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男の隠れ家コンテンツ

  • 格好良すぎるクラシックカー。

    旧車ファンでなくてもクラシックカーには心温まるオーラを感じてしまう。変化の激しい現代において、クラシックカー自体が癒しとなっている特別な存在なのだろう。近ごろ産業遺産などに注目が集まるのは、同様に単なるノスタルジーではない何かに惹かれるからに違いない。活躍した時代の空気を纏って今も走っている文化遺産的クルマとその50人のオーナーが登場する。01.アメリカで楽しむオープンカーライフ高原景良さん(会社員・54歳)ダットサン SPL310[ 1967/日本 ]カリフォルニアの青い空の下では、真っ赤なスポーツカーが似合う。日差しが強い場所柄だけに、ガレージ前にテントを建ててメンテナンスなどの作業をする場所にしていると話す。自ら再生レストアした真っ赤なオープンカー1987年に渡米した沖縄県出身の高原さんは現在、ロサンゼルス郊外のサイプレス市に住んでいる。元々知人の勧めで語学を学ぶために渡米したのだが、既に滞在30年を超えて人生の半分以上をアメリカで過ごしている。渡米して最初に手に入れたクルマは70年式ポンティアックV8、その後VWビートル、マツダ323(ファミリア)と乗り継ぎ、現在はスバルバハと、このダットサンSPL310。このクルマは現地で毎週発行される中古車雑誌「トレーダーニュース」で探し、不動コンディションのクルマを1800ドル(約20万円)で購入。近所にあった日系の自動車修理屋さんに助けてもらいながら「仕事の合間や週末ごとに少しずつ仕上げたんですよ。例えば錆だらけのトランクキャリアは再メッキしたり、オリジナルの1500㏄のエンジンはアメリカでは非力だったので後から販売された2000㏄のものに換装したんです」と高原さん。気になるパーツ供給だが、アメリカでは中古品や再製品が手に入るので苦労はないという。02.英国車のスタイルに惚れてここに行き着く今井高司さん(自営業・65歳)ウーズレー 9 ロードスター [ 1946/イギリス ]右/英国の丘陵地を彷彿とさせる筑波山を望む農道を疾走するウーズレー9ロードスター。左上/御年65歳。英国車をこよなく愛する。左下/往年の英国車によく見られるウッドパネルは自然木から削り出したもの。輸入からレストアまで全て自分の手で行うハンチング帽をかぶり、颯爽とオープンカーを走らせてきた今井さん。そこで語ったのは英国車愛だった。最初のクルマは20歳の時に手に入れたフェアレディZだったが、それから8年後に最初の外車を手に入れた。それがジャガーEタイプだった。そのジャガーのしなやかさや運転する楽しさから英国車にはまってしまったという。このウーズレー以外にも今井さんはジャガーを8台保有している。「往年の名優、ハンフリー・ボガードやゲーリー・クーパーが保有していたXK120などを含め50〜60年代のクルマをアメリカなどから直接仕入れ、自分で全てレストアしています」と今井さん。このウーズレーは8年前に手に入れたのだが、現在の状態までに全ての箇所を自分でレストアしたという。車の修理の経験なんてまるでなかったのだが、あちこちいじり倒して試行錯誤していくうちにレストアを自然と覚えていったのだそうだ。「今欲しいのは1937年のジャガーSS101です」。英国車への情熱はまだまだ続きそうだ。03.ハイスクール時代の夢を今に再現するクルマTed TC Yanagisawaさん(プロダクション関係)VW タイプ1 ラグトップ[ 1962/ドイツ ]近くのビーチまでVWでドライブ。きれいな車体に散歩中のミドルアメリカンたちも声をかけてくる。カリフォルニア州の中でもビーチ沿いはVWビートルが一番似合う場所だ。サーフィンのメッカであるハンティントンビーチに居を構えるテッドさん、彼は横須賀の米軍基地で生まれた日系アメリカ人である。その後、父親の仕事の関係で日本とアメリカを行ったり来たりの生活となった。クルマに関してはハリウッドでの高校時代に手に入れたエルカミーノ、キャデラックやファイヤーバードなど、カリフォルニアンなカーライフを過ごしてきた。このクルマを手に入れたのは2003年。高校生時代にカリフォルニアのビーチでたくさん走っていたVWを、当時の雰囲気で再現して乗ってみたかったのだ。同じように当時目にしていたバハバグ(バギー)も手に入れている。映像関係の仕事の合間に「このクルマでビーチを走るのが息抜きなんです」と言う。※こちらは男の隠れ家2019年7月号より一部抜粋しております

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  • NFTと樽資産

    ブロックチェーンとはもしかすると「仮想通貨=ブロックチェーン」と思われているかもしれない。そもそもブロックチェーンとは取引情報などのデータをデジタルに記録する仕組みである。一定期間の取引データをブロック単位でまとめ、チェーンのように繋いで記録することからブロックチェーンと呼ばれる。特殊な暗号を使い、過去から現在までの取引データが全てオープンな形で残されるため、データ改ざんが困難であり、自動で敏速に行われるため取引コストを大きく削減できるメリットもある。当初は仮想通貨のトランザクション履歴の記録に用いられていたが、現在では金融全般や不動産、医療、投票など多様な分野で活用されている。UniCaskの想い|ブロックチェーンを大衆のもとに蒸留所から直接樽を購入できるため安心。複数種類の中から自分で選ぶことができる。ブロックチェーンを使ったビジネスモデルを利用したのは、“実際のモノ”の売買には課題があり、この課題が大衆化していないと感じたことがきっかけである。デジタルで記録されるデータやNFTの偽造は困難だが、それらに紐づく“実際のモノ”については物理的な改ざんが可能で、人と人を伝っていく間で偽造されたモノにすり替えられている可能性もある。一方でウィスキー樽の場合、そのほとんどが蒸留所の信頼によってすり替えられるリスク軽減は担保できる。また、ウィスキーには熟成という時間的な価値があるが、そのような価値の記録にブロックチェーンが適している。原酒や樽のスペック、樽詰めされた日付などをブロックチェーンに書き込めば世界中の誰もが閲覧できる正確な台帳を簡単に作ることができる。加えてNFTの技術でオーナーシップを発行すれば、24時間世界中でデジタル取引を行うことが可能。例えば、海外在住の方が日本の蒸留所に連絡して樽を購入することにはさまざまなハードルがあるが、この仕組みにより容易に売買ができるようになる。蒸留所側もウィスキーを樽に詰めた瞬間から売買できるため、キャッシュフローがクイックネスになる上、グローバル化が安易に推進できるメリットもある。もちろん、樽のオーナーシップ管理はUniCaskが行うので、樽の売買に関する面倒な記録などの処理も大幅に削減することが可能。また、UniCaskは埼玉県北東部にある羽生蒸留所の復活にも深く関わっている。利根川の水運に恵まれたこの土地で約20年ぶりの日本蒸留所の一角が復活。Made in JAPANを掲げ、海外業者のみを対象に2021年春から販売開始。現在では全世界の愛好家や投資家に向けて、スコットランドのボトラーであるキングスバリーや、コニャックのボールジローなどを公開する予定だ。UniCaskの想い|樽資産を持つ愉しみ高価な樽でも「小口」単位で所有することで樽の購入費用を抑えることができる。樽購入者は、アプリでいつでもサンプルリクエストやボトリングオーダーが可能。個人で購入するには高価な一樽を100分の1に小口化し購入ハードルを下げたこともUniCaskの特徴で、小口樽は予めボトリングの日程を決定した上での販売を行なっている。例として、容量約200リットルのバーボン樽の100分の1換算。いわばウィスキー愛好家たちが行なっているカスクシェアの様なイメージである。また、アプリを実装したことで、ゲームコミュニケーションの要素もあり、保有者同士がウィスキーを見せ合う「大人の遊び場」としてファンを中心に投資家などが集まりやすい環境を構築している。 これまで、ウィスキー樽は投資商品としても“非公開”の様な存在であったが、NFT上場させることで公開株のように誰もが購入できる環境を整備したUniCask。誰もが持つことができる権利の様な存在になれば、ウィスキー人気は一気に世の中に広がり、結果的にウィスキー好き人口も増加する。また、これまで知る人ぞ知る“ウィスキー樽の売買”が一般化することで、ウィスキーとの向き合い方も単なる嗜好性から、ビジネスを産むなど多角的な捉え方もできる。つまりウィスキー樽とデジタル技術を掛け合わせることで、新たなエコシステムや新たな経済圏が生まれるきっかけになる可能性もある。株式会社UniCaskhttps://unicask.jp/クリス ダイ株式会社UniCask共同創業者。Accentureのコンサルタント、BitcoinとEthereumの初期の投資家の一人。ウィスキー好き。ブロックチェーンや分散型ビジネスの研究プロジェクトに参加。「ネクストブロックチェーン」(日本経済新聞社)の共著者。「Blockchain and Crypto Currency」(Springer)の共著者。2004年にスタンフォード大学で管理科学と工学を専攻し、B.S.を取得。

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  • スクスク育つ牡蠣に会いに行く

    海の畑と呼ばれる養殖に最適な三陸の海育った牡蠣は重いので、クレーンで引き揚げる。日本で見られるリアス式海岸は遥か昔、起伏の激しい山地が海面の上昇や地盤沈下によりに海面に没したことで形成された。海面よりも上に残された陸地が、複雑に入り組んだ湾や島を創り出したのだ。氷河が形成した北欧のフィヨルドとは、生まれた背景が違う。日本列島はどこも起伏に富んだ姿をしているのでリアス式海岸は各地に存在する。その中でも、宮城県北部から岩手県にかけての広範囲にわたる三陸海岸は、海岸線が複雑に入り組んでいるため、多くの観光客の目を愉しませる風光明媚な光景が広がっている。さらに漁業はもとより、養殖や水産加工が盛んなことでも有名だ。リアス式海岸はその成り立ちから、海への間口が広く湾岸の奥が浜辺になっている。湾は小高い山に囲まれているのでの影響を受けにくく波が穏やか。そして浜から少し離れただけで深くなるうえ、海を囲む山からは豊かな養分が海へと運ばれるため、海は豊富な栄養分を蓄えている。初回は、そんな三陸海岸で育った海の逸品を厳選してお届けしたい。生産だけでなく加工から管理、販売まで行う6次産業浮き玉の沈み方を見ながら水中にある牡蠣の成長を量り適度な深さへ調整しながらベストなタイミングで水揚げする。三陸自動車道を河北ICで下り、北上川に沿って海を目指すと、車窓を流れる風景は大きな建造物が見当たらず、空の広さが滲み入るように感じられた。30分ほど走ると目の前には小さな岬に抱かれた、典型的なリアス式海岸の風景が見えてくる。今回訪れた「株式会社海遊」は2011年、今では「日本一有名な漁師」と称されるまでになった、伊藤浩光さんが設立した。牡蠣やムール貝などの養殖場と加工工場がある宮城県石巻市の雄勝湾は、東日本大震災の影響もあり、周辺に商業施設がほとんど見当たらないが、それは逆に海の環境に悪影響を与えるものが少なく、代わりに周辺に広がる自然豊かな大地から、川を介して栄養分が海に注がれることを意味する。さらにミネラルを多く含む水が、雄勝湾の底から湧き出ている。そのためここで育つ牡蠣やムール貝には、よく栄養がいき渡っているのだ。左/水揚げされた牡蠣は1個ずつバラした後、高圧洗浄を行う。その後、自動選別機にかけ減菌海水に22時間以上入れて浄化し鮮度を保つ。その後出荷するために加工が行われ、消費者の元に届けられる。右/ホタテの貝殻に牡蠣の種をつけるのではなく、専用のバスケットカゴに稚菌を入れ、放し飼いのような状態で育てる方法も実践。「新しい水産ビジネスを示すために、様々な挑戦を実践してきました」と伊藤さん。そのひとつが豊かな海を舞台とし、水産業の6次産業化を試みたこと。これは生産(1次産業)、加工(2次産業)そして販売(3次産業)までを行うことだ。1次+2次+3次で6次になるという意味で、生産からお客様の元に届くまで責任を持って管理することを指している。これにより安心・安全で美味しい商品を、リーズナブルな価格で提供することができるようになった。さらに知識と経験に裏付けされた独自の牡蠣生産法も行なっている。それは「中層延縄養殖法」と呼ばれるもので、深い水深を誇る雄勝湾に適した方法である。まず水深2mほどの海面下に桁網を張れるように浮き玉を調整。そこから牡蠣の幼生が付着した原盤が水深5m以上の深さまで沈むように、長さを調整した下げ綱を吊り下げる。こうすることで菌が多く生息する上層部ではなく、中層で牡蠣を養殖できるわけだ。この養殖方法は上層部で養殖する筏と比べると菌の影響を受けにくいだけでなく、牡蠣の原盤が海表面の動揺に左右される心配が少なく、台風や高波といった災害に強い。おかげで良好な成長を促してくれ、年間を通じて安定した供給量が確保できる。その一方、常に浮き玉の状況を確認しなければならないため、手間がかかる。だが、伊藤さんが掲げた「食卓が笑顔で彩られるようなサービスや商品を提供する」という理念のため、汗を流すことを怠りはしない。このような環境下で、愛情を注いで育てられた牡蠣は旨味や塩味が濃く栄養満点。プリプリとした肉厚の食感も、一度味わえば病みつきになる。世界最高水準の管理体制も実施されているので、安心して口にできるのも嬉しい。厳選!牡蠣&ムール貝ミネラル豊富な雄勝湾の旨味が凝縮。旨味だけでなく栄養もたっぷりと含んだ三陸育ちの牡蠣と、輸入物とは比べ物にならない濃厚でジューシーな味わいが楽しめるムール貝。どちらも一度口にしたら忘れられない食の逸品。家庭で手軽に食べられる加工済みだ。牡蠣ぽんレンジで簡単に調理完了。お酒のお供にも最適商品名:牡蠣ぽん 3袋セット価格:3,300円(税込)商品の詳細はこちら夢牡蠣フライ揚げるだけで本格的なレストランの味が堪能できる商品名:夢牡蠣フライ 2袋セット価格:4,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムールフライ一度食べれば誰もが虜に。他にはない味わい商品名:三陸ムールフライ価格:3,500円(税込)商品の詳細はこちら蒸しムール貝水揚げされた国産ムール貝を最高の鮮度で浜蒸しにした逸品商品名:蒸しムール貝 500g2袋セット価格:3,000円(税込)商品の詳細はこちら三陸ムールのカンカン焼きセットアウトドアでも楽しめる直火可能な缶とともに届く商品名:三陸漁師のカンカン焼き 牡蠣12個セット価格:5,000円(税込)商品の詳細はこちら※こちらは男の隠れ家2023年6月号より一部抜粋しております

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  • 人生を豊かにする鞄【Cavallo for the blue ダレスバック】

    ダレスバックの由来と特徴ARTPHEREの定番モデルであるダレスバックダレスバッグという名称は、アメリカの政治家ジョン・フォスター・ダレス(1888~1959)が1951年、国務長官時代に来日した際使用していたことから世に広まったとされている。ダレスが持っていた鞄は、ハンドルが一本手で前胴側に向かってベロが付いた口枠鞄。マチはそれほど大きくなく、ブリーフケースとしての用途のものであった。ダレスバッグの特徴は、マチ側にあるヒンジを軸に大きく開口する口枠式であること。そして、2つのフレームが上下に重なって閉じる構造であることがポイントだ。つまり、開閉時にマチが変形することを想定した設計が必要である。口枠を包むように革や生地をピッタリと貼り合わせる熟練の技術や、開口時の動きにも耐えうる整ったマチを作る技術が求められる。また、ダレスは口枠の周辺にハンドルが付属するため、重い荷物を詰めこんで負荷が掛かることも想定した口枠と鞄全体の強度やバランスが重要である為、高い技術力が必要とされる。上品さとカジュアルさをあわせ持つ3種類のダレスバック。左から「ブリーフタイプ」、「リュックタイプ」、「ショルダータイプ」。3種類のダレススタイルがリリース。ビジネスシーンでは必須の「ブリーフタイプ」、コンパクトにデイユースできる「ショルダータイプ」、そしてオンオフ問わずに使いまわせる「リュックタイプ」だ。いずれもメインの素材には廃棄魚網をアップサイクルした素材を使用しており、軽量で、且つ耐久性が非常に高いため、厳しい環境下でも気にすることなく使用できる。ダレススタイルの開口部には、アートフィアー製品の特徴であるクイックオープン機能を採用。ワンタッチ錠とフレームの働きにより開閉するアクションが少ないため、開閉の煩わしさがなく片手アクションもしやすい。また、上品なダレススタイルとアップサイクルされた素材の採用により、ビジネスフォーマルからカジュアルな装いにも合わせやすいシリーズである。アップサイクルを行う”ALLIANCE FOR THE BLUE”の取り組み一般社団法人ALLIANCE FOR THE BLUEは、「企業と生活者の共創による、海の豊かさを守る商品づくりと持続可能な仕組みづくりを実践することにより、めぐみ豊かな海を次世代に引き継ぐ」ことを目的に活動している。日本一の鞄生産量を誇る“鞄の街”豊岡市は「海の恵みと暮らすまち」。豊岡鞄は未来に美しい海を繋ぐため「Product for the blue」に参画し、廃棄される漁網再生生地を利用した鞄を送り出す。北海道の道東エリアで回収した廃棄漁網を活用し、ごみの分別や洗浄などを経て、原料となる再生ペレットを製造。製糸、織布の各過程をアライアンスに加盟する複数企業の協働を経たのち、豊岡鞄認定企業により鞄へと生まれ変わっている。「Product for the Blue」は、”廃棄される漁網再生生地を利用し、付加価値をつけて製品として生まれ変わらせるリサイクルを行う”、ALLIANCE FOR THE BLUEの取り組みの一つ。これからも安心して長く使える、人生のパートナーとなる鞄を届けていく。【商品詳細】商品名:カバロフォーザブルー ダレスブリーフバッグ価格:45,100円(税込)商品の詳細はこちら 商品名:カバロフォーザブルー ダレスバックパック価格:42,900円(税込) 商品の詳細はこちら商品名:カバロフォーザブルー ダレスショルダー価格:23,100円(税込) 商品の詳細はこちら

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  • 店主こだわりの本が並ぶ書店

    かけがえのない一冊との出会いを演出するセレクトブックストア。今回は主に新刊を取り扱う東京の書店を厳選。それぞれ店主の思いが詰まった魅力的な空間である。【Title】荻窪まったく新しい、けれどなつかしい古民家をリノベーションした建物。新刊書店として息を吹き返した。ありそうでない、よく吟味された本が並ぶ子どもの頃、町の商店街を歩いていると小さな書店を見つけてワクワクしたことはないだろうか。入口の棚には雑誌の最新号が置かれ、奥には本棚がズラリと並んでいる。大型書店のような品揃えではないが、その分、人気の本がよく選ばれている。JR「荻窪駅」から少し離れた青梅街道沿いにひっそりと佇む書店「Title」は、そんな懐かしさを感じつつ、店主の辻山良雄さんが選んだ今読んでおきたいと思える新刊が並んでいる。「普段の自分でいられる楽な場所が良いと思っていました。荻窪は編集者や作家、デザイナーさんなどが多く住んでいて、土地柄なのか、みすず書房や岩波書店の本などがよく売れるんですよ」と辻山さん。もともと2015年7月に閉店したリブロ池袋本店の統括マネージャーだった辻山さんは、その2年前に母が亡くなり、生き方を見つめ直したいと考えていた時期だった。そして2016年1月10日に自分で小さな書店を開いた。「1000坪あるような大型店だと自分だけでは全てを把握できません。ここでは一冊一冊、具体的に売れ方が見えてきます」店に入ると何だか〝美しい〟と感じるはずだ。よく見ると宣伝用のPOPが、極力飾られていないことに気がつく。「キレイに置いておけば、良い本であれば何かを発するはずです。なるべく本の顔を邪魔しないように、お客さんとの出会いを大切にしてあげたいと考えています」店の奥は8席ほどのカフェスペースになっており、コーヒーを飲みながら購入した本を読むのもいい。また2階はギャラリースペースになっており折々の展示を行う。もうひとつ近年の傾向として注目したいのはSNSなどを活用した情報発信だ。ホームページでは「毎日のほん」と題してお勧めの一冊を紹介。さらにツイッターで刊行記念イベントの告知も行っている。しかし何といっても本拠地は〝リアル書店〟である。「本には一冊一冊に違う世界が入っています。ネット検索だと自分でフィルターをつくってしまいがちですが、書店という前段階の広いフィルターがあれば、目的とは全く違う本と出会える機会にもつながります。1時間以上も本棚を眺めているお客さんもいますよ」と辻山さん。あらためて本の魅力の原点を発見できる場所だ。【H.A.Bookstore】蔵前本の制作・流通・販売を手がける床板や手作りの本棚などに温もりを感じられる空間。本作りから流通・販売まで実践するスタイル蔵前はものづくりの匂いのする町だ。雑居ビルの入口に「本」と書かれた看板。何だろうと階段を上ると一室に小さな書店がある。松井祐輔さんが営 む「H.A.Bookstore」である。丁寧に作られた長く販売できる本が並んでいる印象。リトルプレスなど手に入りにくい雑誌も並び、D.Y.I.で手作りした本棚は温もりがあって本と調和している。もともと出版社の経理部や本の流通を担う取次会社で働いていた松井さんは「本の全てに関わりたい」という思いを抱いていた。その一貫として始めたのがこの書店だ。平日は内沼晋太郎さんが代表を務める「numabooks」に勤務しながら、週末など限定でオープンする。「町を歩く人が偶然立ち寄ってくれたりしています。書店の魅力は、リアルな棚があることで不特定多数の本が視界に入ることだと思っています」と松井さん。面白いのはリトルプレスだ。例えば推薦してもらった廃墟や珍スポットを紹介する「八 画文化会館」は知る人ぞ知るインディペンデントマガジン。また松井さん自身もインタビュー雑誌を手がけている。小さな出版社の新刊なども並び、大型書店では見つけにくい良書を発見できる。「本を売ること、作ることに差異はありません」と松井さんは考えている。今後注目したい「本のある空間」のカタチといえそうだ。【歌舞伎町ブックセンター】新宿「LOVE」の本が並ぶバーの壁面に置かれた本棚。書店だと気づかないお客さんも多かった。ホスト書店員が注目を集めた書店2017年10月、歌舞伎町にオープンして話題となった「歌舞伎町ブックセンター」。バーの一角を利用した書店で、「LOVE」をテーマにした本が並ぶ。といっても恋愛だけでなく人間愛やフェニミズムなど選書は幅広い。書店員だけでなく本物のホストも店頭に立つというのも新感覚である。現在、2019年2月の移転に向けて10月7日に一時閉店したが、同じ歌舞伎町で来年リニューアルオープンする予定だ。「歌舞伎町は居心地が良かったんです。多様な人がいるということが本棚にも表れていると思います」と話すのは書店員のひとりである森山さん。山形や岐阜など遠方から足を運んでくれるお客さんもいたそうだ。オーナーの手塚マキさんも元ホスト。若いホストたちに読書をさせて心の幅を広げてほしいと考えていたのが開店のきっかけだ。「本を通じて色々な人の気持ち、感情を知ってほしい。昔は背伸びをして教養のように本と接していましたが、今は素直になりました。本と共に生活することが好きなんだと思います。手に持って運びたい。人に例えるなら電話するのと会うの、どっちが好き? という感じですね」と手塚さんは笑う。書店だと思わずに立ち寄ったお客さんに本を勧めたり、あるいは逆に教えてもらうこともある。本を通じたコミュニケーションの場だ。移転後の取り組みにも注目したい。【往来堂書店】千駄木世の中の面白いが詰まった町の本屋書店の外観。旬のトピックを収集して棚づくりを行う。文脈棚で知られる地域密着型の新刊書店町の書店と聞いて、人が思い浮かべるイメージがそのまま具現化された空間である。店頭に置かれた雑誌の棚が呼び水となり、店内に足を踏み入れると様々なジャンルの本が過不足なく並んでいる。子ども連れの母親やジョギング中の夫婦など、地域の人たちが立ち寄っては本を探している。店長の笈入建志さんは話す。「本を買ってくれる人は一定数変わらずにいます。名のある著者だから売れるわけではなく、読者に近い企画を立てている本が着実に売れているという印象です」同店は文脈棚と呼ばれる棚づくりで知られる。ジャンルではなく、関連する本を笈入さんの感性で並べて出会いを演出している。「例えば世の中で議論になる出来事は、家族や差別、政治など色々な問題と関係しています。埋もれてしまっている地味な本も集めて棚づくりをしたいです。こんな本もあるんだと気付いてもらえれば、またお店に来てくれるきっかけにもなると思います」こうした新刊書店を巡っていると決して流行だけで本を買う時代ではなくなっていると感じる。「本屋に発見を求めてお客さんは来てくださいます。最近は動物の気持ちに関する本がなぜか動いていましたよ(笑)」気軽に書店に立ち寄ってみてほしい。そこには自分の思いもよらない世界が広がっている。【POST】恵比寿海外出版社から輸入した美術書専門店どれも日本では見ることができないような洋書が並ぶ店内。貴重な洋書を手に取って見られる空間閑静な住宅街に木調の白い壁が印象的な建物が佇んでいる。ガラス張りの向こうには本棚があり表紙が美しく見えるように一冊一冊が丁寧に飾られている。恵比寿の海外の美術書専門店だ。古美術書を扱っていた「limArt」の場所に、2013年より代々木の書店「POST」が移転。古書と新刊を扱うようになった。もともと倉庫だったという建物は趣があり、木の温もりあふれる店内は写真集やアートブックがよく映える。「音楽をレーベルごとに聞いて表現を深掘りするように、出版社ごとに本を見ることで発見があるのではと思います」とストアマネージャーの錦多希子さん。並んでいる本はドイツやフランス、アメリカなど主に欧米の出版社から輸入した貴重な美術書ばかり。デザイナーや写真家などがインスピレーションを求めて本を探しに来る。入口の本棚は各出版社ごとの新刊を並べる特集棚になっており、2カ月ごとに入れ替わる。この日はアメリカのサンタフェにあるラディウスブックス社の本が並んでいた。「美術書は手に取って見ていただくことで、初めて紙の選び方や印刷の風合いなどを感じられます。実物を見ることは代えがたい経験になると考えています」近年は純粋に欲しい、贈り物にしたいという一般の人も多いというが納得の本ばかりである。【森岡書店 銀座店】銀座作り手と読者が喜びを分け合う空間この日は日高理恵子さんの作品集を販売。”一冊の本を売る書店” をコンセプトにして2015年5月にオープンして3年が過ぎた。〝一冊の本を売る〟という斬新なコンセプト。期間を定めて一種類ずつ本を並べ、派生する作家の展覧会などを行うというモデルが当時注目を集めた。店内の床面は黄金比になっており、中央のテーブルに置かれた本が非常に際立つ仕掛け。書店かつ、ギャラリーでもある独特の空間に思わず人は吸い込まれる。「日本の出版文化に助けられている感覚があります。斜陽と言われても世界的に見れば日本の出版点数と質はとても成熟しています」と語るのはオーナーの森岡督行さん。書店の役割がここ15年くらいで変わったと感じているという。そのひとつはコミュニケーションの場になったということだ。「本を作り上げた喜びを作り手や読者の人たちで共有してほしいと思っています。本は経験に近いもので、自分たちの気持ちに及ぼす影響も違う気がしています」約1週間に一冊の本を販売、年間で50冊程度を扱う。どれも森岡さんが素敵だと思う一冊だ。「花見のような感覚です」と笑う。そこで作家と読者が集い、つながる。「本は編集や作家、デザイナー、印刷会社など関わる人がとても多い。色々な方とやりとりをすることで自分にも発見があります」誠実に作られた本を、誠実に販売する。その積み重ねが同店の続いてきた理由だと感じられる。【双子のライオン堂】赤坂選者の推薦本が詰まったおもちゃ箱小説家・辻原登さんも選者のひとり。辻原さんの本も並ぶ。本に囲まれた生活を送りたいという思いから赤坂の住宅街、マンションの1階がそのまま書店になっている。選書専門店の名の通り、選者による本が宝の山のように並んでいる。人文系の本が多いだろうか、しかし選者自体の名前は一見わかりづらい。「あまり押し付けがましくしたくないんです」と話すのは店主を務める竹田信弥さん。念のため、思想家の東浩紀さん、批評家の山城むつみさん、小説家の絲山秋子さんなどが選者として参加している。希望として「100年後も残る本を選んでほしい」と伝えた。もともと高校2年生の時にインターネット古書店を営んでいたという竹田さん。大学を卒業して会社に2年半勤務したが本への思いが断ち切れず、3年目に独立した。「本に囲まれた空間をつくりたかったんです。本を中心に生活が回ればと考えていました」書店では月に5~6回の読書会も行っている。例えばドストエフスキーの5大長編を読むといった課題を決めて、集まった人で感想を交換する。20代から60代まで参加者の年齢層は幅広い。最近は読むだけでなく本をきっかけにして、人と関わることを楽しんでいる人々も多いのである。では本が好きな人の理由とは何だろうか。時としてそれは自身のモチベーションになったり、知的好奇心を刺激したり、つまり「僕たちは本に萌えているということですね(笑)」と竹田さん。※こちらは男の隠れ家2018年12月号より一部抜粋しております

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  • やきものの里探訪【益子焼】

    濱田庄司によって見出された益子焼。土のざっくりとした質感に、柿釉などの釉薬を使った素朴な味わいが特徴だ。栃木県南東部の、周囲を豊かな自然に囲まれた陶芸の里・益子町には、今もたくさんの工房が点在している。濱田庄司と民芸運動により益子焼が一躍脚光を浴びる栃木県芳賀郡益子町。他の古窯と比べると新しく、新たな作家や技法も受け入れている。「陶芸の里・益子は大正期の濱田庄司の出現で大きく変わりました」というのは、益子陶芸美術館の松﨑裕子さんだ。それ以前の益子は、日用雑器の産地だった。嘉永6年(1853)、笠間で製陶技術を学んだ大塚啓三郎が黒羽藩の許可を得て築窯、作陶を始めた。そして明治時代になると民窯へと発展した。「主に土瓶や甕、すり鉢などの日用品が作られていました。大都市・東京から約100㎞圏内にあるため、次第に東京向けに販売されるようになりました」益子焼の名を一躍有名にしたのは濱田庄司だ。大正時代末期から、柳宗悦、河井寬次郎らと、日本の雑器を「民衆の工芸」と呼び、「用の美」を賞賛して、民芸運動を起こした。濱田は益子の土が作風に合ったことなどから、昭和5年(1930)に益子に定住した。「益子で取れる土は必ずしも最良の陶土ではなかった。その魅力を引き出したのは陶芸家としての濱田の力量。濱田庄司は益子の土と釉薬を洗練させて、益子焼の名を高めました」と松﨑さんは話す。肉厚のざっくりとした質感、柿釉や黒釉、糠白釉などによる素朴な味わい、流し掛けの技法など、今日の益子焼の特徴は濱田庄司が引き出したといってよい。現在は城内坂周辺に昔からの窯元が残るが、約500の工房の多くが個人作家として活躍している。「古窯と比べて歴史が浅く、民芸運動の熱気が残る益子は、新しい作家を受け入れるのに寛容です」最近では伊藤剛俊、山野辺彩など、益子の伝統に縛られることなく、オリジナリティあふれる作風の作家が活躍している。窯元【濱田窯】濱田庄司が開いた窯として知られ、三代目が伝統を守りつつも新たな個性を見出す濱田窯を継いでいる三代目の濱田友緒さん。造形に塩釉と赤絵という三代目のオリジナリティ益子の街の中心部から少し離れた高台に、濱田庄司が窯を築いた濱田窯がある。現在、濱田窯を継いでいるのは三代目の濱田友緒さん。今年89歳になる二代目の晋作さんも卒寿記念の作陶展を開催するなど健在だ。ここにはほかに職人が5人。友緒さんは陶芸作家であり、濱田窯で制作する器のデザイナーでもあるという。友緒さんが濱田家三代それぞれの違いを説明する。「祖父を太陽とすると、父は近すぎて明るかったり眩しかったり。僕は地球の位置で距離感がちょうどよかった。祖父は僕が10歳まで付き合ってくれ、やきものを作る喜びを教えてくれました」祖父に似てプラス思考という友緒さん。祖父の薫陶を受けて3歳から陶芸を一生の仕事と決めた。そのために何をどうするかと考えた末、造形力を磨くために多摩美術大学で彫刻を学んだ。「父の代までは民芸という思想の縛りがありました。私は職人の技法に造形感覚を加えています。今までやっていない仕事や技法を、疑問符を付けて、肯定するか否定するか。一つひとつを見直して加えたり、変えたりしています」祖父や父とは違う個性をダイナミックな造形に見出し、さらに現在は赤絵と塩釉に取り組む。赤絵には「益子の重厚な器に、明るさ、軽やかさのある赤絵で表現する面白さ」を感じている。塩釉は庄司がドイツの技法を取り入れ、日本で初めて行った技法である。高温の窯の中に塩を投入すると、塩がガラス質に気化、陶器の柚子肌に付着して独特の風合いを生み出す。「呉須と鉄の色が変化に富んだ色となる、藍色系の作品も作っています。薪の赤松によって柔らかみと渋みが生まれるんです」不易流行。伝統を守りつつ新たな個性を追求する姿勢に、益子焼の進化を垣間見る。窯元【大誠窯】江戸時代から150年以上の歴史を有し、大きな登り窯で伝統的な益子焼を焼く蹴ろくろを使って器を制作中の大塚誠一さん。柿釉、黒釉、飴釉、糠白...益子焼らしい器に出会う幕末の文久元年(1861)に創業した老舗窯元だ。城内坂に面して販売店、奥に工房があり、益子でも最大規模の登り窯を持つ。七代目の大塚誠一さんは、「昔ながらの益子焼をイメージしたやきものを焼いています」と話す。益子で採掘された土、近郊の木を焼いて作る釉薬などを使い、現在も全ての陶器を登り窯に入れ、昔ながらの赤松の薪による焼成で作っている。店内に並ぶ陶器は、柿釉や黒釉、飴釉、糠白などの伝統的な釉薬の器が多く、昔ながらの益子焼らしい作風を残している窯元だ。「益子焼はぽってりとした、温かみのあるやきもの。洗練されてないかもしれませんが、田舎っぽさがいい味わいを出しています。今は伝統的な窯元だけでなく、若い作家も移住してくるので、濱田庄司の引力は凄いと思います」伝統を受け継ぐ作家としても注目したい七代目である。窯元【道祖土 和田窯】伝説の合田陶器研究所の志を受け継いで伝統と現代を調和させた新ブランドが誕生①焼成はガス窯を使用。②益子の伝統的な釉薬とモダンなデザインが融合した、使い勝手の良い器。③現在は「ギャラリー陶庫」のプロデュースで制作。城内坂通りにある同店で販売している。④窯長の伊藤浩二さんは「作家というより職人です」と語る。伝統的な釉薬6種類を使い現代風の食器を制作伝説的な陶芸家・合田好道と、弟子・和田安雄の志を受け継いだ窯元。伝統的な釉薬6種を使いながら、新しい感性でデザインした器を作陶している。一番人気は青磁の色をした益子青磁。ほかに糠白釉、黒釉、並白釉の3種類の釉薬を水玉柄にしたデザイン、合田好道の代表的な技法を生かした「刷毛目」シリーズも人気がある。窯長の伊藤浩二さんは「伝統的な釉薬を使って、時代に合うものを作る。そのバランスを大事にしています」と話す。窯元【わかさま陶芸】素朴でナチュラル感のある生成りシリーズなど現代人の感性に合った器を作る①工房では若い職人さんが働いている。②若い人の感性に合ったデザインの器が多い。③しのぎの技法を使った壺。④若林健吾さんは当初、公募展向けにざっくりした荒々しい質感のオブジェを作っていたが、制作した器が評判となったため、器の工房を造ったという。益子の土と釉薬を使いスタイリッシュな器を制作若林健吾さんは、九谷焼の技術研修所で研修後、加守田章二への〝憧れ半分〟で益子に移住した。益子の土をブレンドして使用し、釉薬も益子の伝統的な黒釉、糠白釉、益子青磁釉を使っている。そして益子焼の伝統にこだわりつつ端正な造形、きれいな色彩の器を制作。粘土の粗さを生かした素朴でナチュラル感のあるkinari(生成り)シリーズは人気がある。「しのぎや絵を入れて、ハンドメイドの良さが残るような器を目指しています」と若林さんは語る。※こちらは男の隠れ家2018年10月号より一部抜粋しております

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  • 小さな秘密基地を造る裏技。

    秘密基地”と聞いてワクワクするのは子供ばかりではない。大人だってそれは同様だ。ただ大人の場合は、日々の生活の中でそれが「ホッとする」場所になるということ。心身共にリセットして明日からまた頑張ろうといった活力も湧いてくる。そして“秘密基地”は小さい方が良い。ジャストフィットな心地良さに身を委ねてみたい。1. マンションの限られたスペースに造った中2階ロフト風の小さな「こもり部屋」東京都 日髙邸63㎡の2LDKのスペースを全てスケルトン状態にして1LDKに変更。左端が“通り庭”。玄関扉を開けて足を踏み入れると、まずはマンションとは思えない土間空間に驚かされる。さらに足元照明に導かれるように奥へと続く〝通り庭〞風の廊下。「京都の町家や通り庭の雰囲気が好きなので、その要素を取り入れたいとデザイナーに相談したんです。ほかにもリノベーションだからこそ実現できたオリジナルの工夫が色々あります」と話す日髙佳祐さん。黒壁のほの暗い〝通り庭〞を抜けて広がるのは明るいリビングダイング。そこは、訪れるゲスト誰もが思わず声を上げてしまう開放感と空気感に包まれている。アカシアの無垢材の床やカウンターキッチン、そしてリビング横にはロフトを造りつけた壁のない寝室ゾーン。実はこの中空に設置された上段のロフトこそが日髙さんの小さな秘密基地なのだ。一見すると収納スペースのようだが、部屋としての機能を重視し、座ってくつろげるよう天井の高さも考慮。本棚を設置して好きな本をずらりと並べ、ここで読書に耽る時間が何より楽しいと日髙さんは笑顔を見せる。時に飼い猫が寄り添ってゴロリと昼寝をするのも至福のひと時。キッチンに立つ奥さんともすぐに目線を合わせられる距離感も悪くないという。ちなみに愛猫が駆け巡れるようキャットウォークの造りも部屋の随所に施されている。また、ロフト下段のベッドスペースは、リビングよりも床を一段下げてやや深さを持たせた空間に。「洞窟のようにこもれる感じがとても心地良いんですよ(笑)」1LDKの空間はあえて壁などで仕切っていない。しかしそこには、こもる感覚の秘密の場所と、温かな家族の一体感が共存している。2. LDKの片隅の小さなスペースに造った趣味の“モノ”であふれるワークスペース東京都 松丸邸キッチンカウンター越しに見たワークスペース。右側は趣味のコーナー、左側は仕事用のパソコンコーナー。狭い空間を上手く利用。扉を開けた瞬間、どこかのショップ(!?)に迷い込んだかと錯覚するほどのインパクト。古いマンションの外観からは想像できない、ポップで存在感のある空間がそこに広がっていた。念願の土間空間にしたエントランスには、自転車やフィギュア、カラフルなスニーカーなどがずらり。お気に入りのモノを飾るためだけに棚を造り、ガラスケースなどを設置したというが、そのディスプレイセンスは見事だ。そしてそのワクワク感はさらに部屋の中へと続いていき、パソコンを設置したワークスペースにも彩られている。カウンターキッチンの向かいに造ったそこは、仕事と趣味を楽しむ松丸さんのとっておきの秘密基地。90㎝四方のパソコンスペースは体の大きな松丸さんにはちょっと狭そうだが、「座るとなぜか収まりが良くて妙に落ち着くんですよね」と笑顔を見せる。右隣にも机と棚を置き、フィギュアやけん玉コレクションの指定席に。古いパソコンはインテリアのひとつだという。実はこのワークスペースは、浴室とウォークインクローゼットの間を利用したデッドスペース。2つに区切られ、しかも奥行きに段差があるのは構造上の問題なのだ。「でも、この小さな空間の集まりが遊び心をくすぐり、フィギュアなどを飾るにはもってこいなんですよ」3. ひとりの時間をゆっくり楽しむための大人の雰囲気に満ちた静かな隠れ家東京都 T.O 邸小さな窓を南北面に設けたことで、明るさを確保すると同時に入ってくる光も部屋の演出にひと役買っている。築43年の古い二世帯住宅の建て替えに伴い、一部を切り離したことでスペースが空き、その空間を利用して隠れ家的なミニ書斎を造ることができたT.Oさん。設計会社にお願いしたのが「書斎として利用するためにカウンターデスクや本棚、ロフトへの階段など、部屋の統一感を出してほしい」ということだった。さらに、古さと新しい素材を上手く溶け込ませるために塗装には特にこだわったのだと言う。そのため、壁の色は何度もやり直し、ようやく写真に写る深みのあるブルーに落ち着いた。ただし、2世帯住宅を分けたことで理想の個人的スペースを確保できたのは良いのだが、収納スペースが母屋側にあったため、それがほぼ無くなってしまった。そこでこの書斎スペースにロフトを設けて一部を収納スペースに割くことにした。おかげでロフトにテレビを置き、趣味の写真をモニターできるスペースも確保できた。「その際に天井を抜いて露わになった古い梁を活かし、机や本棚、ロフトへの階段も着色して古民家風な雰囲気を出しました」とT.Oさん。ざっくりとした素材感のある雰囲気が好みだったので、床にはウォルナットの無垢材を使用し、カウンターデスクと本棚も床材と統一した仕上げで隠れ家的な空間を目指した。「落ち着けるスペース、非常に快適な空間になりました」。4. ガレージ奥のスペースを仲間との語らいの空間に埼玉県 中島邸ガレージの奥の小さな空間が秘密の隠れ家スペース。のどかな田園風景の中に突如現れるアーリーアメリカンな一戸建て。大工でもある中島一弥さんが自ら手がけた秘密基地は、そのガレージの奥にある。「とにかく車とバイクが大好きで、愛車たちを眺めながらくつろげる場所が欲しかったんです。ホントは自分だけの密かな楽しみのスペースにしようと思ったんですが、仲間たちが集まることも多く、共通の話で盛り上がる語らいの場にもなってますね(笑)」と中島さん。ブルーグレーの木の壁がお洒落な2畳ほどのスペース。真ん中にアンティーク調のストーブを設置し、それを囲むように枡形のウッドテーブルを配した。そして折りたたみ式チェアやランタン、お気に入りのアメリカ雑貨などをセンス良くディスプレイ。居心地は良さそうだ。「キャンプのように火を囲む雰囲気ですね。ここでコーヒーを飲みながら車と共に過ごすのが何より至福の時間なんです」と話す。愛車はボルボ240 、エルカミーノ、ワーゲンバス、ハイラックスキャンピングカーなど6台。バイクはハーレー、アイアンショベルX L C H 、エボリューションなど6台を所有する。「車ありき、ガレージありきで造ったまさに趣味の秘密基地です」5. 趣味に没頭するための空間造りにクールなメタル素材の仕切りが活躍神奈川県 Yoshiki邸エキスパンドメタルの仕切りを施した、アメリカの倉庫街を思わせるクールな雰囲気のワークスペース。空間を広く見せるだけでなく風通しもいいのが特徴。仕事や読書をするなどはもちろん、趣味のDIYなどの作業もここで楽しんでいる。二ューヨークのアパルトマンを思わせるクールなインテリア。まさに男の秘密基地というイメージにふさわしいこの収納&ミニ書斎は、網の目が美しいエキスパンドメタルの仕切りを設置したことで、自分の理想の形を実現した。玄関からネイビーブルーの中扉を開けてリビングダイニングへ。この小さな秘密基地は扉のすぐ右手にある。ほぼスケルトンの状態から室内全体をリノベーション。最初はこの部分には何も造らず、可動式のクローゼットを自分でD I Y しようと考えていたというYoshikiさん。「空間を自由に使えるようにと思ったんですが、ちょっと洒落た遊び心を加えたくて、見せる収納プラス書斎ができないかと設計士さんに相談したんです」と語る。ガラスで仕切る部屋などを設計士に提案してみたものの、ガラスに人が映り込むのが気になる、収納が丸見えになる......などの理由で不採用に。結果、勧められたのが圧迫感のないエキスパンドメタルだった。この素材は風通しも良く、適度に目隠しになる。明るさも確保できるので狭い部屋にはもってこいだった。「見た目の格好良さも気に入りましたね。それに合わせて内部は自分でデスクや棚板をDIYで設置。余っていたリビングの床材を使いましたが、簡単に交換できるようにしたので作業するのにも楽です」収納は天井いっぱいまで使えるように工夫した。見せる収納を意識して、キャンプ道具や雑誌などがきっちりと収まっている。「この空間に合うよう椅子にもこだわり、欲しかったジロフレックスを購入しました。見た目の良さはもちろん、座り心地が抜群。いつまでもこの場所にこもっていたくなる理由はこれにもあります(笑)」※こちらは男の隠れ家2018年3月号より一部抜粋しております

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  • 「飾り」のない世界は味気ない【錺之-KAZARINO-】マネークリップ

    京都で約50年間、仏壇や神社仏閣を「飾る」金具である”錺金具”を作り続けている「錺之-KAZARINO-」。”錺金具”とは、お寺や神社、仏壇仏具、神輿や刀装具などを飾るための金具であり、繊細かつ煌びやかな装飾(彫刻など)が特徴だ。錺金具の役割は、高い装飾性により、取り付けられた建造物の美しさを引き立てること、また建造物の補強や保護の機能も果たす。錺金具の「飾る」という力で人を幸せにしたいという思いから、その技術を使って普段の暮らしの中で楽しめるものを創り出している。自分を「飾る」、空間を「飾る」錺之-KAZARINO-」が作る錺金具。「どちらの「飾る」にも人の自信を生みだすエネルギーや気分をわくわくさせる力がある。「飾る」ことの先にはいつも楽しさや前向きな未来がある。目で楽しみ、実際に使用し、親しみを持ってもらうことで、気持ちを高めたり、自信を生み出す手助けとなればいい」、と語る代表の竹内さん。高級感あふれる金属の艶に錺金具ならではの「飾り」の持つ力で、お客様を自然と笑顔にし、自信を満ちさせていくことが「錺之-KAZARINO」のミッションである。錺之のものづくり錺金具で培われてきた伝統的な技術は廃れることなく、機械生産と組み合わせることで活躍の場を広げる。「錺之-KAZARINO-」は、長年培った伝統的な技術に機械の生産性をかけ合わせた、手仕事×機械仕事のものづくり。正確ながらも手仕事が生み出す風合いを大事にしながら現代の技術も取り入れることで、温かみを感じる上質な品となる。日本の美を感じる煌びやかなマネークリップ男の隠れ家PREMIUMにて取り扱いのあるマネークリップ5種。小さくとも目を引く洗練された逸品。このマネークリップは神社仏閣等を飾る錺金具の技術を基盤に作られた逸品。美しい日本を感じさせる控えめながらも上品な柄に併せて、アクセサリーのような艶やかな輝きも持ち合わせている。単なるお札をまとめる道具ではなく、ファッションの一部として楽しめるだろう。スーツなどのかっちりとしたスタイルにも非常によく合い、スマートで個性的な印象を与えることができる。ビジネスシーンでも違和感のないデザイン。デザインだけではなく機能や素材にもこだわりがある。最大15枚のお札が収納可能だが、本体がとてもスリムな構造のため、ポケットに入れていても膨らまない。挟む部分も太めなので、お札がきっちりと固定されるのだ。クリップの曲線はお札の出し入れをスムーズにするために設計されている。大きな財布を持ち歩く必要性もないため、ふらっと出かける時にもこれがあれば便利だ。リン青銅の経年変化の様子。素材はリン青銅を使用。バネ性に優れているため、マネークリップ特有のゆるみが起こりにくいのも嬉しい点。リン青銅は使い込むことで表面が酸化し、独特な味わいが表れてくる。使用を続けることで自分だけの色艶に育てていく楽しみも生まれるだろう。最初の高級感溢れる光沢を楽しみ、手に馴染んだ頃には自分だけの逸品へと変化する。また、リン青銅は抗菌性があることが認められており 、経年変化により変色しても抗菌効果は持続するといわれている。※銅合金の抗菌性については、2008年3月米国環境保護庁(EPA)により「銅、真鍮、青銅などは人体に有害な致死性のある病原体を殺菌し、公衆衛生に効果がある」と認められており、450種以上の銅合金が抗菌性表示の許可を得ていますマネークリップの閉まり具合が緩くなれば対応してもらえる保証制度が整っているのも魅力のひとつだ。購入者には末永く楽しんでほしいという願いを込めた錺之の計らいである。(保証制度については男の隠れ家PREMIUM SHOPよりお問い合わせください。)錺之-KAZARINO-ではマネークリップだけではなく、ドアスコープカバーやバングル、スマートフォンケースなどを扱っており、どれもが製作者の熱い思いを込めて、こだわってつくられている品である。まずは是非「マネークリップ」を試してみてはいかがだろうか。【商品詳細】商品名:マネークリップ 全5種価格:9,900円(税込) カラー展開:槌目、さざ波、七宝、青梅波、唐草商品の詳細はこちら

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  • 大人の夏旅、北海道。【小樽・札幌・積丹編】

    もうすぐ夏本番。そして今年も亜熱帯のようなうだる暑さになるのが目に見えている。いっそのこと街を脱出して、青い空に涼やかな風の北海道に足を運ぶのはどうだろう。北の大地は、観光地も多く海の幸を筆頭に数多くのグルメも楽しめる夏旅の定番だ。さらに「北海道遺産」のスポットを巡っていけば、より思い出深い旅になるだろう。北海道ドライブ旅のテーマは「北海道遺産」。旅慣れていてもその意味合いや全貌を知る人はそれほど多くはないだろう。北海道遺産には北海道旅をより深くより楽しくするスポットが目白押しなのだ。小樽・札幌・積丹エリア年間を通じて多くの観光客が訪れる小樽・札幌・積丹(しゃこたん)の道央エリア。今なお北海道開拓の足跡を見ることができ、北海道の貿易や街づくりの拠点ともなった道央エリアの北海道遺産を紹介する。SPOT1 ニッカウヰスキー余市蒸溜所昭和11年以来ウイスキー造りの火が続くニッカウヰスキーJR「余市駅」と向かい合うように建つ余市蒸溜所正門国産ウィスキー造りに生涯を賭けた男の聖地明治2年(1869)、明治政府は開拓使を設置し、蝦夷地を北海道と改称した。そして2年後には開拓事業の本拠地を函館から札幌へ移転。以来、北海道の発展は札幌を中心とする道央地域を抜きには語れなくなった。という背景もあり、この地域には北海道開拓の足跡が随所に残されている。そのため近代日本の産業を牽引してきた歴史を、肌で感じられるのだ。まずはそんな遺産の代表格と言える「ニッカウヰスキー余市蒸溜所」を訪ねてみた。ここは昭和9年(1934)、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝により、同社初の蒸溜所として建設された。余市が選ばれた理由としては、良質な水が豊富だったこと、原料となる大麦を集めやすい地であったこと、鉄道の便があることなどが挙げられる。加えて豊かな自然と夏でも涼しい気候が、本場のスコットランドに通じていたからだという。確かに、大都会の札幌から余市へとドライブすると、どんどん空が高く広がっていくのと同時に、空気が澄んでいくさまをはっきりと感じられる。眼前に広がる群青色の日本海も、ウイスキーの味に深みを与えてくれるのだろう。そしてもうひとつ、忘れてはならないのが、この地からは良質のピート(草炭)が採取できることだ。「ウイスキーは北の風土によって育まれる」という確固たる信念を抱いていた竹鶴にとって、余市は自分が理想とするウイスキー造りの条件を完璧に満たしていた地であった。そんな余市の蒸溜所にポットスチルが据えられ、火がくべられたのは昭和11年(1936)のこと。以来、当時と変わらない製法でウイスキーが造られている。余市蒸溜所に一歩足を踏み入れると、札幌軟石で造られた尖り屋根の工場群に目を奪われる。鮮やかな赤い屋根の向こうにある青空は、まるで絵画の背景のようだ。事務所や見学者の待合室となっている蒸溜所正門、現在は蒸溜液受タンク室となっている貯蔵庫、同じく混和室となっているリキュール工場など、9棟が国の登録有形文化財に認定されている。「建造物だけでなく、ウイスキー製造工程と平成10年(1998)に貯蔵庫を2棟改築して造られたウイスキー博物館の見学も楽しめます。博物館内では10年もののシングルカスクウイスキー(原酒)の試飲ができますよ」と、北海道工場総務部長の高橋智英さん。今年で創業85年目を迎えた蒸溜所にとって追い風となったのが、平成30年(2018)12月8日に後志自動車道の余市ICまでの23・3㎞区間が開通したこと。これにより札幌の中心地から蒸溜所まで、クルマで1時間もあれば行けるようになったのだ。SPOT2 開拓使時代の洋風建築明治人の開拓精神が息づくハイカラな建物明治14年(1881)に撮影された豊平館。現在は中島公園内に移築された。白い下見板にウルトラマリンブルーを使った枠まわりが美しい。正面中央部の棟飾りなどには、開拓使の建物であることを示す五稜星があしらわれる。明治人の気概と共に、異国情緒を感じる建物札幌の街中には、開拓使によって建設された洋風の建物が10棟近く遺されている。その中で当時の雰囲気を今なお残しているのが、開拓使官営のホテルとして明治13年(1880)に完成した「豊平館」だ。今は中島公園内に移築されているので、都会の中のオアシスのような存在となっている。「アメリカ風の建築様式にもかかわらず、各部屋の天井を飾るシャンデリアの吊元を飾っている円形の装飾は、日本独自の漆喰を使っています。それは幕末から明治初期に活躍した、伊豆松崎出身の入江長八の流れをくむ職人の手によるものと考えられています」(ガイド・猪股修輔さん)豊平館の外壁には、鮮やかなウルトラマリンブルーの顔料が使用されている。それとは対照的な木造のシックな建物が、開拓使の貴賓接待所として利用された「清華亭」だ。この建物は札幌初の都市型公園「偕楽園」の中に建てられていた。その最大の特徴は、全体に洋風の造りであるが、随所に和風の様式を調和させている点。和洋室併設住宅の先がけなのだ。今は閑静な住宅街にポツンと佇んでいる。建物の周囲には木立が茂っているため、往時の姿を容易に思い浮かべられる。風が吹くと木の葉がザワめき、それが開拓使の歓声のようにも聞こえてきた。そして忘れられないのが、明治11年(1878)に札幌農学校の演武場として建てられ、今では北海道のシンボル的な存在となっている「時計台」である。これは日本最古の塔時計で、バルーンフレーム構造という木を鱗状に重ねた外壁が特徴。今も2階ホールで音楽会などが行われる。札幌の中心地に位置するだけあって、カメラを手にした観光客の姿が、ほぼ終日にわたり途切れることはない。市内を巡る観光馬車と行き会えば、絶好のシャッターチャンスとなるだろう。SPOT3 札幌苗穂地区の工場・記念館群北海道における産業の発達を伝える施設明治時代の雰囲気をそのまま今に伝える博物館が入った開拓使館外観。日本近代産業の礎となった工場と記念館が建ち並ぶ「産業の街」と呼ばれている札幌市の苗穂地区。ここは豊平川の豊富な伏流水や、貨物輸送の利便性が着目され、明治初期から工業地帯として発展してきた。今も醤油製造を続け、全道一のシェアを誇る福山醸造をはじめ、大小様々な工場や倉庫がひしめいている。そんな下町情緒あふれるJR函館本線「苗穂駅」近隣には、北海道の産業史を振り返るうえで欠かせない「北海道鉄道技術館」「サッポロビール博物館」「雪印メグミルク酪農と乳の歴史館」「千歳鶴酒ミュージアム」などがあり、記念館群が形成されている。これらの工場群と記念館群がまとまり、北海道の産業史を後世に伝える北海道遺産に認定された。周辺に足を踏み入れると、まるで明治時代の活況が目の前に浮かんでくるような感覚に陥る。なぜだか昭和の香りも漂ってくる。それは古い工場が集まっている場所に漂う、独特の懐古感に包まれているからかもしれない。赤煉瓦や石壁に囲まれた路地は、工場好き人間には堪らないご褒美なのだ。そこでまず目に飛び込んでくるのが、明治の面影を色濃く残す赤煉瓦造りの「サッポロビール博物館」だ。サッポロビールの歩みを中心に、日本のビール産業史を豊富な資料や映像、ポスター、さらには実際に工場で使われていた実物資料で振り返ることができる。「昭和40年(1965)から平成15年(2003)まで札幌工場で使われていたこの煮沸釜は、直径が6.1m。500ml缶に換算すると、何と17万本に相当する仕込みができます」(サッポロビール博物館副館長・久保喜章さん)昭和52年(1977)、酪農と乳業の発展の歴史を後世に正しく伝承する目的で、雪印メグミルク札幌工場の隣に「酪農と乳の歴史館」が建てられた。館長の増田大輔さんによると「バターなどの乳製品お製造工程を、わかりやすくご説明しております。」とのこと。館内には創業当時のバター作りの機械や、製造ラインを再現した模型など、興味深い展示が目白押し。乳製品の試飲が楽しめるだけでなく、実際に稼働している工場を見学することもできる。SPOT4 北海道大学札幌農学校第2農場近代農業史を伝える最古の洋式農業建築群奥が模範家畜房のモデルバーン。外壁の板が縦に張られているのがアメリカ流。2階に乾草を格納していたため背が高い。手前は明治42年(1909)に建てられた牝牛舎。外壁の板は日本風に横張りで、サイロが附属するので背が低い。明治期の洋式建築技術の粋に触れてみる「第2農場は、札幌農学校が開校した明治9年(1876)直後から90年近く続いた研究施設です。約1万9000㎡の敷地内で、家畜を使った洋式農法を実践していました。明治10年(1877)に建てられたモデルバーンやコーンバーン、明治42年(1909)に建築された牝牛舎など、9棟の施設が現存しています」(北海道大学名誉教授・近藤誠司さん)モデルバーンは最古の洋式農業建築で、初代教頭のクラーク博士が前任のマサチューセッツ農科大学で1869年に建設した畜舎をモデルにしている。牛と馬の家畜房のほかに、牧草の乾燥収納庫を備えた木造2階建てで、地下を有する3層となっていた。モデルバーンと同じ年に建てられたコーンバーンは、トウモロコシを貯蔵するための施設。高床式の木造2階建てで、ねずみ返しが付いている。どちらもツーバイフォーの起源といわれる「バルーンフレーム方式」という工法。近藤さんによれば「日本の大工が独自に手を加え、日本の気候風土に合わせアレンジしている」という。SPOT5 札幌軟石開拓時代の建築資材の主力を担った凝灰岩札幌市資料館は、大正15年(1926)に札幌控訴院として建てられた。当初は札幌オリンピック関係の資料や札幌にゆかりのある文学関係の資料が展示されていた。現在は控訴院時代の法廷を復元している。札幌や小樽で見られる独特な石造りの建物札幌の街を歩いていると、日本では珍しい石造りの蔵や倉庫をよく目にする。使用されている石材は約4万年前、支笏湖を形成した火山活動での火砕流が固まった岩石で「札幌軟石」と呼ばれるものだ。加工がしやすく、防火性に優れた特性だったから、開拓使が廉価な不燃建材として広く使用した。老朽化が進み、建て替えも増えたというが、それでも札幌市の中心街には、いまだ現役の建物も多い。しかも店舗も少なくないので、街中散策を兼ねて探して回るのも悪くない。散策後は札幌を後にして、炭鉱の街・空知へ向かう。SPOT6 空知の炭鉱関連施設と生活文化日本の近代化を支えた国内最大の産炭地目を奪われるほどの迫力をもつ「旧住友奔別炭鉱立坑櫓」。櫓の高さは51m、地下は-735m。昭和35年(1960)に稼働、昭和46年(1971)には閉山した。観光資源として新たな活用が注目される炭鉱空知地域には最盛期であった1960年代、約110の炭鉱があり、約1750万tもの石炭を産出する国内最大の産炭地であった。日本の近代化を支え続けた炭鉱だったが、エネルギー政策の転換によって1990年代、空知の坑内堀り炭鉱は全て閉山する。だが今も広大な地域に立坑櫓や炭鉱住宅、炭鉱鉄道関連施設など、ヤマ(炭鉱)に関する多くの記憶が遺されている。まずはJR「岩見沢駅」前にある「そらち炭鉱の記憶マネジメントセンター」で、情報を仕入れるのが得策だ。「実際に炭鉱で働いていた方を中心としたガイドのお話を聞きながら、旧住友赤平炭鉱立坑櫓の建屋内部や坑内で使われていた大型機械が展示されている自走枠工場などを見学するツアーや、閉山で廃校になった小学校を利用して彫刻家の安田侃氏の作品を常時展示している美術館・アルテピアッツァ美唄など、見どころは盛りだくさんです。炭鉱関連だけでなく、様々な情報をお伝えできますので、立ち寄ってみてください」(事務局員・横山真由美さん)空知の炭鉱関連施設を巡る場合、エリアがあまりにも広大なのでクルマ移動が欠かせない。移動中も美唄市光珠内町~滝川新町まで、日本一長い29・2㎞の直線が続く国道12号線など、いかにも北海道らしい夏の風景を楽しめる。※こちらは男の隠れ家2019年8月号より一部抜粋しております

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  • やってみません?ソロキャンプ。

    ファミリーキャンプブームを経て今、ソロキャンプが注目を集めています。ソロ=ひとり。焚き火を起こし、酒や料理を楽しむ。何かをしなくてはいけないという決まりはありません。誰にも邪魔されない、ひとりだけの時間。そんな贅沢なソロキャンプ始めてみませんか?Mt.Fuji CAMP高原の夜空と朝霧を味わえる富士の麓の高原キャンプへ。思い立ったら即座に行動に移す。ソロキャンプ最大の強みはまさにそんな機動力であろう。相棒がどこへでも行ける4WDであれば言うことなし。道具を放り込み気ままに進路をとろう!高速道路を西へと向かうと雲の中から霊峰がお出迎え勢い良く雲は流れ、空にはみるみる青色が広がっていく。白く分厚い雲の彼方に完全に隠れていた富士山も、裾野部分が姿を現してくれた。しばらく眺めていると、時おり山頂付近も顔を出す。富士五湖のひとつ、西湖の畔でひと休みしていると、訪問を歓迎してくれているかのような天気となった。雨の心配がない予報を耳にしたある朝、愛車のジムニーにキャンプ道具を積み込んで家を後にした。どこに行くかは気分次第。とりあえず高速道路に乗り、車を西へと走らせる。その途中、富士山方面を目指そうと思いついたのだ。右上/地元の野菜だけでなく、様々な地場産品を取り扱う物産館がある「道の駅なるさわ」。右下/「ここでしか買えない」という文字に吸い寄せられ、鹿肉ソーセージをゲット。中上/広々としたスペースに朝採れ野菜がふんだんに並ぶ。中下/場内には富士山の湧水を汲めるスポットもあり。左上/名物のトウモロコシも見逃せない。左下2点/早朝から営業している「栄屋」は、今では珍しい自家製の手打ち麺を使っている。肉玉力うどんは450円。中央高速の河口湖ICを出たのは、朝の8時を少し回った頃。ここで小腹がすいたので、富士吉田名物「吉田のうどん」で、まずは腹ごしらえ。おあつらえ向きに、インターの近くに8時15分営業開始の「栄屋」を発見。まずは朝イチうどんを味わった。うどんに舌鼓を打った後は、9時にオープンする「道の駅なるさわ」へと足を運ぶ。ここには地元の食材を豊富に揃えている物産館があるので、新鮮な地元産の朝採れ野菜や珍しい地場産品などを買うことができる。これで夕餉の食卓が華やかになるだろう。買い物を済ませた後、せっかくなので近くの西湖を訪れると、冒頭のような好天に遭遇した。ここですっかり気を良くした私は、さらに先までドライブを楽しむことを即決。西湖にもキャンプ場はあるが、より富士山の勇壮な姿を愛でることができる、静岡県の朝霧高原まで足を延ばすことにした。富士山西麓の標高700〜1000mの広大な地域に広がる朝霧高原は、ほぼ全域で富士山の姿を望むことができる。そんな最高のロケーションでキャンプができれば、他には何も望まない。こうして気ままなソロキャンプの目的地は、気まぐれに決定したのである。広大な草原のキャンプ場で富士山を望むサイトを構築上3点/芝生ながら車での乗り入れができ、道具の積み降ろしも楽。地面は軟らかいので、ペグは楽に打ち込める。下/空いている時は贅沢なほど広い場所を占拠できる。私のサイトもひとりでは贅沢すぎるほどである。若い頃に山歩きやシーカヤックで島から島へと漕ぎ渡っていた時、宿泊手段は当然のようにキャンプだった。その後、子どもが小学生になると、夏には決まってファミリーキャンプを楽しみに全国各地へ出かけたものだ。しかし、子どもが成長し、あまり親と一緒に行動しなくなると、すっかりキャンプから遠ざかっていた......。そんなある日、週末にポッカリと時間ができた。その時、即座に頭に浮かんだのが「ひとりで気ままにソロキャンプでもしてみようか」ということだった。ソロキャンプなら目的地や出発時間など、全て自分ひとりで決められる。以来、車に道具を適当に放り込み、行く場所も決めずにひとりでキャンプを楽しむようになったのだ。そして今回は、日本有数の面積を誇るフリーサイトが自慢の「朝霧ジャンボリー オートキャンプ場」(静岡県富士宮市)に一泊することに決めたのであった。このキャンプ場の魅力は何といっても富士山の眺望と、光害に邪魔されない満天の星、さらには全面芝生の広大なサイトだ。区画にすれば350サイトはありそうなのに、一日の利用者を200サイトに絞っているのもいい。実際、この日は空いていたため、どこにサイトを作るか迷ってしまったほど。と言うのも、残念なことに朝霧高原は午後になっても霧のような雲が晴れなかった。この分だと今夜、楽しみにしていた星空を望むのも怪しいかも......。それでも夕方になれば富士山が顔を出すかもしれない。そう考え、数日前からキャンプをしていると思われるカップルに「富士山はどの方向に見えますか?」と尋ねた。「あっちですね」という彼の言葉が決め手になり、サイト作りに取りかかった。テントはソロキャンプにもぴったりのノルディスクのユドゥンミニ、さらにタープはカーリ。そして1時間ほどで、晴れれば富士山が借景になる(はず?)の極上サイトが完成した。時と焚き火の炎が許す限り気ままな食事を堪能するソロキャンプの楽しみは何と言っても食事に尽きる。誰にも遠慮せず、好きなだけ時間をかけてとっておきの献立を用意したい。そしてお気に入りの酒と共に、夜が更けるまでのんびりと味わう。これこそ誰にも遠慮しない、ひとりだけの贅沢である。しかも車を使ったキャンプなので、ダッチオーブンや焚き火台、さらにはトライポッドのような、大物道具も持ち込める。それだけで料理の幅も広がる。というわけで、今回のメイン料理はユニフレームのダッチオーブンで作る、超手抜きの和風ビーフシチューに決めていた。それに途中の道の駅で購入した新鮮野菜のサラダ、さらにジビエ感いっぱいの鹿肉ソーセージを加えることに。ビーフシチューはダッチオーブンの特性が最大限に活かせるメニューだ。牛すね肉の塊を適当な大きさに切って塩コショウを振って小麦粉をまぶす。それを焼いたら一度鍋から出し、ニンニクとタマネギ、セロリのみじん切りを炒め、再び牛肉を戻し、そこに赤ワイン、水、ドミグラスソース、隠し味のしょうゆを加えて煮込む。しばらく煮込んだらジャガイモとニンジンを加え、さらに煮込めば完成。シチューの煮込みが完了するまでの間、飲むために用意しておいた赤ワインを抜く。ここで満天の星と富士山のシルエットにひとりで乾杯、となるはずであったが、この夜、あいにく空一面を覆う雲が晴れることはなかった。持参した双眼鏡で空を眺めてみたものの、星どころか月も顔を出していない。それでも雨が落ちてくることはなく、焚き火の炎をゆっくりと愛でつつ、ワインのグラスを傾けた。そして時間を気にせずに作った料理は、思いのほか旨かった。やはり自然のスパイスが効いたのか。焚き火の炎が小さくなるまで、ひとり時間を存分に楽しんだ。天気が良ければ星明かりだけで過ごせるほどの星空が広がるはずであった。月明かりがあれば、富士山のシルエットも見える。それらは叶わなかったが、夜の暗さと静けさ、さらには冷たく澄んだ空気が自然との一体感を感じさせてくれた。いつになくゆっくりと、そして何度もワインを口に運んでいた。翌朝、明るくなってきたのと同時に目覚めると、キャンプサイトはその名にふさわしい朝霧に包まれていた。体が引き締まるような冷んやりとした空気が心地良く、早々と行動を開始。普段は食べないことが多い朝食も、キャンプでは欠かせない要素だ。お酒を飲んだ翌朝の体に優しい、野菜を中心にしたメニューをチョイス。それはスペインやポルトガルの冷製スープ、ガスパチョ風の野菜スープだ。男のソロキャンプの朝食であってもきちんと食事するのが私の決まり。簡単ではあるが美味しい朝食になった。片付けを済ませ、双眼鏡片手にサイト周辺を散策する。すると様々な野鳥の姿を見ることができた。今回のキャンプでは、お目当ての富士山と星空を目にすることは叶わなかった。でもそれは次回へ持ち越すお楽しみにしよう。朝霧ジャンボリー オートキャンプ場広大なフリーサイトの他、電源付きサイト、リビングに電源や炊事場まで付いたプレミアムサイトも用意。炊事に使用する水は富士山の天然水。本格派からレンタル派まで満足できる設備。静岡県富士宮市猪之頭1162-30544-52-2066アクセス/中央自動車道「河口湖IC」より約35分 HP/ asagiri-camp.net/※シーズンによって料金が異なりますのでお問い合わせください。※こちらは男の隠れ家2019年10月号より一部抜粋しております

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  • 甲州で美味しい〝ひとり旅〞

    景色、温泉、料理、時間…全てあなたが独り占め!人が旅に出る、そして旅に出たい理由は様々だ。例えば気心が知れる仲間と楽しい時間を過ごしたい、それは楽しい旅になることを疑う余地もない。でもたまには違うスタイルの旅もいいんじゃないだろうか。ひとりで気ままに、そして時間を自由に使う。次の予定は考えないで気に入った場所でのんびりする。そこには今までの旅で見えなかった風景があるかも知れない。笛吹川温泉別邸 坐忘(山梨県甲州市)気ままに過ごせる時間を満喫。春の息吹を感じて甲州で美味しい〝ひとり旅〞。笛吹川フルーツ公園の中腹の展望地。公園内のいたるところから富士山と盆地の絶景が望める。東京都心から列車でも車でも1時間半ほどの便利なアクセス。甲府盆地の東に広がる甲州エリアはそんな身近な距離にありながら、壮大な自然景観や歴史浪漫、日本一のワインの里など大人の楽しみが尽きない。そしてひとり旅の荷を解き、とっておきの温泉宿で過ごす時間もまた極上だ。富士山の勇姿を眺め歴史とワインの里を巡る近くの山稜の雪はすっかり溶けているが、その先に顔を出す霊峰富士はまだまだ白く輝いていた。澄んだ空気が凛々しい姿をより際立たせている。眼下に桃の花が色づく4月以降はぼんやり霞むことも少なくないそうだが、ここからの眺めはまさに特等席。桃源郷にも例えられる春の甲府盆地と富士山の一幅は、さらに美しさを増すだろう。最初に足を運んだのは「笛吹川フルーツ公園」。花の広場や日帰り温泉などの施設があるどちらかというと家族向けの場所だが、ひとりこの眺望地に立ったのは、これから巡る地とやはり富士山の勇姿を見ておきたかったからだった。昨今は夜景スポットとしても大人気。夜に再び来てみるのもいいかもしれない。公園からは甲州市方面へと下り、甲府盆地東部の塩山と勝沼へ。宿に入る前に町をぶらり回って、早春の甲州路を楽しむことにした。甲州といえば武田信玄が権勢をふるった地として知られている。塩山周辺には武田家ゆかりの神社仏閣が数多く点在しており、なかでも信玄公の菩提寺・恵林寺は夢窓疎石が開山した名刹として知られる。杉木立が続く参道から赤門、三門をくぐって開山堂へ。歩みを進めるほどに厳かな雰囲気に包まれる。静かに手を合わせ、戦国の名将に想いを馳せた。さて、近年は日本ワインが世界的にも高い評価を得ている。山梨はその日本ワイン造りの発祥地であり生産量も日本一。江戸時代からブドウは勝沼宿の名産ではあったが、ワイン醸造は、明治初期にフランスに留学した土屋龍憲と高野正誠の2人の青年が取り組んだことに始まる。勝沼を代表するワインは、固有のブドウ品種〝甲州〟で醸造する白ワイン。赤はマスカットベーリーAが主要品種。今回は、最近気になるそれらのワインを楽しみ、そしてワインに合う料理、そして温泉を楽しむことが旅の目的のひとつでもある。南アルプスを望み、ブドウ畑が連なる勝沼の丘陵地。現在、勝沼のワイナリーは30余り。その中で訪れたのが日本最古のワイナリー「まるき葡萄酒」だ。先出の土屋龍憲の醸造所を引き継ぐ創業1891年(明治24)のワイナリーだが、歴史だけでなく革新的な取り組みをしているのも興味深い。〝不耕起草生栽培〟という〝人の手をあまり入れずに自然に近い状態での栽培〟方法とサスティナビリティ(持続可能性)。ブドウ畑で雑草を食べてくれる羊の存在もその一環なのだという。畑で目が合った羊の可愛さとこだわりワイン。テイスティングも楽しんだが、そのワインをしっかり堪能するため予約したのが今宵の宿である。゛ごちそう〞でもてなす極上の温泉宿でのひと時「冴え返る」の季節の言葉が記された如月の献立より。厳しい冬から、芽吹きの春を予感させる麗しい一皿一皿が目と舌を愉しませてくれる。料理と調和する器のこだわりも見事。お茶事にのっとり、今炊きあがったばかりの一口ご飯とおみそ汁、向付けから始まる。②甲州牛みそ幽庵焼。合わせるワインは赤の樽ベーリーA。③最後に出される湯桶の焦がし湯。寒蜆ごはん。湯桶も茶事に欠かせないもの。④蛤や牛蒡、菜の花が彩る煮物椀。⑤鶉山椒焼と甲州の辛口ワインのマリアージュ。⑥鰯の梅煮や煮大豆などが盛られた八寸。⑦預鉢。寒野菜寄せとずわい蟹のあん。⑧強肴。うの花和えと小肌宿の名は、「笛吹川温泉 別邸 坐忘」。実はここは「まるき葡萄酒」と同グループの温泉宿だ。〝坐忘〟が意味するのは「喧噪を離れ、雑念を忘れる時のごちそうを」。心静かに過ごしたい旅人を、非日常へと誘う宿の極上のもてなし。この宿に決めた理由のひとつには、ワイナリー系列宿という独特の魅力もあるが、ひとり旅でも心地よく過ごせる宿ならではの多彩な〝ごちそう〟が用意されているからでもあった。ワインの味と香りに心遊ばせながらひとり本のページをめくる幸せ。客室でひとり静かに本を読んで過ごすひと時。まず旅の疲れがゆるむのがスタッフの笑顔。また、随所に配された生花の彩りも心を和ませてくれる。そして最初のキーワードは〝時のごちそう〟である。通された客室は2015年築の別邸離れ。庭の小路に趣ある全8室が佇み、各客室専用の露天風呂付き。和室とベッドルームがあるゆとりの空間は、雰囲気がそれぞれ異なる。さっそく荷を解き、浴衣に着替えてひと息ついた。客室は他にも本館の和室、贅沢さを極めた庭園露天風呂付き和洋室など様々な部屋が用意されている。〝時のごちそう〟は、本好きを喜ばせる空間にもある。今回も本を携えてきてはいるが、宿には大きなライブラリーがあり、ソファが配された開放的な空間はとにかく居心地がいい。蔵書はアート系を中心としたラインナップ。気に入った本は購入もできるという。さらに特筆すべきは、何とこの部屋で「まるき葡萄酒」のワインのテイスティングが自由にできること。食事前に軽く愉しむワインと読書のひと時。まさにこれも〝時のごちそう〟だろう。温泉はまさに“湯のごちそう”。大浴場は異なった雰囲気の浴室が2つあり、それぞれに室内風呂、風流な露天風呂が設えられている。ひとつには名物の洞窟風呂があり、奥の岩壁から温泉が滔々と流れ出ている。温泉は全て源泉かけ流し。アルカリ性のpH値の高い湯は、美肌の湯としても知られる。朝には男女ののれんが入れ替わる。さて、次は〝湯のごちそう〟。つまり温泉である。客室の露天風呂はもちろん、大浴場の湯船も露天風呂も温泉は全て源泉かけ流し。pH値9・1の透明湯は滑らかな手触りで、美肌の湯としても人気だ。また、露天風呂から続く洞窟風呂も探検気分がそそられてちょっと楽しい。ほんのり硫黄が香る柔らかでややぬるめの湯は、体を優しく包み込むような感触。ふと見上げると、湯気の中に見える木々の芽が春が近いことを教えてくれていた。そして湯上がりに待っているのが〝山のごちそう〟の至福の時間。しかも別邸離れの食事は少し特別だ。専用食事処は築140年の古民家。重厚な柱や梁と洗練されたインテリアが調和する空間で、「茶料理 懐石まる喜」と命名されている。そこで供されるのは字の如く茶料理。懐石の決まり事を踏まえた一汁三菜から始まり、もてなし役であり料理人である主人の保坂実さんが記した献立に沿って、季節香る料理が一品一品登場。旬の食材も器類も保坂さん自らが全て吟味し選んだものだ。こう例えるのも変だが、麗しく凛とした味わいとでも言うべきか。そんな料理が目と舌をうならせるのだ。そしてもちろん、料理とともにグラスを傾けたいのがワインである。3種飲み比べを選ぶと、料理に最適なマリアージュで提供。今回は、鶉山椒焼と甲州の辛口、甲州牛みそ幽庵焼と樽ベーリーAの組み合わせなどで。その絶妙な美味しさは、食後もしばらく余韻となって残った。さて部屋に戻ったら、もう少しワインを味わいつつ、ひとりの時間を楽しんでみることにしよう......。※こちらは男の隠れ家2017年5月号より一部抜粋しております

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  • 日本三大夜桜を往く

    名所は数あれど、宵闇に浮かぶ姿はまた見事。風に揺られ、はらはらと舞い散る花びらを今宵は誰と、惜しみながら歩こうかーー。たおやかに咲き誇る夜の桜を求めて天守を囲むように咲く桜(弘前公園)古くは奈良時代、貴族の梅観賞が花見の始まりといわれる。平安時代に梅から桜へとその対象が変わり、桜は花の代名詞となる。江戸時代には八代将軍・徳川吉宗が浅草や飛鳥山に桜を植え、一般庶民も楽しめる場所を各地に造成した。これによって人々は、酒や肴をつまみに花見をするようになったのである。夜桜観賞が親しまれるようになったのは、比較的最近の話である。新潟県上越市の高田公園で、初めて観桜会が開かれたのは1926年(大正15)のこと。この時、高田城の堀にはぼんぼりが設置され、立ち並ぶ桜に電灯が灯された。満開の花々が闇に浮かぶ美しさ。その姿が評判を呼び、日本三大夜桜と称されるようになった。現在では高田公園と並び青森県・弘前公園と東京都・上の恩賜公園が三大夜桜の名所として人気を博す。今年も桜は、競うように咲きこぼれる。艶やかに麗しく、夜の闇を美しく彩る桜を求めて、三大夜桜の地をそぞろ歩いた。弘前公園(青森県)開花時期/4月中旬~5月上旬水鏡に映る輝くばかりの桜が幻想的である1611年(慶長16)、二代目藩主・ 津軽信枚により完成した弘前城。築城時の姿をそのままに残す天守を囲み、咲き乱れるのはソメイヨシノなど約2600本の桜。現在は天守曳屋工事に伴い天守が移設されており、いつもとは違う景観が楽しめる。毎年行われる「弘前さくらまつり」の期間中は日没からライトアップが始まり、22時頃まで園内の桜を美しく照らす。日本三大夜桜の名に恥じない壮麗たる夜桜だ。ひろさきこうえん青森県弘前市下白銀町1アクセス/ JR「弘前駅」より弘前市内循環100円バス(弘南バス)「市役所前」下車、徒歩4分高田公園(新潟県)開花時期/4月上旬~中旬堀の対岸から眺める高田城は桜に囲まれている徳川家康の六男・ 松平忠輝の居城として伊達政宗が造成を手がけた高田城は、石垣を持たず土塁の上に三重三階の櫓が建てられた。明治期に入ると廃城令のため取り壊されたが、1993年に高田市によって再建された。日没になると園内に咲く約4000本の桜が、3000個以上のぼんぼりに照らされる。その光景は壮観のひと言。たかだこうえん新潟県上越市本城町44-1アクセス/えちごトキめき鉄道「高田駅」より徒歩15分上野恩賜公園(東京都)開花時期/3月下旬~4月上旬花見客で賑わう公園内。春の風物詩となった江戸時代から花見のメッカとして愛されてきた上野恩賜公園。日本でも有数の花見客が訪れるスポットとして名高い。天海僧正が吉野山から移植させたという桜は、公園通りを中心に約1200本が咲き誇る。夜にはぼんぼりに明かりが灯され、期間中は200万人以上の花見客が訪れ、賑やかな酒宴が繰り広げられているのである。うえのおんしこうえん東京都台東区上野公園5 -20アクセス/JR「上野駅」より徒歩2分※こちらは男の隠れ家2017年4月号より一部抜粋しております

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  • 京都の路地裏ひるごはん

    京都の雰囲気や味を堪能したいけれど夜の名店はなかなか暖簾をくぐれない。それならお昼ご飯時に訪ねてみよう。気軽に敷居をまたぐことができ、京都の味も佇まいも十分堪能できる。昼に京料理が愉しめる路地裏の名店をご紹介。蓮月茶や〈東山〉京都随一の名刹を目前に佇む創業百二十年の豆腐料理店歌人・大田垣蓮月に由来する趣深い豆腐料理の専門店知恩院と青蓮院門跡を目前にする風情たっぷりの店構え。東山の有名観光地へのアクセスも抜群の立地にある。風流な名称に惹かれ、店の暖簾をくぐる。京都を代表する料理のひとつでもある豆腐料理。新旧様々な店があり、どこへ足を運ぼうかと悩むところだが、この店の、豆腐ではなく“豆富”と書く粋な例えと、幕末の歌人・大田垣蓮月に由来する店名にまず心が動かされる。店は明治33年(1900)の創業時から知恩院と青蓮院門跡を目の前にする東山エリアの静かな場所にある。それぞれの寺域の木々と溶け込むような佇まいは情緒たっぷり。例えば春は、座敷の窓から知恩院の桜が借景となって眺められる。華やぐ景色と共に味わう豆富料理はまさに贅沢そのものだろう。店名由来の大田垣蓮月は知恩院山内華頂宮譜代の息女として育ち、歌人、陶芸家として名を馳せた人物である。豆腐が大好物で「おかべとお野菜さえあれば何も要らぬ」という言葉を残したほどだった。“おかべ”とは京言葉で豆腐のこと。白壁=おかべに例えて、そう呼ぶのだそうだ。昼の「とうふ料理コース」。梅酒の食前酒から始まり、川の流れに見立てた滝川豆富、かにみそ豆富や豆富グラタン、そして湯どうふなど、滋味に富んだ京らしいやさしい料理が並ぶ。品書きは季節で内容が少し変わるものの昼食は「とうふ料理コース」(3000円)ひとつのみ。生麩のしぐれ煮、滝川豆富、かにみそ豆富、生麩田楽、豆富グラタン、ゆば煮と高野豆富、湯どうふなど豆富づくし全10品が膳を賑わす。夜は生ゆばが増えて11品になる。「蓮月尼が好んだお豆腐を、様々な形の料理で味わっていただきたいのです」と、語る主人の黒川篤さんは店を引き継ぐ四代目。創業時は甘酒茶屋として開業した。その後、甘酒と湯豆腐を提供する店として長く歴史を刻んできたが、現在は甘酒をやめて豆富料理専門店に。店も往時の面影を残しつつリニューアルした。因みに豆腐を豆富の字にあてたのは初代の頃からで、滋味に富んだ豊かな味わいは、後者のほうが相応しいという思いからだったという。「お豆腐は白川の“山崎豆腐店”、湯葉は清水五条坂の“ゆば泉”から毎朝仕入れています。豆腐も湯葉も素材がいいからこそ料理も引き立てることができるんですね」。定番の湯どうふは木綿と絹ごしの中間の口当たり。秘伝の出汁にくぐらせて口中に運ぶと、つるんとした舌触りと大豆のふくよかな甘みが広がった。豆腐というシンプルな素材をここまで豊かな料理に仕上げる主人で料理人の黒川さん。創意工夫を凝らしたその一品一品は、どれも個性豊かで味わい深いものばかり。さて、蓮月尼がもしこれらを食したなら、どんな感動の言葉を綴るだろうか......。竹島ICHIGO〈木屋町〉厳選された旬の素材と経験豊かな技で風雅な料理に気軽に立ち寄れる店ながら京料理の真髄が味わえる左/見た目も美しい定番の「一期会席」は通年味わえる。料理に合う地酒も数多く用意されている。右上/お造りとして供されるのは鮮度を大切にした旬の魚介ばかり。右中/カウンター席は店長の包丁さばきを見ながら食事が愉しめる、ある意味、特等席だ。右下/お造りに添えられるワサビも、その場ですりおろしたものをつかう。木屋町通に面したビルの1階にある小径の一番奥に、目指す京料理の店「竹島 ICHIGO」はある。「こんな立地ですから、一見さんからはよく“入りづらい”という声を聞きます。でも来店していただければ、リーズナブルで居心地のいい店だと感じていただけるはずです」と語る店長の稲垣嘉弘さんは、ちょっと面白い経歴の持ち主。最初は寿司職人を目指して修行をスタート。その後、洋食屋やバーなどを経て、京都の料理屋で京料理の修業を始めた。10年頑張ったところで、なぜか無性に居酒屋がやりたくなり、居酒屋に転職。そこで働いている時に、この店のオーナーと知り合う。「私がいろいろな経験を経てきたからか、あまり固定観念にとらわれないのでしょう。新しい献立を考える際でも、上から指示するだけではなく、積極的に若い人の意見も取り入れる。それがスパイスとなって、より良いものができればいいと考えますから。そんな姿勢が、この店の居心地の良さなのかもしれません」元々は明治30年(1897)に旅館として創業。昭和56年(1981)に「割烹竹島」として、新たな歴史を刻み始めた。東に鴨川、西に高瀬川が流れ、夏は川床も楽しめる風雅な割烹として、多くの食通に愛されてきた店だ。そして平成26年(2014)に店内をリニューアル。完全個室になる座敷もあるが、カウンター席とテーブル席を中心に据えた、オープンな雰囲気の店となったのだ。「オーソドックスな京料理なので、今まで馴染みがなかった人でも、愉しんでいただけると思います」旬を大切にした食材は、有機栽培にこだわった国産野菜、瀬戸内海を中心に各地から運ばれてくる新鮮な魚介類。そして忘れられないのが、A4ランクの広島黒毛和牛だ。そのサーロインを使用した陶板焼きは、余分な脂身を取り除き、上質の部位だけ提供する贅沢な逸品と評判。お昼ご飯で楽しめる会席は、写真で紹介している「一期会席」(5000円)のほかに、女性にお勧めの「昼会席」(4000円)がある。前菜、お造り、焼き物、焚き合わせ、酢の物など、8品が愉しめるミニ会席だ。京料理の美味しいところを余すところなく愉しめる嬉しいコース。ただしこちらは10月から4月までの献立。通年味わうことができる「一期会席」は、京料理の美味しいところ全てを気軽に楽しめるコースだ。季節感も大切にした八寸には、食欲を呼び覚ましてくれるだし巻き玉子や酢蓮根などが並ぶ。鮮度が命のお造りは、この日は瀬戸内海のヒラメ、長崎壱岐のアオリイカ、千葉のマグロという取り合わせ。そして海のものは、ほかにホタルイカの酢味噌あえも並ぶ。見た目の美しさだけでも、その鮮度の良さが伝わってきて、口に運べば至福の時間が広がる。そのほか、蛤の糝薯や茶巾胡麻豆腐の雲丹包みなど、手の込んだ料理も並ぶ。そして自慢の和牛陶板焼きも、もちろんセットされている。和牛は口に入れた瞬間にジュワっととろけ、肉の甘みがいっぱいに広がる。そうした料理に隠れがちだが、ご飯の美味しさも忘れてはならない。米は伏見向島産のコシヒカリを使用。それに自家製のジャコ山椒がかかっている。あれこれといただき、お腹は十分満ちているはずなのだが、山椒の香りに食欲が刺激されてお代わりをもらいたくなるほどである。割烹寿司 三栄〈河原町〉静かな路地の奥に佇む名店で京の夏の風物詩「鱧」を味わう卓越した技術で調理された本物の鱧の味が堪能できる店カウンターが7席、テーブルは8席。その他に10名程度入る座敷を用意。人や車の流れが途絶えることのない四条通と河原町通。この2本の大通りが交差する一帯は、京都一の賑わいを見せるエリアといっても過言ではない。そんな河原町通と、並行している木屋町通に挟まれた路地の奥へと足を踏み入れれば、表通りの喧噪が嘘のように静かな光景が広がる。その一角に昭和9年(1934)創業の割烹、寿司の名店「三栄」がある。ここのお昼ご飯は、これからの季節ならば鱧料理に尽きる。「鱧はお客様が来店なさってから骨切り、湯引きといった下ごしらえを始めます。作り置きをしたものだと、ゴムのような食感になってしまう恐れがあるのです。それでは鱧に対する悪い印象を抱かれてしまうでしょう。鱧料理を看板に掲げている以上、それは許せませんから」三代目の清水敏夫さんは、こう話しながら鱧の骨切りを進める手を休めることがない。骨切りというのは、小骨の多い鱧を調理する際に不可欠な作業。皮一枚だけ残し、1寸(約3㎝)に包丁を24~26回入れるのが理想といわれている。清水さんは「技術の良しあしは鱧を裏返せばわかる」と語る。その言葉通り、清水さんが骨切りした鱧には、包丁が美しく入れられている。鱧料理に関するこだわりは、骨切りだけではない。それは鱧しゃぶの出汁にかけた驚くほどの手間暇である。まず鱧の頭と背骨をこんがり丁寧に焼く。大鍋いっぱいにアルカリイオン水を張り、そこに出汁昆布をたっぷりと入れる。さらに九条ネギと鱧の落としを作る時に使用した、鱧のエキスがたっぷり出た水を入れ、アクを取り除きながら沸騰させ、約40分間煮込む。アクが出なくなったら酒をたっぷりと入れ、さらに1時間ほど煮込むのだ。その後、骨や頭、昆布を全て取り除き、大量の鰹節を入れ、ひと煮立ちしたら火を止めペーパーで漉す。仕上げに薄口醤油、味醂、塩、砂糖で味を調えれば完成。濃厚で鱧の旨味をさらに引き出してくれる。「鱧旬菜御膳」は4月27日から提供。これは鱧を約半分いただくメニュー。このスープを使った鱧しゃぶも頂ける「鱧旬菜御膳」(7000円)は、鱧にあまり馴染みがないという人にも、もってこいの献立。骨切りの技の違いが如実に出る鱧落としや、鱧を美味しくいただくのに最適な調理法といわれる天ぷらといった定番料理に加え、サクサクとした食感と香ばしさがクセになる鱧骨せんべいなど、全部で9品が味わえる。極上のスープが愉しみな鱧しゃぶは小鍋で提供されるので、女性でも残さずいただけるだろう。そして〆の鱧寿司も絶品である。鱧は淡白な魚なので、調理次第で味わいは無限に広がるといっても過言ではない。少し甘辛く味付けされた鱧は、酢飯との相性は抜群。しかも骨切りされた食感がしっかりわかる独特の歯応えは、かなりお腹が膨れた状態でもスッと入ってしまうだろう。※こちらは男の隠れ家2019年6月号より一部抜粋しております

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  • ビールに合うお取り寄せ酒肴

    喉越し抜群、キンキンに冷えたビールには、塩味や辛味、油味がしっかりと効いた思わず後引く味わいの酒肴が王道である。会社帰りの酒を愉しんだ日々を懐かしく思う今日この頃。家で過ごす時間と共に酒を嗜む機会も増えた人も多いだろう。酒呑みならば、家でも「酒肴」にもこだわりたくなるのは必然。今回はそんな古今東西のとっておきの逸品を5つご紹介します。ORDER NO.1 九州産若鶏のからあげからあげの鳥しん(大分県)旨さの秘密は九州産若鶏と門外不出の秘伝ダレ凍ったまま、ラップをかけずにレンジでチン。これだけでも十分美味しいが、この後オーブントースターで2分ほど焼くとさらに美味しくなる(1箱1,110円)からあげの聖地・大分県中津。その「中津からあげ」激戦区で20年前に創業し、からあげグランプリで最高金賞を最多受賞しているのが「からあげの鳥しん」だ。ひと口に「中津からあげ」といっても、それぞれの店の味は千差万別。ひとつとして同じ味の店はない。そうしたなかで鳥しんが評価される理由は〝とにかく美味しい〟から。品質の高い九州産の若鶏にこだわり、フルーツやニンニク、ショウガ、スパイスなどで作り上げた醤油ベースの秘伝ダレをもみ込んだからあげは、旨味とコクが違う。「〝冷めても美味しい〟が常連のお客様から最もいただく褒め言葉です」と店主の角信一さん。この極上のからあげを酒肴に、ビールグラスを傾ける至極の時を味わってほしい。ORDER NO.2 レンジでチンする東洋軒のとり天レストラン東洋軒(大分県)これぞ唯一無二の本家の味 本物のとり天をお取り寄せ東洋軒の94年の歴史で、2020年3月に初めて発売された電子レンジ対応商品。誰でも簡単に本物の味が愉しめるとあって、早くも大人気(1箱1,296円)からあげと並ぶ大分の名物・とり天。ここ東洋軒はその発祥の店としてあまりにも有名な名店だ。最近は関東でも見かける機会が増えたとり天だが、「衣がベチャッとしてる」なんて残念な声も。だが、そう思っている人にこそ、本家・東洋軒のとり天を食べてほしい。熱々のうちはもちろん、冷めても衣がサクサクなのだ。また下味にオリジナルブレンドの醤油やニンニクを使っているのでそのままでも美味しいが、「お勧めは辛子やカボス酢醤油を使っての味変。さっぱりとした味の変化に驚くお客様も多いです」と代表取締役社長の宮本博之さん。この味変がビールを呑む時に重要。まるで酒肴が替わったかのような味の変化に、ついついもう一本栓を開けてしまうことに。ORDER NO.3 遠山ジンギス ハイグレード肉のスズキヤ(長野県)創業60余年変わらぬ味と品質信州熟成三年生味噌が隠し味の、生ニンニク香る極旨熟成醤油ダレが美味しさの秘密。「スズキヤ秘伝のタレは倉業60余年変わらぬ味と品質です」と社長の鈴木理さん。店頭には9畜種31種類のジンギスが並ぶ(1パック840円)古くから信州の秘境・遠山郷でパワーフードとして親しまれてきた「遠山ジンギス」。ジンとは味を付けるの意で、一般的に知られるラム肉のジンギスカンとは異なり、羊・鶏・豚・牛・馬・猪・鹿・熊・鶉うずらの9畜種を独自のタレ揉み製法で味付けした肉をジンギスという。なかでも一番人気は、ビールにピッタリなマトンのロース肉を使用したハイグレード。ORDER NO.4 たまごキムチキムチ家 舳心(栃木県)キムチの旨味が染み込んだゆで卵そのまま食べるのはもちろん、マヨネーズをかけても美味しい。見ただけでビールが欲しくなる(1袋540円)卵の丸ごと感がインパクト大な「たまごキムチ」は、地元の有名ブランド卵「那須御用卵」を新鮮なうちに茹でてキムチ漬けにした人気商品である。店内で手作りしてる秘伝の和風キムチの旨味が黄身までしっかりと染み込んで、卵の柔らかな甘みとハーモニーを奏でる。ビールとの相性も抜群で、口の中で十分堪能したたまごキムチをビールと一緒に喉奥へ流し込む瞬間はたまらない。ORDER NO.5 横濱ビア柿美濃屋あられ製造本舗(神奈川県)日本のビール発祥の地ならではの柿ピーもち米100%のあられ生地をしっかり焼き、濃口醤油をベースにビーフブイヨン、シチリアの海塩などを加えたタレを絡ませる。「ビールに合う柿ピーをコンセプトに開発しました」と代表取締役・小森健太郎さん(1袋648円)ビールの酒肴の代表格・柿の種を、日本におけるビールの発祥の地・横浜で昭和4年(1929)から作り続けている美濃屋あられ製造本舗。同社の柿の種には9種類のラインアップがあるが、ビール好きにお勧めしたいのが「横濱ビア柿」。その名の通りビール専用で、歯応えのある硬さ、辛くて濃厚な味わいは、ビールの酒肴以外には考えられないほど。※こちらは男の隠れ家2020年8月号より一部抜粋しております

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  • うまい団子が食べたい

    たれともちもちの食感、いつ食べてもホッとする素朴な味わいーー。日本人にとって団子はいわば〝味覚のノスタルジー〞。うららかな春の日に、うまい団子を求めて街へ出る。1.うさぎや(阿佐ヶ谷)苦難の時代を超えて今に続く母から受け継いだ味と誇り左上/表面につけた焦げ目に粘度の高いたれがよく絡み、香ばしく甘じょっぱい仕上がりに。左下/朝一番で小豆を煮て作るこしあんはなめらかで上品な甘さ。右/1日に150本作る団子は全て手作り。JR阿佐ヶ谷駅のすぐ近く、「うさぎや」は70年の歴史を持つ和菓子屋。上野と日本橋にも店があるが暖簾分けではなく、初代の子孫がそれぞれ店を継いで営んでいるのだという。阿佐ヶ谷にある同店は、現在の店主である瀬山妙子さんの母・龍さんが始めた店。戦後間もない昭和25年(1950)に西荻窪で小さな店を開いたのが始まりだ。当時は砂糖や小豆、米などの確保が困難だったが、本物の材料しか使わないというのが母・龍さんのこだわりだったという。「プライドが高い人だったから、安い人工甘味料もあったけど絶対に砂糖を使っていました。創業時は上生菓子や鹿の子、饅頭を売ってたんですが、それじゃあやってけないよと職人に言われて、団子やどら焼きも売り始めるようになったんです」開店間際の作業場は慌ただしく動く職人たちの活気であふれていた。うさぎやの団子はもっちりとした食感と大ぶりなサイズ感が特徴。みたらしは飽きの来ない甘さで、表面につけた焦げ目と甘じょっぱいたれのバランスが絶妙だ。あんこに使う小豆は創業以来、仕入れ先は変えず信頼した材料のみを使い続けているという。店で働いて20年になるという職人の丸山さんは「シンプルなだけに、特にあんこの味は変えないように気をつけています。ほんの少しの味の変化にもお客さんは気付くものですからね」と話す。戦後の混乱期を乗り越え、誇り高く生き抜いてきた和菓子屋の味と伝統、その想いはこの先も続く。2.松島屋(泉岳寺)100年続く老舗和菓子屋の真心こもったおもてなし左・右下/切って、丸めて、串にさす。機械は使わず全て手作業。右上・中/うるち米の粉で作られた生地を蒸籠で蒸して、ほどよい弾力のある固さになるまで臼でつく。店主が暖簾をかけ終わるか否か、開店と同時に朝一番の客が手作りのその味を求めてやってくる。泉岳寺駅からほど近く、伊皿子坂をのぼり切ったあたりにある「松島屋」は大正7年(1918)に創業、100年以上の歴史を持つ老舗和菓子屋だ。かの昭和天皇も贔屓にしたという豆大福が人気の有名店だが、みたらし団子は知る人ぞ知る名物。長時間、蒸籠で蒸した生地を、創業時から使い続けている大理石の臼でつき、一つひとつ箸で切って丸める。大きさも不揃いで手間暇かかる作業だが、3代目店主の文屋弘さんは、創業時の作り方を変えずに受け継いでいくことが〝お客様に対する最高のおもてなし〞だと感じているそうだ。「レシピなんてありませんから、作り方は先代の仕事を見て覚えました。親子3代続けて買いに来てくれるような方もいて、そういう方のおかげで続けて来られたんだと思います。昔ながらの手作りの味をこれからも守り続けていきたいです」松島屋の団子はみたらし団子のみ。砂糖と醤油だけのシンプルな味だからこそ飽きが来ない甘さに仕上がる。コンロに直接網を置いて、直火でカリッと焼いた団子の香ばしさが食欲をそそる。たっぷりたれを浸けてくれる気前の良さも嬉しい。店先に飾られている写真にはピースサインで写る優しそうな先代の姿が。「父は恵比寿様のような人でした」と話す弘さんの笑顔もまた、先代に似た優しい面持ちだ。手作りの味と明るい店主の人柄に魅せられて、今日も店には多くの客が訪れる。3.桃六(京橋)食欲をそそる生醤油の香り 創業時から変わらぬ味に舌鼓焼き色と生醤油の香ばしさが食欲をそそる名物「桃太郎だんご」。明治2年(1872)創業の「桃六」は、京橋の地で150年続く歴史ある和菓子屋だ。名物「桃太郎団子」は、こしあんと醤油だれの2種類。近隣に宮内庁御用達の酒屋があり、鮮度の高い醤油が手に入りやすかったこともあり、みたらしではなく生醤油の焼き団子を売り始めた。しっかり焼き色をつけた団子に辛めの醤油だれが絡まり、香ばしい香りをまとう。5代目店主・林登美雄さんは、「たれは創業以来、継ぎ足して使っています。この味が好きで来てくださるお客様のために、この先も守っていきたいですね」と話す。変わりゆく時代の中で、愛され続ける古き良き味わいは、この先も店と共に歴史を刻み続けるだろう。4.五十鈴(神楽坂)本来の味わいを生かす徹底した素材へのこだわり餡まで手作りの団子は、こしあん、ずんだ、みたらしの3種類。昭和21年(1946)創業の「五十鈴」は、神楽坂の歴史と共に長きにわたって歩んできた街の和菓子屋。現在は、2代目社長・相田茂さんが店の伝統と味を受け継いでいる。40年ほど前から販売しているずんだ団子は、子どもの頃におやつとして食べていた母の味を、茂さんが再現したもの。その素朴で懐かしい味わいを求めて、遠方から買いに来る客も多い。先代からの教えで素材には徹底的にこだわり、生地には自家製粉した粉を使っている。「自分が美味しいと思った味が、お客様に喜んでもらえるのは嬉しいです。店のこだわりが伝わっているのかなと思います」店先では女将がめいっぱいの笑顔で客を迎える。真摯な姿勢と最高の味、それが同店の魅力に違いない。※こちらは男の隠れ家2022年4月号より一部抜粋しております

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