MENU
ログイン
ログイン・会員登録はこちら

現在カート内に商品はございません。

News お問合せ HOME New Item Web Mag Instagram Facebook X

男の隠れ家コンテンツ

  • 座り仕事が多い方に朗報【ドットシートクッション フラット】

    私たちが過ごす日常の中で、快適な座り心地を追求するのは自然なこと。特に、デスクワークやリモートワークが増える今、その重要性は日に日に増しています。しかし多くのクッションは形が変わりやすく、快適な座り心地も最初だけで長続きしない、なんてことも。椅子を変えるのも選択肢の一つですが、人間工学に基づくデスクチェアは5万円から10万円を超えるものもあり、なかなか手が出しづらいはず。そんな悩みに応えるのが、今回ご紹介する「ドットシートクッション フラット」です。「ドットシートクッション フラット」は、56年の歴史に裏打ちされた日本の技術により誕生したクッションで、高級ベッドに採用されているポケットコイルを薄さ3.5cmにまで凝縮した新素材を採用。この新素材によって生み出される通気性と耐久性は、一般的なクッションとは一線を画します。実際に座ってみると、まるでクッションの中に浸透しているかのように、身体にしっかりとフィット。長時間の作業でも快適な座り心地が続きます。耐久性も抜群で、鉄製のスプリングは、体温や環境による熱の変化などに動じることなく劣化もしにくいため、長期的に使い続けられますよ。日本人らしさを体現するアイテム。「ドットシートクッション」の開発背景には「懐」というコンセプトがあります。日本の伝統的な考え方である「懐(ふところ)」の深さや「懐かしさ」を具現化したもので、優しく包み込むようなスプリングの開発から、心地よさをを与えてくれる「懐の深さ」を表しています。長時間の仕事やリラックスタイムに、「ドットシートクッション フラット」があることで、身体の疲れが和らぎます。作業効率が上がることはもちろん、リラックスタイムもより快適に過ごせるでしょう。テクニカルコンセプト「Nconcept 懐」のテーマである「柔軟性・支持力・反発力」をバランス良くコントロールし、私たちに最高の座り心地をもたらしてくれる「ドットシートクッション フラット」。ベッドスプリングメーカー「ナショナル発条」だからこそ叶えられた快適さを、この機会にぜひお試しください。【商品詳細】商品名:ドットシートクッション フラット価格:30,000円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 全国山城紀行。

    城というと、立派な天守があり高い石垣と広い水堀に囲まれているイメージがある。しかし城のほとんどは時代の背景から山の地形を利用した山城なのだ。「男の隠れ家」が選んだ13の山城を歩いて、戦国の時代の息吹を感じてほしい。備中松山城[岡山県]「おしろやま」として市民に親しまれる標高日本一の天守が現存する山城日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城。そこには中世と近世の城郭跡が共存している。さらに、山城唯一の現存天守や岩を生かした石垣など見どころは尽きない。雲海展望台から天守が建つ臥牛山と高梁市の町を望む。秋から冬には雲海が見られることもあり、“天空の城”としても有名に。近世の城跡から戦国の砦へ 時代を遡る山城歩きが妙味山間を縫ってゆったりと横たわる清流、高梁川。その川沿いに細長く開けた城下町はかつて松山と呼ばれ、明治2年(1869)に地名は高梁と改められた。武家屋敷や町人町など今も随所に城下の趣を残す町筋。町中から北側を見上げると、臥牛山がそびえ、頂付近の木々の間からは天守が見え隠れしている。日本三大山城のひとつに数えられる備中松山城の中核だが、実はこの天守、日本一の標高にある現存天守なのである。標高430mの小松山城跡。二層二階の天守や二重櫓など、近世の城郭の姿を今に伝える。右下は麓にある石火矢町の武家屋敷通り。「備中松山城は臥牛山の全域に広がっているのですが、実は天守の建つ小松山は近世城郭の部分です。そしてその奥の大松山などが戦国時代の城域。つまり時代によって築城範囲が移り変わっているのがこの山城の大きな特徴です」そう話すのは高梁市教育委員会の三浦孝章さん。臥牛山には大松山、天神の丸、小松山、前山の4つの峰があり、急峻な地形を生かしてかつては山全体に21もの砦が展開していたという。小松山はもともと大松山と同様の中世の城郭だったが、天正2年(1574)の「備中兵乱」で、当時の城主・三村氏から毛利氏に支配が変わった後、石垣や土塀などを擁する近世城郭に造り替えられていった。「この山城を歩く一番の醍醐味は、中世と近世の両方の時代が楽しめることなんですよ」臥牛山に初めて城が築かれたのは鎌倉時代の延応2年(1240)。その後、戦乱の世では城主は高橋氏、秋庭氏、上野氏、庄氏、三村氏と目まぐるしく変遷。山陰と山陽を結ぶ備中国の中央に位置するこの地は、戦略的に重要な地であったため、城は守りを堅めるため時代と共に堀や出丸など縄張りを拡張。規模が最も大きかったとされるのが先出の備中兵乱の頃で、城主の三村元親は山塊全体を要塞化した。しかし三村勢は籠城半年で毛利8万の大軍に滅ぼされてしまう。さらに、関ヶ原の戦いの後に毛利から小堀正次、政一(遠州)親子が備中国奉行として城を守り、その後は池田氏、水谷氏と城主が変わっていく。水谷氏は三代にわたって町造り、高梁川の水運、小松山の天守の修復(現存天守の原型)など功績を残したが、三代目で家は絶えたことで領地は没収。この時、城受け取り城代として1年間在番したのが、播州赤穂藩家老の大石内蔵助だった。「昔の登城口から登って行くと、途中には大石内蔵助の腰掛け石と伝わる石があります」と三浦さん。麓からの登城道は急坂が続く深い山道。大石も登城の際にひと休みしたのだろう。現在は城見橋公園駐車場まで車かタクシーで行ってシャトルバスに乗り換え、終点のふいご峠から歩いて本丸に向かうのが一般的。もちろん当時の気分で登城するなら麓から歩くのもいい。本丸まで約1時間の行程だ。ちなみに腰掛け石は、ふいご峠を7分ほど下ったところにある。さて、ふいご峠から整備された山道を歩くこと約15分、中太鼓櫓跡を過ぎて大手門跡へ向かうと、木々の間から突如姿を現した見上げるほどの岩壁に思わず息をのんだ。荒々しく切り立った岩の上にはなんと石垣と土塀が組まれている。真下に来ると身震いするほどの迫力に満ちている。青紅葉が映える大手門跡横の石垣。花崗岩の荒々しい岩壁の上に石垣が組まれているのがよくわかる。「臥牛山は花崗岩質の山なんですが、その天然の岩盤を巧みに取り込んで城を築いているんです」天守や二重櫓の基礎も同様に岩盤を利用。これぞ山城! といえる圧巻の光景である。さらに大手門から枡形虎口の石段を上り、三の丸、厩曲輪、二の丸へとくねくねと屈折しながら歩みを進める。曲輪ごとに連なる石垣群、山城としては珍しい土塀など見どころは盛り沢山。そして本丸までたどり着くと、正面に二層二階の天守が構えていた。天守は背後に建つ二重櫓と共に国指定重要文化財に指定されている。大きく広がった唐破風や連子窓が美しい。この天守、常陸国から入封した水谷家の二代目・勝宗によって天和3年(1683)に修築された時のもの。幕末の廃城の後は長く放置され荒れていたが、昭和になって土塀や二重櫓などと共に大規模な解体修理が施され、二層二階の優美な層塔型の姿が甦った。さて本丸を後にして次は戦国時代、中世の城跡の大松山方面へと向かうことにする。水の手門跡を過ぎると山は深さを増し、足を運ぶ人も少なくなる。大堀切に架かる土橋を渡って備中兵乱の戦場となった相畑城戸跡へと進み、さらに臥牛山の最高峰・天神の丸跡(標高480m)へ。あたりはブナ科のアベマキやコナラが鬱蒼と茂っている。そしてその緑の先には別名〝血の池〟とも呼ばれる石積の大池があった。首や刀を洗ったとも、籠城のための貯水槽ともいわれるが、江戸時代の絵図には舟が浮かぶ様子も見られるという。現在発掘調査中で用途はまだ分からないそうだが、四角い形や下へ降りる石段らしきものもあり、想像と興味は尽きない。大池から最後の目的地の大松山城跡へは10分ほどでたどり着く。三浦さんがぐるり指さす四方には、堀切や曲輪などの山城の砦の特徴がうっすら見てとれるが、今は木々に覆われ、城跡は〝兵どもが夢のあと〟の如く静かだ。山の中に息を潜めるように残る中世城郭の遺構。備中国の戦略拠点となった山城はこの砦から始まり、最後の城主・板倉氏が治めた明治維新まで長い歴史が紡がれ、今にその姿を伝えていた。岩村城[岐阜県]女城主の悲話で知られる苔に覆われた美しい石垣が残る城戦国時代に尾張の織田、甲斐の武田が覇権を争った岩村城。江戸時代に近世城郭として整備され、山上には苔むした石垣や豪快な六段壁が今も残る。日本三大山城のひとつ。上空から見た岩村城。右下に追手道。六段壁の上部が本丸、右の森が二の丸。日本一高い山城だ。六段壁と石垣の本丸に霧が漂う幻想的な山城岩村城の城下町には今も江戸時代が息づく。酒蔵や古い商家が並ぶ本通りは国の重要伝統的建造物群保存地区。桝形を過ぎて緩やかな坂道を行くと、正面に岩村城がその姿を現す。あいにくの空模様で緑の城山には靄がかかっていた。案内役の恵那市役所・三宅唯美さんと共に、山麓にある藩主居館跡から城下を見下ろした。「ここから岩村藩2万石の城下町が一望できます。岩村城には天守がなく、追手門の三重櫓やぐらが一番大きな建造物でした。今は森に覆われていますが、江戸時代は城下の本通りから、正面に岩村城の象徴ともいえる三重櫓が見えました」城下町から見える三重櫓。さぞや見事な景観だったろう。現在は城の建造物は一切残っていない。「現在残っている遺構は関ヶ原の合戦後に近世城郭として整備されたもので、戦国時代の山城については詳細がよくわかっていません。所々に中世の山城の名残を見ることができます」本丸南面の石垣。複雑な造りの石垣が歳月も経て、圧倒的な存在感を放っている。石垣の城・岩村城の顔だ。現在の登山ルートは、江戸時代の追手道にあたる北側の尾根道だ。近年になって造られた石畳の道が続く。初門を過ぎると防御のためにくねくねした道に変わる。「中世の山城の名残は四方に広がる尾根筋。枝の部分がよく残っています。曲く る わ輪や尾根を分断する堀切、縦堀も造られています」一の門を過ぎると道の両側に石垣が見られるようになる。森の中にひっそり残る苔むした石垣。その佇まいは幻想的ですらあった。最初の見どころは追手門跡だ。手前に土と き岐門、角馬出しがあり、この尾根で最大の堀切には畳んで敵を遮断できる畳橋が架けられ、追手門につながっていた。脇の三重櫓からも敵を横矢で攻撃できるなど、何重にもわたる防御が考えられていた。三つの門と畳橋と三重櫓のあった戦略拠点。往時を想像して、しばし時を過ごした。追手門を過ぎると、縄張りは三の丸の八幡曲輪、二の丸、本丸が続く連郭式の配置になっている。やがて右手に高い石垣が見えてきた。菱櫓跡だ。その左手には俄坂門跡があったという。本丸の北側にある埋(うずみ)門。本丸の搦手になる。西脇には2重の納戸櫓、中に入ると二つの門があった。「中世の遠山氏の時代にはこの俄坂門が追手門だったと考えられています。この先には遠山氏の菩提寺・大円寺があり、城下町だった可能性があります」中世の追手門にたどり着いたところで、岩村城の歴史を紐解いてみよう。岩村は遠山荘という荘園で、源頼朝の家臣・加藤景廉の領地となった。それから数えると、築城800年といわれるが、実際に山城が築かれたのは16世紀の初めと見られる。戦国時代になると、岩村は激動の時代を迎える。「岩村は信濃と美濃の境に位置する絶妙な場所にあり、東から甲斐の武田信玄・勝頼、西から織田信長に狙われるようになった」弘治元年(1555)、武田信玄の軍勢が岩村に侵攻。これ以降、遠山氏をはじめ岩村衆は武田軍団として活動するようになる。元亀3年(1572)、遠山景任が亡くなり当主が不在になった機に乗じて、織田信長が五男の御坊丸を養子として岩村城に送り込んだ。信長の叔母・景任未亡人は女城主といわれるが、実際には後見人だったと考えられている。しかし、同年11月、岩村は武田方に戻った。従来の説では秋山虎繁を総大将に武田方が岩村城を攻め、景任未亡人を妻とすることを条件に無血開城したといわれていた。近年の研究では、岩村城の自発的な判断で、武田方に単独で帰順したと考えられている。武田との結び付きが強かったのだ。翌年、長篠の戦いで信長軍が勝頼軍を破ると状況は一変する。『信長公記』によれば、織田軍が岩村城を取り囲み、半年籠城の末に落城した。秋山虎繁と武将は長良川河原で磔はりつけ、家臣は皆殺しにされた。一説によると虎繁と夫人は逆さ磔で処刑されたともいう。「織田を裏切ったといわれますが、景任が亡くなった後の数カ月を除いて、岩村城は最初から最後まで武田方の城でした」岩村城を巡る攻防戦はこの時と小牧長久手の合戦、関ヶ原の合戦の計3回あったが、寄せ手がどこを攻め、城側がどう応戦したか、詳細はわかっていないという。時代を再び戦国から江戸時代に戻そう。菱櫓から本丸方向を見ると、巨大な石垣が目に入る。雛壇状になった石垣だ。その名も六段壁。石垣の城・岩村城の中でも、圧倒的な存在感で迫って来る。「六段壁は初めに最上段の石垣を一気に立ち上げ、その後に崩落の危機があったため上から順に石垣を積み上げて補強したものです」岩村城はこの六段壁をはじめ見事な石垣が本丸を囲む。竹田城跡にも負けない、壮大な石垣の城であり、もっと知られてもよい山城であろう。これらの石垣は慶長6年(1601)に城主となった松平家乗が、近世城郭として本格的な整備をした際に造られたものだ。本丸西側の高石垣。一番下の石は野面積み、上部は積み直しで斜めの線など修理の跡が見える。「石垣は野面積み、打ち込みはぎ、切り込みはぎなど時代によって違う積み方を見ることができます。積み直した跡もあります」六段壁横の石段から本丸へ。二の丸は植林され見通しが良くないが、岩村城が広壮な山城であることがわかる。「2万石の小藩に大きな城があった。岩村城の最大の特徴です」岩村城は急峻な山城であるにもかかわらず、関ヶ原後も廃城にならなかった。理由は岩村のポジションだ。徳川家康は尾張の北の美濃に大きな藩を造らず、有事の後方支援のために、東美濃の岩村に譜代大名を置いた。譜代の格付けと有事の備えのために、幕府に大きな城を造らされたという。「岩村城は近世の城跡が後世の建造物もなく、手つかずに残っていることが大きな魅力です。江戸時代の城と城下町を体験できます」いつの間にか本丸に霧が立ち込めてきた。岩村城は別名・霧ケ城。霧の名所である。歴史上の戦の際にも、この霧が大きな役目を果たしたという。女城主や信長が見たであろう霧。歴史が残した最大の名残は霧なのかもしれない。※こちらは男の隠れ家2018年3月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents「自分だけの世界を楽しむ -大人の趣味3選-」普段は眠ったままの感性を揺さぶり、新たな自己表現の一歩を引き寄せる趣味。今回はそんな趣味の中から、一風変わった”大人の趣味”を紹介します。今まで感じたことのない魅力を心ゆくまで味わってみてください。ーー続きはこちらから「超精密スーパーカー消しゴム 第一弾 ランボルギーニ」1970年代後半に巻き起こったスーパーカーブームで人気グッズだった「スーパーカー消しゴム」を現代に復刻ーー商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 持ち歩けるリラックスタイム【低周波マッサージリネックス2】

    日常の中で増え続ける、スマホやパソコンなどのデジタルデバイスとの時間。必要不可欠でありながら、肩や首への負担ともなっていて、現代人の悩みとしていろいろなところで特集されています。仕事で長時間のPC作業、帰宅後にスマホでネットサーフィン、なんて過ごし方をしていると、いつの間にか肩がこってしまうのです。本当は、プロの整体師さんの心地よいマッサージを受けたいところ。しかし、そんな贅沢な時間は取りづらいものです。だからと言ってその疲れを放置してしまうと、睡眠の質が落ちたり、慢性的な肩こりや首こりに悩まされてしまいます。疲れを放っておいてはいけませんよ。人間工学に基づいたデザインがフィット。そこで活躍するのが、今回ご紹介するアイテム「低周波マッサージリネックス2」。エルゴノミクスを基にした形状は、男女問わず首にジャストフィット。刺激の強さを選べるのも魅力の一つです。日常の中のさまざまなシチュエーションで、あなただけの空間で最高のマッサージを楽しむことができます。「低周波マッサージリネックス2」はただのマッサージ機ではありません。62gという驚きの軽さで、あなたの日常にもスムーズに溶け込みます。仕事をしながら、家事をこなしながら、その軽さを存分に活かして気軽にリフレッシュ。マッサージ機というよりも、ネックバンド型のイヤホンをつけているような、軽い着け心地が特徴です。さらに、2時間の充電で最大20回の使用が可能な大容量バッテリーを搭載。土日に充電して月曜からオフィスに置いておいても、週末まで十分に使い続けることができます。お昼休憩などでも使用できるくらい手軽なので、15分程度の短い休憩時間で、十分に肩の疲れをほぐすことができますよ。外出時やオフィスでも使いやすい高級感のある見た目も、嬉しいポイントです。自分の好きなタイミングでリフレッシュしよう。今の生活の中で、ちょっとした疲れを感じる瞬間は多いはず。だからこそ、「低周波マッサージリネックス2」で、その疲れをリセットし、日々をもっと豊かに、心地よく過ごしませんか?持ち運びができるから自分の好きなタイミングで、マッサージに行ったような心地よさを味わえます。つまり、あなただけの専属マッサージ師を持ち運べるというわけ。そんなリラックスタイムを持ち歩けるのは、この「低周波マッサージリネックス2」だからこそ。この機会に、あなたも新しいリフレッシュの形を見つけてみてください。【商品詳細】商品名:低周波マッサージリネックス2価格:5,720円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 京都の隠れ家 路地裏迷宮

    碁盤の目状で区切られている京都の道。しかしメインストリートから一歩裏に入れば路地や辻子が入り組んで、まるで迷宮のようだ。その細い道の奥にそっと佇んでいる隠れ家の引き戸を開けてみよう。一見踏み入れがたい路地の奥で旬の地の食材で極みの味を堪能馳走 いなせや 〈烏丸御池〉入口の門の上には縁起飾りの“笑門”が。今城焼の陶板が敷き詰められたアプローチを奥へと進む。三条通の賑わいを避けて静かに佇む町家で美味探訪地鶏すきやきの木蓋を開けると、湯気と共にいい香りがふわり。山科と嵐山を結んで東西に延びる三条通。中心部には、東海道の起点でもあった鴨川に架かる三条大橋や、幕末期に起こった「池田屋事件」の舞台などがあり、また、明治時代には旧日本銀行京都支店(現・京都文化博物館)や中京郵便局など赤煉瓦の近代建築が建ち並ぶメインストリートのひとつであった。現在も通り沿いにはアーケード商店街と共に新旧の個性的な店が軒を連ね、京都きっての人気エリアとなっている。京都の面白いところは、碁盤の目に広がる縦横の道を一本ずらしただけで雰囲気が変わること。混在する賑やかな町筋と静かな佇まい。予約しておいた料理処「馳走いなせや」への道筋も、三条通から柳馬場通へと少し上ル(北ヘ曲がる)だけで、人の流れや店舗の明るさがすっと薄れた。通りの左手にぼんやりと浮かぶ行燈に誘われ、縁起飾りの〝笑門〟が下がる入口へと足を踏み入れる。清々しく打ち水された石畳に導かれ路地の奥へ。のちに店のスタッフに聞いたところ、敷き詰めた石畳は大阪の今城焼の陶板で、一つひとつに周辺の町名が刻まれているのだという。そして、白い暖簾がかかる引き戸を開けて中に入ると、そこには期待通りの落ち着いた空間が。靴を脱いで通されたテーブル席はさらに趣を深くしており、窓の外にはライトアップされた坪庭が美しく映し出されていた。建物は大正時代の呉服屋の町家だったもので、テーブル席とカウンター席のある1階は柱や梁など往時の趣を生かしてリノベーション。2階の座敷はそのまま残し、また4~6人の予約制で使える蔵座敷も用意されている。右上/馳走いなせや名物「地鶏すきやき」(1人前1800円)。右下/すきやきの最後の〆に玉子締めを味わうのがおすすめ(ご飯・香物付きで1人前500円)。左上/「平井牛ローストビーフ」(1800円)。左下/「秋ハモと丹波しめじの玉子とじ」(1300円)。※アラカルトのほか、コースも6200円~。かつて三条通のこのあたりは、呉服屋さんが軒を連ねていた場所でもあったんですよ」と話す店長の村上聡孝さん。「馳走いなせや」はその歴史に新しい感性を融合させ、洗練された空間と共に旬の創作料理を提供している。料理は生産者と地物の食材を使うことにこだわり、季節の京野菜はもちろん、肉や魚などもしかり。例えば名物の地鶏料理に使う鶏肉は、毎朝、丹波の契約養鶏場から届けてもらうのだという。丹念に4カ月ほどかけて育てられた丹波地鶏は地鶏刺しや塩焼き、唐揚げなどの料理に仕上げられるほか、一番人気の地鶏すきやきは、肉の旨みと甘みが際立つ逸品だ。お造り盛り合わせや菜物(サラダ)などを酒の肴として味わいながら、次に供されたその地鶏すきやきをいただく。ふわりと立ち上る湯気と共に漂う食欲をそそる甘辛い香り。ごろりと大きめの鶏もも肉、つくねの上には九条ネギがたっぷりと盛られている。はやる気持ちを抑えつつ取り碗に移して口に運ぶと、ぷりっとした歯ごたえながら柔らかな肉の旨味が口中に広がった。割下は砂糖と醤油をベースに甘味を押さえてコクを出したもの。これがまた、すき焼きの〆にご飯を入れて玉子とじで食すると絶品なのだ。しかもこの卵も地鶏の〝初玉子〟を使用。「鶏が生み始めて2週間目の卵のことで、卵黄が大きいんですよ」と村上さん。ほかにも京都丹波牧場の平井牛のローストビーフやしゃぶしゃぶ、お米は綾部で作られている低農薬のコシヒカリにこだわるなど、まさに地産地消にいなせやの味の原点がある。そして、料理と同様に力を入れているのが、蔵元直送の日本酒だ。店主やスタッフが実際に蔵元に足を運び、時に酒造りを手伝うこともあるとか。日本酒のメニューを見ると、蔵元や扱う銘柄の詳細な説明が記されており、店の思い入れの深さが感じられる。ラインアップは京都・伏見の「月の桂」(増田徳兵衛商店)や滋賀県大津の「浪乃音」(浪乃音酒造)を始め、京都府、滋賀県を中心に店オリジナルも多彩。しかもその多くが生原酒というのも特徴的だ。「丹波地鶏や丹波牛などしっかりとした味の料理には、生原酒が見事に合うんです」旨し料理に旨し酒。〝心を込めてもてなす、食事をふるまう〟という意味合いの〝馳走〟が名に恥じない隠れ家である。ちそう いなせや京都市中京区三条柳馬場上ル油屋町93京都らしさが漂う小さな路地で本格イタリアンと京懐石に舌鼓を打つ柳小路TAKA 〈河原町〉通りから店内が見渡せるので、待ち合わせの人も多い。昼から閉店までいる強者もいる。世界で活躍していたシェフが始めた気軽なバル美味しい料理と共にTAKAさんの軽妙な語り口に、引き込まれてしまうのがこの店の魅力。京都で一番の繁華街といっても過言ではない四条河原町。その交差点から1本西側にひっそりとある、一見目立たない路地が柳小路の入口である。かつては男性向けの店が建ち並んでいたというが、今では映画などのロケに使われるほど、古き良き時代の京都を彷彿させる光景が広がっている。そこには小さいながらも、強い個性が感じられる店が軒を連ねている。そんな柳小路の一角に、2016年5にオープンしたのが「柳小路TAKA」だ。1階はカウンターだけの立ち飲み、2階にはテーブル席が用意されているそのスタイルは、まさに隠れ家「日本版バル」といったところか。オーナーシェフのTAKAさんは、本格的な京懐石の店で修業した後、和食の素晴らしさを世界に広めたいという情熱を持ってイタリアに渡った。そしてミラノにある世界的な人気レストラン「NOBU/Armani」で、料理長を10年以上も務めた。さらにイタリアの調理師学校の講師も務め、日本の料理手法、魚の捌さ ばき方などを、多くのイタリア人シェフに教えていたという。まさに本場で磨き上げたイタリアンの腕前と京懐石が融合した〝本物の味〟が気軽に楽しめる店なのだ。誰もがすぐに常連気分で毎月足を運びたくなる①常連客に超人気の裏メニュー「レバー塩」(300円)。口に入れると濃厚な甘みと共にとろけてしまう絶品。②関さばの一夜干し。塩気が絶妙でご飯にも合う(800円)。③イタリアンの定番、ナスのトマトソース煮(500円)。④夕方になるとイタリア人が必ず飲むというスプリッツ。ほろ苦いアペロルとスパークリングワインのカクテル(600円)。⑤人気メニューの牛肉タタキは1200円。⑥揚げたごぼうがたっぷり入った卵かけご飯は550円。入口は大きなガラスの引き戸なので、賑やかな店内の雰囲気は通りからでも一目瞭然。この店には京都に来る度に通いたくなる要素が詰まっている。店は昼の13時にオープンし、そのまま23時まで通しで営業しているのも酒飲みにとっては嬉しい限り。実際、カウンターはほぼ満席で、店中のみんなが知り合いのように大いに盛り上がっている。翌日、改めて14時頃に店を訪ねた。やはりカウンターには数人の客が陣取り、店の人や初対面の隣同士で談笑している。「この店は一見さんでも、すぐに常連さんのようになるんです。外国の方だって同じです。言葉が通じなくても、お客さん同士でいつの間にか意気投合しています」時には2階席で飲んでいたグループが、1階があまりに楽しそうなので寂しくなり、下りてきてしまった、ということもあったという。それはTAKAさんの、とても海外の一流レストランで料理長を務めていたとは思えないほどの、気さくな雰囲気や人柄がそうさせるのだろう。そんなTAKAさんが作る絶品料理に魅了されるファンも多く、居合わせた常連らしき人にその魅力を尋ねると「旬の食材に合わせて料理も変化するから、毎月こぉへんとあかんわ」とのこと。昼に軽く飲み、夜になったら本格的に飲み食いをする。そうしたケースも度々あるのだという。そして日本酒のこだわりも面白い。ここでは滋賀の酒蔵「岡村本家」との縁で、同店で扱う日本酒はこちらの銘柄限定。代表銘柄の「金亀」の、40%~100%の精米歩合7種類を、全て飲み比べできるセットがある。美味しい料理とお酒、そして弾む会話で、時間を忘れさせてくれる名店であった。やなぎこうじ たか京都市中京区中之町577番柳小路はちべえ長屋※こちらは男の隠れ家2018年3月号より一部抜粋しておりますRecommend Contents「スクスク育つ牡蠣に会いに行く」日本で見られるリアス式海岸は遥か昔、起伏の激しい山地が海面の上昇や地盤沈下によりに海面に没したことで形成された。海面よりも上に残された陸地が、複雑に入り組んだ湾や島を創り出したのだ。氷河が形成した北欧のフィヨルドとは、生まれた背景が違う。ーー続きはこちらから有田焼 セラフィルター佐賀県有田町で作られ、江戸時代から400年以上の歴史をもつ有田焼。かつては、将軍家への献上品として、ヨーロッパへ影響を与えたと言われ、王侯貴族の蒐集品として重宝されたと言われています。ーー商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 車好きにたまらない逸品

    学校の休み時間、放課後の公演、心の中に湧き上がる少年時代の記憶。無限に広がる空想の中、手のひらの上で輝いていたのは、小さなスーパーカー消しゴム。夢中で集め、友人同士でその強さを誇ったものです。そんな純粋で情熱的な日々を、大人になった今、再び手にすることができるロマン溢れるアイテムをご紹介します。あの頃の思い出を再び。スーパーカー消しゴムの再来。1970年代後半、多くの子供の手に握られていた「スーパーカー消しゴム」。その人気は瞬く間に拡がり、学校の休み時間には消しゴムを飛ばして遊ぶ子供たちの姿があちこちで見られました。そして、その風は再び。GGF-T社が、現代の技術を駆使して、ランボルギーニ社の名車を超精密に再現した「超精密スーパーカー消しゴム 第1弾 ランボルギーニ」を発売しました。幻のスーパーカー「イオタ」や、スーパーカーの先駆け「ミウラ P400SV」、ポルシェ911の競合として開発された「ウラッコ P250S」など、ランボルギーニ社の歴史を物語る5つの名車が含まれています。各車のディテールは驚くほど精細に再現されており、それぞれの特徴的なデザイン、流線型のスタイル、その存在感を手の中で感じることができます。特に、「イオタ」はランボルギーニ「ミウラ」をベースとして試作されたモデルで、事故により1台しか存在しない幻のモデル。このような歴史的な背景を持つ車を、消しゴムとしてでも持つことができるのは、車好きにとっては感慨深いものとなるでしょう。「超精密スーパーカー消しゴム」とは、ただの玩具や文房具としての価値だけでなく、昭和の遊びが現代に蘇る、というメッセージが込められています。今、中高年の男性たちが子供の頃の情熱と夢を、この消しゴムとともに再び感じることができるのです。飾って楽しむのはもちろん、あの頃を思い出して遊んでみるのも、楽しいかもしれませんね。商品名:超精密スーパーカー消しゴム 第一弾 ランボルギーニ 5個セット商品詳細はこちら商品名:超精密スーパーカー消しゴム 第二弾 デ・トマソ 4個セット商品詳細はこちら商品名:超精密スーパーカー消しゴム 第三弾 マセラティ 5個セット商品詳細はこちら商品名:超精密スーパーカー消しゴム 第四弾 はたらくクルマ 12個セット商品詳細はこちらパッチンボールペンもレベルアップして帰ってきた。子供の頃、消しゴムを指で弾き飛ばす遊び。そんな懐かしの遊びで使われていたパッチンボールペンを覚えていますでしょうか。今回、スーパーカー消しゴムだけでなく、消しゴム飛ばしに欠かせないボールペンも、大人の男性たちの心をくすぐる逸品として進化して帰ってきました。それが「V12エンジン型(変速ギア)消しゴムブースターペン」です。V12エンジン、それはフェラーリやランボルギーニといったイタリアンスーパーカーの心臓部。12気筒からなるハイパワーエンジンが、スーパーカーのサウンドやスピードを支えています。そんな12気筒エンジンはV字に配列されたその形状から、V12エンジンと呼ばれているのです。「V12エンジン型消しゴムブースターペン」は、そんなV12エンジンをデザインのモチーフにした消しゴム弾き専用のプッシュ型ボールペンです。見た目がかっこいいのはもちろん、変速ギアも搭載されており、手にする度にシフトチェンジの感覚を楽しむことができます。70年代や80年代のV12エンジンを持つスーパーカーのマニュアル5速ギアを再現している点が最も魅力的なポイントで、操作可能なのも高い評価を受ける理由の1つです。1速からスタートし、回転数を上げるごとに2速、3速とギアを上げ、5速に到達した時のスリル。その感覚をこのペンで体験することができますよ。ただの玩具ではなく、オフィスや自宅のデスクで使うことも可能。ミーティングの合間や仕事で一息ついた際に、このペンを手にとり少しの間だけ少年の気分になる。そんな愉快な時を提供してくれます。昔を思い出しながらも新しい感動を提供する大人のための特別な逸品です。日常の中で少しの楽しさやワクワクを感じたい方は、ぜひ手に取ってみてくださいね。商品名:V12エンジン型(変速ギア) 消しゴムブースターペン <ブラック・ブルー>商品詳細はこちら子どもの頃の夢を思い出させてくれる逸品時代とともに形を変えながらも、我々の心の中で輝き続けるスーパーカー。その緻密なディテールにこだわり抜かれた「超精密スーパーカー消しゴム」は、過去と現在、両方の情熱をひとつの逸品に閉じ込めました。そして、「V12エンジン型の消しゴムブースターペン」は、大人の遊び心とともに日常の中で少しの非日常を感じさせてくれる特別なアイテムです。この2つの商品は、ただの文房具としての価値を超え、我々中高年の男たちにとって、かけがえのない思い出や情熱を再燃させる力を持っています。このアイテムはあの頃の夢を思い出させてくれるきっかけになるかもしれません。

    もっと読む
  • バイクに乗ってみませんか? -上州〜信州・志賀高原-

    ツインエンジンの鼓動と共に上州から信州の高原道路で涼風にやすらぐーー緑に囲まれたワインディングロードを軽やかに駆け抜ければ、ひと筋の道が遠くまで延びる高原ロードが目の前に。さあ、自分の時間を求めて上州から信州に続く快適な道を走ろう。バイクの醍醐味は爽やかな風に当たることだ「志賀草津高原ルート」。白根山の雄大な山容を右に見ながら快適な道が続くワインディングロードだ。並列2気筒・500㏄エンジンが奏でる排気音と、それに伴う鼓動の心地良さを感じながら高速道路をクルージングしている。前を走る車を抜こうという気も起きず、このまま流れに乗っているとどこまでも行けそうな気になってくる。両サイドの景色は視界の中で溶け込み、色の帯になって後方に流れていく。「ホンダレブル500」はまるで万華鏡の筒の中を走っているようだった。関越自動車道から上信越自動車道へとハンドルを切り、「松井田妙義IC」で高速を降りた。国道18号・中山道に入ると信越本線の「横川駅」はすぐ。横川駅といえば「峠の釜めし」。長野新幹線が開通するまでは、横川駅に長距離列車が着く度、乗客は駅弁の売り子から、峠の釜めしを買い求めていたというほどの名物。新幹線開通に伴い横川駅の先は廃止され、駅弁の売り子がホームに立つことはなくなったが、今は駅前本店やドライブイン、高速のSAなどで売られている。昼食には少し早いがここでこの名物を食べない手はない。腹を満たすことでまだ先の長いツーリングに備えることにしよう。連続するカーブを抜けて、道はいよいよ高原へ向かう左/「横川駅」から軽井沢までの道は緑に包まれて気持ち良い。右/旧信越本線のレンガ造りの橋梁(めがね橋)が突然現れる。横川駅の先で国道18号線に入り、坂本宿の看板を過ぎると道は勾配が急になり、タイトなカーブが連続する。そして突然、雄大な4連レンガアーチの鉄道橋梁が姿を現した。たくさんの観光客が車を停めて記念撮影をしている。実はこの橋梁、明治25年(1892)に完成したアーチ橋で、「めがね橋」と呼ばれている。ちなみに橋梁は第二橋梁から第六橋梁まで残っていて、その5基が全て国重要文化財に指定されている。道はいつの間にか平坦となり軽井沢の町に出た。観光客で賑わう町を抜け、浅間山の麓を整備された爽快な道が走る鬼押ハイウェーへ。道の両脇に明るい林が続く緑のトンネルをしばらく走ると左手に茶褐色の浅間山の姿が浮かぶ。ちょうど浅間山の展望を目的としたような浅間六里ヶ原休憩所が右手にあったので、しばし休息。目の前に迫る雄大な活火山をのんびりと眺めることにした。鬼押ハイウェーの浅間六里ヶ原休息所で眺める浅間山の勇姿。再び走り始め、いったん高原の道からJR吾妻線が走る嬬恋村まで下りてきた。とたんに体に感じる風は熱気を帯びてきた。熱風から逃れるように万座温泉方面に向かう万座ハイウェーに入り高地を目指す。力強いエンジンはドドドドッという鼓動と共に標高をどんどん稼いでいく。クルーザータイプなのだが、バンク角は意外に深く、ステップをすることもなく安定したコーナリングでカーブをクリアしていく。トルクフルなエンジンは頻繁なギアチェンジを必要としないのでとても楽だ。急勾配の九十九折りの道を走ること約30分。ヘルメット越しに硫黄の香りが鼻をくすぐると、そこは万座温泉だ。この辺りから道の周囲の木々が低くなり、ハイマツが目立つようになった。見通しが良くなり、下を覗くと今まで走ってきた道が遠くからうねうねとカーブを描いている様子が見える。草津温泉方面から延びる国道292号線と合流すると道は比較的なだらかになり、見晴らしの良い高原道路となった。この通称「志賀草津高原ルート」はどこまでも走りたくなるような道だ。ちなみに草津温泉方面からこの合流点までは白根山の火山活動の影響で通行止めになっているので注意したい。志賀草津高原ルートの天空を走るコーナー。標高が上がると景色も広がりを見せる。しばらく走ると道の右側に「日本国道最高地点」の標識が目に入った。ここは標高2172mの渋峠だ。バイクを停め、そこからの景色に目をやると、ラムサール条約に登録されている芳ヶ平湿地群や赤茶色の白根山が見える大展望が広がっていた。そろそろお腹もすいてきたなと感じる頃、横手山ドライブインに到着。志賀草津高原ルートの長野県渋温泉方面の景色が見える2階のレストランで「ライダーズランチ(1500円)」をオーダーして、窓際に腰を下ろした。目の前には視界を占める志賀高原のパノラマが広がっている。宿へ向かう道も選んで高原をつなぐ道を左/志賀草津高原ルートを長野県側に下りると渋温泉となる。路地の両側に昔ながらの風情ある温泉旅館が並ぶ。9つの外湯があり、宿泊者以外は9番湯大湯のみ利用できる。右/HONDA Rebel 500」特徴的に立ち上がったフューエルタンク、くびれのあるナロースタイル、マット&ブラックアウトに徹したパーツによってタフでCOOLなイメージを表現。ワイドサイズの前後タイヤが、ロー&ファットな存在感をアピールする。ほどなく猿が温泉に入ることで有名な地獄谷野猿公苑に。ひと休みするのに格好の「猿座カフェ」があった。自分のバイクを目の前に、風の吹き抜けるテラスで一服。他のテーブルは外国人観光客ばかりだ。カフェのスタッフが「この先にツーリングライダーが集まる蕎麦屋があるのよ」と教えてくれたので訪ねてみることに。カフェからすぐ、国道292号線沿いにその「そば禄」はあった。ここの特徴は蕎麦を注文すれば天ぷらが食べ放題。ご飯も食べ放題なので蕎麦を食べ終わったら天丼にして腹を満たす強者もいるらしい。お腹もいっぱいになって後は今宵の宿を目指すのみ。国道292号線をそのまま進み、信州中野で403号線へ。美術館やフルーツで有名な小布施、蔵造りの町家が連なる須坂を通り、ラグビーの夏合宿をしているグランドの合間にキャベツ畑が広がる菅平高原を経て、「休暇村嬬恋鹿沢」へ着いたのは熱気も収まった夕暮れだった。翌朝、疲れも残らずすっきり目覚めた。昨夜たっぷり浸かった温泉のおかげかもしれない。今日の予定は特に決めていない。のんびりと気持ちの良い高原道路を走って昼寝して帰ろうかな、ぐらいの気持ちだ。小諸へ出て、八ヶ岳の東麓をJR小海線沿いに国道141号線を南下して小淵沢に出るのも良し、途中から国道299号線を麦草峠に向かうも良しだ。麦草峠は昨日の渋峠に続いて国道の標高では2番目の高さ(2120m)だ。高原道路を走るコースは色々と設定できて楽しい。さあ出発だ。国道144号線に戻り、東へ向かう。昨日の爽快感をもう一度味わうために、鬼押ハイウェーに出て北軽井沢などを流して帰路につくことに決めた。※こちらは男の隠れ家2018年9月号より一部抜粋しております

    もっと読む
  • 富山の土から生まれた至福の一杯【ふなくらそば】

    「ふなくらのそば」、これはただのそばではありません。無農薬、無化学肥料で育てられた富山県船峅地区産の玄そばを用いてつくられる、本格二八そばで、一度その舌触りと風味に触れれば、思わず次も食べたくなる魅力を持つ、そば愛好家ならずとも注目すべき一品です。自宅で簡単に手打ちそばの味を楽しもう最大の特徴は、その製造過程と素材にあります。「ふなくらのそば」は、地元で栽培された玄そばを8割、国産の小麦を2割の配合で製粉し、最速であれば製粉からパッケージングまで1日で完成させます。これにより、そばの風味をそのまま閉じ込め、家庭で簡単に手打ちそばのような風味を味わうことができるのです。また、化学肥料や農薬を使わず、富山県船峅地区の豊かな土壌で育てられた玄そばの風味と香りは、そのままそばに反映され、深みとコクのある風味を楽しむことができますよ。食卓にいながら支援ができる、新たな取り組み。その美味しさは一度試してみれば明らかですが、「ふなくらのそば」の魅力はただ美味しいだけではありません。実は、このそばはNPO法人北陸青少年自立援助センターはぐれ雲という、引きこもりやニートと呼ばれる若者の自立支援施設が関わって生産されているのです。そば畑の草刈りから排水管理、商品の包装に至るまで、彼らが一手に引き受けています。そのため、「ふなくらのそば」を食べることは、彼らへの支援にもつながり、未来の労働力への投資となります。このような生産背景も、「ふなくらのそば」が求められる理由の一つです。この地域一体で作られたそばは、地元の自然と農家、若者たちの手によって一杯のそばへと変わります。その一杯には、富山県船峅地区の自然の恵みだけでなく、人々の努力と希望が詰まっているというわけ。ただの食事としてだけではなく、食べることで地域や社会貢献につながるそば。「ふなくらのそば」ならではの風味と、背後にある深いストーリーを感じながら、あなたの食卓に新たな風味を加えてみませんか。この機会に、ぜひ一度、「ふなくらのそば」をお試しください。食卓を明るく彩り、心を満たす一杯が、あなたを待っています。【商品詳細】商品名:ふなくらのそば価格:6,000円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • DEEP 沖縄

    本土ではすでに夏が過ぎ去り、錦秋の彩りが南下する頃、沖縄はまだまだ夏の残照が煌めいている。沖縄は夏ばかりではなく、秋こそベストシーズン。ディープな沖縄を楽しめる季節となる。秋、ゆっくり「島」を歩けば、見たことのない沖縄に出会えるかもしれない。沖縄に行くなら〝出会いの秋〟がいい「沖縄に行くなら、いつがいいですか?」とよく聞かれる。僕は迷わず「秋がいいです」と答える。沖縄も秋が深まると、暑さもようやくやわらぎ過ごしやすくなる。晩秋ともなれば、台風が襲来することも少ない。それでいて冬の気配を感じる本土と違い、穏やかな暖かさは十分に堪能できる。観光客も比較的少なめで、落ち着いて周れる。だから沖縄を旅するなら、秋がいい。秋の沖縄で、何をしようか。気合いを入れれば泳げるが、沖縄の魅力は青い空と海だけではない。この快適な時期には、気ままに歩く「散歩の旅」を勧めたい。沖縄は歩くほどに、発見と出会いがある場所だ。夏の強烈な日差しも落ち着くこの時期は歩きやすい。だから歩いてほしい。街を歩こう。それも表通りから外れ、脇道へ。ガイドブックに載る名所や人気店は少ないが、そこでは予想もしない発見や出来事が、旅人を待っている。「飛び安里の碑←」。那覇市の隣、南風原町の脇道で聞き慣れない「飛び安里」の案内板が目に留まった。矢印に従い、丘に続く石段を上る。1、2、3……実に200段以上!息を切らし丘の上に着くと「飛び安里初飛翔記念碑」は立っていた。飛翔? 説明文を読む。かつてこの地に住んだ「安里さん」が、琉球時代の18世紀に飛行機を考案し、空を飛んだーーライト兄弟よりも早く? まさか! 頭上に広がる青空。この空を本当に飛んだのだろうか。学校では習わない歴史の片鱗に触れ、得した気分。歩いた甲斐があった。「あーら、お久しぶり」本島の住宅街で、以前たまたま寄った「パーラー」。以来、近くに行くと必ず寄る。そのたびに店の奥さんが、明るく迎えてくれる。先客は生ビールを飲むオジさんと、小学3年くらいの少年4人。ビールに泡盛、沖縄そばにコーヒーとジュース、お菓子までそろうのが沖縄のパーラーだ。ランドセルを放り投げ、1個20円のチロルチョコで盛り上がる少年たちを横目に、僕はアイスコーヒー。「ウナギ食べる?」と奥さん。コーヒーと一緒に? でもいただきます。ここで「こーんにちはー」と地元の婦人がご来店、ウナギを食べる僕を見て、すかさず言う。「アラ、ウナギあるの?」奥さん「(ヤバい、もうないのよね)今日は蒸すわねー」婦人「ねえウナギあるの?」奥さん「雨が降りそうねー」そそくさとウナギをかきこむ僕の横でチョコを頬張り「最近どう?」「まあね」と少年たち。何が「まあね」だか。緩い空気に身を任せ、自分が旅人であることすら忘れていく。老若男女も地元もヨソ者もゴチャまぜの午後のパーラーで「ああ、沖縄だ」と感じずにいられない。那覇から遠く、観光客もいない小集落。ブラブラ歩き、小学校のそばを通りかかった。すると、「オジさーん、何やってるの?」窓から子どもたちが顔を出し、大声で叫びながら僕に手を振る。「アンタたち、授業中よ!」と背後から女先生も現れて「ゴメンなさいねえ」と言いながら、僕を見て苦笑い。ああ、沖縄に来た。やはり観光客が少ない、別の小集落。散歩の途中、日陰のベンチで休んでいると、地元らしきオジさんが来て隣に座った。そして手元のビニール袋をガサゴソとまさぐり、取り出したのは缶ビール。「飲む?」と言い僕に差し出す。「いいんですか?」と言うと、再び「ほれ」とオジさん。いただきます。プシュッと栓を抜き乾杯。「こんな何もない所に、なんで来たの?」と、オジさんは笑った。夜も歩こう。沖縄は夜行性の人が多いから、夜は居酒屋やバーの明かりが煌々と灯り大にぎわい。ホテルに閉じこもっていてはもったいない。那覇の外れ、闇夜にポツンと灯る「BAR」の看板。「いらっしゃいませ」眼鏡、ヒゲのマスター。ジャック・ダニエルをロックでもらう。アメリカ統治の影響で、沖縄のウイスキーの主流はバーボンかテネシー。沖縄の長老は泡盛より、バーボンを好む人が多いとも聞く。客は僕ひとり。マスターが氷を削る音がシャリッ、シャリッと静かに響く。店内の隅でレコードが回り、ジャズが流れているーー。沖縄に秋が来た。歩くほど話すほどに、素顔の魅力を感じてやまない、沖縄の秋が来た。沖縄の奥深さを味わうなら秋がいい。出かけよう、秋の沖縄へ。もうひとつの那覇の顔 迷宮を彷徨うような裏通りのマチグアーえびす通りに立地するから「恵比寿珈琲」。しかしビール派が集う店。小径が複雑に交差する迷路のような商店街へ進入県庁前から延びる約1.6kmの道路に沿って、レストランや土産物屋がびっしりと軒を連ねる那覇の国際通り。ここは沖縄を訪れる観光客誰もが足を踏み入れる超メジャーな観光地だ。時期や時間帯によっては、まっすぐ歩くことも困難なほど人があふれているため、旅慣れたリピーターの中には、敬遠する人も少なくない。だがそんな国際通りには、一歩裏へ踏み込むとまるで迷宮のように入り組んだ商店街も存在する。地元の人ですら自分の居場所がわからなくなることがある、そんなスージグワー(路地)のマチグワー(商店街)を訪ねてみた。国際通りの入口へは、那覇空港からモノレールで約13分の「県庁前駅」で下車。駅の南側すぐの通りが国際通りだ。県庁北口の交差点から国際通りをプラプラと東へ向かう。「兄さんによく合うかりゆしウエアあるよー」など、威勢のいい呼び込みの誘惑に負けずに10分ほど歩くと、市場本通りという商店街の入口に至る。そのすぐ先にはむつみ橋通りという商店街もある。どちらの道を選んでも、奥で無数の路地と結ばれ、巨大なマチグァーを構成している。市場本通りの入口付近には、お土産物屋から各種総菜を扱う店、衣料品店、鮮魚店などが並ぶ。観光客の姿も多く、明るい南国の雰囲気あふれる通りという感じが漂っている。そして多くの観光客がそれらの店を覗き込んでいる。しかし市場本通りをさらに奥へと進んでいくと、次第に人通りが少なくなっていく。やがて平和通りと交差し、いつの間にか名前は市場中央通りに変わる。さらに迷路のような小径がたくさん交わってくる。面白がってそれらの道に入っていくと、だんだんと方向感覚が失われていってしまう。平和通りと市場中央通りが交差している辺りには、かつて観光客にも人気だった第一牧志公設市場があった。現在は改築中のため、店は全てシャッターが下ろされ、廃墟のようになっている。当然、観光客の姿などあるはずがない。市場中央通りと並行するパラソル通りに入ってみると、シャッターを下ろしたままの店が増え、先ほどまでの明るい雰囲気はなくなった。その代わりに、東南アジア風の空気が漂っている。衣料品を扱う店が目につくが、商品を無造作に積み上げているかと思えば、公共の通路の手すりに引っ掛けるという荒技ディスプレイを見せてくれる。テーゲー(いい加減)なところが実にいい。どこの道に足を踏み入れても面白い光景ばかりに出くわすので、ついつい通りを右へ行ったり左に折れたりしてしまう。そうこうしているうちに足は疲れてくるし、喉も乾いてくる。ふと路地の先に目をやると、えびす通りの看板下にカウンターのカフェらしき店があるのが目に入った。そこは店名が「恵比寿珈琲」というのに、先客はみんなビールを呑んでいる。「コーヒーもありますけど、どうします?」と、店を切り盛りしていた青年。沖縄はまだまだ夏が続いていたので、明るい時間であったが、オリオンの生をいただくことにした。青年は沖縄のゆる~い時間が気に入り韓国から来沖。そのまま住み着いてしまったという。その彼に店名の由来を尋ねると「えびす通りにあるからっしょ!」と笑われた。ひと息ついたところで、さらに探索を続けた。再び市場中央通りに戻り、そこから薄暗い路地へと足を踏み入れた。すでに夜の雰囲気が漂う路地奥には「足立屋」という大衆串揚げ居酒屋が、早くも大勢の吞ん兵衛たちを引き寄せているではないか。「“千ベロ”いかがっすか。つまみ1品にビールやサワーが3杯呑めますよ。つまみは串カツ4本か、もつ煮込みのいずれか。味は保証しまっせ」なんだか大阪新世界界隈にでも迷い込んだ気分。店はけっこう混んで賑やかだったが、時間はまだおやつ時の3時。いいのか!?ディープな店が多い歓楽街は今も元気に営業①路地を歩いていると「金玉」という文字が目に飛び込んできた。どうやら占いの専門用語のようだが、なかなか見かけない看板だろう。②アーケードの商店街は筋ごとに名前が変わる。③那覇最大の買い物スポット、国際通りの裏手とは思えない鄙びた雰囲気がいい。④小さな路地ほど面白い店が見つかる。市場中央通りを核とする迷宮のような路地に隣接し、戦後に歓楽街として発展した所が桜坂通りだ。最盛期には数百もの飲食店が軒を連ね、夜な夜な怪しげなネオンに多くの人たちが吸い寄せられていたエリアだ。現在も当時の面影をわずかに残す店と、新たに開発されたホテルや店が混在し、不思議な匂いを醸し出している。この通りが開発されたのは1951年。現在の桜坂劇場と、西にあるアーケード街の平和通りまでの小高い丘を越える道路として造られた。坂の頂上付近に、桜坂劇場の前身である芝居小屋の珊瑚座が建築された。1952年にこの小屋が営業を開始し、坂に桜を植樹したことが、名前の由来だという。だが桜は、たった2年で伐採され、道路となってしまう。日中の桜坂通りは人通りが少なく、通りに面したカフェのテラス席には、地元のおじぃとおばぁがゆんたく(おしゃべり)に興じていた。そんな光景を楽しみつつ、ゆっくりと散策する。昼間からさらに呑むのは気が引けたので、沖縄の郷土玩具の琉球張子作家が営む「玩具ロードワークス」に入ってみた。こんな個性的な店と出会えるのも路地裏の面白さだろう。桜坂通りの東北側に続く路地が、一帯を米軍に接収されていた時代、沖縄随一の歓楽街であった竜宮通り社交街である。社交という言葉には、かつてはいろいろと深い意味があったようだ。今は150mほどの細い路地に、小さなスナックや飲食店がひしめいている。常連客ばかりが集いそうな、小さくディープな印象の店が多く、何となく敷居が高く感じられてしまう。しかし実際に訪れてみると、観光地の店よりも居心地が良く、案外値段も安いみたい。ウチナーンチュとの一期一会を期待するなら、こうした場所がいいかも。戦後復興期の風景を残す地元民に愛され続けた市場桜坂・竜宮通り界隈。国際通りの店は観光地価格なので、地元の人は足を向けないようだ。だが昔から変わらない風情を残す竜宮通り社交街は、地元の人で賑わう。最近ではわざわざ足を延ばす観光客も増えてきているという。そして戦後の復興期に誕生し、今もなおその当時の姿をとどめている栄町市場へと向かった。そこは国際通りから近いモノレールの「牧志駅」の次の「安里駅」前という一等地にありながら、日本に唯一残された歴史の生き証人といっても過言ではない、戦後のカオス感をまとっているのだ。市場内はご多分に漏れず入り組んだ迷路のような路地で構成されている。日中は地元産の野菜や精肉などの生鮮食品、それに手作りの総菜を扱う店が路地のあちらこちらで営業している。どの店からも、威勢のいいおばぁのかけ声と笑い声が聞こえてくる。そして店の前には買い物ついでにお店の人と話し込む客の姿があった。戦後復興期にできた建物が昔を感じさせるだけでなく、ここには人の温かさや優しさも残っているのだ。市場のほぼ中央にあり、買い物客や店の人たちの鼻孔をくすぐり、引き寄せてしまう憩いのスペースが「コーヒー ポトホト」だ。カウンターに2人座ると満席だが、その周囲で立ち飲みする人が後を絶たない。そこでおすすめのコーヒーの情報交換が始まるのも、人との距離が近い路地ならでは。ここは地元のコーヒー通だけでなく、県内のカフェが豆を求めにやって来るほど、その美味しさは評判だ。夕刻が近づいてくると、日中シャッターを閉じていた店が次々にシャッターを開いていく。そして赤提灯に火が灯ると、行列ができる餃子屋や古酒や琉球料理が味わえる居酒屋、さらにはエビだけしか置いていない店、貝料理専門店など、とにかく個性的な店が開店時間を迎える。こうして市場は、昼間と違った顔となった。何かが焼ける美味しそうな香りにお酒のグラスの中の氷の音が交ざり、身体の中はガス欠状態になってくる。そこで栄町市場のシメとして、居酒屋なのに沖縄そばがめっぽう旨いという「栄町ボトルネック」へ。酒や肴も言うことなしなのだが、肉や魚の缶詰の食べ比べもできるユニークな店だ。那覇には浮島通りやニューパラダイス通りといったスージグワーがまだたくさんある。一歩足を踏み入れて、ディープな“伝統の顔”を探ってみるのも旅の醍醐味だ。※こちらは男の隠れ家2019年11月号より一部抜粋しております

    もっと読む
  • 自宅で本格的な炉端焼きを楽しもう【伊賀焼 あぶり名人】

    伊賀焼の美学と工芸の粋を結集伊賀焼 「あぶり名人」は、伊賀焼の美学と工芸の粋を結集した、本格的なあぶり焼きが楽しめる逸品です。素朴でありながらも高度な技術が込められています。「あぶり名人」の特徴は何と言っても、そのメカニズム。熱源にはシーズヒーターを使用し、輻射熱の特性を最大限に引き出しています。高性能ヒーターの火力を、伊賀焼の保温性と遠赤外線効果によって増幅。本格的な炙り焼きができるメカニズムを支えていますよ。高性能なヒーターと伊賀焼の陶器が創り出す焼き物は、まさに芸術。豪快に焼くもよし、じっくりと焼くもよし。熱の調節は自在に、料理の幅がぐっと広がります。魚焼きグリルのイライラを解消!この「あぶり名人」は、多種多様な食材を一つの器で手軽に調理できるのが魅力です。あぶりながら、焼きながら、余分な脂を落とし、食材の一番美味しい瞬間を逃さずに捉えることが可能。焼き鳥、田楽にも最適で、秋刀魚もまるまる1本焼くことができますよ。真骨頂は、その均一な熱伝導にあります。高性能なシーズヒーターと伊賀焼の陶器の組み合わせにより、食材の表面はパリッと香ばしく、中はふっくらジューシーに仕上がります。調理過程を見ながら、食材の状態を確認できるため、料理の結果に対する満足感も一層高まります。さらに使いやすさも格別。つまみ一つで温度調節が可能で、難しい操作は一切不要。受け皿に水を張るだけで、焼き物から落ちる油を受け止め、煙を少なくし、短熱の影響も抑えることができます。使い終わった後は外して洗うだけなので、嫌なニオイもベタベタ油汚れも簡単に落とすことができますよ。自宅の魚焼きグリルの手入れや火力調整が苦手だった方の救世主となってくれるはずです。シンプルで美しいデザインは、食卓に置いても風格があり、どんなインテリアにもマッチします。思わず「今日は何を焼こうか?」と考えてしまう、そんな時間を過ごすのはいかがでしょうか。商品名:伊賀焼 あぶり名人価格:44,000円(税込)商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 伝統と革新の融合を体験【伊賀焼 いぶしぎん】

    自宅で手軽にスモーク料理を楽しもう。伝統の匠の技が現代のニーズに応える「伊賀焼 いぶしぎん」。伝統的な文化と、新しい時代の融合が生み出したこの製品は、あなたのライフスタイルに新しい風を吹き込む、これまでとは一線を画す革新的な発見となることでしょう。江戸時代後期、1832年に開窯した長谷園は、伊賀焼きの伝統と技術を守りつつ、現代のライフスタイルに適した製品を生み出すために、伊賀の粗土の特性を最大限に活かしました。新たな時代に溶け込む伝統的な焼き物をぜひ、ご覧ください。「いぶしぎん」は伝統的な伊賀焼きの技法を応用し、約30分で本格的な燻製料理を家庭で楽しめるという画期的なアイテム。シーリング効果を利用して煙が外に漏れないように作られ、ご自宅で気軽にスモーク料理が楽しめます。ロースト料理から、味噌や醤油などの調味料の香りづけまで、多様な調理に対応。様々な食材の旨味を引き出し、独自の風味を再現してくれますよ。さらに、ポーラス(多気孔)により急激な温度変化を抑え、食材の酵素が活動する温度を保つことが可能。遠赤外線調理も可能で、遠赤外線効果により食材の芯から熱を伝え、ふっくらとした柔らかさを作り出すことができます。余計な水分を逃さずに、じっくりと調理することができるため、独特の甘味と旨味を味わうことができます。焼き物初心者にもおすすめ 焼き物と言われるだけで、独特の使い方があるのではないかと警戒する方も多いはず。ですが、安心してください。初めての方でも問題なく使えるのがこの製品のポイント。「いぶしぎん」は使用方法も簡単です。土鍋に食材と調味料を全て入れ、中強火で煮込むだけ。沸騰したら火を消し、余熱で料理を完成させる。そんなシンプルな使い方ができるのです。 多機能性と使いやすさを兼ね備えているため、一度使うと手放せなくなりますよ。 どんな家庭でも新しい料理体験ができること間違いなし。伝統と現代が融合したこの逸品を手にすれば、あなたのキッチンがスモーク料理を提供するレストランのような香りで包まれることでしょう。 伊賀焼きの長い歴史と技術を感じられる「伊賀焼 いぶしぎん」をぜひ手に取ってみて。 【商品詳細】 商品名:伊賀焼 いぶしぎん 価格:11,000円 ~ 16,500円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 鮮烈なカラーと浮世絵の繊細さの融合【ルパン三世浮世絵】

    アニメ「ルパン三世」の50周年記念として生まれたこの作品は、現代と伝統が見事に交錯する一方で、ルパン三世というキャラクターの魅力を最大限に引き立てています。名作アニメの名場面が、日本古来の美術様式を通じて新たな命が吹き込まれ、視覚的にも感情的にも未知の体験をもたらす作品と言えるでしょう。この「ルパン三世浮世絵」は、「スター・ウォーズ」などの現代浮世絵でその才能を輝かせる永井沙絵子の彫りと、歌川広重の「名所江戸百景」などの作品で70年にわたり様々な木版画を手掛けた松崎啓三郎の摺り、という熟練の職人2名の技によって作り上げられた逸品。その2人の絶妙なコラボレーションにより、「ルパン三世」の世界が独特の表現で紡ぎ出されてます。加えて、それぞれの絵に合わせて作られた特製の額によって、一枚のアートとしての魅力が最大限に引き出されているのです。なお、各浮世絵は限定70枚での販売という限定感もポイント。シリアル番号入りのプレートと証明書が付属し、アート作品としての価値も申し分ありません。あの頃の感動がいつでも味わえる。ルパン三世の世界を描いた浮世絵は全三種類。アニメの名シーンがそれぞれ見事に描き出されています。第1弾の「カリオストロの城」。ルパンとクラリスの印象的なシーンを浮世絵で再現しており、その繊細な表現は見る者を惹きつけます。また、第2弾の「不二子」では、作中のヒロイン峰不二子に焦点を当て、不二子の魅力的なセクシーカットが描かれています。そして、第3弾の「PART4オープニング」では、ルパン三世のオープニングカットのルパン、次元、五エ門の印象的なシーンが浮世絵で再現されており、アニメを知っている誰しもがあの頃のワクワクを思い出すでしょう。「ルパン三世浮世絵」は自宅やオフィスなどのインテリアとして楽しむのがおすすめです。その美しい色彩と独特の雰囲気は、空間に一風変わった華やかさと落ち着きをもたらしてくれます。手に入れた人だけが感じることができる特別な存在感は、この作品たちならではの魅力です。アートを楽しむ全ての人々に向けた最高の作品「ルパン三世浮世絵」。鮮烈なビジュアルと限定感、そしてアニメ「ルパン三世」の魅力を最大限に引き立てるこの作品は、一生の財産になること間違いなしです。浮世絵好きはもちろん、アートを楽しむ全ての人は、ぜひ一度手に取ってその魅力を確かめてください。そして、それが新たな楽しみとなり、日々の生活に豊かな彩りを加えてくれるはずです。【商品詳細】商品名:【数量限定】ルパン三世浮世絵価格:52,800円 ~ 231,000円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • ”食の隠れ家”イベントレポート

    日本人にとって欠かせない食材であるお米。その魅力を最大限に引き出すイベントが開催された。そこで得られた貴重な体験から、新たな商品開発の期待が膨らんだことを、まずはご報告。併せて日本の伝統工芸が持つ卓越した技から生まれた、秀逸な商品を2点紹介したい。イベントレポート当日のイベントの様子。次々に提供された料理の美味しさに、参加者たちの会話も弾む。多くの人がお米の美味しさに驚いていた。「食料自給率」という言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。これは食料供給に対する国内生産の割合を示す指標のことで、単純に重量で計算することができる「品目別自給率」と、食料全体について共通のものさしで単位を揃え計算する「総合食料自給率」の2種類がある。さらに総合食料自給率は、人が生きていくのに必要なエネルギー量で換算するカロリーベースと、経済的な面で換算する生産額ベースとがある。2021年度のカロリーベースの食料自給率はわずか38%。特にカロリー優等生の米消費量の減少が著しいことが、それを助長している。国民ひとりが1年間に食べるお米の量は、1962年度の118.3kgをピークにして1970年度は95.1kg、1990年度は70kg、2020年度は50.3kg(1日0.9合)と、減少の一途をたどっている。しかも過程で炊飯する割合も低下している。今回のイベントは、日本が抱える食料問題に想いを馳せつつ、日本食の素晴らしさを再認識する、という試み。そして『男の隠れ家プレミアム』では、食料事情改善に少しでも手助けになるよう商品を、見極めようと心がけた。素晴らしき食材の数々が教えてくれた”食べる”という喜びお米をはじめとして、全国から集められた数々の秀逸な食材は、順次『男の隠れ家プレミアム』で扱っていく予定。左/ごはん(ゆきさやか)とマロンポークの豚汁、右/調理中の小田野さんと長谷川さん。希少で美味しいお米と味を引き立てる器に着目その日の夕刻、都内にある某キッチンスタジオは、食欲をかきたてる香りが充満していた。茨城県水戸市で食と農に関する人材教育を行う「鯉淵学園農業栄養専門学校」の学園長・長谷川量平さんと、食育インストラクターの小田野仁美さんが、日本各地から集められた食材を次々に調理していく。前ページで触れた通り、米の国内消費量は1962年をピークに減り続けている。同時に日本食には欠かせない魚介類、味噌や醤油などの発酵食品の消費も減少。にも関わらず、フードロスが社会問題化。今回採用した21品目の食材のうち、14品目がフードロスに該当している。そこで今回のイベントは、日本の米や伝統的な献立の魅力を再認識しつつ、フードロスに思いを巡らす狙いもあった。選ばれたお米は、北海道の希少品種「ゆきさやか」。これは北海道内の作付面積中、わずか1%未満しか栽培されていないという超レア品種である。北海道のブランド米選出の際、「ゆめぴりか」と最終選考まで競った品種だ。しかも味や甘味の質、食感では「ゆきさやか」の方が上回った。だが、栽培が難しく収穫量が少ないために選ばれなかったのである。一般市場ではなかなかお目にかかれない「ゆきさやか」は、来場者にも大変好評であった。たくさんのおかずが並んだにもかかわらず、「一番印象に残ったのはごはん」と答えた人が多かったほど。今後『男の隠れ家プレミアム』で販売予定。お米が美味しく感じられる器が用意されたことも好評であった。茶碗はすべて丸利玉樹利喜蔵商店提供の美濃焼で、手に取ったときの質感やごはんの湯気が立ち昇った際の様子など、美味しさを増す効果を演出する。こちらも今後の展開を、大いに期待してほしい。今月のPICK UP日本の伝統工芸の技術を今に生かした2つの逸品。有田焼セラフィルター飲み物の味わいがまろやかに。伝統の技が生んだハイテク商品16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮への出兵を全国の大名に命じた。それに従い、朝鮮半島に渡った肥前(佐賀)領主・鍋島直茂は、朝鮮人陶工を佐賀の地に連れ帰る。そのうちのひとりである李参平が、元和2年(1616)に有田東部の泉山で白磁鉱発見し、日本で初めて磁器の製造に成功。以来、江戸時代後期になるまで、有田は日本で唯一の磁器生産地であった。そんな歴史を誇る伝統工芸有田焼の技術を取り入れ、飲み物の味を劇的に美味しく変える陶器製フィルター「セラフィルター」が誕生。これでコーヒーを淹れた場合、紙フィルターでは不可能であったコーヒーの雑味をブロックし、旨味成分である豆の油は通す。おかげで、誰もが一流バリスタに近づけたと思うほど、コーヒー豆が持つ本来の旨味が味わえるのだ。このフィルターは、数ミクロンという穴が無数にある多孔質セラミックで作られていて、遠赤外線効果とセラミックスの力で水のカルキ臭や飲み物に含まれる不純物を取り除く。安いワインやお茶、水道水も劇的に旨くしてくれる。【商品詳細】商品名:有田焼 セラフィルター価格:3,300円 ~ 4,950円(税込) 商品の詳細はこちらマネークリップ使い込むほど風合いが増し自分だけのお洒落も演出できる逸品神社仏閣や仏壇、神輿などに装飾と補強を目的として取り付ける金物を錺金具と呼ぶ。その歴史は古く、飛鳥時代に建てられた法隆寺金堂にも使用されている。神の世界や極楽浄土を表現し、長い歴史の中で人々の心を癒してきた。その技術を生かし、暮らしの中に飾る楽しみをプラスするブランドとして誕生したのが「錺之-KAZARINO-」だ。錺之は、京都で約50年間、錺金具を作り続けてきた。その確かな技が、この「マネークリップ」でも随所に発揮。まず着目したいのが、日本の伝統柄を取り入れた意匠。長く使うほど表面が酸化し、この意匠を引き立て味が出る。使いやすさを追求した幅広い形や、お札の出し入れがスムーズになるよう反り返り部分を曲線にするなど、細部まで匠の技が光っている。【商品詳細】商品名:マネークリップ価格:9,900円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 酒器を変えれば晩酌も楽しみになる【伊賀焼 「粋」シリーズ酒器】

    手に馴染むろくろ成形の温かみ400万年の時を超えた土と、時代を超越した技術の産物。伊賀焼 「粋」シリーズはその名の通り、洗練された美意識を表現した伊賀焼の焼酎カップであり、炭焼タンブラーです。繊細でありながらも温もりのある手触り、手になじむ形状は、一度手にすればもう離せなくなることでしょう。「粋」シリーズは、選び抜かれた素材と職人の熟練の技によって一つ一つ丁寧に作られています。底面の工夫により、水滴で卓上を濡らさない設計は酒飲みの気持ちに寄り添うポイントです。伊賀の粗土は、400万年前の古琵琶湖層から産出される陶土で、日本で採れる陶土の中でもその耐火度と蓄熱性は非常に高いと言われています。その土を使うことで、保温・保冷性の高さと、丈夫さを実現しました。それが一番活躍するのはやはり「飲み物を楽しむ時間」です。日常の飲み物を一層美味しく、また一層特別なものに変えてくれますよ。その高い蓄熱性と保湿性が、飲み物の温度を一定に保ち、飲み物本来の味わいを最大限に引き出します。普段何気なく使っているグラスを、この酒器に変えるだけで、格段と美味しいお酒を味わえることでしょう。自分の時間をレベルアップしようお酒を楽しむ何気ない時間。それが、この酒器によって贅沢な時間へ変わります。あなたが飲む焼酎やウィスキーが、伊賀焼の「粋」で一層深い味わいとなるでしょう。一人で楽しむもよし、夫婦で楽しむのもまた一興です。一つ一つ手作りであるため、自分だけの特別な一品を手にすることができますよ。この酒器は全2種類。日替わりで使うために2種類用意してみるのも面白いですね。お二人で使う場合には、それぞれ専用のグラスを用意できるので、思い出を育みつつ愛用できますよ。一日の終わりに自分へのご褒美として、また大切な人へのプレゼントとして、様々なシーンで活躍します。日々の生活をちょっと特別なものに変えてくれる、そんな「伊賀焼 「粋」」を、ぜひあなたの手に。【商品詳細】商品名:伊賀焼 「粋」シリーズ 酒器価格:7,700円 ~ 8,800円(税込) 商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • アウトドアでも防災でも大活躍!持ち運びに便利なリュック型ソーラーパネル

    今回、男の隠れ家PREMIUMからご紹介するのは、ソーラー充電可能なパネルを備えたバッグ「リュック型ソーラーパネル」です。その名が示す通り、日常からアウトドアまで幅広く活躍するエネルギーハブで、太陽光を電気へと変えるその姿は未来感が溢れる便利な一品です。一見するとただのリュックサックですが、その背面には発電力に優れたソーラーパネルが4枚搭載されており、1枚から使えるので、限られたスペースでも最大限の発電が可能。キャンプ用の大容量バッテリーは重くて持ち運びに不向きなものばかり。この「リュック型ソーラーパネル」は、お子様や女性でも持ち運びやすいよう、人間工学に基づいたデザインを採用し、重さを感じにくく、揺れを抑える設計を実現しました。移動の際はリュックサックが体にフィットし、重心が安定。背面パッドはメッシュ加工で通気性・速乾性に優れており、いつでも快適に持ち運びができますよ。アウトドア以外のシーンでも大活躍間違いなし。「アウトドアで電気を使うシーンって、キャンプとかBBQぐらいでしょ?」と思っている方も多いはず。今の日本において、最も有用な使い道があります。それは、「防災用品」としての可能性です。地震や大雨などの災害時には、インフラが機能しておらず、ガスや水道はおろか電気もまともに使えないこともしばしば。防災グッズに忍ばせていたモバイルバッテリーや乾電池式の携帯充電器も、すぐに力尽きてしまうことでしょう。そんな時にこの「リュック型ソーラーパネル」があれば、晴れ間を見つけて充電しておくことで、スマホの充電から、明りを維持したり、季節によっては暖を取ることも可能になります。大型の充電器は避難の際に邪魔になってしまいますが、リュックサック型であれば全く問題なし。防災グッズとして、一家に一台おいておくのもおすすめですよ。丈夫で長持ちだから、コスパ良し。3万円を超えてくると充電器としては高く感じてしまうかもしれません。ですが、リュック全体に水や汚れに強いブルーナイロンを採用。耐久性に優れており、長時間の使用にも負けない耐久性を実現しています。さらに「止水ファスナー」や「断熱素材」を用いており、雨天や直射日光の下でも耐久性を発揮してくれますよ。長く使えて、防災グッズとしての備えにもなる、コスパ最強のソーラー充電器です。キャンプ用の電源としてはもちろん、いざという時のアイテムとして手にとってみてはいかがでしょうか。【商品詳細】商品名:リュック型ソーラーパネル価格:35,980円 (税込)商品の詳細はこちら

    もっと読む
  • 大人ひとり飯を極める -食へのこだわり-

    味わい深い一人時間の極致 - 食材と食器にこだわる「一人時間」は、日々の喧噪から解放され、深い自己対話や静謐なリラクゼーションを追求できる穏やかな瞬間。このような時間を過ごすとき、何を食べるか、どのように食べるかは非常に重要です。食材はもちろん、食器にもこだわることで、食事の時間はただの栄養補給から、自分自身への贅沢なご褒美へと変わります。これらの要素が一体となり、感覚的な満足と共に心身の安らぎをもたらしてくれますよ。今回は、そんな一人時間をより豊かに過ごすための選りすぐりの食材と食器をご紹介。それぞれが、独自の物語とこだわりを持つ、あなたの一人時間を豊かに彩るアイテムです。贅沢なひとときを味わう - お酒のアテは妥協しない大人のひとり飯に欠かせないお酒。合わせるおつまみにもこだわりたいところです。馬刺しは、食事としてはもちろん、お酒のアテにも抜群の一品です。豊かな風味とヘルシーさから、大好きな人も多いはず。ここで紹介する「【吟撰】3種の純国産馬刺しセット」は、その中でも特に質の高い馬肉を厳選。肩ロース、モモ、レバーといった異なる部位から選ばれた馬刺しは、部位ごとに異なる食感と味わいを持ち、馬肉のさまざまな魅力を堪能できますよ。また、たっぷりと冷蔵庫で冷やしてから食べると、肉の旨味が一段と引き立ち、味わいが深まります。ひとり飯の選択肢にいかがでしょうか。【商品詳細】商品名:【吟撰】3種の純国産馬刺しセット価格:6,372円(税込) 商品の詳細はこちら伊賀焼「粋」シリーズ酒器で楽しむ - 馬刺しと焼酎の極上マリアージュ馬刺しをさらに美味しくするためには、適した酒器を選ぶことも重要。伊賀焼の「粋」シリーズの酒器は、その端正なデザインと質感が馬刺しとのマリアージュを最高のものにしてくれますよ。伊賀焼特有の土を使用した質感は、手になじむ温もりを感じさせ、味わい深い一人時間を演出。職人さんによる手作りならではの温もりと、伊賀焼特有の質感が醸し出す落ち着いた雰囲気が特徴で、馬刺しと一緒に焼酎をゆっくりと味わうことで、一人時間がより感慨深いものに変わっていきます。底面を削り出すことで、水滴によって卓上を濡らさない工夫が施されていて、見た目だけでなく機能性にも優れていますよ。長い歴史を誇る伊賀焼の魅力を感じてほしい。そんな魅力を感じさせる最高の酒器です。せっかくアテにこだわったなら、器もこだわってみてくださいね。【商品詳細】商品名:伊賀焼 「粋」シリーズ 酒器 全2種類価格:7,700円 ~ 8,800円(税込) 商品の詳細はこちら多彩な有田焼ダブルウォールカップ - そばちょことしても活躍焼酎以外を楽しみたい方には、有田焼の「ダブルウォールカップ」がおすすめ。色とりどりの美しい見た目だけでなく、機能性にも優れています。このカップは、二重構造により保温性が高く、飲み物が冷めにくい特徴を持っています。ハイボールやビールなどの焼酎以外のお酒から、お茶やお水といったソフトドリンクを飲む際にも活躍しますよ。また、その美しい形状と色合いから、そばちょことして使用することも可能で、そばの香りと共に日本の伝統を感じることができます。蕎麦つゆのひんやり感をキープしてくれるダブルウォールカップで、締めのそばを楽しむのも一興です。保温性に優れているため、温かいつゆにするのもおすすめです。夏だけでなく、冬にも使える素晴らしい器を用意して、ひとり飯のクオリティを高めてみてはどうでしょうか。【商品詳細】商品名:有田焼 ダブルウォールカップ 全6色価格:3,300円(税込) 商品の詳細はこちらふなくらのそば - 素朴な味わいと心地よい香りで至福のひと時をアテと酒器にこだわり、締めのそばちょこを用意できたら、美味しい蕎麦も必須ですよね。最後に、富山県産の農薬、肥料不使用の「ふなくらのそば」をご紹介します。このそばは、つるつるとした食感と素朴な味わいが特徴で、一人でゆっくりと味わうのに最適です。満腹が近づいてきた瞬間でも、スルスル入ってくるくらい美味しい蕎麦ですよ。また、このそばは自然を大切にし、地域の若者たちが一丸となって栽培から製粉までを行っています。生産者の顔を思いつつ食べるそばは、極上のものになること間違いなし。気になる方は、ぜひチェックしてみてくださいね。【商品詳細】商品名:ふなくらのそば価格:6,000円(税込)商品の詳細はこちらひとり飯はあなただけの時間。思う存分、堪能しよう。一人時間は、自己と向き合い、心身のバランスを取る重要な時間です。おいしい食材と美しい食器は、そんな一人時間は特別なものになり、心地よい時間を過ごしながら、自分自身への投資になって返ってきます。寂しいと思われがちなひとり飯を、誰もが羨む最高の時間に変えてみてくださいね。

    もっと読む