開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改称した。そして2年後には開拓事業の本拠地を函館から札幌へ移転。以来、北海道の発展は札幌を中心とする道央地域を抜きには語れなくなった。という背景もあり、この地域には北海道開拓の足跡が随所に残されている。そのため近代日本の産業を牽引してきた歴史を、肌で感じられるのだ。まずはそんな遺産の代表格と言える「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」を訪ねてみた。ここは昭和9年(1934)、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝により、同社初の蒸溜所として建設された。余市が選ばれた理由としては、良質な水が豊富だったこと、原料となる大麦を集めやすい地であったこと、鉄道の便があることなどが挙げられる。加えて豊かな自然と夏でも涼しい気候が、本場のスコットランドに通じていたからだという。確かに、大都会の札幌から余市へとドライブすると、どんどん空が高く広がっていくのと同時に、空気が澄んでいくさまをはっきりと感じられる。眼前に広がる群青色の日本海も、ウイスキーの味に深みを与えてくれるのだろう。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、この地からは良質のピート(草炭)が採取できることだ。「ウイスキーは北の風土によって育まれる」という確固たる信念を抱いていた竹鶴にとって、余市は自分が理想とするウイスキー造りの条件を完璧に満たしていた地であった。そんな余市の蒸溜所にポットスチルが据えられ、火がくべられたのは昭和11年(1936)のこと。以来、当時と変わらない製法でウイスキーが造られている。余市蒸溜所に一歩足を踏み入れると、札幌軟石で造られた尖り屋根の工場群に目を奪われる。鮮やかな赤い屋根の向こうにある青空は、まるで絵画の背景のようだ。事務所や見学者の待合室となっている蒸溜所正門、現在は蒸溜液受タンク室となっている貯蔵庫、同じく混和室となっているリキュール工場など、9棟が国の登録有形文化財に認定されている。「建造物だけでなく、ウイスキー製造工程と平成10年(1998)に貯蔵庫を2棟改築して造られたウイスキー博物館の見学も楽しめます。博物館内では10年もののシングルカスクウイスキー(原酒)の試飲ができますよ」と、北海道工場総務部長の高橋智英さん。今年で創業85年目を迎えた蒸溜所にとって追い風となったのが、平成30年(2018)12月8日に後志自動車道の余市ICまでの23・3㎞区間が開通したこと。これにより札幌の中心地から蒸溜所まで、クルマで1時間もあれば行けるようになったのだ。SPOT2 開拓使時代の洋風建築明治人の開拓精神が息づくハイカラな建物明治14年(1881)に撮影された豊平館。現在は中島公園内に移築された。白い下見板にウルトラマリンブルーを使った枠まわりが美しい。正面中央部の棟飾りなどには、開拓使の建物であることを示す五稜星があしらわれる。明治人の気概と共に、異国情緒を感じる建物札幌の街中には、開拓使によって建設された洋風の建物が10棟近く遺されている。その中で当時の雰囲気を今なお残しているのが、開拓使官営のホテルとして明治13年(1880)に完成した「豊平館」だ。今は中島公園内に移築されているので、都会の中のオアシスのような存在となっている。「アメリカ風の建築様式にもかかわらず、各部屋の天井を飾るシャンデリアの吊元を飾っている円形の装飾は、日本独自の漆喰を使っています。それは幕末から明治初期に活躍した、伊豆松崎出身の入江長八の流れをくむ職人の手によるものと考えられています」(ガイド・猪股修輔さん)豊平館の外壁には、鮮やかなウルトラマリンブルーの顔料が使用されている。それとは対照的な木造のシックな建物が、開拓使の貴賓接待所として利用された「清華亭」だ。この建物は札幌初の都市型公園「偕楽園」の中に建てられていた。その最大の特徴は、全体に洋風の造りであるが、随所に和風の様式を調和させている点。和洋室併設住宅の先がけなのだ。今は閑静な住宅街にポツンと佇んでいる。建物の周囲には木立が茂っているため、往時の姿を容易に思い浮かべられる。風が吹くと木の葉がザワめき、それが開拓使の歓声のようにも聞こえてきた。そして忘れられないのが、明治11年(1878)に札幌農学校の演武場として建てられ、今では北海道のシンボル的な存在となっている「時計台」である。これは日本最古の塔時計で、バルーンフレーム構造という木を鱗状に重ねた外壁が特徴。今も2階ホールで音楽会などが行われる。札幌の中心地に位置するだけあって、カメラを手にした観光客の姿が、ほぼ終日にわたり途切れることはない。市内を巡る観光馬車と行き会えば、絶好のシャッターチャンスとなるだろう。SPOT3 札幌苗穂地区の工場・記念館群北海道における産業の発達を伝える施設明治時代の雰囲気をそのまま今に伝える博物館が入った開拓使館外観。日本近代産業の礎となった工場と記念館が建ち並ぶ「産業の街」と呼ばれている札幌市の苗穂地区。ここは豊平川の豊富な伏流水や、貨物輸送の利便性が着目され、明治初期から工業地帯として発展してきた。今も醤油製造を続け、全道一のシェアを誇る福山醸造をはじめ、大小様々な工場や倉庫がひしめいている。そんな下町情緒あふれるJR函館本線「苗穂駅」近隣には、北海道の産業史を振り返るうえで欠かせない「北海道鉄道技術館」「サッポロビール博物館」「雪印メグミルク酪農と乳の歴史館」「千歳鶴酒ミュージアム」などがあり、記念館群が形成されている。これらの工場群と記念館群がまとまり、北海道の産業史を後世に伝える北海道遺産に認定された。周辺に足を踏み入れると、まるで明治時代の活況が目の前に浮かんでくるような感覚に陥る。なぜだか昭和の香りも漂ってくる。それは古い工場が集まっている場所に漂う、独特の懐古感に包まれているからかもしれない。赤煉瓦や石壁に囲まれた路地は、工場好き人間には堪らないご褒美なのだ。そこでまず目に飛び込んでくるのが、明治の面影を色濃く残す赤煉瓦造りの「サッポロビール博物館」だ。サッポロビールの歩みを中心に、日本のビール産業史を豊富な資料や映像、ポスター、さらには実際に工場で使われていた実物資料で振り返ることができる。「昭和40年(1965)から平成15年(2003)まで札幌工場で使われていたこの煮沸釜は、直径が6.1m。500ml缶に換算すると、何と17万本に相当する仕込みができます」(サッポロビール博物館副館長・久保喜章さん)昭和52年(1977)、酪農と乳業の発展の歴史を後世に正しく伝承する目的で、雪印メグミルク札幌工場の隣に「酪農と乳の歴史館」が建てられた。館長の増田大輔さんによると「バターなどの乳製品お製造工程を、わかりやすくご説明しております。」とのこと。館内には創業当時のバター作りの機械や、製造ラインを再現した模型など、興味深い展示が目白押し。乳製品の試飲が楽しめるだけでなく、実際に稼働している工場を見学することもできる。SPOT4 北海道大学札幌農学校第2農場近代農業史を伝える最古の洋式農業建築群奥が模範家畜房のモデルバーン。外壁の板が縦に張られているのがアメリカ流。2階に乾草を格納していたため背が高い。手前は明治42年(1909)に建てられた牝牛舎。外壁の板は日本風に横張りで、サイロが附属するので背が低い。明治期の洋式建築技術の粋に触れてみる「第2農場は、札幌農学校が開校した明治9年(1876)直後から90年近く続いた研究施設です。約1万9000㎡の敷地内で、家畜を使った洋式農法を実践していました。明治10年(1877)に建てられたモデルバーンやコーンバーン、明治42年(1909)に建築された牝牛舎など、9棟の施設が現存しています」(北海道大学名誉教授・近藤誠司さん)モデルバーンは最古の洋式農業建築で、初代教頭のクラーク博士が前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建設した畜舎をモデルにしている。牛と馬の家畜房のほかに、牧草の乾燥収納庫を備えた木造2階建てで、地下を有する3層となっていた。モデルバーンと同じ年に建てられたコーンバーンは、トウモロコシを貯蔵するための施設。高床式の木造2階建てで、ねずみ返しが付いている。どちらもツーバイフォーの起源といわれる「バルーンフレーム方式」という工法。近藤さんによれば「日本の大工が独自に手を加え、日本の気候風土に合わせアレンジしている」という。SPOT5 札幌軟石開拓時代の建築資材の主力を担った凝灰岩札幌市資料館は、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた。当初は札幌オリンピック関係の資料や札幌にゆかりのある文学関係の資料が展示されていた。現在は控訴院時代の法廷を復元している。札幌や小樽で見られる独特な石造りの建物札幌の街を歩いていると、日本では珍しい石造りの蔵や倉庫をよく目にする。使用されている石材は約4万年前、支笏湖を形成した火山活動での火砕流が固まった岩石で「札幌軟石」と呼ばれるものだ。加工がしやすく、防火性に優れた特性だったから、開拓使が廉価な不燃建材として広く使用した。老朽化が進み、建て替えも増えたというが、それでも札幌市の中心街には、いまだ現役の建物も多い。しかも店舗も少なくないので、街中散策を兼ねて探して回るのも悪くない。散策後は札幌を後にして、炭鉱の街・空知へ向かう。SPOT6 空知の炭鉱関連施設と生活文化日本の近代化を支えた国内最大の産炭地目を奪われるほどの迫力をもつ「旧住友奔別炭鉱立坑櫓」。櫓の高さは51m、地下は-735m。昭和35年(1960)に稼働、昭和46年(1971)には閉山した。観光資源として新たな活用が注目される炭鉱空知地域には最盛期であった1960年代、約110の炭鉱があり、約1750万tもの石炭を産出する国内最大の産炭地であった。日本の近代化を支え続けた炭鉱だったが、エネルギー政策の転換によって1990年代、空知の坑内堀り炭鉱は全て閉山する。だが今も広大な地域に立坑櫓や炭鉱住宅、炭鉱鉄道関連施設など、ヤマ(炭鉱)に関する多くの記憶が遺されている。まずはJR「岩見沢駅」前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、情報を仕入れるのが得策だ。「実際に炭鉱で働いていた方を中心としたガイドのお話を聞きながら、旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部や坑内で使われていた大型機械が展示されている自走枠工場などを見学するツアーや、閉山で廃校になった小学校を利用して彫刻家の安田侃氏の作品を常時展示している美術館・アルテピアッツァ美唄など、見どころは盛りだくさんです。炭鉱関連だけでなく、様々な情報をお伝えできますので、立ち寄ってみてください」(事務局員・横山真由美さん)空知の炭鉱関連施設を巡る場合、エリアがあまりにも広大なのでクルマ移動が欠かせない。移動中も美唄市光珠内町~滝川新町まで、日本一長い29・2㎞の直線が続く国道12号線など、いかにも北海道らしい夏の風景を楽しめる。※こちらは男の隠れ家2019年8月号より一部抜粋しております

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  • やってみません?ソロキャンプ。

    ファミリーキャンプブームを経て今、ソロキャンプが注目を集めています。ソロ=ひとり。焚き火を起こし、酒や料理を楽しむ。何かをしなくてはいけないという決まりはありません。誰にも邪魔されない、ひとりだけの時間。そんな贅沢なソロキャンプ始めてみませんか?Mt.Fuji CAMP高原の夜空と朝霧を味わえる富士の麓の高原キャンプへ。思い立ったら即座に行動に移す。ソロキャンプ最大の強みはまさにそんな機動力であろう。相棒がどこへでも行ける4WDであれば言うことなし。道具を放り込み気ままに進路をとろう!高速道路を西へと向かうと雲の中から霊峰がお出迎え勢い良く雲は流れ、空にはみるみる青色が広がっていく。白く分厚い雲の彼方に完全に隠れていた富士山も、裾野部分が姿を現してくれた。しばらく眺めていると、時おり山頂付近も顔を出す。富士五湖のひとつ、西湖の畔でひと休みしていると、訪問を歓迎してくれているかのような天気となった。雨の心配がない予報を耳にしたある朝、愛車のジムニーにキャンプ道具を積み込んで家を後にした。どこに行くかは気分次第。とりあえず高速道路に乗り、車を西へと走らせる。その途中、富士山方面を目指そうと思いついたのだ。右上/地元の野菜だけでなく、様々な地場産品を取り扱う物産館がある「道の駅なるさわ」。右下/「ここでしか買えない」という文字に吸い寄せられ、鹿肉ソーセージをゲット。中上/広々としたスペースに朝採れ野菜がふんだんに並ぶ。中下/場内には富士山の湧水を汲めるスポットもあり。左上/名物のトウモロコシも見逃せない。左下2点/早朝から営業している「栄屋」は、今では珍しい自家製の手打ち麺を使っている。肉玉力うどんは450円。中央高速の河口湖ICを出たのは、朝の8時を少し回った頃。ここで小腹がすいたので、富士吉田名物「吉田のうどん」で、まずは腹ごしらえ。おあつらえ向きに、インターの近くに8時15分営業開始の「栄屋」を発見。まずは朝イチうどんを味わった。うどんに舌鼓を打った後は、9時にオープンする「道の駅なるさわ」へと足を運ぶ。ここには地元の食材を豊富に揃えている物産館があるので、新鮮な地元産の朝採れ野菜や珍しい地場産品などを買うことができる。これで夕餉の食卓が華やかになるだろう。買い物を済ませた後、せっかくなので近くの西湖を訪れると、冒頭のような好天に遭遇した。ここですっかり気を良くした私は、さらに先までドライブを楽しむことを即決。西湖にもキャンプ場はあるが、より富士山の勇壮な姿を愛でることができる、静岡県の朝霧高原まで足を延ばすことにした。富士山西麓の標高700〜1000mの広大な地域に広がる朝霧高原は、ほぼ全域で富士山の姿を望むことができる。そんな最高のロケーションでキャンプができれば、他には何も望まない。こうして気ままなソロキャンプの目的地は、気まぐれに決定したのである。広大な草原のキャンプ場で富士山を望むサイトを構築上3点/芝生ながら車での乗り入れができ、道具の積み降ろしも楽。地面は軟らかいので、ペグは楽に打ち込める。下/空いている時は贅沢なほど広い場所を占拠できる。私のサイトもひとりでは贅沢すぎるほどである。若い頃に山歩きやシーカヤックで島から島へと漕ぎ渡っていた時、宿泊手段は当然のようにキャンプだった。その後、子どもが小学生になると、夏には決まってファミリーキャンプを楽しみに全国各地へ出かけたものだ。しかし、子どもが成長し、あまり親と一緒に行動しなくなると、すっかりキャンプから遠ざかっていた......。そんなある日、週末にポッカリと時間ができた。その時、即座に頭に浮かんだのが「ひとりで気ままにソロキャンプでもしてみようか」ということだった。ソロキャンプなら目的地や出発時間など、全て自分ひとりで決められる。以来、車に道具を適当に放り込み、行く場所も決めずにひとりでキャンプを楽しむようになったのだ。そして今回は、日本有数の面積を誇るフリーサイトが自慢の「朝霧ジャンボリー オートキャンプ場」(静岡県富士宮市)に一泊することに決めたのであった。このキャンプ場の魅力は何といっても富士山の眺望と、光害に邪魔されない満天の星、さらには全面芝生の広大なサイトだ。区画にすれば350サイトはありそうなのに、一日の利用者を200サイトに絞っているのもいい。実際、この日は空いていたため、どこにサイトを作るか迷ってしまったほど。と言うのも、残念なことに朝霧高原は午後になっても霧のような雲が晴れなかった。この分だと今夜、楽しみにしていた星空を望むのも怪しいかも......。それでも夕方になれば富士山が顔を出すかもしれない。そう考え、数日前からキャンプをしていると思われるカップルに「富士山はどの方向に見えますか?」と尋ねた。「あっちですね」という彼の言葉が決め手になり、サイト作りに取りかかった。テントはソロキャンプにもぴったりのノルディスクのユドゥンミニ、さらにタープはカーリ。そして1時間ほどで、晴れれば富士山が借景になる(はず?)の極上サイトが完成した。時と焚き火の炎が許す限り気ままな食事を堪能するソロキャンプの楽しみは何と言っても食事に尽きる。誰にも遠慮せず、好きなだけ時間をかけてとっておきの献立を用意したい。そしてお気に入りの酒と共に、夜が更けるまでのんびりと味わう。これこそ誰にも遠慮しない、ひとりだけの贅沢である。しかも車を使ったキャンプなので、ダッチオーブンや焚き火台、さらにはトライポッドのような、大物道具も持ち込める。それだけで料理の幅も広がる。というわけで、今回のメイン料理はユニフレームのダッチオーブンで作る、超手抜きの和風ビーフシチューに決めていた。それに途中の道の駅で購入した新鮮野菜のサラダ、さらにジビエ感いっぱいの鹿肉ソーセージを加えることに。ビーフシチューはダッチオーブンの特性が最大限に活かせるメニューだ。牛すね肉の塊を適当な大きさに切って塩コショウを振って小麦粉をまぶす。それを焼いたら一度鍋から出し、ニンニクとタマネギ、セロリのみじん切りを炒め、再び牛肉を戻し、そこに赤ワイン、水、ドミグラスソース、隠し味のしょうゆを加えて煮込む。しばらく煮込んだらジャガイモとニンジンを加え、さらに煮込めば完成。シチューの煮込みが完了するまでの間、飲むために用意しておいた赤ワインを抜く。ここで満天の星と富士山のシルエットにひとりで乾杯、となるはずであったが、この夜、あいにく空一面を覆う雲が晴れることはなかった。持参した双眼鏡で空を眺めてみたものの、星どころか月も顔を出していない。それでも雨が落ちてくることはなく、焚き火の炎をゆっくりと愛でつつ、ワインのグラスを傾けた。そして時間を気にせずに作った料理は、思いのほか旨かった。やはり自然のスパイスが効いたのか。焚き火の炎が小さくなるまで、ひとり時間を存分に楽しんだ。天気が良ければ星明かりだけで過ごせるほどの星空が広がるはずであった。月明かりがあれば、富士山のシルエットも見える。それらは叶わなかったが、夜の暗さと静けさ、さらには冷たく澄んだ空気が自然との一体感を感じさせてくれた。いつになくゆっくりと、そして何度もワインを口に運んでいた。翌朝、明るくなってきたのと同時に目覚めると、キャンプサイトはその名にふさわしい朝霧に包まれていた。体が引き締まるような冷んやりとした空気が心地良く、早々と行動を開始。普段は食べないことが多い朝食も、キャンプでは欠かせない要素だ。お酒を飲んだ翌朝の体に優しい、野菜を中心にしたメニューをチョイス。それはスペインやポルトガルの冷製スープ、ガスパチョ風の野菜スープだ。男のソロキャンプの朝食であってもきちんと食事するのが私の決まり。簡単ではあるが美味しい朝食になった。片付けを済ませ、双眼鏡片手にサイト周辺を散策する。すると様々な野鳥の姿を見ることができた。今回のキャンプでは、お目当ての富士山と星空を目にすることは叶わなかった。でもそれは次回へ持ち越すお楽しみにしよう。朝霧ジャンボリー オートキャンプ場広大なフリーサイトの他、電源付きサイト、リビングに電源や炊事場まで付いたプレミアムサイトも用意。炊事に使用する水は富士山の天然水。本格派からレンタル派まで満足できる設備。静岡県富士宮市猪之頭1162-30544-52-2066アクセス/中央自動車道「河口湖IC」より約35分 HP/ asagiri-camp.net/※シーズンによって料金が異なりますのでお問い合わせください。※こちらは男の隠れ家2019年10月号より一部抜粋しております

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  • 甲州で美味しい〝ひとり旅〞

    景色、温泉、料理、時間…全てあなたが独り占め!人が旅に出る、そして旅に出たい理由は様々だ。例えば気心が知れる仲間と楽しい時間を過ごしたい、それは楽しい旅になることを疑う余地もない。でもたまには違うスタイルの旅もいいんじゃないだろうか。ひとりで気ままに、そして時間を自由に使う。次の予定は考えないで気に入った場所でのんびりする。そこには今までの旅で見えなかった風景があるかも知れない。笛吹川温泉別邸 坐忘(山梨県甲州市)気ままに過ごせる時間を満喫。春の息吹を感じて甲州で美味しい〝ひとり旅〞。笛吹川フルーツ公園の中腹の展望地。公園内のいたるところから富士山と盆地の絶景が望める。東京都心から列車でも車でも1時間半ほどの便利なアクセス。甲府盆地の東に広がる甲州エリアはそんな身近な距離にありながら、壮大な自然景観や歴史浪漫、日本一のワインの里など大人の楽しみが尽きない。そしてひとり旅の荷を解き、とっておきの温泉宿で過ごす時間もまた極上だ。富士山の勇姿を眺め歴史とワインの里を巡る近くの山稜の雪はすっかり溶けているが、その先に顔を出す霊峰富士はまだまだ白く輝いていた。澄んだ空気が凛々しい姿をより際立たせている。眼下に桃の花が色づく4月以降はぼんやり霞むことも少なくないそうだが、ここからの眺めはまさに特等席。桃源郷にも例えられる春の甲府盆地と富士山の一幅は、さらに美しさを増すだろう。最初に足を運んだのは「笛吹川フルーツ公園」。花の広場や日帰り温泉などの施設があるどちらかというと家族向けの場所だが、ひとりこの眺望地に立ったのは、これから巡る地とやはり富士山の勇姿を見ておきたかったからだった。昨今は夜景スポットとしても大人気。夜に再び来てみるのもいいかもしれない。公園からは甲州市方面へと下り、甲府盆地東部の塩山と勝沼へ。宿に入る前に町をぶらり回って、早春の甲州路を楽しむことにした。甲州といえば武田信玄が権勢をふるった地として知られている。塩山周辺には武田家ゆかりの神社仏閣が数多く点在しており、なかでも信玄公の菩提寺・恵林寺は夢窓疎石が開山した名刹として知られる。杉木立が続く参道から赤門、三門をくぐって開山堂へ。歩みを進めるほどに厳かな雰囲気に包まれる。静かに手を合わせ、戦国の名将に想いを馳せた。さて、近年は日本ワインが世界的にも高い評価を得ている。山梨はその日本ワイン造りの発祥地であり生産量も日本一。江戸時代からブドウは勝沼宿の名産ではあったが、ワイン醸造は、明治初期にフランスに留学した土屋龍憲と高野正誠の2人の青年が取り組んだことに始まる。勝沼を代表するワインは、固有のブドウ品種〝甲州〟で醸造する白ワイン。赤はマスカットベーリーAが主要品種。今回は、最近気になるそれらのワインを楽しみ、そしてワインに合う料理、そして温泉を楽しむことが旅の目的のひとつでもある。南アルプスを望み、ブドウ畑が連なる勝沼の丘陵地。現在、勝沼のワイナリーは30余り。その中で訪れたのが日本最古のワイナリー「まるき葡萄酒」だ。先出の土屋龍憲の醸造所を引き継ぐ創業1891年(明治24)のワイナリーだが、歴史だけでなく革新的な取り組みをしているのも興味深い。〝不耕起草生栽培〟という〝人の手をあまり入れずに自然に近い状態での栽培〟方法とサスティナビリティ(持続可能性)。ブドウ畑で雑草を食べてくれる羊の存在もその一環なのだという。畑で目が合った羊の可愛さとこだわりワイン。テイスティングも楽しんだが、そのワインをしっかり堪能するため予約したのが今宵の宿である。゛ごちそう〞でもてなす極上の温泉宿でのひと時「冴え返る」の季節の言葉が記された如月の献立より。厳しい冬から、芽吹きの春を予感させる麗しい一皿一皿が目と舌を愉しませてくれる。料理と調和する器のこだわりも見事。お茶事にのっとり、今炊きあがったばかりの一口ご飯とおみそ汁、向付けから始まる。②甲州牛みそ幽庵焼。合わせるワインは赤の樽ベーリーA。③最後に出される湯桶の焦がし湯。寒蜆ごはん。湯桶も茶事に欠かせないもの。④蛤や牛蒡、菜の花が彩る煮物椀。⑤鶉山椒焼と甲州の辛口ワインのマリアージュ。⑥鰯の梅煮や煮大豆などが盛られた八寸。⑦預鉢。寒野菜寄せとずわい蟹のあん。⑧強肴。うの花和えと小肌宿の名は、「笛吹川温泉 別邸 坐忘」。実はここは「まるき葡萄酒」と同グループの温泉宿だ。〝坐忘〟が意味するのは「喧噪を離れ、雑念を忘れる時のごちそうを」。心静かに過ごしたい旅人を、非日常へと誘う宿の極上のもてなし。この宿に決めた理由のひとつには、ワイナリー系列宿という独特の魅力もあるが、ひとり旅でも心地よく過ごせる宿ならではの多彩な〝ごちそう〟が用意されているからでもあった。ワインの味と香りに心遊ばせながらひとり本のページをめくる幸せ。客室でひとり静かに本を読んで過ごすひと時。まず旅の疲れがゆるむのがスタッフの笑顔。また、随所に配された生花の彩りも心を和ませてくれる。そして最初のキーワードは〝時のごちそう〟である。通された客室は2015年築の別邸離れ。庭の小路に趣ある全8室が佇み、各客室専用の露天風呂付き。和室とベッドルームがあるゆとりの空間は、雰囲気がそれぞれ異なる。さっそく荷を解き、浴衣に着替えてひと息ついた。客室は他にも本館の和室、贅沢さを極めた庭園露天風呂付き和洋室など様々な部屋が用意されている。〝時のごちそう〟は、本好きを喜ばせる空間にもある。今回も本を携えてきてはいるが、宿には大きなライブラリーがあり、ソファが配された開放的な空間はとにかく居心地がいい。蔵書はアート系を中心としたラインナップ。気に入った本は購入もできるという。さらに特筆すべきは、何とこの部屋で「まるき葡萄酒」のワインのテイスティングが自由にできること。食事前に軽く愉しむワインと読書のひと時。まさにこれも〝時のごちそう〟だろう。温泉はまさに“湯のごちそう”。大浴場は異なった雰囲気の浴室が2つあり、それぞれに室内風呂、風流な露天風呂が設えられている。ひとつには名物の洞窟風呂があり、奥の岩壁から温泉が滔々と流れ出ている。温泉は全て源泉かけ流し。アルカリ性のpH値の高い湯は、美肌の湯としても知られる。朝には男女ののれんが入れ替わる。さて、次は〝湯のごちそう〟。つまり温泉である。客室の露天風呂はもちろん、大浴場の湯船も露天風呂も温泉は全て源泉かけ流し。pH値9・1の透明湯は滑らかな手触りで、美肌の湯としても人気だ。また、露天風呂から続く洞窟風呂も探検気分がそそられてちょっと楽しい。ほんのり硫黄が香る柔らかでややぬるめの湯は、体を優しく包み込むような感触。ふと見上げると、湯気の中に見える木々の芽が春が近いことを教えてくれていた。そして湯上がりに待っているのが〝山のごちそう〟の至福の時間。しかも別邸離れの食事は少し特別だ。専用食事処は築140年の古民家。重厚な柱や梁と洗練されたインテリアが調和する空間で、「茶料理 懐石まる喜」と命名されている。そこで供されるのは字の如く茶料理。懐石の決まり事を踏まえた一汁三菜から始まり、もてなし役であり料理人である主人の保坂実さんが記した献立に沿って、季節香る料理が一品一品登場。旬の食材も器類も保坂さん自らが全て吟味し選んだものだ。こう例えるのも変だが、麗しく凛とした味わいとでも言うべきか。そんな料理が目と舌をうならせるのだ。そしてもちろん、料理とともにグラスを傾けたいのがワインである。3種飲み比べを選ぶと、料理に最適なマリアージュで提供。今回は、鶉山椒焼と甲州の辛口、甲州牛みそ幽庵焼と樽ベーリーAの組み合わせなどで。その絶妙な美味しさは、食後もしばらく余韻となって残った。さて部屋に戻ったら、もう少しワインを味わいつつ、ひとりの時間を楽しんでみることにしよう......。※こちらは男の隠れ家2017年5月号より一部抜粋しております

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  • 日本三大夜桜を往く

    名所は数あれど、宵闇に浮かぶ姿はまた見事。風に揺られ、はらはらと舞い散る花びらを今宵は誰と、惜しみながら歩こうかーー。たおやかに咲き誇る夜の桜を求めて天守を囲むように咲く桜(弘前公園)古くは奈良時代、貴族の梅観賞が花見の始まりといわれる。平安時代に梅から桜へとその対象が変わり、桜は花の代名詞となる。江戸時代には八代将軍・徳川吉宗が浅草や飛鳥山に桜を植え、一般庶民も楽しめる場所を各地に造成した。これによって人々は、酒や肴をつまみに花見をするようになったのである。夜桜観賞が親しまれるようになったのは、比較的最近の話である。新潟県上越市の高田公園で、初めて観桜会が開かれたのは1926年(大正15)のこと。この時、高田城の堀にはぼんぼりが設置され、立ち並ぶ桜に電灯が灯された。満開の花々が闇に浮かぶ美しさ。その姿が評判を呼び、日本三大夜桜と称されるようになった。現在では高田公園と並び青森県・弘前公園と東京都・上の恩賜公園が三大夜桜の名所として人気を博す。今年も桜は、競うように咲きこぼれる。艶やかに麗しく、夜の闇を美しく彩る桜を求めて、三大夜桜の地をそぞろ歩いた。弘前公園(青森県)開花時期/4月中旬~5月上旬水鏡に映る輝くばかりの桜が幻想的である1611年(慶長16)、二代目藩主・ 津軽信枚により完成した弘前城。築城時の姿をそのままに残す天守を囲み、咲き乱れるのはソメイヨシノなど約2600本の桜。現在は天守曳屋工事に伴い天守が移設されており、いつもとは違う景観が楽しめる。毎年行われる「弘前さくらまつり」の期間中は日没からライトアップが始まり、22時頃まで園内の桜を美しく照らす。日本三大夜桜の名に恥じない壮麗たる夜桜だ。ひろさきこうえん青森県弘前市下白銀町1アクセス/ JR「弘前駅」より弘前市内循環100円バス(弘南バス)「市役所前」下車、徒歩4分高田公園(新潟県)開花時期/4月上旬~中旬堀の対岸から眺める高田城は桜に囲まれている徳川家康の六男・ 松平忠輝の居城として伊達政宗が造成を手がけた高田城は、石垣を持たず土塁の上に三重三階の櫓が建てられた。明治期に入ると廃城令のため取り壊されたが、1993年に高田市によって再建された。日没になると園内に咲く約4000本の桜が、3000個以上のぼんぼりに照らされる。その光景は壮観のひと言。たかだこうえん新潟県上越市本城町44-1アクセス/えちごトキめき鉄道「高田駅」より徒歩15分上野恩賜公園(東京都)開花時期/3月下旬~4月上旬花見客で賑わう公園内。春の風物詩となった江戸時代から花見のメッカとして愛されてきた上野恩賜公園。日本でも有数の花見客が訪れるスポットとして名高い。天海僧正が吉野山から移植させたという桜は、公園通りを中心に約1200本が咲き誇る。夜にはぼんぼりに明かりが灯され、期間中は200万人以上の花見客が訪れ、賑やかな酒宴が繰り広げられているのである。うえのおんしこうえん東京都台東区上野公園5 -20アクセス/JR「上野駅」より徒歩2分※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております

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  • 京都の路地裏ひるごはん

    京都の雰囲気や味を堪能したいけれど夜の名店はなかなか暖簾をくぐれない。それならお昼ご飯時に訪ねてみよう。気軽に敷居をまたぐことができ、京都の味も佇まいも十分堪能できる。昼に京料理が愉しめる路地裏の名店をご紹介。蓮月茶や〈東山〉京都随一の名刹を目前に佇む創業百二十年の豆腐料理店歌人・大田垣蓮月に由来する趣深い豆腐料理の専門店知恩院と青蓮院門跡を目前にする風情たっぷりの店構え。東山の有名観光地へのアクセスも抜群の立地にある。風流な名称に惹かれ、店の暖簾をくぐる。京都を代表する料理のひとつでもある豆腐料理。新旧様々な店があり、どこへ足を運ぼうかと悩むところだが、この店の、豆腐ではなく“豆富”と書く粋な例えと、幕末の歌人・大田垣蓮月に由来する店名にまず心が動かされる。店は明治33年(1900)の創業時から知恩院と青蓮院門跡を目の前にする東山エリアの静かな場所にある。それぞれの寺域の木々と溶け込むような佇まいは情緒たっぷり。例えば春は、座敷の窓から知恩院の桜が借景となって眺められる。華やぐ景色と共に味わう豆富料理はまさに贅沢そのものだろう。店名由来の大田垣蓮月は知恩院山内華頂宮譜代の息女として育ち、歌人、陶芸家として名を馳せた人物である。豆腐が大好物で「おかべとお野菜さえあれば何も要らぬ」という言葉を残したほどだった。“おかべ”とは京言葉で豆腐のこと。白壁=おかべに例えて、そう呼ぶのだそうだ。昼の「とうふ料理コース」。梅酒の食前酒から始まり、川の流れに見立てた滝川豆富、かにみそ豆富や豆富グラタン、そして湯どうふなど、滋味に富んだ京らしいやさしい料理が並ぶ。品書きは季節で内容が少し変わるものの昼食は「とうふ料理コース」(3000円)ひとつのみ。生麩のしぐれ煮、滝川豆富、かにみそ豆富、生麩田楽、豆富グラタン、ゆば煮と高野豆富、湯どうふなど豆富づくし全10品が膳を賑わす。夜は生ゆばが増えて11品になる。「蓮月尼が好んだお豆腐を、様々な形の料理で味わっていただきたいのです」と、語る主人の黒川篤さんは店を引き継ぐ四代目。創業時は甘酒茶屋として開業した。その後、甘酒と湯豆腐を提供する店として長く歴史を刻んできたが、現在は甘酒をやめて豆富料理専門店に。店も往時の面影を残しつつリニューアルした。因みに豆腐を豆富の字にあてたのは初代の頃からで、滋味に富んだ豊かな味わいは、後者のほうが相応しいという思いからだったという。「お豆腐は白川の“山崎豆腐店”、湯葉は清水五条坂の“ゆば泉”から毎朝仕入れています。豆腐も湯葉も素材がいいからこそ料理も引き立てることができるんですね」。定番の湯どうふは木綿と絹ごしの中間の口当たり。秘伝の出汁にくぐらせて口中に運ぶと、つるんとした舌触りと大豆のふくよかな甘みが広がった。豆腐というシンプルな素材をここまで豊かな料理に仕上げる主人で料理人の黒川さん。創意工夫を凝らしたその一品一品は、どれも個性豊かで味わい深いものばかり。さて、蓮月尼がもしこれらを食したなら、どんな感動の言葉を綴るだろうか......。竹島ICHIGO〈木屋町〉厳選された旬の素材と経験豊かな技で風雅な料理に気軽に立ち寄れる店ながら京料理の真髄が味わえる左/見た目も美しい定番の「一期会席」は通年味わえる。料理に合う地酒も数多く用意されている。右上/お造りとして供されるのは鮮度を大切にした旬の魚介ばかり。右中/カウンター席は店長の包丁さばきを見ながら食事が愉しめる、ある意味、特等席だ。右下/お造りに添えられるワサビも、その場ですりおろしたものをつかう。木屋町通に面したビルの1階にある小径の一番奥に、目指す京料理の店「竹島 ICHIGO」はある。「こんな立地ですから、一見さんからはよく“入りづらい”という声を聞きます。でも来店していただければ、リーズナブルで居心地のいい店だと感じていただけるはずです」と語る店長の稲垣嘉弘さんは、ちょっと面白い経歴の持ち主。最初は寿司職人を目指して修行をスタート。その後、洋食屋やバーなどを経て、京都の料理屋で京料理の修業を始めた。10年頑張ったところで、なぜか無性に居酒屋がやりたくなり、居酒屋に転職。そこで働いている時に、この店のオーナーと知り合う。「私がいろいろな経験を経てきたからか、あまり固定観念にとらわれないのでしょう。新しい献立を考える際でも、上から指示するだけではなく、積極的に若い人の意見も取り入れる。それがスパイスとなって、より良いものができればいいと考えますから。そんな姿勢が、この店の居心地の良さなのかもしれません」元々は明治30年(1897)に旅館として創業。昭和56年(1981)に「割烹竹島」として、新たな歴史を刻み始めた。東に鴨川、西に高瀬川が流れ、夏は川床も楽しめる風雅な割烹として、多くの食通に愛されてきた店だ。そして平成26年(2014)に店内をリニューアル。完全個室になる座敷もあるが、カウンター席とテーブル席を中心に据えた、オープンな雰囲気の店となったのだ。「オーソドックスな京料理なので、今まで馴染みがなかった人でも、愉しんでいただけると思います」旬を大切にした食材は、有機栽培にこだわった国産野菜、瀬戸内海を中心に各地から運ばれてくる新鮮な魚介類。そして忘れられないのが、A4ランクの広島黒毛和牛だ。そのサーロインを使用した陶板焼きは、余分な脂身を取り除き、上質の部位だけ提供する贅沢な逸品と評判。お昼ご飯で楽しめる会席は、写真で紹介している「一期会席」(5000円)のほかに、女性にお勧めの「昼会席」(4000円)がある。前菜、お造り、焼き物、焚き合わせ、酢の物など、8品が愉しめるミニ会席だ。京料理の美味しいところを余すところなく愉しめる嬉しいコース。ただしこちらは10月から4月までの献立。通年味わうことができる「一期会席」は、京料理の美味しいところ全てを気軽に楽しめるコースだ。季節感も大切にした八寸には、食欲を呼び覚ましてくれるだし巻き玉子や酢蓮根などが並ぶ。鮮度が命のお造りは、この日は瀬戸内海のヒラメ、長崎壱岐のアオリイカ、千葉のマグロという取り合わせ。そして海のものは、ほかにホタルイカの酢味噌あえも並ぶ。見た目の美しさだけでも、その鮮度の良さが伝わってきて、口に運べば至福の時間が広がる。そのほか、蛤の糝薯や茶巾胡麻豆腐の雲丹包みなど、手の込んだ料理も並ぶ。そして自慢の和牛陶板焼きも、もちろんセットされている。和牛は口に入れた瞬間にジュワっととろけ、肉の甘みがいっぱいに広がる。そうした料理に隠れがちだが、ご飯の美味しさも忘れてはならない。米は伏見向島産のコシヒカリを使用。それに自家製のジャコ山椒がかかっている。あれこれといただき、お腹は十分満ちているはずなのだが、山椒の香りに食欲が刺激されてお代わりをもらいたくなるほどである。割烹寿司 三栄〈河原町〉静かな路地の奥に佇む名店で京の夏の風物詩「鱧」を味わう卓越した技術で調理された本物の鱧の味が堪能できる店カウンターが7席、テーブルは8席。その他に10名程度入る座敷を用意。人や車の流れが途絶えることのない四条通と河原町通。この2本の大通りが交差する一帯は、京都一の賑わいを見せるエリアといっても過言ではない。そんな河原町通と、並行している木屋町通に挟まれた路地の奥へと足を踏み入れれば、表通りの喧噪が嘘のように静かな光景が広がる。その一角に昭和9年(1934)創業の割烹、寿司の名店「三栄」がある。ここのお昼ご飯は、これからの季節ならば鱧料理に尽きる。「鱧はお客様が来店なさってから骨切り、湯引きといった下ごしらえを始めます。作り置きをしたものだと、ゴムのような食感になってしまう恐れがあるのです。それでは鱧に対する悪い印象を抱かれてしまうでしょう。鱧料理を看板に掲げている以上、それは許せませんから」三代目の清水敏夫さんは、こう話しながら鱧の骨切りを進める手を休めることがない。骨切りというのは、小骨の多い鱧を調理する際に不可欠な作業。皮一枚だけ残し、1寸(約3㎝)に包丁を24~26回入れるのが理想といわれている。清水さんは「技術の良しあしは鱧を裏返せばわかる」と語る。その言葉通り、清水さんが骨切りした鱧には、包丁が美しく入れられている。鱧料理に関するこだわりは、骨切りだけではない。それは鱧しゃぶの出汁にかけた驚くほどの手間暇である。まず鱧の頭と背骨をこんがり丁寧に焼く。大鍋いっぱいにアルカリイオン水を張り、そこに出汁昆布をたっぷりと入れる。さらに九条ネギと鱧の落としを作る時に使用した、鱧のエキスがたっぷり出た水を入れ、アクを取り除きながら沸騰させ、約40分間煮込む。アクが出なくなったら酒をたっぷりと入れ、さらに1時間ほど煮込むのだ。その後、骨や頭、昆布を全て取り除き、大量の鰹節を入れ、ひと煮立ちしたら火を止めペーパーで漉す。仕上げに薄口醤油、味醂、塩、砂糖で味を調えれば完成。濃厚で鱧の旨味をさらに引き出してくれる。「鱧旬菜御膳」は4月27日から提供。これは鱧を約半分いただくメニュー。このスープを使った鱧しゃぶも頂ける「鱧旬菜御膳」(7000円)は、鱧にあまり馴染みがないという人にも、もってこいの献立。骨切りの技の違いが如実に出る鱧落としや、鱧を美味しくいただくのに最適な調理法といわれる天ぷらといった定番料理に加え、サクサクとした食感と香ばしさがクセになる鱧骨せんべいなど、全部で9品が味わえる。極上のスープが愉しみな鱧しゃぶは小鍋で提供されるので、女性でも残さずいただけるだろう。そして〆の鱧寿司も絶品である。鱧は淡白な魚なので、調理次第で味わいは無限に広がるといっても過言ではない。少し甘辛く味付けされた鱧は、酢飯との相性は抜群。しかも骨切りされた食感がしっかりわかる独特の歯応えは、かなりお腹が膨れた状態でもスッと入ってしまうだろう。※こちらは男の隠れ家2019年6月号より一部抜粋しております

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  • ビールに合うお取り寄せ酒肴

    喉越し抜群、キンキンに冷えたビールには、塩味や辛味、油味がしっかりと効いた思わず後引く味わいの酒肴が王道である。会社帰りの酒を愉しんだ日々を懐かしく思う今日この頃。家で過ごす時間と共に酒を嗜む機会も増えた人も多いだろう。酒呑みならば、家でも「酒肴」にもこだわりたくなるのは必然。今回はそんな古今東西のとっておきの逸品を5つご紹介します。ORDER NO.1 九州産若鶏のからあげからあげの鳥しん(大分県)旨さの秘密は九州産若鶏と門外不出の秘伝ダレ凍ったまま、ラップをかけずにレンジでチン。これだけでも十分美味しいが、この後オーブントースターで2分ほど焼くとさらに美味しくなる(1箱1,110円)からあげの聖地・大分県中津。その「中津からあげ」激戦区で20年前に創業し、からあげグランプリで最高金賞を最多受賞しているのが「からあげの鳥しん」だ。ひと口に「中津からあげ」といっても、それぞれの店の味は千差万別。ひとつとして同じ味の店はない。そうしたなかで鳥しんが評価される理由は〝とにかく美味しい〟から。品質の高い九州産の若鶏にこだわり、フルーツやニンニク、ショウガ、スパイスなどで作り上げた醤油ベースの秘伝ダレをもみ込んだからあげは、旨味とコクが違う。「〝冷めても美味しい〟が常連のお客様から最もいただく褒め言葉です」と店主の角信一さん。この極上のからあげを酒肴に、ビールグラスを傾ける至極の時を味わってほしい。ORDER NO.2 レンジでチンする東洋軒のとり天レストラン東洋軒(大分県)これぞ唯一無二の本家の味 本物のとり天をお取り寄せ東洋軒の94年の歴史で、2020年3月に初めて発売された電子レンジ対応商品。誰でも簡単に本物の味が愉しめるとあって、早くも大人気(1箱1,296円)からあげと並ぶ大分の名物・とり天。ここ東洋軒はその発祥の店としてあまりにも有名な名店だ。最近は関東でも見かける機会が増えたとり天だが、「衣がベチャッとしてる」なんて残念な声も。だが、そう思っている人にこそ、本家・東洋軒のとり天を食べてほしい。熱々のうちはもちろん、冷めても衣がサクサクなのだ。また下味にオリジナルブレンドの醤油やニンニクを使っているのでそのままでも美味しいが、「お勧めは辛子やカボス酢醤油を使っての味変。さっぱりとした味の変化に驚くお客様も多いです」と代表取締役社長の宮本博之さん。この味変がビールを呑む時に重要。まるで酒肴が替わったかのような味の変化に、ついついもう一本栓を開けてしまうことに。ORDER NO.3 遠山ジンギス ハイグレード肉のスズキヤ(長野県)創業60余年変わらぬ味と品質信州熟成三年生味噌が隠し味の、生ニンニク香る極旨熟成醤油ダレが美味しさの秘密。「スズキヤ秘伝のタレは倉業60余年変わらぬ味と品質です」と社長の鈴木理さん。店頭には9畜種31種類のジンギスが並ぶ(1パック840円)古くから信州の秘境・遠山郷でパワーフードとして親しまれてきた「遠山ジンギス」。ジンとは味を付けるの意で、一般的に知られるラム肉のジンギスカンとは異なり、羊・鶏・豚・牛・馬・猪・鹿・熊・鶉うずらの9畜種を独自のタレ揉み製法で味付けした肉をジンギスという。なかでも一番人気は、ビールにピッタリなマトンのロース肉を使用したハイグレード。ORDER NO.4 たまごキムチキムチ家 舳心(栃木県)キムチの旨味が染み込んだゆで卵そのまま食べるのはもちろん、マヨネーズをかけても美味しい。見ただけでビールが欲しくなる(1袋540円)卵の丸ごと感がインパクト大な「たまごキムチ」は、地元の有名ブランド卵「那須御用卵」を新鮮なうちに茹でてキムチ漬けにした人気商品である。店内で手作りしてる秘伝の和風キムチの旨味が黄身までしっかりと染み込んで、卵の柔らかな甘みとハーモニーを奏でる。ビールとの相性も抜群で、口の中で十分堪能したたまごキムチをビールと一緒に喉奥へ流し込む瞬間はたまらない。ORDER NO.5 横濱ビア柿美濃屋あられ製造本舗(神奈川県)日本のビール発祥の地ならではの柿ピーもち米100%のあられ生地をしっかり焼き、濃口醤油をベースにビーフブイヨン、シチリアの海塩などを加えたタレを絡ませる。「ビールに合う柿ピーをコンセプトに開発しました」と代表取締役・小森健太郎さん(1袋648円)ビールの酒肴の代表格・柿の種を、日本におけるビールの発祥の地・横浜で昭和4年(1929)から作り続けている美濃屋あられ製造本舗。同社の柿の種には9種類のラインアップがあるが、ビール好きにお勧めしたいのが「横濱ビア柿」。その名の通りビール専用で、歯応えのある硬さ、辛くて濃厚な味わいは、ビールの酒肴以外には考えられないほど。※こちらは男の隠れ家2020年8月号より一部抜粋しております

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  • うまい団子が食べたい

    たれともちもちの食感、いつ食べてもホッとする素朴な味わいーー。日本人にとって団子はいわば〝味覚のノスタルジー〞。うららかな春の日に、うまい団子を求めて街へ出る。1.うさぎや(阿佐ヶ谷)苦難の時代を超えて今に続く母から受け継いだ味と誇り左上/表面につけた焦げ目に粘度の高いたれがよく絡み、香ばしく甘じょっぱい仕上がりに。左下/朝一番で小豆を煮て作るこしあんはなめらかで上品な甘さ。右/1日に150本作る団子は全て手作り。JR阿佐ヶ谷駅のすぐ近く、「うさぎや」は70年の歴史を持つ和菓子屋。上野と日本橋にも店があるが暖簾分けではなく、初代の子孫がそれぞれ店を継いで営んでいるのだという。阿佐ヶ谷にある同店は、現在の店主である瀬山妙子さんの母・龍さんが始めた店。戦後間もない昭和25年(1950)に西荻窪で小さな店を開いたのが始まりだ。当時は砂糖や小豆、米などの確保が困難だったが、本物の材料しか使わないというのが母・龍さんのこだわりだったという。「プライドが高い人だったから、安い人工甘味料もあったけど絶対に砂糖を使っていました。創業時は上生菓子や鹿の子、饅頭を売ってたんですが、それじゃあやってけないよと職人に言われて、団子やどら焼きも売り始めるようになったんです」開店間際の作業場は慌ただしく動く職人たちの活気であふれていた。うさぎやの団子はもっちりとした食感と大ぶりなサイズ感が特徴。みたらしは飽きの来ない甘さで、表面につけた焦げ目と甘じょっぱいたれのバランスが絶妙だ。あんこに使う小豆は創業以来、仕入れ先は変えず信頼した材料のみを使い続けているという。店で働いて20年になるという職人の丸山さんは「シンプルなだけに、特にあんこの味は変えないように気をつけています。ほんの少しの味の変化にもお客さんは気付くものですからね」と話す。戦後の混乱期を乗り越え、誇り高く生き抜いてきた和菓子屋の味と伝統、その想いはこの先も続く。2.松島屋(泉岳寺)100年続く老舗和菓子屋の真心こもったおもてなし左・右下/切って、丸めて、串にさす。機械は使わず全て手作業。右上・中/うるち米の粉で作られた生地を蒸籠で蒸して、ほどよい弾力のある固さになるまで臼でつく。店主が暖簾をかけ終わるか否か、開店と同時に朝一番の客が手作りのその味を求めてやってくる。泉岳寺駅からほど近く、伊皿子坂をのぼり切ったあたりにある「松島屋」は大正7年(1918)に創業、100年以上の歴史を持つ老舗和菓子屋だ。かの昭和天皇も贔屓にしたという豆大福が人気の有名店だが、みたらし団子は知る人ぞ知る名物。長時間、蒸籠で蒸した生地を、創業時から使い続けている大理石の臼でつき、一つひとつ箸で切って丸める。大きさも不揃いで手間暇かかる作業だが、3代目店主の文屋弘さんは、創業時の作り方を変えずに受け継いでいくことが〝お客様に対する最高のおもてなし〞だと感じているそうだ。「レシピなんてありませんから、作り方は先代の仕事を見て覚えました。親子3代続けて買いに来てくれるような方もいて、そういう方のおかげで続けて来られたんだと思います。昔ながらの手作りの味をこれからも守り続けていきたいです」松島屋の団子はみたらし団子のみ。砂糖と醤油だけのシンプルな味だからこそ飽きが来ない甘さに仕上がる。コンロに直接網を置いて、直火でカリッと焼いた団子の香ばしさが食欲をそそる。たっぷりたれを浸けてくれる気前の良さも嬉しい。店先に飾られている写真にはピースサインで写る優しそうな先代の姿が。「父は恵比寿様のような人でした」と話す弘さんの笑顔もまた、先代に似た優しい面持ちだ。手作りの味と明るい店主の人柄に魅せられて、今日も店には多くの客が訪れる。3.桃六(京橋)食欲をそそる生醤油の香り 創業時から変わらぬ味に舌鼓焼き色と生醤油の香ばしさが食欲をそそる名物「桃太郎だんご」。明治2年(1872)創業の「桃六」は、京橋の地で150年続く歴史ある和菓子屋だ。名物「桃太郎団子」は、こしあんと醤油だれの2種類。近隣に宮内庁御用達の酒屋があり、鮮度の高い醤油が手に入りやすかったこともあり、みたらしではなく生醤油の焼き団子を売り始めた。しっかり焼き色をつけた団子に辛めの醤油だれが絡まり、香ばしい香りをまとう。5代目店主・林登美雄さんは、「たれは創業以来、継ぎ足して使っています。この味が好きで来てくださるお客様のために、この先も守っていきたいですね」と話す。変わりゆく時代の中で、愛され続ける古き良き味わいは、この先も店と共に歴史を刻み続けるだろう。4.五十鈴(神楽坂)本来の味わいを生かす徹底した素材へのこだわり餡まで手作りの団子は、こしあん、ずんだ、みたらしの3種類。昭和21年(1946)創業の「五十鈴」は、神楽坂の歴史と共に長きにわたって歩んできた街の和菓子屋。現在は、2代目社長・相田茂さんが店の伝統と味を受け継いでいる。40年ほど前から販売しているずんだ団子は、子どもの頃におやつとして食べていた母の味を、茂さんが再現したもの。その素朴で懐かしい味わいを求めて、遠方から買いに来る客も多い。先代からの教えで素材には徹底的にこだわり、生地には自家製粉した粉を使っている。「自分が美味しいと思った味が、お客様に喜んでもらえるのは嬉しいです。店のこだわりが伝わっているのかなと思います」店先では女将がめいっぱいの笑顔で客を迎える。真摯な姿勢と最高の味、それが同店の魅力に違いない。※こちらは男の隠れ家2022年4月号より一部抜粋しております

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  • 心と体が幸せになる 食事の時間

    食のエッセイストとして知られる玉村豊男さん。信州でワイナリーを始めて、来年2018年でで15年目になるという。今回は毎日の食事を自ら作っている玉村さんに、心と体が健康になる食事の楽しみ方を聞いた。玉村 豊男(たまむら とよお)1945年、東京都生まれ。1971年東京大学仏文科卒業。在学中にパリ大学に2年間留学。通訳、翻訳業を経て文筆業に。1977年に『パリ 旅の雑学ノート』を刊行して以来、エッセイストとして旅と都市、料理、食文化、田舎暮らしなど、幅広い分野で執筆を続ける。1991年より長野県東御市に移住し、農園ヴィラデストを経営している。「食べる」ことを大切にするフランス人いい眺めでしょう。ブドウ畑に囲まれて遥か彼方には北アルプスの山々。この里山で畑仕事をするつもりが、いつのまにかワイナリーとカフェのオーナーになっていました。最初に田舎暮らしを始めたのは軽井沢です。テニスやアウトドア料理を楽しんでいたところ、肝炎を患って。病気がきっかけで、46歳の時にここに引っ越してきました。当時は物書きの傍ら、宝酒造のTaKaRa酒生活文化研究所の所長を務めていました。宝酒造のワイナリー造りに協力しているうちに計画が頓挫。ところが、宝酒造から派遣されていた小西超という男が自分たちでワイン造りをしたいという。妻には反対されましたが2003年から醸造を始めました。日本ワインコンクールの最高金賞などを受賞、日本を代表するプレミアムワインと評価されるようになりました。現在、東御市を中心とする「千曲川ワインバレー」には、志のある若者たちが数多く集まってきています。料理とワインは学生時代、パリに留学した時に覚えました。フランスで学んだことは「飯は決まった時間に食う」。フランス人は仕事を中断してでも、昼は2時間ほど食事をします。日曜日なら郊外の別荘で、12時頃から料理を作りながら4時間かけてゆっくり食事をするのです。フランス人にとって食事は最大の関心事です。日本のように酒が中心でなく、料理を楽しむためにワインを飲みます。味にはうるさくグルメですが、食事の時には料理の話はしない。仕事の話もしない。話題は社交的な話、映画、本など文化的な話が中心です。時には小咄とかも。みんなで料理を食べる時の時間の経過を共有して楽しむ。フランス人は子供の頃から食事の習慣を仕込まれます。本は読まなくても、食卓がフランス人の学校になっています。右/ヴィラデストワイナリーの代表的ワイン「ヴィニュロンズ リザーブ シャルドネ」。左上/周辺には垣根仕立てのブドウ畑が広がる。左下/カフェで提供される野菜は地元で採れるもの。日本人は食事の時に緊張し過ぎです。おしゃべりや人に見られて食べることが苦手ですね。特に古いおじさんたちは絶滅危惧種。今やお洒落なレストランは女性ばかりでしょう。何を食べるかはその人のものの考え、思想を表します。男性も女性と同じように食のリテラシーを持ち、食事の楽しみを知ってほしい。どんなに忙しくても、ゆったりとした時間をつくることが大事です。食事の楽しみとはみんなで美味しいと盛り上がりながら食べること。美味しいと言いながら食べて飲んで、楽しい時間を過ごし、帰り道では何を食べたか忘れるくらいがちょうど良いのではないでしょうか。肝炎を患ってから2カ月に1度の血液検査。自分で数値を見て食事に気をつけています。ただ、うちの野菜は無農薬ですが、ガチガチのオーガニックでは楽しくない。自分が快適に思うなかで、楽しめる範囲で、自分の食生活を作っていけばいい。これを食べたら健康になる、野菜を1日30品目食べなくては、などのこだわりは不健康です。今日の食事が健康に良くないものだったら、明日健康的な食事をすればよい。1週間くらいのスパンでバランスをとりながらゆったりと考えたいものです。例えばワインと料理のマリアージュなんて、ソムリエに任せておけばいい。フランス人は昔からその土地でできるものを食べて、その土地でできるワインを飲んでいました。日本人は難しく考えがちなので、日常的にワインを飲むことが広まらないんです。もっと気楽に食事をしてお酒を飲んで、笑顔とともに楽しい時間を過ごしてほしいですね。ヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー/ワイナリーカフェでは農園採れたてのハーブ、野菜などを使った料理とワインが楽しめる。食後は花々が咲き乱れるガーデンを散策。ゆったりとした時間を過ごせる。長野県東御市和6027※こちらは男の隠れ家2017年10月号より一部抜粋しております

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  • すべて見せます! 小京都 -郡上八幡-

    観光地のキャッチフレーズに「小京都」という言葉を見聞きすることがある。京都っぽい観光地なのかな、と見過ごしていたが、実は小京都と呼ばれるには「全国京都会議」の加盟基準があるのだ。「京都に似た自然と景観」「京都との歴史的なつながり」「伝統的な産業と芸能がある」という条件にひとつでも合致していれば加盟できるというものだ。加盟していない観光地でも観光目的で「小京都」をうたっている所はある。郡上八幡[岐阜県郡上市]名水が人々の暮らしに寄り添う奥美濃の小京都長良川の支流の吉田川沿いに、郡上八幡の中心部が開けている。八幡山の山頂には町のシンボルの郡上八幡城が建つ。防火としての目的もあった水路が通る美しき城下町町を歩いていると、至るところから心地よい水音が耳に響いてくる。ほとばしる渓流の瀬音、家々の軒下を流れる水路のせせらぎ、水舟という槽に注ぐ水の滴……。長良川の支流の吉田川を中心に、山から引き込まれた水や湧水が町中を縦横無尽に流れ、その豊かな水は古くから人々の暮らしに寄り添ってきた。町を潤す美しい水風景。郡上八幡は、まさに〝水の都〟という喩えが相応しい山あいの城下町である。町は八幡山の頂に建つ郡上八幡城に見守られるように広がり、町筋には職人町、鍛冶屋町といったかつての生業が偲ばれる町名などが今も残る。軒を連ねる古い町家の形式は、京都に似て間口は狭く奥に長い造り。また、通りの辻には町の防衛のため13もの寺が配置されていることなどから、郡上八幡は奥美濃の小京都ともいわれている。清らかな水と風情ある城下町の佇まい。南北約1㎞、東西約2㎞。ぐるりと1~3時間で散策できる町の規模もちょうどいい。もちろん、じっくり見て回れば時間はいくらあっても足りないほど。町に宿を取り、朝夕の静かな時間にそぞろ歩くのも楽しみ方のひとつだろう。職人町や鍛冶屋町あたりは特に風情があり、袖壁や格子のある家々が軒を連ねる。郡上八幡旧庁舎記念館/インフォメーションも兼ねている同記念館内の食堂で提供しているのが郡上の郷土料理“鶏ちゃん”。オリジナルの味は、若鶏のもも肉と野菜を地味噌ベースのタレで味付け。定食で1080円。「作家の司馬遼太郎が日本で一番美しい山城、と讃えたのが郡上八幡城だそうです」。山頂の天守閣を仰ぎ見ながらそう話すのは、町を一緒に歩いた「郡上八幡まちなみ観光案内人」の塚原秋夫さんだ。司馬遼太郎の作品に『功名が辻』がある。戦国武将・山内一豊と妻の千代の生涯、内助の功を描いた物語だが、実は郡上八幡はその千代の生まれ故郷という縁がある。司馬遼太郎が『街道をゆく』の中で評した郡上八幡城は、昭和8年(1933)に大垣城を参考に再建された模擬天守閣。しかし4層5階建の木造建築は全国の復興城郭の先駆の城としても知られ、深緑の山に映える白亜の姿は確かに優美だ。「昨今は霧に浮かぶ幻想的な姿も知られ、天空の城ともいわれます」郡上八幡城を最初に築いたのは、永禄2年(1559)に八幡山に陣を敷いた遠藤盛数。この地は美濃、飛騨、越前への要衝にあり、長良川や吉田川も自然の要害として最適だったという。町を整備したのは四代城主・遠藤慶隆。慶隆は寺社の建立や町造りに力を注ぎ、同時にそれまで各所で行われていた盆踊りをひとつにまとめて城下で踊ることを奨励した。目的は領民たちの融和をはかるためで、これが国の重要無形民俗文化財にも指定されている「郡上おどり」の始まりである。「観光客も地元の人も一緒に踊るのが特徴です。郡上おどりは見る踊りではなく、参加する踊り。ぜひ踊りの輪に加わってみてください」と塚原さんは笑顔で話す。長敬寺の山門から職人町方面の古い町並みを望む。2階部分に見られる防火のための袖壁や、軒下に流れる水路などの様子がよくわかる。町歩きは下級武士たちの住まいがあったという柳町を経て、職人町方面へ。途中、郡上おどりの実演と歴史が学べる「郡上八幡博覧館」に立ち寄り、長敬寺へと向かう。長敬寺の山門付近から見る、職人町・鍛冶屋町へ続く通りはひときわ印象的だ。袖壁や出格子を備えた古い町家が軒を連ね、水路が清々しい水音を立てている。仕切りの袖壁は防火のため。家々の軒下にぶら下がるバケツも防火用だという。承応元年(1653)、町を焼き尽くす大火事が起こる。焦土と化した町の復興を手がけたのは六代城主の遠藤常友だった。4年の歳月をかけて上流から水を引き入れ、城下の町割りに沿って水路を築造。水路は普段は野菜や米を洗う生活用水に使われ、いざ火事が起きた時は防火用水になったのである。「バケツはさすがに今は使用しませんが、当時の様子がうかがい知れますね」。今見られる水路のある町並みは主にこの時代のものだという。慈恩禅寺/慶長11年(1606)、八幡城主・遠藤慶隆が開基した、臨済宗妙心寺派の名刹。特に半山禅師の作庭の室町様式の庭園「草園」が素晴らしい。自然の岩山を背景とし、清々しく流れ落ちる滝が幽玄な雰囲気を醸し出している庭園を、是非鑑賞しておきたい。さらに水の町を象徴するのが宗祇水だ。小さな社が組まれた下からこぽこぽと水が湧出し、涼感たっぷり。柄杓ですくって口に含むと、やわらかな水が喉にするりと落ちた。宗祇水の名は連歌の宗匠の飯尾宗祇がここに草庵を結び、水を愛用したことに由来する。町中を巡る清冽な水はまた、染物の色を鮮やかにするのにも役立ってきた。訪ねたのは本藍染めの技を430年余り守り続ける「渡辺染物店」。築180年の趣ある建物に足を踏み入れると、独特の藍の香りとともに丸い藍甕が目に留まった。甕には灰汁と蒅、消石灰などを合わせて熟成させた藍液が満たされ、この液に布を繰り返し浸して染めるのだという。十五代目の渡辺一吉さんに実際に絞り染めを見せていただくと、藍甕に浸すごとに徐々に色の深みが増していくのがわかった。そして、店の前に流れる水路へと移動。堰板で流れを止めた水にさらすと、布はみるみる藍色を際立たせ、より美しさを放ったのである。「水がいいと発色がいいんですね」 明治時代には町に17 軒の染屋があったが、現在はこの一軒だけに。「伝統の技も郡上の水も大切に守りたい」。渡辺さんは穏やかな口調でそう言葉を結んだ。そして名水散策の最後に向かったのは、渡辺染物店のほど近くにある「慈恩禅寺」。市指定名勝庭園「草園」が素晴らしい臨済宗妙心寺派の禅寺である。東殿山麓の自然の岩壁をそのまま背景として生かした室町様式の庭園。岩肌を濡らして一筋の滝が池へと流れ落ち、新緑、紅葉と四季折々の彩りが添えられるとそれは一幅の絵画のよう。庭と対峙するように座し、深くひと呼吸して目を閉じる。静寂の中にただ響くのは、木々を揺らす風の音と清らかな水音だけであった。郡上本染 渡辺染物店/創業はおよそ430年前の天正年間(1573~1592)。水の町のこの地で藍染め一筋に歴史を重ねてきた染物店。現在は十四代目の渡辺庄吉さんと十五代目の一吉さんが伝統の技を継承。江戸中期の藍瓶を今も使い、十数回繰り返し浸して染めるのが特徴だ。昭和52年(1977)、岐阜県重要無形文化財に指定。※こちらは男の隠れ家2017年7月号より一部抜粋しております

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  • -キャンピングカー旅ルポ- 伊豆の自然を満喫する 大人のお洒落なキャンプ旅

    圧巻の景色が続く道を走り キャンプサイトで快適な夜を緑まばゆい丘陵地に緩やかにカーブを描いて続く爽快なワインディングロード。車窓に映るのは、左手眼下に相模湾、右手に駿河湾のきらめき、そして雪を頂いた霊峰富士の秀麗な姿……。それらのパノラマが目に飛び込んでくるたび、2人で声を合わせたように歓声を上げてしまう。車高が高いキャブコン「アンセイエ」の座席からということもあるだろう、いつもと少し異なる目線では景色もよりワイドに見える。クルマを走らせていたのは伊豆半島中央部の山稜に延びる伊豆スカイライン。富士箱根伊豆国立公園内を走る自動車専用の有料道路で、屈指の眺望を誇るドライブウェイだ。そんなランドスケープや周辺の観光スポットを楽しみながら目指すのは、伊豆の国市長者原の山あいにある「モビリティーパーク」。今回のキャンピングカーの旅の拠点にと選んだ場所で、伊豆の東西南北各地へのアクセスにも便利な人気のキャンプフィールドだ。久しぶりの夫婦2人のキャンピングカーでのドライブ旅。以前にその非日常の空間と時間を満喫する旅スタイルを体験し、以来、2人ともすっかりキャンピングカーという特別なクルマに魅了されている。思い立って動くことができ、旅先も宿泊先も自由自在。そのフレキシブルさが何とも気軽で心地いいのだ。また、旅費が節約できる分、食事を贅沢にできるのも楽しみのひとつ。今回はルート上のレストランをチェックし、車内で食べるディナーもちょっとリッチに凝ってみることにした。食材は高速に入る前に買い揃えておいたので準備も万端だ。小田原厚木道路から箱根ターンパイクに入ると、ひとカーブごとに標高が上がってくるのがわかる。フロントガラスに映る緑陰も清々しい。芦ノ湖と富士山が見える大観山ポイントを過ぎて十国峠へ向かい、さらに熱海峠まで来るとここからが伊豆スカイラインの始まりだ。峠の標高は635m。富士山は雄大さを増し、その先の玄岳付近では大きく開けた景色が待ち構えていた。ウッドデッキの展望台がある玄岳駐車場からは、東側に熱海市街地と相模湾、北西側に富士山が一望のもと。付近は伊豆半島の成り立ちの痕跡がある伊豆半島ジオパーク指定地のひとつでもあり、標高798mの玄岳は海底火山が本州に衝突して出来上がったとされている。 道は玄岳の西側を回り込むように延びて韮山峠へ。途中にも西丹那駐車場、池の向駐車場など絶景地が点在し、このあたりからは駿河湾が望め、富士山も裾野の長い美しい姿を見せるようになる。さらに韮山峠を経て亀石峠インターを下り、県道19号線に合流。目的地のモビリティパークはインターから10分ほどの距離だが、ランチを食べるため県道を先へと進み「中伊豆ワイナリー シャトーT・S」へと向かった。ナビが誘導する山あいの道をたどると、突如現れる一面のブドウ畑と白亜のシャトー。その異国的な風景は感動を覚えるほどで、アメリカのワイン産地ナパバレーをイメージしたという当社のコンセプトそのものだ。ブドウ畑を望むレストランでは、自社栽培ブドウで醸したワインと共にパスタランチを堪能。さらに今夜のキャンピングカーでのディナー用にワインを購入する。ワインが飲めなかったドライバーの夫のため、じっくりテイスティングして香り豊かなボトルを選んだ。また、今回は旅の最後に足を運んだのだが、修善寺温泉近くの「ベアードブルーイング」でクラフトビールを仕入れておくのもいい。個性豊かなビールが多彩に揃い、ディナーをさらに素敵にしてくれるはずだ。さて、いよいよ旅のハイライトのモビリティーパークへ。入口からメタセコイヤの並木道をゆっくり進み、受け付けを済ませてキャンピングカーサイトにクルマを停める。自然の森や地形を生かした広大なキャンプフィールドには、ほかにもテントサイトやトレーラーホーム、ログハウスやコテージなどもあり、展望風呂や炊事場なども完備。キャンピングカーサイトには上下水道やAC電源などがあるので、車内の冷蔵庫やエアコンなどをフルに活用するのにもってこいだ。セッティングを終えてひと休みしていると、夕闇がうっすらと森を包み始めた。そろそろディナーの準備開始だ。車内のキッチンでサラダ用の野菜をカットしたりローストビーフを並べたり。メインのラザニアは家で下ごしらえをしているので温めるだけでいいが、今回のクルマには電子レンジが付いているのでそれもあっという間である。そして、待ちきれない様子の夫がさっそくワインの栓を開け、乾杯!昼間に飲めなかっただけに美味しさも格別だと、笑顔満面だ。日常とは違う時間の流れの中では会話も弾む気がするが、それより、少年のような目をして楽しむ夫がいつもより色々と動いてくれることが何だか嬉しい。ディナーの後は夫が焚き火を起こし、珈琲を淹れてくれた。パチパチと薪がはぜる音を耳に、静かに更けていく夜。安らかな心持ちへといざなう炎の温かさ。そんな穏やかな気分のまま寝袋に潜り込むと、すぐに深い眠りに落ちた。野鳥の声に起こされるまで、ぐっすりと眠っていた「アンセイエ」での一夜。思いのほか寝心地がよく一度も起きることはなかった。窓の外ではもう木々の間に朝陽がきらめいている。今日も天気はよさそう。さて、今日は伊豆半島の南部へと足を延ばしてみようか。※こちらは男の隠れ家2018年6月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 最高の趣味部屋

    誰しも一度は憧れを抱く、自分の好きなものだけに囲まれた空間──“趣味部屋”。限られたスペースで、いかに自分の理想の空間に近づけるかが部屋造りのポイントとなる。趣味人たちが造り上げた、ロマンあふれる特別な空間をのぞいてみよう。1akatsukiさん/神奈川県淹れたての珈琲を愉しむ実験室のような空間珈琲に没頭する時間が良い循環を生む「休日の朝にお気に入りの作業台で珈琲を淹れる時間が、何物にも代えがたい癒しです」  akatsukiさんがこの部屋の主になったのは1年前。新居の建築に合わせて自ら設計。間取り、照明、壁紙、床材にこだわり、自分だけの「珈琲実験室」を実現させた。住まいがナチュラルな雰囲気のため、ここは無機質な実験室のような部屋を目指したそうだ。 ブログで発信するほど珈琲器具に詳しいakatsukiさん。アンティークミルの魅力に触れたことをきっかけに、そこから現代の珈琲器具集めにハマっていったという。見ると、部屋にはさまざまな形をしたミルやエスプレッソマシンが並ぶ。それぞれ用いる器具によって味も違うのだろうか。「正直、私にもわかりません」と苦笑い。それよりも、海外のデザインやユニークなフォルム、見た目の美しさに惹かれるという。まだ幼い子どもたちはもちろん、妻も一切珈琲を飲まない。まったくの自分専用の部屋、家族の理解を得るのが大変だったというakatsukiさん。趣味の部屋を持つことの意義について聞いた。「何かに没頭することによって一旦リセットできるんです。さらに、思い通りの空間を造ることで、より深くその世界に入り込めるように思います。そうした時間は、仕事や家庭にも良い影響を与えるのではないでしょうか」 仕事に、生活に、人生に、良い循環を生むためにも、何かに没頭できる趣味部屋を持つことが、我々には必要なのかもしれない。--------------------------------------------------2white_woodgrain_worksさん/宮崎県素材や道具もインテリアに木工作品を生み出すDIY小屋長年、釣りを趣味にしていたwhite woodgrain worksさん。30代で木工制作に目覚めたのは、2年前に家を新築した際、作業部屋を自身のDIY技術で仕上げたことがきっかけだ。「作業のための部屋ではなく、インテリアの一部として木工や道具がある、そんな部屋を造りたいと思っていました」 アンティーク調にデザインされた室内はメジャーや電動工具、さまざまな種類の塗料の缶が一つのインテリアのように空間に収まり、独特のイメージを造り出す。作業台にも収蔵庫にも表面には寄せ木細工のような模様をアレンジして、機能美を整えている。自身の工房を立ち上げたのは、ちょうど家を新築した頃。現在はインスタグラムを活用して木工作品を積極的に公開している。本棚、ボックス型ラックを幾重にも組み合わせる形式の収納セットなど。どれも木の肌が独特の温かみを漂わせる作品ばかりだ。「SNSで発信することで、いろいろな反応があり、それが刺激となって、新しい作品への制作意欲につながっています」 こだわりの詰まったこの部屋はただ作業場としてあるのではなく、主の発想力を高め、物作りへと掻き立てる、特別な空間なのだ。※こちらは男の隠れ家2022年8月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -関東・東北・北海道編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!関東太平山の桜開花時期/3月下旬~4月上旬山頂から関東平野が一望でき、桜の名所としても名高い太平山。この山を中心に整備された太平山自然公園には約4000本の桜が植えられている。山麓から山頂へと続く太平山北側遊覧道路の両側には約2kmの桜並木が続き、満開時のトンネルが美しい。おおひらさんのさくら所在地/栃木県栃木市平井町~薗部町--------------------------------------------------幸手権現堂桜提開花時期/3月下旬~4月上旬幸手市の北部にある権現堂公園では、春を迎えると長さ1㎞の堤に約1000本のソメイヨシノが咲き誇り、見事な桜のトンネルが出来上がる。毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される桜まつり期間中には約100店舗の露店が出店し、たくさんの花見客で賑わう。さってごんげんどうさくらつつみ所在地/埼玉県幸手市内国府間887-3--------------------------------------------------天平の丘公園開花時期/3月下旬~4月下旬約11haの敷地内に美しい自然林と貴重な史跡が融合する天平の丘公園は、有数の花見スポットとして地元の人々から親しまれている。花広場周辺に植えられた八重桜を中心に、ヒガンザクラやウスズミザクラなど約450本もの様々な種類の桜が楽しめる。てんぴょうのおかこうえん所在地/栃木県下野市国分寺993-1--------------------------------------------------桜坂開花時期/4月上旬~4月中旬福山雅治の歌で一躍有名になった桜坂。その後アニメ番組の舞台になった影響もあり、今や若者の聖地巡礼の場にもなっている。最寄り駅は東急多摩川線の沼部駅。住宅街近くの道路の両側に植えられた30本ほどの桜が、満開時には桜のトンネルとなる。さくらざか所在地/東京都大田区田園調布本町19--------------------------------------------------東北みなみかた千本桜ドライブロード開花時期/4月中旬~下旬登米市の南方町高石地区から梶沼地区までの6kmに及ぶ市道の両側に、1000本の桜が植えられている桜並木。延々と続く桜のトンネルをくぐりながら、のんびりとドライブを楽しみたい。4月下旬にはさくら祭りも開催。みなみかたせんぼんざくらどらいぶろーど所在地/宮城県登米市南方町高石--------------------------------------------------北海道戸田記念墓地公園開花時期/5月上旬~中旬158万㎡の広大な敷地の中に、およそ8000本ものソメイヨシノが植えられた墓地公園。道内有数の桜の名所として知られ、ゴールデンウイークが終わる頃から一斉に開花する。園内の散策路「桜冠の道」では道の両側から桜に覆われ、桜のトンネルが出来上がる。とだきねんぼちこうえん所在地/北海道石狩市厚田区望来327--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -中国・近畿・中部編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!中国野呂山さざなみスカイライン開花時期/4月上旬~中旬呉市にある野呂山の麓から、標高839mの山頂へとつながる観光道路・野呂山さざなみスカイライン。わずか10kmほどの道のりが山頂まで続くので急カーブが多く、運転には注意したい。4月上旬になると、沿道に沿って植えられた約200本の桜並木が開花して桜のトンネルとなり、毎年それ目当ての花見客で賑わう。のろさんさざなみすかいらいん所在地/広島県呉市川尻町野呂山--------------------------------------------------斐伊川堤防桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬斐伊川沿いに800本の桜が植えられた、中国地方随一の美しさと讃えられる桜並木。「日本さくら名所100選」にも選ばれている。毎年3月下旬から4月中旬には「雲南市桜まつり」が開催され、多くの花見客で賑わう。全長2kmにわたる満開時の桜のトンネルは実に見事。ひいかわていぼうさくらなみき所在地/島根県雲南市木次町木次--------------------------------------------------上山の桜並木開花時期/4月上旬~中旬市内から上山町へ向かう道の両側約5kmに、約500本の吉野桜が咲き並ぶ桜のトンネル。開花シーズンには家族連れなどたくさんの花見客で賑わいを見せる。毎年4月中旬には「うやま桜まつり」が開催され、ステージイベントやゲーム大会なども行われる。うやまのさくらなみき所在地/広島県府中市上山町--------------------------------------------------府中公園開花時期/4月上旬~中旬JR福塩線・府中駅より徒歩で約15分ほどの場所に位置し、3万8000㎡もの敷地の中に運動広場や児童広場などの様々な施設が設置された都市公園。春になると数百本の桜が一斉に咲きほころび、園内にある庄ノ池の周囲の遊歩道に並んだ桜が見事なトンネルになる。ふちゅうこうえん所在地/広島県府中市出口町--------------------------------------------------近畿五月山開花時期/3月下旬~4月中旬大阪・北摂地区有数の桜の名所として知られ、池田市民にはシンボル的な存在として親しまれている五月山。桜が満開になる4月上旬の土日には、周辺の五月山公園と池田城跡公園で毎年さくらまつりが開催され、山の中を走る道路沿いの桜並木が桜のトンネルとなる。さつきやま所在地/大阪府池田市--------------------------------------------------中部鍋田川堤桜並木開花時期/3月下旬~4月上旬町道鍋田川線沿い約4kmにわたって、ソメイヨシノを中心とした約1500本の桜が植えられた桜並木。満開時には空が見えなくなるほど見事に咲き誇り、文字通りの桜のトンネルが出来上がる。その中をくぐり抜ける気分は最高だ。なべたがわていさくらなみき所在地/三重県桑名郡木曽岬町和富--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • 桜のトンネルを駆け抜ける -九州・四国編-

    桜の名所は数あれど、地元の人以外で桜のトンネルがある場所を知っている人なんてまずいない。そこで今回は桜旅の際にぜひ立ち寄ってほしい〝桜のトンネルの名所〞を、地域別に一挙ご紹介!九州宇土市立岡自然公園の桜開花時期/3月下旬~4月上旬約2000本のソメイヨシノが植えられた宇土市花園地区の立岡自然公園。園内には立岡池と花園池の隣り合ったふたつの池があり、その間を通る道が満開時には250mの桜のトンネルとなる。湖面に映る桜も美しい。開花時期には、ぼんぼりに灯をともしたライトアップも毎年行われている。うとしたちおかしぜんこうえんのさくら所在地/熊本県宇土市立岡--------------------------------------------------秋月の桜トンネル開花時期/3月下旬~4月上旬もともとは武士たちの馬術の稽古を行う杉並木だったが、日露戦争の戦勝を記念して桜に植え替えられたという逸話のある並木道。そのため、地元では現在でも「杉の馬場」と呼ばれる。ソメイヨシノの満開時には約500mにわたる桜のトンネルが人々の目を楽しませる。あきづきのさくらとんねる所在地/福岡県朝倉市秋月野鳥--------------------------------------------------ハーモニーランドのハーモニートレイン開花時期/3月下旬~4月上旬ハローキティに会える屋外型テーマパーク・ハーモニーランド。園内各所にお花見スポットがある中で、桜シーズンに一番オススメのアトラクションは「ハーモニートレイン」。桜のトンネルをくぐりながらのんびりと走る列車に揺られ、子供も大人も大喜び。はーもにーらんどのはーもにーとれいん所在地/大分県速見郡日出町大字藤原5933四国香川県立公渕森林公園開花時期/3月下旬~4月上旬公渕池と城池の2つの池の周りに造られた約93haの広大な公営の森林公園。芝生広場や森林学習展示館、キャンプ場など様々な施設があり、「水と緑と花の公園」として親しまれている。園内には約5000本の桜が植えられ、メイン通りの桜のトンネルが一番の見どころ。かがわけんりつきんぶちしんりんこうえん所在地/香川県高松市東植田町寺峰1210-3--------------------------------------------------家地川公園開花時期/3月下旬~4月上旬四万十川沿いにあり、毎年3月下旬になると約300本のソメイヨシノが一斉に咲き誇る家地川公園。花が咲き始めると桜のトンネルとなった遊歩道やダム湖の湖面に映った桜をひと目見ようと、家族連れなど多くの花見客で賑わう。最盛期には桜まつりも毎年開催される。いえじがわこうえん所在地/高知県高岡郡四万十町家地川--------------------------------------------------鏡野公園の桜開花時期/3月下旬~4月中旬昭和53年の「全国植樹祭」を記念して、旧土佐山田町に開園した都市公園。園内にはソメイヨシノや八重桜など様々な種類の桜がおよそ600本あり、その中でも全長約200mの桜のトンネルが一番の人気スポット。「日本さくら名所100選」にも選定されている。かがみのこうえんのさくら所在地/高知県香美市土佐山田町宮ノ口--------------------------------------------------※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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  • -ワーゲンバスで実現- DIYで造る、動く「秘密基地」。

    “秘密基地=自分だけの空間”と定義すれば、その究極形は車なのかもしれない。ここでは、DIYで手を加えて秘密基地と化したワーゲンバスたちを紹介しよう1神奈川県厚木市 三浦貞昭さん(40歳)車内がウッディで家のような車VOLKSWAGEN TYPE Ⅱ 1958タイプ/Volkswagen TypeⅡ色/Blue年式/1958DIY期間と予算/13年、不明13年間いじり続けている1958年製TypeⅡ。パネルバンから取って付けた愛称は「ネル」。なぜか犬に吠えられることが多い。見た目はクール 内装は温かいがテーマ子どもの頃に走っているその姿を見かけてから、ずっとTypeⅡに憧れていたという三浦さん。念願のこの車をようやく手に入れたのは13年前のこと。それ以来、頭の中のイメージを形にするために、一体どのくらいの手間と予算をかけたのか、自分でもわからないほど手を加え続けてきたそうだ。ドアを開けて車内を覗くと、驚きの光景が目に入る。なんと運転席から後部までほぼ全てが木に覆われた、一見するととても車の中とは思えない世界が広がっている。特に手縫いの革張りセカンド&サードシートが鎮座する後部席は、運転席のハンドルさえ見えなければ完全に木造家屋の部屋状態。天井や床が木張りなのは言うに及ばず、観音ドアの内側にも木製の棚が設置され、ウッディ感満載だ。「見た目はクール、内装は温かいがテーマです。ちょっと大げさですが、自分の人生をつぎ込んでみました」と三浦さん。これからも細かい装飾を加えたり、鉄が見える部分を木で覆いながら、人生の半分近くを共に生きてきたこの車に乗り続けたいという。車内は木目で統一したいという三浦さん。運転席もインパネ以外は全て木目に。倒したらフラットベッドになるセカンド&サードシートは、革を手縫いした自作品。革の風合いが木目にジャストマッチ。--------------------------------------------------2埼玉県所沢市 飯島泰彦さん(48歳)キャンプにも旅行にも行ける移動式隠れ家VOLKSWAGEN TYPE Ⅱ WESTFALIA CAMPER 1974タイプ/Volkswagen TypeⅡWESTFALIA CAMPER(ヤナセモデル)色/Orange年式/1974DIY期間と予算/5年、約50万円鮮やかなオレンジ色の1974年製TypeⅡ。カボチャ色で、ジャックオーランタンを積んでいるので愛称は「パンプキー号」。こだわりの自作パーツが車内を彩るオシャレな一台キャンプや旅行など、どこへ行くにも奥さんと一緒。そんな飯島さんの走る秘密基地は、オレンジ色がまばゆい1974年製TypeⅡ。そもそも学生の頃、ビートルTypeⅠに乗っていた飯島さん。その後、結婚して子どもができて、月日が流れる中で「またあのFLAT4サウンドのワーゲンに乗りたい」という思いは募るばかりだった。そんな時「家族とキャンプに行くのなら、キャンピングカー仕様のワーゲンバスに乗ればいいじゃないか」とふと思い立ち、手に入れたそうだ。TypeⅡにもいろんな種類があるが、飯島さんがこの車を選んだ理由はキャンピングカー仕様であることと、もうひとつ。それは見た目。1968年以降の通称「レイトバス」の中でも、特にこの後期モデルは顔がかわいいんだとか。また、古い車なのに情報もパーツも手に入りやすく、構造がシンプルなので自分でもある程度手を加えられるところがたくさんあるのも魅力的だったそうで、1/1の鉄モデルとしてホビーのように愉しんでいるという。右/フルフラットベッド。左上/バラしたBOSEスピーカーや燃焼ヒーター入りのシート下BOX。左下/自作の折りたたみテーブル。快適な車内では、ついつい食も進んでしまう。車というより、もはや移動式の別荘だ。※こちらは男の隠れ家2019年3月号より一部抜粋しております※記事コンテンツ以外は2023年2月27日プレオープン予定となります※他ページへの遷移はプレオープン日までできかねますため、予めご了承いただければと思います

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